解題・説明
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女谷(おなだに)の旧家にして医師であった布施(ふせ)家の宅地であったもので、7代良斉が江戸末期から明治初年にかけて、京都の庭師を招いて築造を始め、9代禎二に至って完成したもの。昭和3年鵜川小学校が同地に移転の際に校有地として一括寄付された。後方築山の五葉松の巨木を中心として、ネズやモミジ類などの樹木と苔(こけ)を配し、その前方に当地産出の大石約200個をもって囲んだ心字形の池は、石橋をもって左右に分かれている。江戸末期の座観(ざかん)式庭園として、幽寂(ゆうじゃく)な趣(おもむき)に富んだ優れた景観がよく残されている。なお、当地女谷(おなだに)には国指定重要無形民俗文化財の綾子舞(あやこまい)が伝承されていて、この静雅園近辺に綾子舞会館があり、現地公開も行われている。
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