解題・説明
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昭和25年に八坂(やさか)神社の祇園(ぎおん)祭と柏崎の商工祭が一緒になり、「ぎおん柏崎まつり」が誕生しました。ただし、正式に名称が決定したのは、昭和28年となっています。当初は、24日に前夜祭(だし)行列や芸妓(げいぎ)連の踊り屋台などが催されていました。現在の形になったのは、昭和40年頃からになります。特に花火大会は、越後三大花火のひとつとされています。【祇園祭(ぎおんまつり)】祇園祭は、もともと疫病や災難を除くためのお祭りで、7月7日から14日に京都の八坂神社の流れをくむ柏崎市西本町の八坂神社が行っていた祭礼です。当時は、疫病が流行する度に、御輿(みこし)と奉納花火が打ち上げられていました。花火大会は、これまで仕掛花火やナイヤガラ花火に挑戦し、年々規模を拡大してきました。平成10年に花火打ち上げ業者が変わり、ワイドスターマインや尺玉300発など新趣向も取り入れています。中でも評判なのが「10号玉(尺玉)ワイド100発打ち」で、1500メートルの幅に尺玉100発が同時に打ち上げられる壮麗な花火は、圧巻です。【八坂神社】全国の八坂神社は、全て京都市東区祇園町の八坂神社を本社として、各地に勧請(かんじょう)した(他の地に分霊(ぶんれい)を置いた)ものと言われています。【花火大会】既に古文書には1840年(江戸時代末期)、八坂神社の祇園祭の祭礼として花火を打ち上げていたという記録が残っています。【民謡街頭流し】街頭流しは、昭和32年から始まりましたが、この年は陸上競技場で踊った後、柏崎神社脇の道路を流しました。この年、大成功したことをきっかけに、現在の形になりました。【たる仁和賀(にわか)】たる仁和賀は、市制30周年の昭和45年にぎおん柏崎まつりを盛り上げるために、各町内の「こどもたる仁和賀」の出演があって、現在ような形になっています。「にわか(俄、仁輪加)」とは、江戸時代の民間芸能で、沿道で山車(だし)や御輿(みこし)を飾った芸能です。
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