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『大和日記大略』は河内長野市立図書館所蔵資料で、元は郷土史家の三浦玄良氏が収集された歴史資料の内の一点です。内容は、文久3年(1863)の天誅組一件について、義兵趣意大略からはじまり、8月14日の京師出発から五條代官所襲撃、高取城攻撃、その後の大和山中での転戦を経、9月27日に大将中山忠光と数人が大坂から舟に乗り落ち行く所までを日記形式で書いています。三浦玄良氏はこの著者を中山忠光に最後まで付き従った半田門吉(久留米藩出身)としています。 天誅組と当市の関係は深く、襲撃当日は今の河内長野市三日市で休憩し、観心寺で後村上天皇陵・楠公首塚に参拝、ここから千早を経て大和国五條代官所へと攻め入りました。当市域から天誅組に参加した人や関連の人は、人足として連れて行かれた人を除いても約30人ほどいたといいます。 ここでは、このカラー画像に翻刻文を重ね合せ、古文書が読めない方でも原本を読んでいただけるようにいたしました。ぜひこの機会に原本で『大和日記大略』を読んでみてください。 なお、本画像は、(株)ライトリー(四條畷市)が撮影しご厚意で提供されたものです。

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大和日記 文久3年8月 文書・記録
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