年表 川西市のできごと(1954~2023)

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No 年月 西暦 できごと 関連 備考 キーワード
1 昭和29年 1954 8月1日に川西町、多田村、東谷村の1町2村が合併し、川西市が誕生。施行時点での人口は3万3,741人。小花字藤ノ木にあった川西町役場を市庁舎にしました。9月に行われた市長選挙の投票率は85.29%に上り、川西中学校長だった小笠原新三郎氏が初代市長に就任。12月には市制施行祝賀式を挙行し市章と市歌が披露されました。この頃の日本は朝鮮戦争による特需景気の反動で不況に陥ったものの、力強く復興を遂げつつありました。

【世帯数】7,533世帯
【人口】33,798人

2 昭和29年8月 1954/8 川西町、多田村、東谷村の1町2村が合併し市制施行。人口3万3,741人
3 昭和29年8月 1954/8 川西社会福祉協議会設立
4 昭和29年9月 1954/9 市長選挙が行われ、小笠原新三郎氏が初代市長に就任する
5 昭和29年12月 1954/12 市制施行祝賀式挙行。市章と市歌を披露する
6 昭和30年 1955 川西市では総務課に公聴広報係を新設し『広報かわにし』第1号を発行しました。4月には加茂幼稚園、久代幼稚園が開園。また伊丹飛行場は拡張が計画されましたが、川西市議会が伊丹飛行場拡張反対に関する決議を可決しました。さらにこの年、最初の市議会議員選挙が行われました。定員30人に対して43人が立候補し、投票率は85.95%という高率でした。この頃、後に「東洋の奇跡」と称される高度経済成長が始まりましたが、その代償としてイタイイタイ病などの公害病が発生しました。

【世帯数】7,808世帯
【人口】35,158人

7 昭和30年4月 1955/4 加茂幼稚園、久代幼稚園開園
8 昭和30年6月 1955/6 『広報かわにし』第1号を発行する
9 昭和30年7月 1955/7 川西市議会が伊丹飛行場拡張反対に関する決議を可決する
10 昭和30年7月 1955/7 最初の市議会議員選挙が行われる
11 昭和31年 1956 赤字財政を克服するため財政再建団体となり財政再建に着手しました。また税収の増加につながる大規模工場の誘致のため「川西市工場誘致条例」を施行。一方で、市民の生活向上につながる社会基盤の整備も進め、市営塵芥焼却場が加茂に完成しました。日本のGDPは戦前の水準を上回り、政府は経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言。戦後復興期から高度成長期へと移行していました。

【世帯数】8,399世帯
【人口】36,966人

12 昭和31年1月 1956/1 川西幼稚園、川西北幼稚園開園
13 昭和31年4月 1956/4 財政再建団体となる
14 昭和31年6月 1956/6 大規模工場の誘致のため「川西市工場誘致条例」を施行する
15 昭和31年12月 1956/12 市営塵芥焼却場が加茂に完成する
16 昭和32年 1957 川西市の新市庁舎が10月に落成。躍進する新市にふさわしい鉄筋RC造りでした。1956年に開業した新町市場の繁栄は在来商業者を刺激し、川西市商工会が発足。戦後しばらくは、大部分の生活用水は井戸水や自然流水に依存していましたが、市制実施後は配水管敷設工事を加速させ、簡易上水道が平野に完成しました。「神武景気」が終わり「なべ底景気」と呼ばれる不況期が始まり、日本経済は成長と停滞を繰り返しながらも、着実に拡大していました。

【世帯数】8,833世帯
【人口】38,448人

17 昭和32年3月 1957/3 簡易上水道が平野に完成する
18 昭和32年6月 1957/6 台風5号による被害が発生する
19 昭和32年9月 1957/9 花屋敷東南斜面地区の分市合併問題で住民投票が行われる
20 昭和32年10月 1957/10 新しい市庁舎が中央町に落成する
21 昭和32年12月 1957/12 川西市商工会が発足する
22 昭和33年 1958 市民の自覚によって美しく住みよい、そして豊かな都市を建設するための市民の規範としての『市民憲章』を1月に県下で初めて告示しました。また上水道設備を求める住民の声に応え、出在家に取水場と浄水場が、小戸に配水場が完成。自己水源による給水を開始しました。日本では公団住宅の入居者数が100万人を突破し「団地族」という言葉が流行語に。新たなライフスタイルが続々と生まれました。

【世帯数】9,331世帯
【人口】39,518人

23 昭和33年1月 1958/1 県下初の市民憲章を制定する
24 昭和33年1月 1958/1 出在家に取水場と浄水場が、小戸に配水場が完成し、自己水源による給水を開始する
25 昭和34年 1959 世界平和都市を宣言し、世界に貢献する意思を表明しました。市庁舎から離れた多田・東谷両地区の支所廃止を受け、住民への連絡・通達業務を補うため有線放送電話を開設。自然が豊かな同地区では、観光・レクリエーション地帯としても開発が進みました。またゴルフ場開設ブームの端緒となった、花屋敷ゴルフ場が開設されました(1973年6月閉場)。日本の個人所得は増大し、家電ブームが発生。テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫が「三種の神器」と称されました。

【世帯数】9,834世帯
【人口】40,697人

26 昭和34年1月 1959/1 世界平和都市を宣言する
27 昭和34年4月 1959/4 花屋敷ゴルフ場が開設される
28 昭和34年9月 1959/9 鴬の森遊泳場が伊勢湾台風の襲来により全壊する
29 昭和34年12月 1959/12 多田・東谷両地区の有線放送電話が開通する
30 昭和35年 1960 能勢電気軌道(現・能勢電鉄)は起死回生策として、妙見ケーブルの再建と妙見リフトの開通を実現。しかしすでにバスによる妙見宮参詣ルートが定着し、沈滞脱出の決定打とはなりませんでした。また5月には川西北保育所が開設されました。8月に発生した台風16号では、市内各地が大きな被害を受け、自然災害の怖さを再認識させられました。この年、政府は『国民所得倍増計画』を発表。都会では「アイビールック」を身にまとった若者たちが街を闊歩していました。

【世帯数】9,967世帯
【人口】41,916人

31 昭和35年4月 1960/4 16年ぶりに妙見ケーブルが開通する
32 昭和35年5月 1960/5 川西北保育所開設
33 昭和35年8月 1960/8 妙見リフトが開通する
34 昭和35年8月 1960/8 台風16号による被害が発生す(尼崎市・伊丹市・川西市・豊中市・池田市・猪名川町で被害。負傷者11人、全壊流失25戸、半壊49戸、床上浸水1,807戸、床下浸水2,541戸、田畑454ha冠水)
35 昭和35年9月 1960/9 川西市国民健康保険事業が開始される
36 昭和36年 1961 4月に川西南中学校が開校されました。また1959年から検討されていた宝塚線の花屋敷駅と雲雀丘駅の統合は、一部市民による反対運動もありましたが、花屋敷駅を存置して(1962年まで)普通列車を停車させることで議論が終決。輸送力増強のため京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)雲雀丘花屋敷駅が開設されました。国鉄福知山線(大阪・三田間)複線電化促進期成同盟会も結成されたこの年。トヨタ自動車による初の大衆車・パブリカの発売は、モータリゼーションの始まりを告げましたが、都市交通の主流は鉄道でした。

【世帯数】11,038世帯
【人口】45,281人

37 昭和36年1月 1961/1 京阪神急行電鉄「雲雀丘花屋敷」駅が開設される
38 昭和36年3月 1961/3 私立東洋食品工業短期大学開校
39 昭和36年3月 1961/3 市の財政再建が完了する
40 昭和36年4月 1961/4 川西南中学校を開校する
41 昭和36年4月 1961/4 多田・東谷地区電話自動化促進協議会が結成される
42 昭和36年6月 1961/6 老人ホーム北摂満寿荘が東畦野にオープンする
43 昭和36年8月 1961/8 市消防本部を設置する
44 昭和36年8月 1961/8 国鉄福知山線(大阪・三田間)複線電化促進期成同盟会が結成される
45 昭和36年8月 1961/8 栄根寺の「木造薬師如来坐像」が県の指定文化財に指定される
46 昭和37年 1962 川西市における1960年から5年間の人口増加率は爆発的に上昇して46.2%にも達し、この年の12月に5万人を超えました。人口急増は川西能勢口駅周辺における不法密集住宅の激増をもたらし大きな問題となりました。この年の4月に第1回「観光まつり」(現在の清和源氏まつり)が開催されました。また京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)雲雀丘花屋敷駅が完成後も使用されていた花屋敷駅が廃止されました。この年、東京都の常住人口は推定約1,000万人を突破。世界初の1,000万都市となりました。

【世帯数】12,178世帯
【人口】49,020人

47 昭和37年4月 1962/4 第1回「観光まつり」が開催される(現在の清和源氏まつり)
48 昭和37年4月 1962/4 京阪神急行電鉄「花屋敷」駅が廃止される
49 昭和37年12月 1962/12 市の人口が5万人を超える
50 昭和38年 1963 市立川西病院が小戸に新築移転されました。鉄筋3階建てで、診療科目は内科・外科・整形外科・小児科・産婦人科・放射線科の6科。54床の近代設備を備えたものでした。日本では初の高速自動車国道となる名神高速道路の一部が開通。自動車産業だけでなくあらゆる分野で技術革新が起こり、設備の近代化が進みました。

【世帯数】13,653世帯
【人口】54,207人

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