年表 川西市のできごと(1954~2023)

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キーワード:1960年代
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No 年月 西暦 できごと 関連 備考 キーワード
1 昭和35年 1960 能勢電気軌道(現・能勢電鉄)は起死回生策として、妙見ケーブルの再建と妙見リフトの開通を実現。しかしすでにバスによる妙見宮参詣ルートが定着し、沈滞脱出の決定打とはなりませんでした。また5月には川西北保育所が開設されました。8月に発生した台風16号では、市内各地が大きな被害を受け、自然災害の怖さを再認識させられました。この年、政府は『国民所得倍増計画』を発表。都会では「アイビールック」を身にまとった若者たちが街を闊歩していました。

【世帯数】9,967世帯
【人口】41,916人

2 昭和35年4月 1960/4 16年ぶりに妙見ケーブルが開通する
3 昭和35年5月 1960/5 川西北保育所開設
4 昭和35年8月 1960/8 妙見リフトが開通する
5 昭和35年8月 1960/8 台風16号による被害が発生す(尼崎市・伊丹市・川西市・豊中市・池田市・猪名川町で被害。負傷者11人、全壊流失25戸、半壊49戸、床上浸水1,807戸、床下浸水2,541戸、田畑454ha冠水)
6 昭和35年9月 1960/9 川西市国民健康保険事業が開始される
7 昭和36年 1961 4月に川西南中学校が開校されました。また1959年から検討されていた宝塚線の花屋敷駅と雲雀丘駅の統合は、一部市民による反対運動もありましたが、花屋敷駅を存置して(1962年まで)普通列車を停車させることで議論が終決。輸送力増強のため京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)雲雀丘花屋敷駅が開設されました。国鉄福知山線(大阪・三田間)複線電化促進期成同盟会も結成されたこの年。トヨタ自動車による初の大衆車・パブリカの発売は、モータリゼーションの始まりを告げましたが、都市交通の主流は鉄道でした。

【世帯数】11,038世帯
【人口】45,281人

8 昭和36年1月 1961/1 京阪神急行電鉄「雲雀丘花屋敷」駅が開設される
9 昭和36年3月 1961/3 私立東洋食品工業短期大学開校
10 昭和36年3月 1961/3 市の財政再建が完了する
11 昭和36年4月 1961/4 川西南中学校を開校する
12 昭和36年4月 1961/4 多田・東谷地区電話自動化促進協議会が結成される
13 昭和36年6月 1961/6 老人ホーム北摂満寿荘が東畦野にオープンする
14 昭和36年8月 1961/8 市消防本部を設置する
15 昭和36年8月 1961/8 国鉄福知山線(大阪・三田間)複線電化促進期成同盟会が結成される
16 昭和36年8月 1961/8 栄根寺の「木造薬師如来坐像」が県の指定文化財に指定される
17 昭和37年 1962 川西市における1960年から5年間の人口増加率は爆発的に上昇して46.2%にも達し、この年の12月に5万人を超えました。人口急増は川西能勢口駅周辺における不法密集住宅の激増をもたらし大きな問題となりました。この年の4月に第1回「観光まつり」(現在の清和源氏まつり)が開催されました。また京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)雲雀丘花屋敷駅が完成後も使用されていた花屋敷駅が廃止されました。この年、東京都の常住人口は推定約1,000万人を突破。世界初の1,000万都市となりました。

【世帯数】12,178世帯
【人口】49,020人

18 昭和37年4月 1962/4 第1回「観光まつり」が開催される(現在の清和源氏まつり)
19 昭和37年4月 1962/4 京阪神急行電鉄「花屋敷」駅が廃止される
20 昭和37年12月 1962/12 市の人口が5万人を超える
21 昭和38年 1963 市立川西病院が小戸に新築移転されました。鉄筋3階建てで、診療科目は内科・外科・整形外科・小児科・産婦人科・放射線科の6科。54床の近代設備を備えたものでした。日本では初の高速自動車国道となる名神高速道路の一部が開通。自動車産業だけでなくあらゆる分野で技術革新が起こり、設備の近代化が進みました。

【世帯数】13,653世帯
【人口】54,207人

22 昭和38年3月 1963/3 市立川西病院が小戸に新築移転する
23 昭和38年5月 1963/5 川西南保育所開設
24 昭和39年 1964 大阪国際空港でジェット機の就航が開始されました。常時ジェット機の騒音にさらされることになった久代地区自治会連合会は、騒音公害に立ち上がった最初の住民組織である飛行機騒音防止推進対策協議会(後に川西市南部地区飛行場対策協議会と改称)を結成。続いて市側も大阪国際空港騒音対策協議会(8市協)を発足させました(川西・伊丹・宝塚・尼崎・西宮・豊中・池田・箕面)。また10月には市制施行10周年を迎え、記念式典が行われました。この年、アジア初となる東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開業しました。

【世帯数】15,036世帯
【人口】58,009人

25 昭和39年3月 1964/3 善意銀行が発足する
26 昭和39年3月 1964/3 高芝浄水場が完成し、給水開始
27 昭和39年7月 1964/7 消防本部庁舎(前南消防署)が完成する
28 昭和39年8月 1964/8 飛行機騒音防止推進対策協議会が結成される(のち川西市南部地区飛行場対策協議会と改称)
29 昭和39年10月 1964/10 大阪国際空港騒音対策協議会(8市協)が発足する(川西・伊丹・宝塚・尼崎・西宮・豊中・池田・箕面)
30 昭和39年10月 1964/10 市制施行10周年記念式典を行う
31 昭和40年 1965 川西市を走る鉄道では、能勢電気軌道(現・能勢電鉄)能勢口駅が川西駅に改称された後、 京阪神急行鉄道(現・阪急電鉄)能勢口駅・能勢電気軌道川西駅を川西能勢口駅に改称。能勢電気軌道能勢妙見口駅が妙見口駅に改称され、今日の駅名になりました。日本航空がジャルパックを発売したこの年、海外旅行の大衆化が始まり、ジェット機の時代が到来することは明白でした。対応を求められた政府により、ジェット機深夜便時間規制が閣議了解事項として施行されました。

【世帯数】16,205世帯
【人口】61,282人

32 昭和40年4月 1965/4 能勢電気軌道「能勢口」駅を「川西」駅に改称する
33 昭和40年7月 1965/7 京阪神急行鉄道「能勢口」駅・能勢電気軌道「川西」駅を「川西能勢口」駅に改称する
34 昭和40年7月 1965/7 能勢電気軌道「能勢妙見口」駅を「妙見口」駅に改称する
35 昭和40年11月 1965/11 ジェット機深夜便時間規制が閣議了解事項として施行される
36 昭和41年 1966 市長選挙で新人の伊藤龍太郎氏が当選。投票率は60.77%に逹しました。新市長の誕生と同時に、市庁舎増築と市民会館が完成。北部清掃工場も稼働を開始しました。また4月には加茂小学校が開校しました。川西市は人口膨張に対応した都市的形態整備、市財政の窮迫化という困難な課題への取り組みを開始。日本でも総人口は1億人を突破(法務省の住民登録集計による)。4年制大学の学生数も100万人を突破しました。

【世帯数】17,369世帯
【人口】65,047人

37 昭和41年3月 1966/3 北部清掃工場が稼働を開始する
38 昭和41年4月 1966/4 加茂小学校を開校する
39 昭和41年6月 1966/6 「多田神社本殿・拝殿・随神門」が国の指定文化財に指定される
40 昭和41年8月 1966/8 市長選挙が行われ伊藤龍太郎氏が第2代市長に当選する(就任は9月)
41 昭和41年8月 1966/8 市庁舎増築と市民会館が完成する
42 昭和41年10月 1966/10 新住居表示を一部地域で実施する
43 昭和42年 1967 川西市初の大規模住宅団地である多田グリーンハイツの分譲が開始されました。急激な人口増により、環境整備や教育などの公共施設の拡充整備に市の財政が大きく圧迫されるため、団地造成者に対して負担を求める全国初の『川西市住宅地造成事業に関する指導要綱(後の川西市開発行為等指導要綱)』を5月に施行。「川西方式」として高く評価されました。この年『国民生活白書』は「国民の9割は中流意識を持っている」と発表。株式会社タカラ(現・株式会社タカラトミー)が発売した「リカちゃん人形」が大ヒットしました。

【世帯数】18,407世帯
【人口】68,575人

44 昭和42年 1967 多田グリーンハイツ分譲開始
45 昭和42年5月 1967/5 全国初の「川西市住宅地造成事業に関する指導要綱」を施行する(後の川西市開発行為等指導要綱)
46 昭和42年7月 1967/7 台風7号くずれ・梅雨前線により被害(尼崎市・伊丹市・川西市・豊中市・池田市・猪名川町。死者2人、負傷者100人、全壊流失41戸、半壊57戸、床上浸水17,653戸、床下浸水75,779戸、田畑2,120ha冠水)
47 昭和42年8月 1967/8 市議会議員選挙 議員定数を36人から30人に減員
48 昭和42年11月 1967/11 能勢電気軌道「川西能勢口」「鴬の森」間が複線化される
49 昭和43年 1968 市民の投票による市花と市木の選定の結果、市花はりんどう、市木はさくらと決まりました。りんどうが選ばれたのは、多田院を開いた源氏が旗印にササリンドウを用いていたために最適であるとの意見が多かったことによります。さくらが選ばれたのは、多田神社や満願寺など各社に多く植えられていて市民を楽しませてくれていることから選ばれました。また大和団地の分譲が開始されました。東名高速道路の一部が開通し、川端康成がノーベル文学賞を受賞したのもこの年です。

【世帯数】20,012世帯
【人口】71,726人

50 昭和43年 1968 大和団地分譲開始
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