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鹿角市史 第2巻 下
(0351)
十文字から栃木平を経、 鍋倉、 姥カ懐の上を峯越えし、 高森下で
バッカイ沢
へ向う巡見使道と分れ、,(一八六〇)、 藩主利剛の鹿角巡見に中奥小姓として従った上山守古は、 姥カ懐の御(駕籠)立場から
バッカイ
,
沢
を下る状況を、 「此所より左之方大沢一ツ越して山々絶頂に秋田御堺苅分見ゆる。,此元尼切沢ト云所より秋田大館領沢尻村井葛原村ト申所遙に左へ見ゆる、 段々トり坂にて米代川端に出る、
ばっかい
,
沢
と申処入口ニ流れ之れ在り」と叙している(「両鹿角〓従日記』)。
鹿角市史 第2巻 上
(0242)
この年
ばっかい沢
の小川をめぐる出入があり、 九月同じく
ばっかい沢
源に松山の者が干草を刈置いたりを比内
鹿角市史 第2巻 下
(0337)
南側の
バッカイ沢
には、 高森の裾迄登りつめて銅山道に合流し、 十文字を経て尾去沢・花輪へ向う巡見使道,松山から土深井へ至る本道は
バッカイ沢
川を越え、 低地をたどってその藩境の村へ達する。
鹿角市史 第2巻 上
(0241)
りをしているという抗議につづき、 一七年秋田領沢尻・別所の論地内で南部の者がわらび根を掘り、 一九年
ばっかい
,
沢
論地内に新田を開き、 正保元年(一六四四)しねかり山で炭焼があったという類の抗議が相次いだ。,慶安三年の目安状慶安年代に入り、 境目論地のうち花輪境の西道金山と
ばっかい沢
が焦点の一つとなった。
鹿角市史 第2巻 上
(0252)
味噌内村、 茂内村、 別所村、 扇田村、 大館山境諍論ノ事裁許申付ノ覚、 米代川より南方
ばっかい
,
沢
境ノ由、 秋田領申すと雖も境ノ内南部領古田之れ有る条、 秋田領申す所非分也、 南部よりハとふかい
鹿角市史資料編 第34集
(0056)
伊豆様被仰候ハ百性ハ何連ニも居候者ニ候間何方ニ居候ニも不寄事ニ候比内古人形部左衛門申上候ハ、 鹿角比内境ハ
ばっかい
,
沢
十文字止嶺大葛仙台笹屋造続き申候、
ばっかい沢
ニも其印仕置候由申上候事伊豆様被仰候ハ、 双方絵図無相違候
鹿角市史 第5巻
(0068)
同八·一三
ばっかい沢
の山道に密荷を夜待し、 小荷駄一疋と一〇人が通るのを追いかけたが、
鹿角市史 第2巻 上
(0248)
秋田郡比内名主共南部鹿角郡名主衆エ付状返状ノ写」をみると、 争点となった場所は比内沼山・鹿角沼山、 朴木峠、
ばっかい
,
沢
、 袈裟掛坂・籠屋ノ沢、 楢柏・横瀧、 捨神・すばり合、 猿田沢などであった。
鹿角市史 第5巻
(0065)
作となる同 石井伊賀守直弥卒去同幕府農民の鉄炮免許制とする六· 二花輪境
ばっかい沢
小川の出入
鹿角市史 第2巻 下
(0347)
のち
バッカイ沢
から十文字を通り尾去沢銅山へ廻って休息、 米代川を渡って花輪町へ到着し宿泊した。
鹿角市史 第2巻 上
(0249)
実はその前日に秋田の役人衆から、 論地
ばっかい沢
西ノ方に馬五、 六〇疋で萱刈しているとの申入があり
鹿角市史資料編 第34集
(0059)
左平治罷出候一形部左衛門申上候ハ前代ヨリ出羽奥州境ハ此鹿角森比内森ト申塚両国ノ境ニ御座候テ、 是ヨリ「
バツカイ
,
沢
」十文字野比内沼山ノ同ノ森大葛金山嶺続水落秋田領ニ御座候、 此水秋田領十二所田地ノ用水二罷成候水ノ
鹿角市史資料編 第34集
(0061)
十二所村味噌内村茂内村別所村扇田村大館山境諍論ノ事、 裁許申付ノ覚一米代川より南方
ばっかい沢
境ノ由、
鹿角市史 第5巻
(0573)
ばっかい沢
八甲田山八正寺八正寺林花岡鉱山〔大館市〕花軒田 (村)花部山花輪鉱山花輪峠 (越)花輪盆地→
鹿角市史資料編 第23集
(0053)
土深井村三ツ家沢村御新田御取立被成候依之両村御絵図表村名無御座候一、 延宝五年御裁許相済花王毛馬内郷境
ばつかい
,
沢
限被仰付候、 御境奉行臼井仁右衛門殿出石源兵衛殿へ花王毛馬内御代官御山役人古人立會之上郷境被仰付候
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