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鹿角市史 第3巻 上
(0449)
注9、 「鍵屋系譜略」、 『岩手県史』第七巻四四六
ページ
。,注〓、 村井文書、 麓三郎『尾去沢・白根鉱山史』三三二
ページ
。,注〓、 村井文書、 『尾去沢・白根鉱山史』三三五
ページ
。,注〓、 渡辺万次郎『鉱山史話・東北編』一一五
ページ
。,注〓、 前掲『尾去沢・白根鉱山史』三六二
ページ
。
鹿角市史 第4巻
(0355)
第二節食生活第11図鯨とナスのカヤキ(243
ページ
参照)第8図粟飯と干菜汁(239
ページ
参照)第12図鶏,カヤキ(243
ページ
参照)第9図サメの刺身(242
ページ
参照)第13図切餅(259
ページ
参照)第10図,ハタハタの飯鮨(242
ページ
参照)
鹿角市史 第3巻 上
(0448)
注1、 『岩手県史』第七巻・近代篇2(昭和三十七年)注2、 『岩手県史』同右、 四三二
ページ
。,『岩手県史』第七巻四三四・五
ページ
、 注4、 『太政官日誌』明治三年八月八日、 「民部省達」江刺県宛,『岩手県史』第七巻四四八
ページ
。,好正堂(阿部恭助)明治三年一〇月の項、 『鹿角市史資料編第二集』(鹿角市史編さん委員会)一二〇
ページ
鹿角市史 第3巻 上
(0499)
注〓、 同四四年三月三一日付注〓、 『秋田県史県治部四』第七冊(大正六年)一七九
ページ
〓〓、 『,田子町誌』上巻(昭和五八年)五〇三、 四
ページ
注〓、 斉藤實則『鉱山と鉱山集落』一六九
ページ
注〓、,『秋田県史県治部四』第七冊一八二
ページ
五細地鉱山・四角鉱山及び諸鉱山めまぐるしき所管替細地銅山は、
鹿角市史 第3巻 下
(0223)
長谷川尋常高等小学校注2『秋田県産業調査参考書』上巻、 第二編第二章注3『秋田県種苗交換会史』大正編・昭和編二六一
ページ
,秋田魁新報昭和七年七月二八日付注5同同七年一一月二四日付注6同同一〇年八月五日付注7『秋田県政史』上巻、 七二三~二六
ページ
,注8秋田魁新報昭和七年一〇月一四日付注9『秋田県政史』上巻、 七五〇
ページ
鹿角市史 第3巻 上
(0509)
注〓、 斎藤實則著『鉱山と鉱山集落』一七一
ページ
。,昭和注〓、 達子勝蔵編纂『宮川郷土読本』巻一)、 四七
ページ
。,七年昭和四注〓、 鹿角のあゆみ編集委員会偏『鹿角のあゆみ』)二九五
ページ
。
鹿角市史 第3巻 上
(0510)
注〓、 同三四年「第四課一係事務簿鉱山ノ部」二番注〓、 前掲『鹿角のあゆみ』二九五
ページ
。,注〓、 『秋田県労働運動史』第一巻四四
ページ
、 秋田魁新報三五年八月二三日付記事を引用。
鹿角市史 第3巻 上
(0485)
注3、 麓三郎著『尾去沢・白根鉱山史』三六六七
ページ
。,渡辺万次郎『鉱山史話(東北編)』一二六
ページ
など。
鹿角市史 第4巻
(0356)
鹿角の特色ある料理(266~270
ページ
)第17図粥の汁〓第14図味噌付タンポ第18図ナンコカヤキ第15
鹿角市史 第3巻 上
(0498)
注8、 『鹿角のあゆみ』(昭和四四年)一四八
ページ
上段。,注〓、 『花輪町誌編纂資料』第二号(昭和五〇年)一一三
ページ
所載。
鹿角市史 第3巻 上
(0473)
注〓、 選鉱部門については、 『秋田県史』県治部四第七冊一七一
ページ
による注〓、 前掲、 三菱鉱業社史編纂室,注〓、 秋田魁新報、 三三年一二月四日付二
ページ
。
鹿角市史 第3巻 上
(0486)
一番注8、 同、 二〇年「第一部勧業課事務簿鉱山ノ部」一番注9、 前掲『尾去沢・白根鉱山史』三六七
ページ
,注〓、 前掲『尾去沢・白根鉱山史』三七〇
ページ
。
鹿角市史 第3巻 上
(0447)
一六年迄は『尾去沢・白根鉱山史』巻末資料により、 一七年以降は『秋田県史』資料明治編上一、 〇八二
ページ
,『秋田県史』資料明治編上一、 〇八二
ページ
によった。
鹿角市史 第2巻 下
(0083)
その開鑿年代は明らかでないが、 始まりはおそらく一七世紀初頭に遡ると思われる(〓市史第二巻上・二六四
ページ
,、 〇〇〇間、 町の一年間の囲炉裏の薪となり賄い方の焚料に供された前掲書並びに市史第二巻上三二二
ページ
鹿角市史 第3巻 上
(0096)
八小区内四村(石鳥谷・松館・尾去・三ツ矢沢)が九小区へ編入替となっている「秋田県史』第五・巻一三三
ページ
鹿角市史 第4巻
(0183)
また商店によっては十
ページ
もある商報を出して、 最低勉強値段を発表するところもあったまたかつて毛馬内
鹿角市史 第3巻 下
(0215)
『秋田県産業調査参考書』上巻、 第一編第二章注4『秋田県史』資料、 大正昭和編、 三一四-二五
ページ
鹿角市史資料編 第17集
(0163)
この原本は七六五
ページ
にわたる大冊です。
鹿角市史 第2巻 下
(0181)
、 いわゆる鹿角四氏の支配している一五の村々が挙げられている("鹿角市史第一巻』』四六五
ページ
鹿角市史資料編 第21集
(0128)
、 大湯諸士の中にも困窮の者がおり、 それに対し御救米を下附するといった記述も見られます○九三五
ページ
鹿角市史 第3巻 上
(0531)
昭和五六年刊行表(
ページ
鹿角市史資料編 第19集
(0189)
九〇三
ページ
にわたる原本の解読は、 石田大三氏と故米田金右衛門氏が当たりました。
鹿角市史 第2巻 下
(0440)
山伏の奉仕していた堂社の数は、 延享年間と宝暦年間のものにおいては第四表(一三七〇
ページ
)で示した通
鹿角市史 第3巻 上
(0474)
『鹿友会誌』』第二二冊注〓、 前掲『尾去沢・白根鉱山史』三六四-三六五
ページ
。
鹿角市史 第1巻
(0483)
(写真は〓~〓
ページ
に掲載)板碑は、 死者の菩提または願主生前の逆修のために造立された石の塔婆で、
鹿角市史 第3巻 下
(0456)
「青年乃鹿角」は一二年五月からタブロイド版四
ページ
、 目二回の発行にかわった。
鹿角市史 第4巻
(0432)
として献上されていたことが、 下古川村黒沢家の文書などを通してうかがえる(『鹿角市史・第一巻』三九九
ページ
鹿角市史 第4巻
(0784)
能因法師、 大江匡房などの歌が有名で〓ある(『鹿角市史・第一巻』二九九
ページ
参照)。
鹿角市史資料編 第18集
(0156)
背景等については、 『鹿角市史・第二巻下』第六章第五節「飢饉と一揆」の項に詳しく述べられています八九一
ページ
鹿角市史 第3巻 上
(0597)
毎号数十
ページ
、 会務報告や会員の動向のほか、 随筆や文芸作品を掲載している。
鹿角市史 第3巻 上
(0632)
同窓会募金の利子をもって文庫経営の資金とし、 開設四年後の三六年四月現在の蔵書五八〇冊について、 二八
ページ
鹿角市史 第3巻 下
(0230)
(『秋田県史資料」大正昭和編250
ページ
より)塩水選は、 町村費の補助による塩の配布と共同作業で成果
鹿角市史 第1巻
(0328)
〓
ページ
の土器がほぼ中央から、 やや頭を傾けた状態で出土した。
鹿角市史 第1巻
(0669)
明確でないが、 南部藩最初の検地の行なわれた頃の文書の中に、 柴内にある神田のことが見えている(〓
ページ
鹿角市史 第2巻 下
(0053)
一八四九)花輪を通過した松浦武四郎は、 『鹿角日誌』に花輪の様子を細かに認めている一市史第二巻上・三〇〇
ページ
鹿角市史 第2巻 下
(0340)
又其の村の中に温泉壷三ツ有、 其効能多きよし」と述べている(三四二・三
ページ
参照街道は湯の岱、 八幡堂
鹿角市史 第2巻 下
(0229)
寛永以前の諸士の知行地には山林原野も含まれていたが、 寛永七年(一六三〇)からこの慣例巾史第二巻上二〇七
ページ
鹿角市史 第4巻
(0638)
第一節神社と信仰の住民に密着して厚く信仰されてきたことを物語っている『鹿角市史・第巻』六〇五
ページ
第1
鹿角市史 第5巻
(0692)
また、 索引は総数四千
ページ
を越える第一巻から第四巻までの人名·地名·事項名·
鹿角市史 第2巻 下
(0097)
「鹿角郡在町金銀銅鉛山入用春木炭釜井諸材木御役銭取立定目」(市史第二巻上・一九三
ページ
参照)も併記され
鹿角市史 第3巻 上
(0084)
三年五月における両通の村役人は次
ページ
のようである八月一村役人について、 江刺県は三年七月二九日)布告
鹿角市史 第3巻 下
(0069)
注1、 『秋田県種苗交換会史』大正編、 九六
ページ
注2、 小田島由義『伏雲叢書』、 日記摘要大正三年
鹿角市史 第1巻
(0497)
この表現から推しても、 また、 彦二郎入道は後述するように(〓・〓
ページ
)れっきとした鹿角武士であった
鹿角市史 第2巻 上
(0112)
大光寺氏については、 喜太夫と林茂丸を宛所とする南部利直黒印状二通(第二節二一、 二二
ページ
参照)
鹿角市史 第2巻 下
(0347)
巡見使の規模巡見使一行の規模を天保九年(一八三八)の「大湯宿割控」「御巡御用控)にみると、 次
ページ
鹿角市史 第2巻 下
(0417)
「門〓と寺との関係について」心得違いのないように、 寺へ忠勤をはげむように諭したものである(一六三
ページ
鹿角市史 第5巻
(0327)
五 ·「青年乃鹿角」タブロイド版四
ページ
月二回発行となる。
鹿角市史 第3巻 上
(0544)
『秋田県教育史・第一巻』一、 〇二七
ページ
女子教員の養成本県平民大森武七四十九年六月明治七年六月十日本県大館伝習分校
鹿角市史 第3巻 上
(0631)
この「花輪だより」は三七年一一月に創刊され、 三九年一月まで月刊一五回、 臨時増刊一回延べ一七八
ページ
鹿角市史 第2巻 下
(0182)
村によっては、 そのあとに変遷市史第一巻・五五〇
ページ
参照の次第を書き継いでいる()。
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