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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第2巻 上 (0487)

毛馬内三左衛門判寛永十九年極月九日石亀七左衛門判七戸隼人正判青山庄左衛門(同前)〓白根御金山銅平間符一口,寛永十九年十月廿五日石井伊賀守判毛馬内三左衛門判石亀七左衛門判七戸隼人正判青山庄左衛門(『青山家白根史蹟
鹿角市史 第2巻 上 (0491)

なお石田家系図の儀左衛門勝永の譜にも「寛文七年三二歳之時、 大膳太夫重信七戸隼人様ト申シ奉リシ御時、,かれ、 盛岡江罷り出候砌御目見得仕り、 金山銅山処々取立御証文数十通頂戴」云々とあり、 同様に七戸隼人正
鹿角市史 第2巻 上 (0490)

見永一二年以降の白根証文はそれぞれ藩老連署という形式をとっているが、 藩老の一人七戸隼人正は七戸二、,後嗣の男子がなかったので、 重直の弟である花輪彦左衛門が七戸家を相続し、 七戸隼人正重政と改めた。
鹿角市史 第2巻 上 (0498)

その文面に、 七戸隼人様へするめ弐百枚を進上され心入れの程忝いとした上で「猶又三十日ノ切取山相済、,庄兵衛ともいい正保三年に跡目を継いだ三代目庄左衛門昌久のことと思われるが、 田鍍茂右衛門は親交のあった七戸隼人
鹿角市史資料編 第32集 (0014)

捕置急度可致言上旨被仰出候間、 可得其意者也寛永十八年九月三日石亀七左衛門楢山五左衛門毛馬内三左衛門石井伊賀守七戸隼人正郷中
鹿角市史 第2巻 上 (0486)

寛永拾二年七月廿九日楢山五左衛門判石亀七左衛門判毛馬内三左衛門判石井伊賀守判七戸隼人正判青山庄左衛門毛馬内庄介
鹿角市史 第2巻 下 (0330)

慶安三年歿、 毛馬内三左衛門は承應元年歿、 七戸隼人正は正保四年歿であるから、 それ以前のおそらく
鹿角市史 第2巻 上 (0489)

この手形の年代は午とあるだけだが、 七戸隼人正は正保四年没なので、 その前の午年は寛永一九年に当たる
鹿角市史 第5巻 (0058)

千人でて疫病神送りをする一二月一六日改元正保となるこの頃藩家老に楢山五左衛門、 毛馬内九左衛門、 七戸隼人正
鹿角市史 第5巻 (0063)

但し女性を除く一一月七戸隼人、 八戸弥六郎、 中野吉兵衛、 北左衛門佐等勢子頭となり盛岡郊外長坂山
鹿角市史 第2巻 上 (0505)

正保二年七月廿八日石井伊賀守七戸隼人正判青山庄左衛門普請の上、 水を抜くことのできた間歩は、 その
鹿角市史 第5巻 (0622)

· 514· 529 2下9花輪 延親(帯刀) 1514花輪彦左衛門2上456→七戸隼人正重政花輪
鹿角市史資料編 第32集 (0004)

記載寛永十八年」の欄に「八月十六日、 石亀七左衛門、 楢山五左衛門、 毛馬内三左衛門、 石井伊賀守、 七戸隼人正連印
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