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鹿角市史資料編 第28集
(0020)
廿一日迄日之内祭禮御領国一統被仰付候、 依て当町ニては町割ニて祭禮賑敷興行仕候、 然ル所中町ニて清兵衛幸右エ門様町内ニ候処宗門
上町
組二組頭有之二付人分
上町
組江参候,、 辰之助源兵衛
上町
二候得共右振合を以右両人中町へ人分入候、 尤入方割合銭組合ニ不抱町内へ相出候処御沙汰,ニ付清兵衛小右エ門様より中町江割合受取候、 源兵衛辰之助
上町
へ割合相出ス申候覚、 春ひかん七日之内入口
鹿角市史資料編 第3集
(0058)
喜六の家ハ断絶せるも、 其姉妹風張ニ嫁ぎある
上町
ニ九十郎なるもの、 一家があった。,然ニ野中堂雪上ニ大湯
上町
の九十郎が倒死して居た。,過去帳を検するに寿英禅定尼
上町
九十郎(天保六年五月四日並びて同日九十郎の下側消滅不明)落失禅女五月四日五月四日果参始成禅女天保七申年三月廿六日
上町
九十郎嫁,オミ姥同八酉年飢衰禅男
上町
九十郎三月廿八日囘同同人知所禅男四月廿日同人四月廿八日同八年
上町
九十郎飢翁禅男六月十九日斯
鹿角市史 第2巻 下
(0087)
天明三年卯八月末右井戸ふしんニ付、 壱丈ノ七寸角壱本、 二寸六寸ノ貫木三本、 壱寸板まへ、 人足共出テ
上町
左市郎方,そこから本町通りのほぼ中央を一メートル内外の地下で下り、
上町
と中町の境目近くで北側に折れ、 多助屋敷,この水道管が
上町
から下町へかけて道路のほぼ中央を地下三尺余に数条埋油屋は、 長さ一〇-一五尺(約三-
鹿角市史 第2巻 下
(0067)
藩政後期の大湯町の概要は、 安永九年(一七八〇)改めで「大湯村、 民戸百廿五軒、 内四十六軒
上町
,一、 家数百三十八軒、 家数百三十八軒大湯村一、 三十二軒往還筋山間駅場
上町
一、 二十一軒〃下町一
鹿角市史資料編 第34集
(0039)
壱斗三升同松殿"月十七日一ク壱斗一升同申松殿〆壱石壱斗七升右ノ通書出奉差上候以上寅十二月寅十二月
上町
上町
源兵衛石田義左衛門様御取次中六六拝借手形
鹿角市史資料編 第32集
(0097)
飛脚酒代祈祷者頼諸入方〆如此一弐〆五百文(空白)但し内下小じ又右衛門殿中町惣助殿同丁左助殿同丁権十郎殿下小路甚五郎殿
上町
治右衛門殿下町甚平殿五間町次郎殿竹沢喜右衛門様中津山栄左栄門様
上町
専太郎様下町久蔵
鹿角市史資料編 第3集
(0024)
其趣御代官所へ訴出可被申候以上明和七年閏六月御勘定所判北監物殿役人中一、 明和八年六月、 大湯村
上町
善平火元,猶此火元
上町
善平とは、 本文安永四年ニ箒畑肝入仰せ付けられし同人なるべく、 現在諏訪省治住宅地に居住,さはれ当時四十軒といヘハ
上町
より東風ニ煽られて、 丁内造延焼せしなるべく、 或ハ又一説ニ米田恒太郎宅地東北端
鹿角市史資料編 第14集
(0074)
一、
上町
御立林御林守判右衛門印西は堀合并松之助林限東は畑限北は畑限南は畑限杉弐拾本小木右御林西より,一、
上町
御立林御林守松之助〓御林守松之助印西は屋敷限東は長根はぶ限北は畑限南は屋敷限栗弐拾本小木右御林西
鹿角市史 第3巻 下
(0013)
花輪町下通り思い出の町角花輪六日町通り(昭和11年)(「思い出のアルバム」から)大湯の家並(大正初期)
上町
方面
鹿角市史 第4巻
(0202)
月山神社の例大祭は旧暦では六月十三日に行われ、 十二日の宵宮には祭典の笠揃えがのり、 十三日には
上町
,祭典にあたっては
上町
、 中町、 下町ごとに運営組織をつくり、 町内ごとに運営されていた。
鹿角市史 第4巻
(0204)
中町では予算百円で屋台を出し寄付を募ることにしたが、 たまたま
上町
で予算二百円で屋台踊を出すとのことで,、 顧問を交えて相談した結果、 「
上町
ニ於テ弐白円ノ予算ニテ出シナラバ、 当中町丁内ニ於テモ相当
鹿角市史資料編 第5集
(0109)
拾貫文市左衛門一、 米弐駄同人一、 七貫文高橋文吾家ノ也市十郎一、 米壱駄片馬同人一、 七貫文現今
上町
,ニ弥三衛門也候てノ祖也唯志ニハ曽々父ニ當一、 三貫弐百文弥兵衛一、 米壱駄同人、 弐貫三拾六文
上町
鹿角市史 第2巻 下
(0079)
(一七七四)八月下野国寛政の商人が八戸送りの荷物を毛馬内で取押えられた一件の記事のなかに、 「筆取
上町
伊兵衛,毛馬内町桜庭家では天明二年(一七八二)七月地古人に
上町
権太郎、 下町半兵衛がいい付けられ、 その給代
鹿角市史 第5巻
(0657)
大湯町)2上326権四郎(大湯村)権四郎(花輪町)2上2812上561権田 文喜3下381権太郎(毛馬内
上町
,孫兵衛2上210金万誠二郎金光春3上1152下492サ済庵玄志2下376西園寺公望3下1左市郎(毛馬内
上町
鹿角市史資料編 第32集
(0095)
一同壱斗八升才助一同壱斗九升六合助右衛門四斗不足一同一斗弐升七合平左衛門壱升七合不足(余白)一七五寅十二月朔日夜中
上町
豊口治右衛門家屋敷借宅仕居候節盗難二付損毛左
鹿角市史 第4巻
(0653)
かつては、
上町
へ上ノ湯の人たちが二、 三十人も集まった。
鹿角市史資料編 第28集
(0015)
飛脚酒代祈祷者頼諸入方〆如此一、 弐〆五百文下小じ又右エ門殿中町惣助殿同丁佐助殿同丁権十郎殿下小路甚五郎殿
上町
治郎右
鹿角市史資料編 第32集
(0069)
御苦労相縣甲間敷為其御支配御肝煎吟味印形申請候上ハ全相違無御座候、 為後日ノ有合年数手形如件安永九年子ノ十二月作十郎作十郎請合
上町
源兵衛江柄又六領御肝入十兵衛大支配御肝煎左市郎毛馬内町三太郎殿一四二
鹿角市史 第4巻
(0750)
その順序は、 一日目が本町通り、 二日目五軒町、 三日目
上町
、 四日目中町、 五日目下町、
鹿角市史 第4巻
(0174)
第三章マチとくらし第2図昭和初期の花輪六日町通りら直角に西へ
上町
・中町・下町と続き、 下町の西端には
鹿角市史資料編 第28集
(0014)
御坐候右之通吟味仕候已上丑十一月此書付小坂村御肝入并ニ半七、 弥左エ門三人立合如此相認被遣候也向方より之書付手時ニ有之也寅壱月朔日夜中
上町
豊口作右
鹿角市史資料編 第23集
(0032)
角七本右之通り入用之義御座候付川原木小屋より相出申度候間、 此段宜被仰上被下度奉存候以上酉ノ二月廿八日
上町
弥兵衛此度埋清様御一周忌御相當
鹿角市史 第3巻 上
(0218)
橋流失四、 水田流失、 崖崩れ等被害額千八百円以上四二・四・二六大湯村で大火、 川原ノ湯、
上町
鹿角市史資料編 第28集
(0004)
本書羽帳の冒頭に、 文化六年六月末瀬田石村を引き払って北監物家来山口庄之進の世話により、 大湯
上町
,この書留帳冒頭の記事によれば、 文化六年彦兵衛はいったん大湯
上町
に移り、 五年後の同十一年ふたたび
鹿角市史資料編 第28集
(0012)
様成御面倒筋申上候儀別て恐入奉存候得共、 御憐愍以私儀も相立候様此旨宜御取成被仰上被下置度奉願上候以上文化十四年丑十月
上町
平左工門
上町
平左
鹿角市史 第5巻
(0594)
上小坂紙漉沢〔青森県〕上陣場上堰向上田子〔青森県〕上トロコ上中島上新田上ノ湯〔大〕上ノ湯 〔湯瀬〕上花輪
上町
,〔大〕
上町
〔毛〕上山〔尾〕· 491 · 536 · 538 425 &
鹿角市史 第4巻
(0171)
横丁・新町・大町・谷地田町・六日町と、 鹿角街道に沿う町並が御預かり御町で、 毛馬内では本町通りの
上町
鹿角市史 第4巻
(0433)
また毛馬内にも同じように何軒かの紺屋があり、 屋号でシンコヤ新紺屋・
上町
津島家)の名が残っている。
鹿角市史 第3巻 下
(0483)
生前言っていたことに「湖南さんは日本の書聖で、 霊山さんは秋田の書聖だ」と陶磁器毛馬内焼は毛馬内
上町
鹿角市史 第4巻
(0191)
なお大湯の若者組は二つに別れており、 中町・
上町
・湯ノ岱・上ノ湯などの上若と、 下ノ湯・川原ノ湯・
鹿角市史 第2巻 下
(0179)
(御仕送人)下モ町青山吉郎兵衛大里喜三兵衛
上町
若松忠兵衛若松弥右衛門若松市右衛門(御仕送人加)若松屋卯右衛門近江屋左兵衛若松屋利兵衛五十集屋治兵衛若松屋清兵衛
鹿角市史資料編 第32集
(0044)
右木綿御勝手次第御拂可成候、 其節一言ノ仔細申上間敷候寛延元年辰ノ十二月廿九日石田庄之助様為念ノ手形如是ニ御座候□上
上町
若松清兵衛
鹿角市史資料編 第32集
(0045)
右代銭七月相場ニシテ七月より利足相加、 当十一月中二急度急度返済可申上候、 為念ノ預リ手形如此御座候□上
上町
若松清兵衛
鹿角市史資料編 第16集
(0048)
一、 追手上り口番処大湯谷地寅蔵遠越六之助一、 搦手登り口番処谷地勇之丞山口虎治一、
上町
外番処田鑛儀平一
鹿角市史 第5巻
(0308)
四·二六大湯村で大火、 川原ノ湯·
上町
で五七戸焼失す。
鹿角市史資料編 第16集
(0038)
両坂十文字目堅宮野勇左衛門一、 追手上り口番処谷地寅蔵遠越六之助一、 搦手登り口番処谷地勇之丞山口虎治一、
上町
外番処田鍍儀平一
鹿角市史 第5巻
(0142)
閏一二· 一七毛馬内町出火、 中町
上町
五間町七〇軒焼失す。
鹿角市史 第5巻
(0156)
五·二八大湯
上町
より出火家数四〇軒焼失す。
鹿角市史 第5巻
(0195)
九·三〇毛馬内
上町
より出火、 一九軒焼失す。
鹿角市史 第3巻 下
(0435)
教会の設立に当たっては敷地入手に難渋したが、
上町
の高橋七郎兵衛の献身的協力により実現したと伝えられる
鹿角市史 第3巻 下
(0497)
にカトリックの小坂町教会があったが、 この教会の神父であったローゼンが、 大正一一年九月毛馬内町
上町
鹿角市史 第2巻 下
(0060)
安永九年改享和三年改毛馬内町三一四軒三〇三軒内
上町
三一二五中町三四二三下町四六三四五軒町五七二五加屋町三三二
鹿角市史資料編 第34集
(0027)
為其御古配御肝煎吟味印形申請候上ハ全相違無御座候、 為後日ノ有合年数手形如件安永九年子ノ十二月作十郎印請合
上町
源兵衛印江柄又六領御肝入十兵衛印大支配御肝入左市郎印毛馬内町三太郎様三七以手紙申上候
鹿角市史資料編 第28集
(0006)
田中平左衛門諸用書〓帳ヽ文化六年巳六月末瀬田石村引取北監物様御家来山口庄之進様御世話ニて同所
上町
へ戌ノ
鹿角市史 第1巻
(0436)
一方、 津軽の猿賀神社(尾
上町
猿賀)は前記の由来とともに、 征夷大将軍坂上田村麻呂がこの地方に兵を
鹿角市史 第5巻
(0212)
大湯洪水篇仕切帳八 ·毛馬内
上町
牛方商売の辰之助、 八戸鉄山師石橋徳右衛門より米拂いにて鉄
鹿角市史 第4巻
(0494)
日誌』明治三十二年以降は市の立つ
上町
・中町・下町の三町内の経営で、 各町内から市場取締人が三名ずつ選出
鹿角市史 第3巻 上
(0243)
大湯中町と
上町
の新規架橋が十和田道路の分岐点に当たるので、 他県人への体面もあり、 土橋の計画を高欄付板橋
鹿角市史 第2巻 下
(0066)
その館裾を弓形に通る街道にそって、
上町
、 下町の家並がつづき、 馬継所や尾去沢銅の銅宿などが置
鹿角市史 第2巻 下
(0089)
前出の豊口秀一家文書「水道絵図面」には、
上町
と中町の境両側に町境柵が書きこまれている。
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