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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第2巻 下 (0384)

たが、 今は下の湯が疝気打身に妙験があるというので繁栄している。,また下の湯からすこし離れて川原の湯という処がある。,天保九年(一八三八)の記録には、 町の端に上の湯家三軒、 同所町の端に下の湯があって家一六軒、,上の湯、 下の湯、 川原の湯のほかに、 すでに幕末から荒瀬の湯が開かれていたことは、 萬延元年,(一八六〇『両鹿角扈従日記』(上山守古・盛岡市中央公民館蔵にみえる、 「上ノ湯ハ下ノ湯よりハ余程遠し
鹿角市史 第2巻 下 (0383)

第12図大湯下ノ湯惣図〓☆通大〓下ノ湯惣
鹿角市史 第4巻 (0256)

上の湯、 下の湯、 河原の湯という。 なかんづく下の湯は近国にめづらしき名湯なり。,然るに大湯の下の湯は少しも是に異ることなし。,爰に湯坪二ツ湯本三軒有り、 下の湯とて西四五丁に湯坪二ツ湯本十軒斗有り、 上を冷への湯とし下ノ湯を
鹿角市史 第2巻 下 (0381)

近世の大湯は、 下の湯川原の湯、 上の湯の三カ所に浴場が分れ、 口碑によると下の湯は文明年間一一四六九,爰に湯坪二つ湯本三軒〓り、 下の湯とて西四五丁に湯坪二つ湯本十軒斗有り、 上を冷への湯とし、 下,の湯を熱の湯とす。
鹿角市史資料編 第3集 (0052)

出籾一駄片馬一斗四升去年より弐斗八升不足十一月五日十月四日御同心作之亟分て七十九束五把つ出来一駄ト四升十二月二日十月六日下の,湯孫作分て百八十弐束三把つゝ六人役出籾五駄片馬閏十一月廿四日十月六日下の湯席助分て百四十五束三把つゝ内弐十一束三把赤餅註,出籾三駄内弐斗赤糯ナリ閏十一月廿六日十月六日下の湯孫作分て百三十弐束三把つゝ内十束三把皆無出籾三駄一斗一升閏十一月廿五日下,の湯喜十十月八日分て七十弐束つゝ前田二人役ノ内惣立皆無苅数〆出籾二十五駄五斗四升米十一駄一斗四升去卯年,(註)狐崎ト両処同人なるべし一、 同四束三把ツヽ狐崎一ツ役一、 分十五束二把湯坂一ツ役湯坂一ツ役下の
鹿角市史 第4巻 (0270)

中奥小姓・上山守古の『両鹿角扈従日記』盛岡市中央公民館蔵み)によると、 八月十日から同月二十三日まで大湯下ノ,湯に止宿し、 来満峠を越えて盛岡に帰っている。,午後その有様は、 八月十日七ツ時(に大湯着、 下ノ湯多七を本陣とした。,当時の大湯は家数百四十軒ほど四時「上ノ湯は下ノ湯よりハ余程遠し、 上ノ湯よりまた余程隔荒瀬ノ湯とて在之由
鹿角市史 第4巻 (0273)

大湯には下ノ湯・上ノ湯・川原ノ湯・荒瀬ノ湯の四つ、 湯瀬には下ノ湯・中ノ湯・上ノ湯の一刀所に共同浴場,『両鹿角扈藩制時代には、 藩主利剛が湯治した時)、 大湯下ノ湯には四つの湯小屋があった。
鹿角市史 第4巻 (0251)

)大湯下ノ湯文明年間(一四六九~八七川原ノ湯寛永年間(一六二四~四四上ノ湯万治年間(一六五八~六一)荒瀬,ノ湯万延元年(一八六〇)湯瀬下ノ湯享保十六年(一七三一)○八幡平蒸ノ湯寛文十一年(一六七一)後生掛ノ湯延宝九年
鹿角市史資料編 第16集 (0031)

人数八拾人程一、 下ノ〓下ノ湯右は大湯町南口往来より左、 温泉御座候。,家数九軒人数廿五人程一、 薬師社右は下ノ湯之上ニ御座候。,一、 古館と申机右は下ノ湯ノ上ニ御座候。 川原湯右は往来より右之方ニ御座候。
鹿角市史 第3巻 下 (0407)

テ上や下から伝馬()コ来る伝馬コ稼いで銭コとる永く住みたい湯瀬村ヿ湯は上の湯、 中の湯、 下の湯、,ホテル、 姫の湯が二大旅館として大量の団体を吸収してゐるが、 その他の湯治浴客に対しては上の湯、 下の,湯、 高見、 田中、 菊の湯、 六助中の湯程度であり不十分且つ時代的でない所もあったが、 此度下,の湯成田氏、 上の湯阿部氏は何れも時代的設計に基き新築の工を起し、 今秋迄に落成することになった。
鹿角市史 第4巻 (0271)

〓分ノき第7図『両鹿角扈従日記』に描かれた大湯下ノ湯
鹿角市史 第4巻 (0254)

たとえば大湯の下ノ湯は中風に、 上ノ湯は胃腸、 川原ノ湯は瘡や皮膚病に、 荒瀬ノ湯は神経痛や婦人病,共同浴場は湯小屋が建てられ利用された古い順に、 下ノ湯・上ノ湯・川原ノ湯・荒瀬ノ湯の四カ所がある。
鹿角市史 第2巻 下 (0340)

道筋は湯脇の田中を川原ノ湯西側へ出、 鹿倉山の山根をまわって下の湯へ入っている。,藩主の巡視に際して下の湯に本陣を置くのが常であり、 幕府〓見使一行の宿泊地でもあった。
鹿角市史 第3巻 下 (0392)

また同紙は、 旅館等を紹介し、 上の湯に千葉旅館、 下の湯に亀屋旅館、 川原の湯に高島旅館、,荒瀬の湯に小坂鉱山大湯倶楽部、 下の湯には諏訪、 一方井
鹿角市史 第4巻 (0274)

また、 伊藤為憲の『鹿角縁記』には大湯下ノ湯では「留湯と雑湯との二ツありて、 留湯には雑人の入りかたく,大湯下ノ湯の湯坪について『鹿角縁記』は湯の湧坪は、 方五尺位にして高さ四、 五尺程もあるへくして、
鹿角市史 第4巻 (0078)

)…一四〓第五章温泉とくらし【写真・図】第1図川原ノ湯(共同浴場)…一七〇第2図昭和初期の大湯温泉(下ノ,湯近辺)…一七三第3図昭和〓年代の湯瀬温泉…一七五第4図昭和初期の蒸ノ湯温泉一八(第5図昭和〓年代の後生掛温泉,…一八一第6図銭川温泉の薬師神社…一八四第7図『両鹿角扈従日記』に描かれた大湯下ノ湯…一八七第8図大沼
鹿角市史 第2巻 上 (0315)

右答書ニ寺沢落合より下ノ湯後迄人家ニ障無之上ハ差支も無之旨なり」と書かれている。,は、 毛馬内往来上ノ野と猿ケ野平へ上水となるに付て、 上ノ野上水は別に差支えはないが、 川原湯下ノ,湯へ堰を掘通すとなれば種々差支えの向もでてくる。
鹿角市史資料編 第3集 (0035)

唯此洪水に懲りて安住の地を下ノ湯の上墓所の南方ニ求メ、 夫より又丁内の後瀬川の屋敷(現在郵便局所在地,寛政十年三月廿三日恵雲禅門、 川原与五右エ門とあり、 〓て文政十亥年七月十七日呑了禅定門、 下の,湯鍋とありて口碑の如く永代捨りニなった川原の屋敷畑等を捨てゝ、 轉住の行程ニ上った。
鹿角市史資料編 第3集 (0060)

)参霊禅男天保十年亥七月七日下ノ湯三助金失禅男同同同人子金助也達失童女同同同人娘於ツ子普憐童女同同同人斯,下の湯喜七の弟ニ吉之助と云ふがあった。 丁内御同心の家ニおまつといふ妻女があった。
鹿角市史 第4巻 (0257)

く、 江戸時代末期から営業しており、 大湯ホテルは大正九年に建設されて第2図昭和初期の大湯温泉(下ノ,湯近辺)
鹿角市史 第2巻 下 (0067)

家数百三十八軒、 家数百三十八軒大湯村一、 三十二軒往還筋山間駅場上町一、 二十一軒〃下町一、 九軒〃下ノ,湯一、 五軒〃上ノ〓一、 三軒〃川原ノ湯一、 九軒〃和町一、 一軒〃新庄、 一軒〃柳飴一、
鹿角市史資料編 第28集 (0041)

御申二付無據山口庄次郎殿江罷上候所、 御同人様御城二て御用繁ニ付御逢難被下二付、 仁五右工門壱人下ノ,湯二止宿、 翌日罷上候所花わ町へ御越之由ニて其日も下ノ湯ニ止宿翌大晦日ニ仁五右エ門壱人罷上庄次郎様江段々訳柄御咄申上
鹿角市史資料編 第3集 (0059)

下の湯総湯ニ起臥せしとぞ、 さて入浴中衣類全部を盗去られ困惑の情を傳ひ、 四戸の旧夫人其娘(当時十六才,然る此娘下の湯ニ到りーに己ニ絆切れ居りしと、 飢饉時とて湯ニはいれハ腹が減るとて多くはいらず、 為
鹿角市史 第4巻 (0767)

春珍坊はまた音曲にすぐれ、 ご祝儀の唄(検校節)を得意とし、 大湯下ノ湯に世帯をもっていたと伝えられる
鹿角市史 第5巻 (0410)

マイナス成長同超能力ブームが起る鹿角関関係事項出 典九· 九大湯市日、 中町·下の,湯の露店を新たに温泉センター隣地に移転し営業し始む。
鹿角市史 第5巻 (0420)

一二·大湯温泉の上ノ湯·下ノ湯公衆浴場の改装工事同広報かづのが完成した。
鹿角市史 第4巻 (0255)

近世の大湯一四六九大湯で最も古い浴場は下ノ湯で、 文明年間)に浴宇が建てられていたと伝えられて(八七
鹿角市史 第4巻 (0258)

また湯治宿としては、 岩ノ湯、 下ノ湯支店、 津島、 谷地などの貸間があった。
鹿角市史 第4巻 (0191)

なお大湯の若者組は二つに別れており、 中町・上町・湯ノ岱・上ノ湯などの上若と、 下ノ湯・川原ノ湯・
鹿角市史資料編 第16集 (0043)

壱軒奥御物書御徒目付御同心六人御長柄之者宿町専助中村伊代治上下拾弐人宿下湯多七亭主春松一、 壱軒人馬割宿川原湯作十郎一、 壱軒火之廻井廻役宿下ノ,湯金次郎諸品帳外一、 箱枕十四借上一、 上椀五寸附廿人前借上一、 上膳木具二而も宜候事廿人前〃一
鹿角市史 第5巻 (0213)

三大湯町下ノ湯脇用水堰の辺に行き倒れの男あり書抜一雑書人元不明のため捨札を立て葬る。
鹿角市史 第5巻 (0134)

同一〇·一二大湯村下の湯湯守の家焼失、 隣家と湯坪囲天井半分程類焼す。
鹿角市史 第5巻 (0227)

かみこの年 大湯温泉、 町の端に上の湯三軒、 さらに町の端しもに下の湯家一六軒あったという。
鹿角市史 第4巻 (0262)

は家名そのままに直右エ門と呼んだし、 上の湯は医者ど、 それから六助、 高見、 中の湯、 下の,湯-これが昔のテル湯瀬の湯宿であった。
鹿角市史 第4巻 (0856)

十日に大湯入り、 二十二日まで下ノ湯へ滞在した。
鹿角市史 第4巻 (0276)

温泉の守り神としては大湯下ノ湯の薬師神社や湯瀬の薬師神社(現在は神明社に合祀)があり、 温泉の効能を
鹿角市史 第3巻 下 (0296)

なお同店は、 昭和四年大湯温泉下の湯に温泉熱利用の醸造工場を建設したところ、 近くの公設浴場の温度
鹿角市史 第3巻 上 (0625)

大湯村大湯部落予算によると、 四二年に温泉(上ノ湯、 下ノ湯、 川原ノ湯)点灯、 四三年に浴湯点灯
鹿角市史 第2巻 下 (0037)

六第8図船霊神社…二一一第9図番所印…三二(第〓図松山番所跡…三二第〓図土深井番所跡…三二八第〓図大湯下ノ,湯惣図…三四一第〓図湯瀬温泉…三四五【表】第1表文政三年鹿角街道関係宿駅間距離及び駄賃銭…二七十第2表幕府巡見使名
鹿角市史 第2巻 下 (0066)

同心丁の下手から来満街道は北向きに下の湯へ坂を下る。
鹿角市史 第2巻 下 (0386)

両鹿角扈従日記』に、 湯瀬には上ノ湯、 下ノ湯二カ所がある、 当所は往還筋より四、 五〇間、
鹿角市史 第5巻 (0365)

一二·二四大湯町四の日の市日下の湯川原の湯町道に開くこの年 小真木鉱山、 漏電により選鉱場焼失
鹿角市史 第5巻 (0586)

3183下15 · 307下堰向〔花〕1512 3下406 4117下モ平下中島下(モ)新田下ノ,湯〔大〕下の湯〔湯瀬〕下花輪下古川地森沢鉛山釈迦堂谷地〔毛〕十二川原(十二屍)299 · 312
鹿角市史資料編 第3集 (0053)

下の湯孫作〆出実出実メナシ十二月九日九月十七日弐十三枚一、 分百三束ツ、 古川村仁八弐斗三升出籾壱駄片馬弐斗八升大豆十月内糯八升十月廿日粃少
鹿角市史資料編 第20集 (0084)

覚一、 大湯古館と申ハ、 地所下ノ湯之上ニ御座候。
鹿角市史資料編 第17集 (0022)

猶又瀬川嘉八郎御代官共へ内々申出候ハ、 先頃下ノ湯之者共召連雉子追ニ罷出候処陣場沢ニ而尾羽共ニ白キ雉子壱羽生捕罷帰候
鹿角市史資料編 第3集 (0008)

助九郎夫婦子供二人仕頼申候、 其後三月四日申松頼候間、 助九郎為訴訟大湯へ参候、 万右エ門下ノ,湯へ来候間、 迎ニ拙者申松伊之助三人参候、 伊之助ハ先へ遣拙者共三人、 下湯坂之下立よとみ、
鹿角市史資料編 第3集 (0036)

下の湯川原間の小橋ハヤゝ大袈裟ニ之かゝれ、 湯脇用水堰抔ハかゝれてないのである。
鹿角市史資料編 第3集 (0037)

外所持致居候鉄砲四月上旬造封印被仰付候間、 用心鉄炮共ニ為相止候様被仰出二日一、 同三月十二日此夜下ノ,湯作十郎家出火有之町中騒動然し忽チ相消シ済也文化十癸酉年文化十年ハ天明以来の凶年である。
鹿角市史 第5巻 (0639)

立助2下450太左衛門(盛岡油町) 2上533田嶋浅次郎3上231多七(竿取)2下156多七(大湯下の,湯)2下344田代治兵衛2上500多助(毛馬内糀屋)2下47他石田多井四郎次2下50512953上619
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