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鹿角市史 第3巻 上
(0497)
第〓表
不老倉鉱山
産銅の変遷(明治〓年~大正元年右表の①は「四十一年秋田県鹿角郡統計摘要」、 ②は「秋田県鹿角郡勢一班大正元年,第14表
不老倉鉱山
作業区分「明治45年)第15表
不老倉鉱山
賃金区分(明治45年)なお、 四五年(大正元
鹿角市史 第3巻 下
(0371)
新
不老倉鉱山
として板子沢に新鉱脈を発見、 中切、 大切坑を開き、 一八年以降精鉱を日立に売鉱している,細地・四角鉱山新
不老倉鉱山
として板子沢に新鉱脈を発見、 中切、 大切坑を開き、 一八年以降精鉱を,拙地鉱山は明治三八年
不老倉鉱山
に合併したが、 その後の経営は明らかでない。,小坂鉱山四角鉱山は、 明治末年から鉱石を
不老倉鉱山
へ販売していた。,その後衰退をみせ一三年索道を撤去したが、 なお銅鉱を昭和四年二〇四トン、 同五年一七四トンを
不老倉鉱山
鹿角市史 第3巻 上
(0494)
四四六駄盛岡地方石灰石三、 〇〇〇駄三戸、 鹿角コークス一、 三二〇駄東京鉄材及器械五、 八五一駄東京三、
不老倉鉱山
,四一二本三戸板類五、 七三〇間三戸矢板五、 四四七枚三戸杉皮六六四間三戸、 鹿角備考、 以上は単に
不老倉鉱山
古河鉱業所,〇二七年六月、
不老倉鉱山
は愈々盛山の模様で、 大製煉場を夏坂沢目に建築し、 日に増し鉱業を拡張
鹿角市史 第4巻
(0242)
大湯温泉から十二キロ奥地にあった
不老倉鉱山
には供給所と呼ぶ物品販売所があった。,
不老倉鉱山
でも市がたち、 草木方面の農家の人たちは野菜や米・小豆などを持って行った。,また
不老倉鉱山
は青森県境に近いため、 来満峠を越えた青森県田子方面との経済交易があった。
鹿角市史 第3巻 上
(0031)
不老倉鉱山
友子取立面付(明治45年)〓〓い、 〓
鹿角市史 第3巻 下
(0605)
これよりさき、
不老倉鉱山
の西側に隣接する安久谷沢と板子沢の合流点周辺に立地した新不老沢倉鉱山は、,介老倉鉱山の鉱况も不振で、 『秋田魁年鑑』には三六年版から磯部鉱業
不老倉鉱山
の名で掲出され、 さらに,四三年版以降は三井金属
不老倉鉱山
の名称にかわっている。
鹿角市史 第5巻
(0289)
産業の発展尾去沢鉱山の坑口と坑内図李抗門之圖
不老倉鉱山
牛の放牧(明治41年·大里産牛組合)273
鹿角市史 第3巻 上
(0018)
明治時代の不老倉鉱〓
不老倉鉱山
の元山風景(明治41年「東宮行啓記念写真帳」から)明治40年代の元山風景
鹿角市史 第3巻 上
(0486)
四、
不老倉鉱山
地元民の借区明治に入っての
不老倉鉱山
は、 一〇年地元民の借区に始まった。
鹿角市史 第3巻 上
(0493)
郡役所の来満街道路線調査にかかわる役場照会に対し、 鉱山は次のように回答している記荒銅一、
不老倉鉱山
,輸出先)鹿角郡大湯村大湯無番地四九三、 三三八一〇〇斤ニ付三三円二六銭四八五、 二〇五斤東京二、
不老倉鉱山
鹿角市史 第3巻 下
(0367)
四、
不老倉鉱山
鉱況の衰退明治期における
不老倉鉱山
は、 二〇年以降古河市兵衛の経営するところとなり
鹿角市史 第3巻 上
(0058)
明治二一~二三年)四二六第〓表小真木鉱山生産高(明治三五~三八年)四二七第〓表不老倉銅山概況四三一第〓表
不老倉鉱山
産銅,の変遷(明治二三年~大正元年)…四三九第〓表
不老倉鉱山
作業区分(明治四五年)四三九第〓表
不老倉鉱山
賃金区分
鹿角市史 第3巻 上
(0661)
大湯村
不老倉鉱山
に、 不老庵の開創されたのは明治四〇年のことである。,古河市兵衛は
不老倉鉱山
主、 曹洞周香和尚は青森県三戸郡上郷村関の龍嶽山洞円寺宗通)十五世住職であった
鹿角市史 第5巻
(0356)
大湯町中
不老倉鉱山
、 日曹鉱業稼行従業員家族共一六〇人で採鉱という。,同新
不老倉鉱山
も新鉱脈発見す。 大湯町経済更生町村に指定さる。
鹿角市史 第3巻 下
(0604)
黒鉱型鉱床の本山、 三平、 女平、 外山四鉱床がおもで、 二六年頃三花輪・
不老倉鉱山
〓平鉱床に,三九年の処理能力月ごと一万二、 〇〇〇トン、 翌四〇年同じく月ごと一万二、 三〇〇トンに拡大された
不老倉鉱山
鹿角市史 第4巻
(0247)
不老倉鉱山
にも従業員・家族のための娯楽館があり、 芝居や活動写真が行われていた遊び・慰安旅行尾去沢鉱山,小真木鉱山の人は毛馬内方面に遊びに出かけ、 明治・大正の頃、
不老倉鉱山
の人たちは遠路、 大湯温泉
鹿角市史 第4巻
(0450)
濁川街道明治にはいると
不老倉鉱山
の開発により、 来満山の山麓を越える来満越えや不老倉峠越えが、 来満街道,これは
不老倉鉱山
を経由して田子・三戸へ向かうことが多くなったことによる。
鹿角市史 第3巻 上
(0054)
明治初期)…一一尾去沢鉱山碇発電所(明治四四年五月運転開始)…一一尾去沢鉱山永田発電所設置と同型の発電機…
不老倉鉱山
,の元山風景(明治時代の
不老倉鉱山
)…明治四〇年代の元山風景(〃)…〓元山の屋並(不老倉の町並など)……
鹿角市史 第3巻 上
(0487)
一七年になって菊地幸七が新たに
不老倉鉱山
借区譲渡坑業取行について契約することとなり、 工藤らとの間に,その上で菊池は、 借区人七名と
不老倉鉱山
譲受の契約をとり結んだ。
鹿角市史 第3巻 上
(0503)
五一四斤、 三六年一三万七、 三七〇斤、 三七年八万九四七一斤、 三八年の欄に「三八年ヨリ
不老倉鉱山
,年間三〇-四八トンの粗銅を産したが、 交通の便に恵まれず、 明治三七年同一鉱床の北部を稼行中の
不老倉鉱山
鹿角市史 第3巻 上
(0489)
不老倉七年三月、 大湯村戸長より県令宛に提出された「民行鉱山志料取調」によって、 おうよそ当時の
不老倉鉱山
,なお一八年九月、 県が調書の報告を求めた坑夫・汽機等の現況について、
不老倉鉱山
は次表(第一二表)
鹿角市史 第5巻
(0312)
この年
不老倉鉱山
の鉱夫数一、 七九五人であった。 同 同柴内農業補習学校創立される。,鹿角郷土誌大正二(一九一三三)三月 北秋田郡立農林学校を県立移管、 校舎を鷹巣三 ·
不老倉鉱山
鹿角市史 第5巻
(0336)
一一 ·
不老倉鉱山
、 大日本鉱業が再興をはかる。,
不老倉鉱山
寄附の劇場文化閣が川原ノ湯に落成同 同この年県農事試験場によるりんご煙害予防試験が始まり、
鹿角市史 第3巻 上
(0491)
かくて菊池幸七は単独で
不老倉鉱山
を古河市兵衛に譲渡するよう、 手続を進めた。,すなわち「
不老倉鉱山
の紛議」と題するこの記事は、 まず最初の借区が地元民であったこと、 高瀬喜代治
鹿角市史 第3巻 下
(0042)
進む共同化、 鹿角りんご、 畜産・林業、 尾去沢鉱山の退潮、 古遠部・小真木鉱山、 花輪・
不老倉鉱山
鹿角市史 第3巻 下
(0035)
、 戦時体制、 友子の人々、 その互助活動三小真木鉱山…三一大正期の鉱況、 昭和前期の鉱況四
不老倉鉱山
鹿角市史 第3巻 上
(0047)
辻・稼行人となる、 洋式装備の小真木、 初期の趨勢、 岩崎弥之助へ譲渡、 三菱以後の小真木四
不老倉鉱山
鹿角市史 第4巻
(0229)
第8図友子の墓(
不老倉鉱山
跡)仏参と墓友子の契りを交わした親(親分)が死亡した場合は、 子(子分)は
鹿角市史 第1巻
(0078)
黒鉱※完晶質岩と関連するとみられる鉱脈△地層欠除/露出地なし鉱脈鉱床は、 尾去沢鉱山で代表され、
不老倉鉱山
鹿角市史 第3巻 上
(0247)
毛馬内町古川落合に着いた荷は、 主として小坂鉱山・
不老倉鉱山
へ運ばれた。
鹿角市史 第4巻
(0257)
大正から昭和前期にかけては道路の整備が進み、 また近くの
不老倉鉱山
の隆盛や明治期から続く大湯川の水力発電事業
鹿角市史 第4巻
(0458)
毛馬内町からは離れていたが、 当時の毛馬内駅は
不老倉鉱山
、 大湯温泉、 十和田湖、 小坂、
鹿角市史 第3巻 上
(0490)
その内容は、
不老倉鉱山
借区券書替に係わる戸長奥印を求められ調査したところ、 同鉱山借区人菊池幸七
鹿角市史 第4巻
(0215)
不老倉鉱山
では藩制期のころに大雪崩があって建物千戸が下敷となり、 廃山になったとの言い伝えがある。
鹿角市史 第3巻 下
(0282)
から在町として栄えた花輪と毛馬内は、 引続き尾去沢と小坂の鉱山景気と購買力に大きく支えられ大湯もまた
不老倉鉱山
鹿角市史 第5巻
(0015)
渡洋傘を持つ男性大湯の小坂鉱山発電所一六二·二四四二五四(産業の発展)尾去沢鉱山の坑口と坑内
不老倉鉱山
牛
鹿角市史 第4巻
(0209)
中でも大規模なものとしては北部に小坂鉱山一現小坂町)、 東部には
不老倉鉱山
(〓湯屈指の大鉱山に数えられていた
鹿角市史 第4巻
(0258)
不老倉鉱山
が盛んな頃の芸者の置屋にはつたや、 花の屋、 末広屋、 高田屋などがあり、 一軒につき
鹿角市史 第3巻 下
(0309)
鹿角の各鉱山は、 大正九年から一転して銅価格のいちじるしい下落に目耕われ、 とくに花輪鉱山、
不老倉鉱山
鹿角市史 第3巻 上
(0208)
そのときすでに官行となっていた小坂鉱山をはじめ、 郡内の尾去沢、
不老倉鉱山
などにも配置されたもののようである
鹿角市史 第3巻 上
(0218)
等被害額千八百円以上四二・四・二六大湯村で大火、 川原ノ湯、 上町で五七戸焼失四二・一〇・-大湯
不老倉鉱山
鹿角市史 第3巻 下
(0368)
医局、 購買、 クラブ、 役宅などがあり、 鉱山の中心部を形成していたと思われる第75表
不老倉鉱山
鹿角市史 第5巻
(0283)
不老倉鉱山
仙達沢に共有墓地新設を公示す。 熊沢硫黄山大爆発という。
鹿角市史 第3巻 下
(0417)
当時三鉱山というのは小坂・尾去沢・不老倉で、 小坂鉱山から二五〇円、 尾去沢・
不老倉鉱山
は各五〇円
鹿角市史 第3巻 下
(0458)
また大湯では、 昭和二年一二月
不老倉鉱山
の寄付による劇場文化閣が川原の湯に落成し、 娯楽の殿堂となった
鹿角市史 第3巻 上
(0508)
小坂・扇平間索道は、 引続き鉱山用資材や薪炭の運搬に使用され、 やがて大正二年には買鉱運搬のため
不老倉鉱山
鹿角市史 第3巻 上
(0662)
を含む
不老倉鉱山
の衰微に伴い、 昭和二年廃寺となったが、 理在も先達沢などに墓地が残っている。
鹿角市史 第5巻
(0383)
三 ·四 ·磯部鉱業
不老倉鉱山
、 新鉱脈発見と伝えられる。
鹿角市史 第4巻
(0231)
寛政六年(一七九四)にも鉱夫が白根・不老倉から尾去沢に移っている(盛岡藩「雑書』明治期に再興し隆盛した
不老倉鉱山
鹿角市史 第3巻 下
(0322)
不老倉鉱山
が、 大正二年小坂鉱山との間に長期売鉱契約を一七・七キロ結び、 金堀沢の自山製煉所を閉鎖
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