• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧

鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 28件
辞書ファセット
/ 1ページ
鹿角市史 第2巻 上 (0574)

、 手代ハ吉田清兵衛、 今泉治兵衛、 山先ハ白根金山菊地久左衛門、 青山庄左衛門」とみえる。,現存する証文などからこの時期における白根銅山の代表的な銅山師は、 山先久左衛門、 清兵衛、 左平次,父庄左衛門の跡をうけて根田影平中山両平の大水抜普請を願出た際、 藩家老席は銅仕清兵衛、 左平次、 久左衛門,延宝二年六月から同八年三月までは銅山師、 銅山仕、 山仕として清兵衛、 左平次、 久左衛門が吹出,より同所山仕久左衛門、 清兵衛、 左銅三百五拾四〆百弐拾目取上け、 残る所右ノ通り他領エ
鹿角市史 第2巻 上 (0572)

この証文は山主菊松と善兵衛に対するもので、 山先久左衛門が連帯責任者として名を連ねている。,次の証文は、 久左衛門へ宛てたもので、 白根銅山を一二年閏六月から稼行することを許され、 その掘出,なお同年七月二四日藩は久左衛門に対し、 掘出し銅がどれ程に出ようとも其方願い出の通り三分ノ一は拝借米代,この銅の買上げ直段について、 同年極月一七日付同じく藩から久左衛門に宛てた証文には「白根銅山より掘出,円様『雑書』延宝二年(一六七四)一二月二八日条に、 藩家老連署をもって、 白根銅山先久左衛門・同金本清
鹿角市史 第2巻 上 (0571)

兵助(桜庭)弥六郎(八戸)白根銅山崎久左衛門同山主菊松同善兵へ一、 白根銅山去年閏六月、 其方望ミ,當八月よりハ白根山中ニて誰ニ寄らず望ム者候ハヽ申上け、 床数出来候様ニ仕る可く候。,へ出シ候ハヽ、 検使ヲ遣わし改メさせ十分二ノ御役銅取上け、 兵助(桜庭治太夫(奥瀬弥六郎(八戸)久左衛門通,寛文十三年六月廿日六月一九日付の証文は、 藩家老席から山先久左衛門、 山主菊松、 同善兵衛に宛てたものである,菊松の親広嶋古兵衛が白根金山の普請を数年続けたが経費ばかり嵩み、 成功しない。
鹿角市史 第2巻 上 (0602)

延宝六年正月廿日七左衛門(楢山)一、 荒銅壱万千九百三拾三貫四百目、 固数千三拾四固大小数千五百六拾八枚ハ、 白根,、 狼倉両所ヨリ吹出銅、 同所山什左平次、 久左衛門、 清兵衛、 拾分壱役指上ケ他領エ相出候,山仕清兵衛、 左平次、 久左衛門拾分壱役指上ケ他領エ相出候。 改メ通シ申され可き也。,兵助(桜庭〕延宝六年六月七日兵助(桜庭治太夫(奥瀬)北上川通改所石の正月二〇日の通し証文は、 白根と,山仕清兵衛、 左平次、 久左衛門はともに白根を稼いでいたが、 この時点で狼倉をも請けた
鹿角市史 第2巻 上 (0570)

、 白根銅山より堀出候銅、 金壱両ニ付弐十五〆め宛売上け候様ニと申付け候所、 寛文十年ニ御米百駄拝借仕,寛文十二年極月十七日寛文十二年極月十七日兵助(桜庭兵助(桜庭)弥六郎(八戸)久左衛門白根の掘出し銅は金一両,につき二五貫目と申付けていたが、 白根の久左衛門が寛文一〇年に米一〇〇駄を借田し、 その返済を掘出,銅山山先菊池久左衛門は銅間歩の稼行のみならず、 床を立てて銅の吹方も行い、 白根銅山初期の段階で幅広,寛文一三年六月二〇日条一、 白根御金山其方親吉兵衛数年普請仕り候へ共、 大分ノ入方ニて普請成兼ね候由申上
鹿角市史 第5巻 (0084)

九· 四白根銅山山師久左衛門ら吹出の銅四二六箇、 北上川通黒沢尻番所宛他領出証文がでる。,一一 ·三白根銅山山師久左衛門ら吹出の銅六五〇箇、 北上川通黒沢尻番所宛他領出証文がでる。,四棋山金山山先与左衛門吹出の銅一二二箇川下げ願北上川氷のため舟止め来春証文下さるとの事一二·一二白根銅山山師久左衛門
鹿角市史 第5巻 (0087)

四·一三白根銅山師久左衛門ら吹出の銅八三〇箇、 黒沢尻番所宛に他領出の通し手形がでる。,五 ·九白根銅山仕久左衛門ら吹出の銅三八〇箇、 黒沢尻番所宛に他領出の通し手形がでる。,七·四白根銅山師久左衛門ら吹出の銅六九八箇、 黒沢尻番所宛に他領出の通し手形がでる。
鹿角市史 第5巻 (0086)

八·九白根銅山師久左衛門ら吹出の銅二七〇箇、 黒沢出 典雑書渋滞するので雇牛半分馬継半分とする,旨達あり同同八·一〇白根より吹出の銅、 盛岡へ付出す道中の馬継が番所宛に他領出の通し手形がでる,立石銅山師儀左衛門ら吹出の銅八八箇、 黒沢尻同八 ·隆昌寺、 小枝指又左衛門白根より小枝指村,白根銅山久左衛門ら吹出の銅六四六箇、 他領出の通し証文を黒沢尻番所あてに出す。
鹿角市史 第2巻 上 (0607)

同同、 九〇同同二□出渕助七同ハ四九同同〇二同同貞享元・四・九※一三、 三四四・四〇〇九一四出渕久左衛門円,〓元・四・九五、 九一三・〇〇〇四〇五出渕久左衛門・中林小兵衛円(※は十分一役銅を代金納し、 全吹出銅,を他領出)石の産銅量の延宝九年約三万二、 四〇〇貫目は白根に迫るものであり、 貞享元年の約一万九、,〇〇〇貫目は優〓白根のそれを凌駕している。
鹿角市史 第5巻 (0082)

#183;一一·鹿鹿角角関係事項こおりかわさげ山を稼行三二二 箇を盛岡より川下し他領へ出す白根,ノ久左衛門、 白根銅山の稼行を許された。,一二·一七白根ノ久左衛門が借用した米一〇〇駄の代金を同出典雑書同掘出し銅で返済することを許された,六·一九白根金山を広島吉兵衛普請するも金躰見えず銅筋ばかりなので、 銅吹立て借用金の返済許
鹿角市史 第5巻 (0083)

同同同五·一〇白根金山で運上金·売米代金を玉金に吹上げてきた広島吉兵衛の没後、,六 ·二五白根銅山山師久左衛門·清兵衛·左平次吹出の銅一九二箇、 黒沢尻番所宛他領出証文,七· 九白根銅山山先久左衛門ら、 銅吹に入用の炭を小坂相内山にて焼くことの炭焼証文を与えられた
鹿角市史 第2巻 上 (0573)

しかし銅山稼行に当り諸物資を調達し白根山中の者共に前借させているので、 その損金を招かぬよう元年丑年,一、 白根中より堀候銅白買申す時押買仕り間敷候。,とされ、 初期の白根銅山における稼行の事情を明らかにしている。,稼行者である久左衛門に対し、 銅鉗の押買いを禁じ、 かつ直段を高直に買う者があればその直増の方へ売,かつセリ人があれば金増の者へ渡すともいっているところから、 吹床をもつ久左衛門はその稼行間歩から掘出
鹿角市史 第5巻 (0085)

四·一〇白根銅山山師久左衛門ら吹出の銅一、 一九〇箇閏黒沢尻番所宛他領出の通し手形がでる。,六·一四白根銅山師久左衛門ら吹出の銅五五八箇、 黒沢尻番所宛他領出の通し手形がでる。,同七·二五白根駒木沢の者、 瀬田石村における稲穂切りを白状し成敗となる。
鹿角市史 第2巻 上 (0569)

第三節銅山への移行一、 白根銅山金山から銅山へ慶長期における鹿角の金山は白根を初め西道、 槇山その,金山としてもっとも栄えた白根が銅山に転じたのは、 普通寛文九年(一六六九)のこととされている。,白根山先として多くの記録を残している青山家の「青山先祖聞書之事」に「白根も金山相止ム、 尤も寛文九年,同じく青山金右衛門覚書)には「白根金山慶長三戊戌年見立、 ○年久敷く大盛、 寛文八年之頃より釦銅鉉之,白根銅山として初めに『雑書』にみえるのは、 菊池久左衛門にかかわる次の記事である。
鹿角市史 第5巻 (0664)

其雄(毛馬内) 3上622久右衛門(谷内村)2下129久右衛門(六日町)2上4244252久右衛門(白根山先,)2上557丘鶯3上620久左衛門(白根銅仕)2上480久左衛門(白根)2上538· 539,久七(鍛冶)2上493 · 499· 5002下424久二郎(白根)2上463久次郎,)2下58 · 329久之助(盛岡油町)2下348久兵衛(小平村肝入) 2下194久兵衛(白根
鹿角市史 第2巻 上 (0575)

(八戸)北上川通黒沢尻鬼柳御番所一、 銅九千七百三拾弐貫目八百目、 此固数七百八拾弐固、 右ハ白根銅山,ニて清兵衛、 久左衛門、 左平次吹出し候。,〓一、 銅正味三千拾壱貫目、 固数弐百拾三固、 大小数四百弐拾四枚、 白根銅山師清兵衛、 左平次吹出,奥瀬)兵助(桜庭)鹿角松山御番所、 銅正味壱万七千九百九拾貫八百目、 固数千弐百七拾九固ハ、 白根銅當六月廿四日,九兵衛(北)〓遣候證文黒沢尻御番所一、 銅正味八千四百六拾九貫百八拾目、 箇数五百七拾五固ハ、 白根銅山仕清兵衛
鹿角市史 第2巻 上 (0514)

であるから自力のみでは成し難く、 其方共に相談の上で運びたいと望んでいるのでその意を受けてほしい、 と白根銅仕清兵衛,、 左平次、 久左衛門の三名に協力方を指示している。,〓本平・六枚間歩"雑書』承應三年(一六五四)一〇月二五日の条に、 白根御金山の内六枚間歩の,その跡山を御運上金二〇目で稼ぐことを白根検断左五兵衛が願いでたので、 許可の手形を与えたとの記事がある,近年、 渡部幸三郎氏の収集した白根関係文書のなかに、 次の二通の藩家老連署状がある。
鹿角市史 第5巻 (0088)

南部領内洪水同 藩内緊縮令でる同 下田権右衛門征政家老となる鹿角関係 事 項出典八·一七白根銅山師久左衛門,九· 一九白根銅六三四箇黒沢尻番所改め他領へ出す。,一一·一白根銅七七四箇黒沢尻番所改め他領へ出す。,一·一七立石山より白根の儀左衛門掘出し銅の内十分一役銅を納めた外の残銅を、 伊勢国の中村又右衛門
鹿角市史 第2巻 上 (0580)

候ニ付て、 道中馬継ニて荷物滞り候故、 雇牛半分馬継ノ者半分付ケ候様ニ證文遣し候車、 其方鹿角白根,延宝三年八月十日七左衛門(楢山(楢山)治太夫(奥瀬兵助(桜庭)白根銅山仕清兵衛久左衛門左平次鹿角より盛岡迄馬次所
鹿角市史 第2巻 上 (0576)

『雑書』から白根銅にかかわる他領出証文をぬきだし、 次に掲げる。,山師名改め番所延宝二・六・二五三、 一八七・八〇〇一九一久左衛門、 清兵衛、 左平次北上川通黒沢尻鬼柳番所
鹿角市史 第2巻 上 (0577)

、 同清兵衛馬中村又左衛門、 同清兵衛馬門番所同五・七・二一三、 五三六・〇〇〇一、 〇四〇久左衛門,〇六、 六三四・〇〇〇五一〇同黒沢尻番所同五・九・二六九、 三九四・二〇〇七二二同北上川通改所(白根
鹿角市史 第5巻 (0117)

白根村稲荷社、 山師岡田久左衛門建立す。 大湯村諏訪明神社、 北澄之助再建す。
鹿角市史 第2巻 上 (0579)

この年代における白根の産銅は、 他の銅山を抜いて目立って多い。,他領払銅役は十分一に一応定着しているようであるが、 前述のように寛文一三年六月藩が菊地久左衛門らに与,『雑書』延宝五年正月八日条によると、 鹿角白根銅山の役金を和賀水沢銅山と同様、 床一丁に付金一両であったのを
鹿角市史 第2巻 上 (0606)

『雑書』に初めて書留められたのは、 前に述べた延宝六年四月一三日「鹿魚内白根、 蛇沢、 四角獄、,や六郎兵衛、 石野八兵衛で、 天和には狼倉銅山を稼いだ出渕助七に代わり、 貞享年代に入ると出渕久左衛門
鹿角市史 第5巻 (0666)

#183; 486 · 500 · 5193下40菊水菊地勘右衛門菊池 勘六菊池久左衛門,284· 2482下50· 246菊池立徳2下490菊兵衛(毛馬内馬指)2下39菊松(白根山主,)2上537· 538喜左衛門(花輪谷地田町検断)2下33· 53儀左衛門(白根村
鹿角市史資料編 第5集 (0064)

残五尺壱本三尺弐本半切弐枚此三口宝暦十四年申一月廿九日御代官野々村喜太夫様長嶺茂左衛門様御勤中節迪御請石高目録帳之末江書上いたし置く右御封印候豆桶五尺壱本三尺弐本安永七年戌二月白根御山御用味噌被仰付,致早速五郎助江も申知達候然所本百生古川左五兵衛子共左次兵衛江御預御竿も御通被為成候様ニ及承申候五間町久左衛門四人役田書入貸方書上候事久左衛門
鹿角市史 第5巻 (0635)

岸衛3上621 · 6373上6102下5083上6183下3663下368手塚 末吉出渕久左衛門出渕,天産嘉(賀)舜 2下383天耳3下412伝七(西道馬附)2上524伝四郎(毛馬内御町)2下139伝助(白根
鹿角市史資料編 第5集 (0075)

上御座候御山御用被仰付候次第之事天明三年夘三月廿三日御代官乳井平十郎様被仰付御役人中より御町役新衛門様より検断以被仰付候趣ハ此度御勘定頭倉館久左衛門様御山御出被仰付候由是,不足仕其上八十五文ノ売上仕候而ハ乍恐引合か年迷惑ナリ儀ニ而御定法之九十五文一御買上被成下様ニと新衛門様へ申上置候白根
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました