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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第3巻 下 (0006)

一円歯都吉術ヲシテ書務セシノ〓筈ヲ當二〓ク其後享保二十年三月郡代ヲ忘シ代宮所ヲ置キ郡ノ青部二十三ヶ村叉二戸郡田山村,トナリ明治二年十月黒羽藩ノ取絲リニ移リ同年三戸縣ニ爲シ明治三年二月江梨尋ノ所書トサ町支廳ヲ〓ケ〓郡及陸〓二戸郡,明治十二年一月本町郡後所ヲ置キ鹿角一郡ヲ続治ス町ノ位〓タル球縫百四十度四十分北緋四十度十分海稼四百五十二尺東ハ影手縣陸奥國二戸郡円山村西
鹿角市史 第2巻 下 (0534)

最古といわれる二戸郡中佐井村)八幡神社の奉納句額)や、 同郡福岡一が盛んであった。,最古といわれる二戸郡中佐井村(〓〓)八幡神社の奉納句額(〓昭〓宝暦□歳六月二十五日代町)現兄市)、,二戸郡金田一村()、 同郡浄法寺八幡宮句額呑香稲荷神社神楽堂の句額(現二戸市明和四年六月明和四歳中冬吉日
鹿角市史 第2巻 上 (0175)

下田村以上岩手郡金定ほか正五月礼銭一、 井上作右衛門(二〇〇石)・大湯村・石鳥谷村・谷内村(以上鹿角郡)、 白鳥村二戸郡,)金定・米沢村・坂本村(以上二戸郡金目定和賀・小山田村(〓賀)米定役金加一、 石井勝左衛門(二〇〇石
鹿角市史資料編 第27集 (0015)

午二月民政掛花輪通毛馬内通村町役人惣百姓共当年稀成凶粍就中二戸郡之儀は尤甚夕しぐ候所当郡ニて穀留之申合,朝廷之御趣意相悖不都合之次第畢竟穀物不足故ニは可有之候得共、 当郡差支之筋は無心配同支配地之義二も候二戸郡江通穀可致此段末々迄無洩可相達候也午二月十日江刺縣右御達之趣一同無洩致布告御請印可差上候也午二月十日花輪御役所民政掛右之通御達相成候条今日中
鹿角市史 第2巻 上 (0084)

花輪通については、 後世その支配区域の内にあった二戸郡田山村は、 花輪通からの分離と再編入の歴史があったのではないかと,石鳥屋、 川辺、 長嶺、 谷内、 三ケ田、 尾佐利、 松館、 花輪、 高屋の一四カ村に二戸郡田山村
鹿角市史 第2巻 上 (0181)

高七十三石三斗六升小山田村米定役金加所務仕り候ほか小物成御座無く候小物成御座無く候福岡通御代官所内二戸郡福岡通御代官所内二戸郡
鹿角市史 第2巻 上 (0177)

冠田村・草木村・鶴田村(以上鹿角郡)米金定一、 似鳥隣(一〇〇石)・大湯村銭定・折茂村・姉帯村(以上二戸郡
鹿角市史 第5巻 (0037)

、 鎌倉に幕府を開く元久二(一二〇五)畠山重忠滅亡畠山重忠三男重慶鎌倉を脱し、 天台宗修験となり二戸郡浄法寺氏
鹿角市史 第2巻 上 (0100)

天山堂文書)参取下役は、 代官を補佐すると共に物書以下を監督して庶務を処理することを職務とした(「二戸郡誌
鹿角市史 第5巻 (0035)

盛大に落慶供養を行うこの頃清衡が白河関から外ヶ浜までの間一町ごと笠卒都婆を建てたいわゆる奥大道が、 二戸郡
鹿角市史 第1巻 (0536)

第9図長牛氏系図参考諸家系図行政一戸弥四郎-実光公建長五年二戸郡一戸ノ郷ヲ賜フ〓時鹿角郡長牛村ヲ賜フテ
鹿角市史 第4巻 (0782)

一方伝説の基になった長者は実在したという意見もあり、 田山(現岩手県二戸郡安代町には長者屋敷の礎石が
鹿角市史 第4巻 (0684)

○三ノ岱の雪が布幅になったら田打を始めろ(川部)二戸郡)は江戸時代には花輪通に属して安代町おり、 ここで
鹿角市史 第3巻 下 (0470)

田山現二戸郡安代町田山)の峡花八幡源夫は、 前田夕暮に傾倒して白日社に属し、 大正九年詩歌誌「だんぶり
鹿角市史 第5巻 (0051)

公国史青山家系事蹟鹿角志慶長四(一五九九)一〇月南部信直、 二戸郡福岡城に没す世子利直跡を継ぐ一一月北信愛剃髪入道
鹿角市史 第2巻 下 (0305)

北辺の鎮城、 鎮守府の胆沢城を出て、 厨川の西寄り、 つまり後の津軽街道沿いに七時雨山(岩手県二戸郡
鹿角市史 第1巻 (0576)

祐清私記』内山助右衛門奥北の館破却之事の項には、 「先九戸近辺二戸・鹿角の両郡へ打入破却七館、 所謂二戸郡
鹿角市史 第2巻 下 (0255)

地付四カ部落の奉納舞楽には、 鹿角ばかりでなく二戸郡や秋田領比内などからも参拝者が集まった。
鹿角市史 第3巻 下 (0662)

さらに四三年四月の鹿角・青森市間約八一キロメートルの第二次施工命令と四六年六月の岩手県二戸郡安代町・鹿角間約三七
鹿角市史 第3巻 上 (0076)

今般松平慶三郎家名立下され、 陸奥国北郡、 三戸、 二戸郡の内三万石支配仰せ付けられ候事。
鹿角市史 第2巻 下 (0479)

十湾の好学を示すものとして、 二戸郡福岡の呑香稲荷文庫に十湾の図書旧出記録が残っている。
鹿角市史 第2巻 上 (0182)

すなわち二戸郡は銭定中心の貢租が最も多く、 次いで金目定が占めている。
鹿角市史 第3巻 下 (0701)

鹿角服装高等女学院学校法人鹿角服装高等女学院佐藤秀雄院長は、 昭和二四年五月地元花輪や郡内町村および二戸郡田山方面
鹿角市史 第1巻 (0565)

『奥南旧指録』や『南部根元記』等には、 九戸政実が永禄十一年(一五六七)の鹿角郡奪還の功により二戸郡福岡地域
鹿角市史資料編 第27集 (0016)

用可申候一寸陰館同日講書孝経右之通被仰出候条銘々觸所限不洩様可申渡候以上三月十三日花輪庄屋所右村々庄屋中尚以御年貢之内可相成籾ニて上納ニ相成候様御取計可申候以上長嶺村一御傳馬弐疋長嶺村右ハ二戸郡荒屋村御百性共御救稗附越候
鹿角市史 第5巻 (0575)

二戸郡〔岩手県〕西ノ(之)又〔小坂町〕西の又(谷地)西の森〔毛〕西町〔柴内〕西町〔毛〕西山(丘陵)新遠
鹿角市史 第4巻 (0088)

隣接町村東岩手県二戸郡安代町青森県三戸郡田子町西秋田県大館市・北秋田郡比内町南秋田県仙北郡田沢湖町北秋田県鹿角郡小坂町青森県上北郡十和田湖町人口世帯数一二
鹿角市史 第4巻 (0109)

なお花輪代官所は二戸郡田山村現岩手県)をも所管していた。
鹿角市史 第4巻 (0744)

兄川舞の伝承は古く、 藩制時代に二戸郡浄法寺村の桂清水観音堂祭礼の先祓舞が近郷の村々に伝わったものだという
鹿角市史 第2巻 上 (0039)

のものとしても異例の書状であることは言を俟たない秀吉朱印状の南部内七郡について『岩手県史』は北郡・三戸郡・二戸郡
鹿角市史 第2巻 上 (0282)

四二カ村には田山・佐比内二村を含んでいるが、 近世二戸郡に属するこの二村を除き、 前者の三三カ村と
鹿角市史 第1巻 (0670)

ア、 秋田県県北地方(吉田東伍『大日本地名辞書』、 新野直吉『古代東北の開拓』)イ、 岩手県二戸郡
鹿角市史資料編 第25集 (0092)

御触所江御達可被下候以上已十一月世三日毛馬内町検断忠太郎同八蔵鹿角郡毛馬内通役人江是迄黒羽藩取締之場被免今般改而三戸縣被置別紙写之通拝命且陸奥国二戸郡
鹿角市史資料編 第12集 (0119)

任三戸縣検知事右宜下候事村上一学九月太政官鹿角郡花輪通役人江是迄黒羽藩取締之場被免、 今般改而三戸縣被置、 別紙之通拝命且陸奥国二戸郡
鹿角市史 第5巻 (0083)

同三·一四毛馬内三左衛門定次、 花輪城預かりを解かれ二戸郡曲田村へ知行替申し渡さる。
鹿角市史 第4巻 (0103)

花輪は鹿角南半から二戸郡田山までの広い地域を商圏にもつ商工業の町として繁栄し、 隣接する尾去沢鉱山も
鹿角市史 第4巻 (0436)

先祖は岩手県二戸郡の出身で盛岡で漆塗の修業をし、 鹿角に定着した。 現在は三代目である。
鹿角市史 第2巻 上 (0041)

右のうち糠部については、 記載される城名から現今の北郡・三戸郡・二戸郡・九戸郡の総称であったことが推定
鹿角市史 第3巻 上 (0078)

但シ二戸郡福岡ニ別ニ出張所ヨ置キ、 花輪ニ属シテ二戸、 九戸ヲ取扱フベシ。 ベシ。
鹿角市史 第3巻 下 (0493)

昭和八年からの神社記録によると八年は三、 三三九戸(岩手県二戸郡田山村を含む)、 九年は二、 九四一戸
鹿角市史 第2巻 上 (0128)

鷄冠井四郎右衛門は九戸郡山田村・二戸郡浄法寺村から鹿角郡柴内村・草木村に換「系胤地がなされた野田左近は
鹿角市史 第2巻 上 (0171)

『天保八年御領分中一村限御蔵給所惣高帳』によれば、 花輪通の総高は八、 四五一石一斗二升(二戸郡田山村四七三石六八五
鹿角市史 第2巻 下 (0418)

一六五七)毛馬内九左衛門長次の知行替に伴い花輪へ、 のち毛馬内氏知行替と共に寛文年中一一六六一~七三)二戸郡曲田村
鹿角市史 第1巻 (0648)

その他、 時代は下るが、 岩手県二戸郡安代町田山の地蔵寺の境内にある延文二年=正平十二年(一三五七
鹿角市史 第1巻 (0662)

熊野権現若松麻呂」にまつわる伝説で、 小池左衛門の霊を祭って熊野権現としたとされる、 『桂泉観音之御本地』(二戸郡天台寺
鹿角市史 第1巻 (0444)

即、 巌手郡大更、 松尾、 荒屋(二戸郡)、 田山と次第す。
鹿角市史 第5巻 (0094)

一二月五畿内および関東大飢饉のため米価騰貴すこの年盛岡城二の丸を築く同 盛岡永福寺炎上す同 岩手郡、 二戸郡浄法寺同同同
鹿角市史 第4巻 (0644)

奉納され〓先払舞は、 明治二十年頃に二戸郡兄川の稲荷神社から伝わったもので俗に兄川舞といわれている。
鹿角市史 第2巻 下 (0306)

その経路は、 糠部郡の内今の二戸郡ふら鹿角を通過し巻山峠を越え犀川を下って贄柵に至るコースであったと
鹿角市史 第2巻 上 (0057)

蛇足ながら後世高屋村および二戸郡田山村に知行所を有し、 花輪代官や同蔵奉行等を歴任した大光寺氏は正信
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