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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第3巻 下 (0659)

大館駅・十和田休屋間をそれぞれ三往復、 十和田南駅・十和田休屋間を国鉄三往復・秋北一往復とした。,翌年からは八幡平頂上~十和田湖休屋線も運行されるようになった。
鹿角市史 第3巻 下 (0178)

は、 大湯上ノ湯から青森県境間、 十和田街道は、 大湯から銚子の滝間、 十和田湖岸線は、 休屋,から黒石寄りの県境間と休屋から和井内間であった。
鹿角市史 第3巻 下 (0650)

同二八年五月一八日の政令により一〇三号十和田・大館線)、 一〇四号八戸・大・発荷休屋線区域旧大館一),が、 二級国道に指定され、 これにともない大館・三戸、 発荷・休屋の各県道路線は廃止された。
鹿角市史 第3巻 下 (0194)

より鳩の湯を経、 十和田湖に至る自動車道路の促成八年一〇月の段階では、 省営バスの運転は青森市から休屋,しかし休屋から生出(和井内)までは平坦な道路で改修の容易なことや各方面からのつよい働きかけもあり、
鹿角市史 第4巻 (0849)

猿カ岬・抱回の崎・鹿角破欠(発荷)・中の平・桂平・休屋に至り、 青龍権現の祠を参拝する。,休屋の山小屋に泊まる。 三十日桂平・鹿角破欠・大倉の元山につく。
鹿角市史 第4巻 (0663)

この日は集落内にある龍神様(御神体は蛇)を拝んだあと十和田湖の休屋に行き、 自籠の岩の上に登って拝み
鹿角市史 第3巻 下 (0193)

県の救農工事で鹿角分の県道は、 大館盛岡線(花輪)、 大館三戸線(錦木・毛馬内・大湯)、 発荷休屋線
鹿角市史 第2巻 下 (0516)

また山口流劒術を関右平太に、 萩野流炮術を桜井忠太夫に学び、 のち十和田湖畔休屋に初めて屯田の鍬を
鹿角市史 第3巻 下 (0187)

それでも地元の町村会や有志の働きかけにより、 当初の予定である「青森市から休屋まで」を「青森市から生出
鹿角市史 第5巻 (0434)

七·二〇十和田湖の国立公園指定五〇周年記念式典が常陸宮ご夫妻をお迎えし休屋で開催された。
鹿角市史 第4巻 (0476)

毛馬内・大湯間五往復、 毛馬内・休屋間二往復で、 団体客は青森自動車営業所で取扱い、 青森・毛馬内間
鹿角市史 第3巻 上 (0275)

それらの鉱山従業者の食生活を支えるものとしては、 若干の野菜等は対岸の休屋・宇〓部で栽培され舟等で鉱山
鹿角市史 第5巻 (0385)

北鹿新聞同鹿角タイムス同鹿角時報秋北バス資料六 ·一秋北バス、 八幡平玉川·十和田休屋間
鹿角市史 第4巻 (0449)

現在大館・毛馬内を経て十和田湖畔休屋までは国道一〇三号線として昭和二十八年県道から国道に昇格し、 毛馬内
鹿角市史 第3巻 下 (0202)

・元山・滝ノ沢・大川台(岱)・追手(生出)が小坂局から組替になり、 大正一四年八月には発荷・休平・休屋
鹿角市史 第3巻 上 (0699)

養う」云々の葉書から、 『盛岡中学校校友会誌』所載の二首は十和田湖で詠んだ歌であるとして、 湖畔休屋
鹿角市史 第5巻 (0341)

七月鹿角·北秋田両郡の失同業救済目的の県道改良工事 (毛馬内 · 発荷 ·休屋
鹿角市史 第4巻 (0468)

もあり、 毛馬内のほか花輪、 小坂はもちろん十和田休屋、 大館、 弘前にも遠征し、 たがいに
鹿角市史 第2巻 下 (0267)

菅江真澄は文化四年(一八〇七)九月に十和田湖畔へ入った時、 休屋の山小屋で異様な言葉を聞いた。
鹿角市史 第3巻 下 (0387)

更に船を進め鎧嶋、 兜嶋笠の間を縫ふて恵比寿嶋前に至り船を留めて十和田神社に参拝し占場の奇蹟を探り休屋
鹿角市史 第5巻 (0567)

; 378 4153上5612上571ヤ薬師森焼山 〔八〕焼山下〔毛〕八坂村〔藤里町〕弥左衛門畑休平休屋
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