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鹿角市史 第2巻 上
(0599)
藩老三名の連判、 宛先は
白根
儀左衛門、 庄太夫、 作兵衛である。,正徳五年(一七一五)幕府が尾去沢・
白根
・立石三山に六五万斤を明年より大坂廻銅とするよう命じた時、 藩,は
白根
銅山について「山末に罷成り、 山師共勝手に合い申さず候故当分相止め申候」と、 また立石銅山について,しかしその実態は
白根
は大坂屋清八、 立石は青山
伝助
が稼行しつつあったものとみられている。,その位置は
白根
銅山の北側に隣接し「御山境南
白根
嶺限、 西御境下、 東駒木沢水落残らず、 北ハ立石御山続
鹿角市史資料編 第34集
(0056)
申者罷有候由申上候得ハ、 右京様被仰候ハ夫ハ先年ノ事ニ候、 只今ハ論地ニテ家一軒も無之由被仰候、 比内古人
伝助
罷出北平,此方者共存候通申上罷立候事申候事承応二年辰二月十二日御寄合へ此方よりハ孫兵衛内蔵助伊右衛門八蔵源右衛門比内より茂内村甚兵衛専助形部左衛門
伝助
右,と申合候処ハ、 長木沢三矢沢ニ御座候得共、 近年迪三矢沢ニ惣右衛門忠右衛門左馬助と申者罷有候処ニ
白根
,ニて金多出候ニ付
白根
へ引越申候、 未タ子孫も御座候、 皆高梨二罷有候者共も未タ子孫此方ニ罷有候事比内古人申上候
鹿角市史資料編 第34集
(0054)
、 下馬什罷通候、 夫よりまけ屋を袈沙掛坂と申候、 元来より大地内山ノ事御境目所々金山初ノ事一
白根
金山掘初,慶長九年甲辰当年迪四拾七年也、 但慶安三年辛卯ノ年迪一西道金山掘初ハ慶長十年乙已当年迪四拾六年巾「
白根
西道運上金百八拾枚公義,松岡藤右衛門美濃部甚右衛門米田四郎兵衛望月長兵衛目時勘太夫五人罷出候、 秋田より菅谷隼人信田内蔵助十二所ノ専助沢尻ノ孫七大館の
伝助
茂内
鹿角市史 第5巻
(0635)
36天産嘉(賀)舜 2下383天耳3下412伝七(西道馬附)2上524伝四郎(毛馬内御町)2下139
伝助
,(
白根
)2上560傳蔵(花輪物屋)2下37田村3上628典徹(大日堂別当) 2下355田頭内蔵丞2下571
鹿角市史資料編 第34集
(0055)
ニ其隠無御座候、 先年信濃守時代領内ニケ様金山出来仕候旨東照権現様へ言上し運上金〓差上候得共、
白根
并西道差上候運上金共,美濃部甚石衛門望月長兵衛目時勘太夫柴内作右衛門遠山伊右衛門吉岡長五郎乳井内蔵助昆孫兵衛勘十郎御前へ罷出申口ハ長五郎孫兵衛両人也、 秋田よりハ菅谷隼人信田内蔵助古人四人罷出候、 申口ハ大館
伝助
茂内甚兵衛
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