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鹿角市史 第5巻
(0656)
4632下455坂本太郎栄馬坂本13872上233寒川光太郎3下429 · 700作右衛門(
大湯
町検断,)2下4 · 36 ·37
作左衛門
(小平村)2上370
作左衛門
(十三人町)2上521,
作左衛門
(
大湯
)2下187作助(棋山山守)2上312作善(時衆僧)1462朔風3下679作兵衛(八幡丁
鹿角市史 第2巻 下
(0477)
大湯
・毛馬内の稽古場諏訪家文書
大湯
の稽古場建設に関する記事が、
大湯
南部家『御次留』八六〇)一〇月二二日,)・萬延元年(一、 金五両壱歩、 壱朱ト弐百五拾八文右ハ
大湯
武藝稽古場素建作料釘代共三拾六貫三百八拾弐文之旨申出候,武芸稽古場とあるから、 専ら
大湯
南部家中の武芸練磨に当てたものであろう。,以上二月十三日沢田作左衛沢田
作左衛門
千葉治太夫二月十三日〓御給人御役医廻紙一、 武藝見分井経書講釋願出有之候
鹿角市史 第2巻 下
(0226)
)正保三年(一六四六)五月先年
大湯
から比内へ欠落した
作左衛門
が十二所与力の下女一人を連れだし、 去る,下女は花輪給人が付添い十二所へ返すこととし、
作左衛門
は花輪の町末において見せしめの為成敗し、 罪状,○同四年二月昨年秋田領へ欠落した
大湯
村の甚之丞、 女房年四〇、 男子年四ツ、 生子一人が、 大館与力上下三
鹿角市史資料編 第22集
(0056)
右之通被仰出候ニ付、 今便
大湯
江申遣。 勤番ニ付相詰。,右之通被仰出候ニ付、 今便
大湯
江申遣。 勤番ニ付相註渕沢恒人晴山冨吉勤番相済今日出立罷帰。,不取敢毛馬内御代官所江相届、 御役医相下ケ療治を得、 喧嘩之次第柄書取を以可申出旨御代官沢田
作左衛門
殿達
鹿角市史資料編 第11集
(0043)
文政元年十月
大湯
村百姓同肝入茂平同検断
作左衛門
山口庄之進殿君成田茂殿守田兵右衛門殿(欄外)此年十二月中旬,右ハ
大湯
より之願書、 是ニ而被仰付候。,文政二年二月
大湯
村惣百姓同肝入茂右衛門同検断作右衛門山口庄之進殿君成田茂殿守田兵右衛門殿〓外)右之通手前,ニ而下書相認
大湯
へ差遣申候。
鹿角市史資料編 第9集
(0043)
御駕籠御鑓口上之覚工藤純作妻岩間丹下様御家来安田
作左衛門
塩右之通縁組仕度奉願上候以上。,二月晦日工藤純作右之通口上書を以願上候旨
大湯
より申来願之通被仰付。
鹿角市史 第2巻 下
(0478)
沢田
作左衛門
、 千葉治太夫は毛馬内通代官である。,もっともその対象は、 代官所支配の給人および役医とその子弟で、 花輪南部氏、
大湯
南部氏、 毛馬内桜庭氏
鹿角市史資料編 第5集
(0063)
様諏訪様内ニ而當毛捨り所七月十一日肝入茂兵衛方江書揃ニ而訴申候外箒畑肝入善兵衛内
大湯
御蔵ノ專助地山屋川之下,シノ節も年三十七歳ノ酉年也右安永六酉七月四日大洪水ニ而鹿魚中尚毛夥敷捨り手前なと大損も致候年ニ有之此節
大湯
橋,より下り両川不残橋落ル川崎作兵衛地ノ事一、 本
大湯
御支配高内去ル未年倉沢村作兵衛地高壱石九斗場所浜田川崎四人役先年,より川捨候所
大湯
より上地ニ入當時越廻御蔵ニ成り世場所安永六酉七月八日十八日両度之洪水ニ付永代捨り今度改申上,之持地花輪御支配神田御蔵ノ金目ノ太兵衛地神田村下タ川端夕拾人役不残永代捨りも同前ニ罷成此場所共神田肝入
作左衛門
御訴之上御見分被下候則同村渡主
鹿角市史 第2巻 下
(0227)
注目すべきことは、
大湯
の
作左衛門
は欠落の罪かどわかと女勾引(か)の罪で「為令見之」極刑に処されていることである
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