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鹿角市史 第4巻
(0744)
八幡神社の改築を記念して、 同年八月十五日に祭りの賑わいとして村の若者たちが、 岩手県一現安戸郡
兄川
,〓)の稲荷神社の祭礼に伝わる芸能の
兄川
舞を習ってきて奉納したのが始まりだという。,故に
兄川
代町舞とも呼ばれる。,
兄川
舞の伝承は古く、 藩制時代に二戸郡浄法寺村の桂清水観音堂祭礼の先祓舞が近郷の村々に伝わったものだという
鹿角市史 第4巻
(0817)
まして娘ご親もどさエー(伝承者、 尾去沢・佐藤順子湯瀬村こ季節歌の春歌・秋歌を元にして作られたもので「
兄川
,のヤーエ
兄川
の、
兄川
沢目の湯瀬村こ」という前歌がついていた。
鹿角市史 第2巻 上
(0674)
新苅分帝尺森夜明嶋通峯境、 大黒森大羽平峯続、 御境通百間相除キ御山附ノ積り一、 南ノ方熊沢川目、
兄川
通大羽平,より焼山通引合、 熊沢湯上より八幡平大佛石峯続、 御境より百間相除キ御銅山附ノ積り一、 東ノ方
兄川
通福岡境,のさかけ峯続、 黒沢高倉尻高山峯続、 米代川落合迄御銅山附ノ積り一、 同方
兄川
落合、 谷内川落合
鹿角市史 第3巻 上
(0237)
一二年六月の鹿角郡出張土木御用掛からの伺書には、 岩手県管轄の
兄川
と裝部の間にある二橋が、 洪水で,青森県下津軽郡に通じるものとし、 荒屋村田山村七時雨峠と梨ノ木峠の嶮峻をさけるため、 松尾村・細野一)・
兄川
,この路線中、 松尾・細野・
兄川
には駅一)を設ける、 ともしている。
鹿角市史 第4巻
(0644)
奉納され〓先払舞は、 明治二十年頃に二戸郡
兄川
の稲荷神社から伝わったもので俗に
兄川
舞といわれている。
鹿角市史 第4巻
(0745)
以上は長嶺に伝わる
兄川
流ともいわれる先祓舞の内容であるが、 八幡平地区にはこのほか兄畑流といわれている
鹿角市史資料編 第2集
(0045)
頼遣候尤貞助殿造書状相認遣候外ニ奈良様へ書状之通是ハ斎藤直吉殿修行ニ遣候御願申上る一、 六月十二日今日より
兄川
専左,取付可申旨申出ニ而罷帰る一、 六月十三日昨夕方より雨降り出し夜中弥増降候ニ付余程之出水一而小堰造水上り
兄川
木方土場江口破,右御見分被成候而御帰被成候此節忠平木積配残り拾間程有之右江押込候ニ付右拾間忠平江相廻し尤翌十四日ニ忠平木積配済ニ相成都合百六拾七間壱尺ニ相成
兄川
鹿角市史 第1巻
(0069)
規模で露出する古生界(先新第三系)の地層は、 その中に挾在する、 石灰岩中のフズリナ紡錘虫)化石(
兄川
流域
鹿角市史 第2巻 下
(0308)
七時雨山から御月山(烏帽子森を越え、 細野から鍋越沢を西へ進み、 桂久保、 野沢欠峠、 裝部を経て
兄川
鹿角市史 第5巻
(0101)
三·一〇鹿角郡湯瀬山の内板とう山·こまた山·田山の内
兄川
山·白沢山
鹿角市史 第5巻
(0133)
損毛高三万八、 〇〇〇石余一·二二花輪通熊沢かっち
兄川
かっち先年より柾山に盛岡商人等が請けていた
鹿角市史 第2巻 上
(0742)
山入用木炭手宛之場所に一、 尾去沢銅山より一、 夜明嶋山迄四里半程一、 熊沢山迄六里半程一、
兄川
山迄七里程一
鹿角市史 第5巻
(0257)
七·六田山往来橋々が流失し、 銅山仕送金飛脚は谷内かみ村上滝ノ畑より
兄川
越えし左比内で本道
鹿角市史 第1巻
(0460)
この鹿角路は、 おそらく米代川上流の兄畑から
兄川
の谷を遡り畏部越えして熊沢川の谷へ出たのであろう。
鹿角市史 第4巻
(0449)
このほか鹿角から盛岡への往来筋は、 深から寒ノ背峠を越えて
兄川
を渡り、 襞部・細野を経て松尾へ出る
鹿角市史 第2巻 下
(0105)
米は両鹿角の御蔵米或は御買米を用い、 木材・薪炭は銅山周辺の夜明嶋、 熊沢山、
兄川
山、 田山
鹿角市史 第2巻 下
(0432)
しかし時代が下ると山伏も修験もその区別はつけがたくなり、 山伏修験とか、 修験山伏の熟語が生まれた(
兄川
安章
鹿角市史 第2巻 下
(0358)
脇道として花輪から花輪越(古くは黒沢越と称した)を辿り折壁へ出る線、 坂比平から寒ノ背峠を越え
兄川
鹿角市史 第2巻 上
(0753)
出る也」、 小炭は「両鹿角八方より出ル」とし、 春木は「熊沢、 嚴部、 夜明嶋、 田山より
兄川
辺迄
鹿角市史 第2巻 下
(0309)
より
兄川
え越候て、 夫より左比内村へ出、 折壁へ出、 本道え罷越候」とみえるその道筋も、 おそらく
鹿角市史 第2巻 上
(0350)
○花輪御代官所の内熊沢かっち・
兄川
かっちは、 先年柾山に六日町忠兵衛が請け、 次に御用柾を岩館甚右衛門
鹿角市史 第2巻 上
(0269)
、 熊沢水沢通并
兄川
ノ援部諸山御境付御山ノ儀ニ候ノ間(略)諸木猥ニ剪出申す間敷事。
鹿角市史資料編 第26集
(0032)
右は御召抱大工半重郎吹子指方丑ノ十月廿日被仰付一、 銭弐拾五貫五百文御銅山附御山守共壱ケ年内五貫文
兄川
御山守与右
鹿角市史資料編 第29集
(0120)
或は二才と言御目付高野恵吉より差送可申旨申来候ニ付、 是も堂助吉太郎ニ預ケ昨廿九日ニ被遣候一、
兄川
村専右衛門木跡川尻拂是迄相扣置候処
鹿角市史資料編 第29集
(0059)
右倉流失之頃は尻拂も相止候注進来候て木も参り不申故聊五六間も流失相成候哉之旨申来候、 尻拂之義は
兄川
渡橋迄来
鹿角市史資料編 第2集
(0127)
西海廻り大阪御登銅は米代川を川下しして能代に出す経路と、 来満山を越えて陸路野辺地へ出す経路、
兄川
鹿角市史資料編 第2集
(0065)
付御仕送金御飛脚之者不都合之儀有之候而ハ御拂出し御差支さも可相成と被思召道筋案内之ため谷内村上ミ滝ノ畑より
兄川
江越候而夫
鹿角市史資料編 第2集
(0066)
而御城下へ被立遣候処今晩御仕送金持参町飛脚春蔵同道いたし先は安着大慶いたし候尤爰元より参候節は滝ノ畑より
兄川
江出候而夫
鹿角市史資料編 第2集
(0079)
而作合も殊之外引直り出穂も処々ニ相見得候而一入安心之事ニ候、 七月十日東屋為替三百両之内七拾六両昨日
兄川
専左
鹿角市史資料編 第2集
(0100)
七月廿三日木場留倉御見分并ニ権兵衛木御請明日より御普請へ御取付ニ付直々木場御役処江附添被仰付、 此節
兄川
専左衛門来着木積配中
鹿角市史 第5巻
(0601)
安代町〔岩手県〕小豆沢 (村)阿曽内沢集宮 (新田)阿仁〔北秋田郡〕
兄川
(山)(村)〔岩手県〕兄畑〔岩手県
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