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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第1巻 (0230)

鹿角市八幡平字鳥居平〓・〓・〓・〓・〓・〓・〓〃八幡平字竹鼻〓〃八幡平字下モ和志賀〓の2・〓の1〃八幡平字田中,4の2〃八幡平字二ツ森八幡平字下鷲の巣〓・〓・〓・〓・〓番地八幡平字堂ノ上〃八幡平字長畑中期・後期(縦貫道調査
鹿角市史 第1巻 (0237)

花輪字大曲〃花輪字不動沢6・8〃花輪国有林苗畑〃花輪字案内〃花輪字孫右エ門館〃花輪字中ノ崎〃花輪字柏木森〃八幡平字上葛岡八幡平字駒林八幡平字上葛岡,・上田表〃八幡平字中野・沢田〃八幡平字北の林〓〃八幡平字歌内〃八幡平字後口田八幡平字東館4・5・〓・〓,・〓〃西館9の1・〓・〓・〓・〓・〓〃八幡平字上山田〃花輪字菩提野花輪字八幡平4の7・9の5・〓の3上葛岡,・上田表〃八幡平字上葛岡・上田表古代(奈良~南北朝)古代(奈良~鎌倉)古代(奈良~平安)古墳期~古代(
鹿角市史 第1巻 (0229)

花輪字百合沢花輪字赤坂花輪字赤坂花輪字赤坂花輪字甘蕗尾去沢字六角平尾去沢字東在家〓尾去沢字尾去〓・〓尾去沢字尾去〓・〓の2尾去沢字尾去〓尾去沢字前門川端〓-〓八幡平字後口田,〓八幡平字岩淵〓八幡平字清水向八幡平字下葛岡〓八幡平字下葛岡〓~〓八幡平字上葛岡八幡平字上葛岡八幡平字中野,・沢田八幡平字北の林〓・3八幡平字飛鳥平〓八幡平字大里(縦貫道調査)「縦貫道調査)後期?
鹿角市史 第1巻 (0202)

○チャマダラセセリ(セセリチョウ科)八幡平古くから八幡平が産地として知られる。,○キバネセセリ(セセリチョウ科)八幡平○ミヤマカラスアゲハ(アゲハチョウ科)八幡平・十和田○ウラキンシジミ,(シジミチョウ科)八幡平○ウラクロシジミ(シジミチョウ科)八幡平○メスアカミドリシジミ(シジミチョウ科,)八幡平○フジミドリシジミ(シジミチョウ科)八幡平○ハヤシミドリシジミ(シジミチョウ科)確実な記録はないか,○ジヨウザンミドリシジミ(シジミチョウ科)八幡平○アサギマダラ(マダラチョウ科)八幡平○ヒョウモンチョウ
鹿角市史 第3巻 下 (0404)

八幡平にはこれといった著名人の足跡がなかったので、 トロコの現場に楚人冠撰・書の「我行荒草裏汝又ス深林,その折の随筆が「八幡平再挙」除幕式・天下の珍湯-フケの湯・八幡平の頂上・八幡平の谷地と谷地目・後生掛から,焼山越・八幡平の勝景とその発見者・玉川温泉とその付近と写真付きで掲載されるに及んで、 八幡平は一挙に,山の案内人八幡平の紹介と宣伝は、 宮城佐次郎に始まって鹿角時報社の川村薫はじめ高瀬貞之助、 田口定古,、 中村次郎らの地元記者と秋田魁新報の八幡平踏破記事によることが殆んどであった。
鹿角市史 第3巻 下 (0399)

と社告に載ったこの登山隊について、 秋田魁新報までが「奥羽アルプス八幡平を四五名の踏破隊」の見出しで,同四年には東京朝日新聞が八幡平踏破記者団を派遣、 鹿角時報社は第二回踏破団体を主催、 翌五年はその,花輪営林署は冬季スキー登山の案内役として観光に貢献していたが、 陸中花輪駅も同六年駅長等で八幡平・蒸,その年、 宮川村長阿部貞吉を会長とする八幡平顕勝会が組織され、 国立公園関係者の八幡平招聘を計画したその,大湯温泉、 湯瀬温泉、 八幡平、 田沢湖がその要望区域である。
鹿角市史 第3巻 下 (0398)

阿部藤助と花輪営林署の熱心な宣伝開発によって、 蒸の湯の浴客に限らず八幡平踏破の登山者が年毎に多くなっていった,また「十和田は毛馬内の人でやっているが、 八幡平は花輪と宮川の人でやらねばならない」と口癖のようにいい,、 あらゆる機会をとらえて八幡平の宣伝に努めた。,没後八幡沼湖畔に藤助神社が建立されたが、 さらに地元の新聞社は「八幡平王」の称号をおくりその業績を讃,えた、 八幡平の宣伝昭和に入ると八幡平登山の募集が相次いだ。
鹿角市史 第3巻 下 (0663)

五四年一〇月六日に八幡平工事区の着工となり、 四年の歳月を要して安代・鹿角八幡平間が、 完成をみることになった,安代インター湯ナェンジから鹿角八幡平インターチェンジまでの総事業費七四九億円の内、 八幡平五橋の総事業費,なおかつ自然景観に男和する近代的な大橋梁で、 「湯瀬五橋」居熊井橋・笹の渡橋・渓谷橋・天狗橋・八幡平橋,五八年一〇月二〇日に安代から鹿角八幡平インターチェンジまでの二六・一キロメートルが開通し、 鹿角八幡平,前述の大館・盛岡間のハイウエーバスは、 鹿角八幡平から高速道路に入り、 湯瀬パーキングエリア・田山
鹿角市史 第1巻 (0160)

八幡平では〓岳で稀にみられる。,(花期七~八月)分布・北海道・本州(岩手山・秋田駒カ岳・早池峯山・八幡平)八幡平では源太森とその周辺の,八幡平の蓬莱境のアオモリトドマツとコメツガの混生林は特異な景観を呈していることで有名である。,(花期七月中旬)分布・本州(中部、 北部)八幡平では焼山以外ではみられない。,(花期七月)分布・北海道・本州(中部以北)八幡平では鬼カ城付近の岩壁に生育。
鹿角市史 第4巻 (0092)

〔八幡平地区〕旧八幡平村は生活共同体としてのムラの形をもっとも今に残した地区である。,宮川村となり、 西側の松谷村、 長井田村を合わせて曙村となり、 昭和二十一年六月に二カ村合併して八幡平村,八幡平地区は純農村的な性格がつよく、 古くからの生産様式や生活習慣が醇風美俗となって保たれている貴重,北側は十和田山地、 南は八幡平の山々が連なって盆地を囲んでいる。,ちょうど盆地の北と南が十和田八幡平国立公
鹿角市史 第3巻 下 (0396)

八幡平山系に温泉の湧き出ていることは地元の人々に知られ、 かなり早くから湯治客が小屋をかけていたといわれるが,の絶杉景に感嘆し、 それを文筆で紹介したのが八幡平が世に知られる端緒といわれている。,同一三年秋田魁新報の「納涼景勝地紹介」懸賞募集に川村薫の「夏なほ寒き八幡平の絶景」が当選、 全文が掲載,八幡平の顕勝を念願する地元有力者たちの努力によって、 十和田から八幡平・田沢までの縦走観光ルートに足,開発初期のころは「奥羽アルプスの秘境八幡平」がキャッチフレーズとして使われ、 この形容は昭和九年まで
鹿角市史 第3巻 下 (0036)

十和田観光客、 施設の整備、 国立公園指定二大湯温泉…三四(十和田とともに、 大湯の都市計画三八幡平,の観光開発…三四三奥羽アルプス八幡平、 八幡平王阿部藤助、 八幡平の宣伝、 国立公園候補地、
鹿角市史 第3巻 下 (0659)

翌年、 八幡平樹海ラインの開通にともない秋北バスは、 八幡平蒸の湯線の運行を開始した。,また、 四五年には八幡平アスピーテラインの完成により八幡平頂上線、 田沢湖線の運行を開始した。,翌年からは八幡平頂上~十和田湖休屋線も運行されるようになった。
鹿角市史 第3巻 下 (0652)

八幡平が国立公園に編入されて、 十和田八幡平国立公園となった昭和三一年頃トロコから先は、 ほとんど,三五年三月に秋田県議会土木委員会より、 八幡平有料道路の秋田国体までの完成計画案が公表され、 八月二七日,その後も観光道路として玉川温泉から田沢湖まで、 蒸ノ湯から八幡平頂上までの工事が行われた。,共に難工車県道十和田であったが、 特に八幡平頂上までは自衛隊の協力を得て進められた。,さらに四五年八月にはトロコから頂上までの有料道路「八幡平アスピーテライン」が完成した。
鹿角市史 第1巻 (0022)

早春の八幡平八幡平の湿原
鹿角市史 第1巻 (0147)

〓八幡平の植物人幡平は秋田・岩手の県境に位置する標高一六一四メートルのアスピーテ型火山で、 岩手山・,昭和三十一年にはこうした貴重な自然とすぐれた景観が認められ、 八幡平から焼山・駒カ岳・乳頭山・大深岳,この八幡平の北側の一部区域は鹿角市に属しており、 区域内には後生掛温泉・ふけの湯・焼山などのほか、,八幡平の自然については、 早くから多くの研究者によって調査報告がなされているので詳細についてはそれらにゆずり,、 ここにはその中から特に特徴的な面についての概要を記すにとどめる〓明りょうな垂直分布の景観八幡平では
鹿角市史 第1巻 (0159)

ほとんど高木、 低木ともにみられず、 ガンコウラン・ハイマツの矮性低木の群落におおわれているため、 八幡平,〓八幡平でみられる珍しい植物八幡平には多くの貴重な植物の自生がみられるが、 その中でも特に珍しい種類,(花期七月~八月)分布・八甲田山・月山・八幡平等。,(花期、 九月上旬)岩手県を中心に東北の高山(岩手山・早池峯山・八幡平など)にしか産しない。,八幡平では長沼にだけ産する。
鹿角市史 第5巻 (0468)

秋田営林局八戸家伝記八戸市史 · 史料編2下4963上3071457 · 4612下340 4188八幡平,(写真集)高橋正志 3下704八幡平小学校創立百周年記念誌3上473 · 516 ·,; 518八幡平小学校統合十周年記念誌3上564八幡平に親しむ 滝儀太郎八幡平農民組合資料3下3723,下492八幡平郵便局沿革誌3下150花卯つ木(句集)花野(句集)田口広治3下4113下675 ·
鹿角市史 第5巻 (0397)

ミニスカート大流行同フーテン族話題となる秋田県文化功労賞内田武志·内田ハチ受賞八·三一八幡平,八 ·八幡平小割沢地区が夏山冬里のパイロット地域に指定され馬見平の牧野改良に着手す。,研究大会が全国果樹研究連鹿角タイムス北鹿新聞九·合会など主催で大湯ヘルスセンターで開かれた同八幡平後生掛,の愛称が八幡平アスピーテラインと決まった。,鹿角タイムス八幡平村、 山村振興事業計画地域に指定された。 同381
鹿角市史 第5巻 (0399)

一二·二七三菱金属が八幡平大沼に地熱発電所を計画す。,この年八幡平村が社会体育モデル村文部省委嘱となる同水稲七五〇キロどり競作報償制の地域賞を十和田町五軒屋五石会,四· 四八幡平村宮麓·長谷川両土地改良区の統合成る。,四 · 二九八幡平村玉内、 四棟焼失す。,六·二二八幡平村営馬見平放牧場完成し、 開場式行う。
鹿角市史 第1巻 (0061)

グリーンタフ露頭(八幡平桃枝)古生界の地層(八幡平湯瀬)
鹿角市史 第3巻 下 (0405)

写真で八幡平を紹介したのは尾去沢の小笠原貞吉で、 絶勝八幡平や高山植物、 泥火山等の撮影は学術的にも,ほかに渋谷忠助や阿部末蔵、 山本徳太郎など登山者の便宜を図り、 八幡平の宣伝に寄与した人々の名もまた,観光鹿角の看板わが国の代表的な火山景観として八幡平は、 十和田湖の国立公園指定後も、 候補地として,同二九年国立公園審議会は八幡平の国立公園指定を厚生省に答申したが、 これを不服とする県と地元団体は国立公園十和田湖,への猛烈な編入運動を展開し、 ついに三一年五月審議会で編入承認を答申、 七月一〇日名称を十和田八幡平国立公園
鹿角市史 第1巻 (0203)

○サカハチチョウ(タテハチョウ科)八幡平○エルタテハ(タテハチョウ科)八幡平○キベリタテハ(タテハチョウ,科)八幡平○ツマジロウラジャノメ(ジャノメチョウ科)八幡平なお鹿角地方は未調査の地域が多いところから今後
鹿角市史 第3巻 下 (0662)

この間に安代・十和田ルートに八幡平の長谷川・曙地区を通すよう請願もあったが、 実現には至らなかった。,さらに四七年一一月二七日に八幡平・十和田間、 十和田・碇ケ関間の路線発表があり、 五一年二月一二日,に字代・八幡平間並びに八幡平・十和田間を改めて路線発表した。,日本道路公団仙台管理局十和田省理事務所提供の資料による安代-鹿角八幡平-十和田-小坂-碇ケ関中心杭設置五一年六月
鹿角市史 第3巻 下 (0611)

設八幡平スキー場ができ、 四〇年県営国民宿舎大沼ロッジが開かれた。,四二年五月県営八幡平発電所起工式が行われ、 翌四三年一〇月最大出力五、 四〇〇KWで運転を開始した,また八幡平村発足後まもない三二年熊沢川筋土地改良区が設立され、 灌漑用水を熊沢川から取水する碇地区の,四二年には八幡平村土地改良区と改称の上、 さらに四四年宮麓土地改良区と長谷川土地改良区を統合し、,八幡平地区圃場整備事業を年次的に推進することになった。
鹿角市史 第5巻 (0016)

をとどけるダイコン干し市日風景雪おろしコモセの内部(新しいまちづくり)旧尾去沢町役場旧花輪図書館冬の保育園八幡平温泉郷,(ふけの湯)ふき刈り関善酒造店(鹿角市の誕生と発展)新市庁舎東北縦貫自動車道 · 八幡平橋商店街,の近代化事業マインランド尾去沢八幡平オートキャンプ·アスピア鹿角観光ふるさと館·あんとらあ
鹿角市史 第3巻 下 (0610)

八幡平村は、 三一年七月念願の国立公園指定を、 十和田八幡平国立公園という形で成就することができた,三二年四月、 花輪線小豆沢駅を八幡平駅と改称し、 観光地形成に力を注ぐこととなった。,三五年八月八幡平有料道路が起工され、 三七年六月ふけの湯まで開通した。,同年一〇月八幡平・田沢湖間の県道が通じ、 四四年夏からは小型バスを通ずるようになった。,ふけの湯から山頂までの八幡平アスピーテラインは、 四五年八月一五日に開通をみ観光客は一挙に一〇〇万人
鹿角市史 第3巻 下 (0400)

大湯諏訪富多、 十和田和井内貞時に、 仙北の田沢、 桧木内、 西明寺などの町村長を加えて八幡平編入運動,八年には前記の八幡平顕勝会組織で地元の気運は高まり、 さらに同年鹿角郡町村会が編入の陳情書を大島衛生局長,その後の情勢は、 十和田湖の国立公園指定がもはや時間の問題となったこともあり、 八幡平について国の,囘一〇年八幡平田沢湖一帯を名勝地指定にと願う県の要請で、 文部省嘱託名勝調査委員脇水鉄五郎、 国府種徳星頼,一一年の十和田湖国立公園指定後も、 八幡平の編入運動はいよいよその高まりをみせていく。
鹿角市史 第3巻 下 (0403)

楚人冠の落馬昭和九年、 八幡平高原と温泉郷の宣伝に努めていた関直右衛門は小坂町中村次郎、 花輪町根巾吉蔵,らと相談し、 当代一流の記者杉村楚人冠を湯瀬温泉に招き、 八幡平登山をしてもらう計画をたてた。,一二〇人程出席、 ほとんどは翌日十和田湖を探勝して帰ったが、 楚人冠は直右衛門院議長らの強い勧めで八幡平,事の次第はそれだけであったが、 この事故はたちまち国内はもとより海外にまで「湯瀬発、 楚人冠八幡平,秋田県八幡平と湯瀬は瞬く間に天下に知れわたったのである。
鹿角市史 第3巻 下 (0655)

乗降客の著しい減少は、 各駅共に見られるが、 特に八幡平駅に顕著にあらわれている。,国立公園の入口として小豆澤駅から八幡平駅に名称を改めた三二年()三〇年代は、 観光シーズンには利用者,三五年一二月一日には無人駅の陸中大里駅が、 地元八幡平村の陳情により開業した。,四一年一〇月一日には急行「八幡平」が、 秋田・盛岡間の運転を開始した。,五七年一一月一五日より無人駅となった八幡平駅は、 その後駅舎を改造して喫茶店「たびだち」を開業している
鹿角市史 第1巻 (0187)

それでも幸い八幡平の山岳地帯の鳥類については、 近年数回にわたりその分布の実態調査が行われているので,〓八幡平の鳥類相ハ幡平後生掛地区発電所計画に伴う学術調査の一環として、 昭和四十四・四十五年の両年にわたって,秋田大学小笠原暑氏によって八幡平に生息する鳥類についての調査が行なわれ「八幡平の鳥類相」としてまとめられている,この調査は八幡平の山頂付近、 フケの湯・後生掛温泉・大沼付近一帯、 及び玉川温泉付近など、 主として
鹿角市史 第5巻 (0380)

一花輪上中島に日本キリスト教団花輪教会が建つ一〇· 一二八幡平村曙農協、 花輪駅前農業倉庫落成式行,一二 ·八幡平玉川鉱山 (硫黄) 操業を休止す。,四·二五従来の十和田·八幡平両観光協会を発展的に解四 ·消し、 一本化,の十和田八幡平観光協会が発足す。,五·二九旧一の渡橋現八幡平橋竣工し渡初め式を挙行。
鹿角市史 第3巻 下 (0401)

鉄道が全通し、 湯瀬駅、 小豆沢駅と開業するのを見た直右衛門は、 山間僻村の故郷湯瀬が十和田・八幡平観光,五代直右衛門の構想は、 青森より八甲田-蔦温泉-国立公園十和田湖-湯瀬温泉-八幡平-玉川温泉-田沢湖,八幡平を国立公園区域に編入させたいとの願望は殊の外強く、 組織された秋田県観光協会の八幡平支部長に就任,国立公園委員、 日本風景協会等への陳情を繰返し、 関係の名士を春秋二回山水楼などに招いて懇親会を開き八幡平
鹿角市史 第1巻 (0412)

②飛鳥平遺跡(遺跡番号〓8)鹿角市八幡平字飛鳥平一四②飛鳥平遺跡(遺跡番号〓8)鹿角市八幡平字飛鳥平一四立地陸中大里駅,の林〓遺跡(遺跡番号〓9)鹿角市八幡平字北の林六五立地陸中大里駅北東約一キロメートル、 北林山の西、
鹿角市史 第3巻 下 (0406)

同三五年玉川、 大深、 後生掛、 蒸の湯、 藤七の各温泉は「八幡平温泉郷」として国民温泉の指定,三八年一二月、 大沼国有林に「ブナ森国定スキー場」が開かれ、 冬の八幡平をスキーヤーに開放した。,また三七年トロコから蒸の湯に至る八キロメートルの、 秋田県初の有料道路が総工費一億円で完成、 八幡平樹海,をめざし、 岩手県と結ぶ有料道路に延長「山明治岳起伏多ク巨万ノ金額ヲ要シテモ車道ノ望ミナシ」と記録された八幡平
鹿角市史 第5巻 (0574)

能代能代川能代湊野尻野田〔岩手県〕野中堂野辺地〔青森県〕ハ羽黒山〔山形県〕長谷川(村)八戸八(鉢) 巻山八幡平,〔小平〕八幡平〔末広〕八幡平八幡平温泉郷八幡平高原八幡平頂上八幡平橋八幡平村八幡堂〔草木〕八森〔山本郡
鹿角市史 第5巻 (0398)

年大学紛争が起きる五 ·五 ·六 ·七·鹿 角関係関係事 項出 典八幡平湯瀬地内雪崩防止,八·一七八幡平村成人式を八幡平登山天幕夜営で行う。,八 ·八幡平有料道路竣工開通す。,一〇·二七県営八幡平発電所の竣工式を行う。
鹿角市史 第3巻 下 (0395)

三、 八幡平の観光開発奥羽アルプス八幡平八幡平は秋田・岩手両県にまたがりアスピーテ状の山容を呈する大火山高原,八幡平温泉郷と呼
鹿角市史 第4巻 (0282)

観光面の利用日然景観の美しさと、 十和田八幡平国立公園をひかえているという立地条件に恵まれた鹿角の温泉,最近では八幡平オートキャンプパークも完成し、 レジャー施設も充実してきた。,八幡平温泉郷は蒸ノ湯、 後生掛、 玉川などそれぞれの特色を生かして、 湯治や身体保養と八幡平観光
鹿角市史 第3巻 下 (0591)

三三年における米多収穫競作会で八幡平村小板橋佐吉が農林一号・反当玄米量六五〇キロ一四石三斗三升余をあげ,はその目標にとどいた集団はなかったが、 近い収穫をあげ地域賞をうけたグループに花輪町東町部落、 八幡平村谷内,四三年の地域賞は十和田町五軒屋五石会、 花輪町東町部落会が、 四四年の地域賞は八幡平村川部稲作研究会第二班,また四五年は稲作近代化集団報賞として、 特別賞に花輪町東町営農研究会、 地域賞に八幡平村川部稲作研究会第二班
鹿角市史 第1巻 (0088)

のものと、 火山関係のものとに二大別されるが、 八幡平の泥火山は、 火山性のうちでは、 わが国最大規模,火山地帯である鹿角には温泉が多いことは前節でもふれたが、 八幡平火山のいぶきは、 数多くの噴気孔や,中心帯(a帯)…硫気孔・酸性温泉・イオウ鉱床第5表八幡平の火山活動と噴出物の性質
鹿角市史 第1巻 (0188)

鳥獣保護区を中心としてその周辺を含む地域の鳥類分布調査を行なっているが、 昭和五十四年度と五十五年度には八幡平地域,昭和五十五年度調査(第〓回一、 調査コースと時期○ふけの湯~長沼(四〓)六月十口○八幡平頂上~長沼(,五〓)七月二十一日〇八幡平頂上~大深山荘(八〓)八月十九日○後生掛~玉川(七〓)九月二十四日○五十曲~
鹿角市史 第5巻 (0381)

ガット総会東京で開催一二月南極条約ワシントンで調印この年カミナリ族横行同岩戸景気といわれる七·八幡平村長嶺土地改良区解散,三八幡平国立公園玉川·後生掛·大深·ふけの湯·九·藤七各温泉厚生大臣,一一·二〇八幡平村内の電話四局を一本化し八幡平局とす一二·一五鹿角農協会館ならびに
鹿角市史 第5巻 (0387)

了承衆議院議員選挙日米初のテレビ宇宙中継実施この年火力発電が水力発電をしのぐ同「こんにちは赤ちゃん」流行四·八幡平後生掛附近,五 ·七八幡平村一ノ渡頭首工完成、 落成式が行われた。,一一·二三八幡平観光開発協議会が発足す。,鹿角タイムス北鹿新聞一二·一二·八幡平大沼にブナ森国定スキー場が開かれた。
鹿角市史 第1巻 (0068)

第二節地質と資源一、 八幡平から貝化石-地質とおいたち-昭和四十九年(一九七四)、 八幡平・玉川街道,また、 その十年ほどまえ、 県営八幡平(旧熊沢)発電所の水路掘さく中にも、 同様の貝化石がみつかっている
鹿角市史 第1巻 (0156)

八幡平の大場谷地泉から八キロ程で曽利滝に達するが、 この辺では急崖にキタゴヨウの巨樹が多くみられる。,湿原内には、 ミズバショウ・ワタスゲ・エゾノリュウキンカなどの湿原植物が豊富で、 初夏の頃には、 八幡平,〓硫気孔原の植生八幡平には後生掛やふけの湯などのように温泉地が多いが、 こうした場所では、 火山活動
鹿角市史 第5巻 (0436)

、 ノーベル医学生理学賞受賞決定同同国の大規模リゾート整備構想に田沢湖·阿仁·八幡平地域選,モトクロス大会第五回ノースランド十和田同六 ·杯が大湯大清水会場で行われ八五台が参加した 同八幡平地区連合婦人会,七·一六八幡平熊牧場が開園した。,七·二三切留平地区の鹿角市八幡平山麓温水プールが完広報かづの鹿角タイムス広報かづの鹿角タイムス
鹿角市史 第1巻 (0045)

)跡…一十大日堂舞楽の中の五大尊舞…一八恩徳寺阿弥陀三尊…一九旧尾去沢鉱山坑道と地質鉱床断面図…二〇八幡平,建武元年三月廿一日陸奥国宣……二四同・建武五年五月十一日浅利清連注進状…二四第一章鹿角の自然【写真】グリーンタフ露頭(八幡平桃枝,)…古生界の地層(八幡平湯瀬)八八幡平の貝化石(玉川街道の露頭から)…一六盛況時の尾去沢鉱山…二六後生掛
鹿角市史 第1巻 (0085)

その新しい一つの火山裂隙である、 いわゆる那須火山帯に属する八幡平火山群もその典型例であって、 その,そして八幡平火山群は、 その海成層のうえに、 一そうの多彩さを加えるべく、 さながら、 アコレーションケーキ,八幡平火山群は、 標高一六一四メートルのいわゆる八幡平を中心に、 東に岩手山(二〇四二メートル)、
鹿角市史 第5巻 (0385)

三 ·宮川·曙両共済合併八幡平農業共済組合となる。,鹿角タイムス北鹿新聞同鹿角タイムス同鹿角時報秋北バス資料六 ·一秋北バス、 八幡平玉川·,六·一五八幡平有料道路(トロコ·ふけの湯間) 樹海ライン、 トロコにて知事臨席のもとに,七·一八十和田八幡平と陸中海岸姉妹公園になる。
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