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鹿角市史 第2巻 下
(0068)
一、 九月廿三日、
北九兵衛
ニ知行所大湯村、 古来一日市立候処、 段々町及困窮市立兼相止候、,大湯村一日市再開の許可を与えられた天和二年は、
北九兵衛
が大湯へ知行替になった寛文五年(一六六五)から,ただ
北九兵衛
は同じ給地である稗貫郡関口村に、 寛文八年六月七日市を立てることを願いでて許された(〓「
鹿角市史 第2巻 上
(0079)
天山堂文書は、 毛馬内代官日戸重内・岩館五郎右衛門が、
北九兵衛
の家士宮野掃部・汲川佐左衛門に大湯御館井,大湯城を預かる
北九兵衛
宣継は、 松斎の三男直継を祖とする支流ながら、 藩命により先祖の位牌を守○家筋
鹿角市史 第2巻 下
(0070)
大湯とその近在は、 山菜類や野菜類の出物が多く、 元文三年書上には前掲
北九兵衛
分のほかに、 草木村
鹿角市史資料編 第3集
(0009)
御序之節御竿御通被下度奉願候、 当年五ケ一も貸上候ニ付旁御訴申上候、 此段宜被仰上被下度頼入存候以ト元文二巳年九月朔日
北九兵衛
御目付中乍恐奉願上事北留私知行所近年打續不作仕,以御慈愛一願の通被仰付被下置候ハゝ難有奉存候、 右之趣御序之節可然様御披露奉願候以上元文二年閏十一月
北九兵衞
中野吉兵衛殿漆戸主膳殿
鹿角市史 第5巻
(0053)
御当家御記録慶長一五(一六一〇)一月 八戸根城々主南部政栄が没する一〇月
北九兵衛
が千石知行す二·
鹿角市史 第2巻 下
(0385)
とあり、 その三年後の元文三年(一七三八)『諸士知行所出物諸品並境書上』
北九兵衛
大湯村の分には、
鹿角市史 第5巻
(0078)
八·八戸藩分地にともない
北九兵衛
宣継小軽米村より大湯村など一二村へ替地、 大湯城を預かる。
鹿角市史 第5巻
(0107)
大湯村館神社、
北九兵衛
再建すという。
鹿角市史 第5巻
(0115)
同同同大湯村村杉大明神
北九兵衛
再建す。
鹿角市史 第5巻
(0055)
社寺明細帳元和四(一六一八)一〇月
北九兵衛
に対し一、 九五〇石の知行定めるこの頃毛馬内三左衛門遠野横田城代
鹿角市史 第5巻
(0207)
となる五月イギリス人ゴルドン浦賀に来て貿易を求めるこの年盛岡藩の重臣五家八戸弥六郎、 中野筑後、
北九兵衛
鹿角市史 第2巻 下
(0063)
百性共蒲はゞき仕出申候」等とみえ、 、 毛馬内町三丁御座候、 馬継ニて中野吉兵衛知行花輪町、
北九兵衛
知行大湯町
鹿角市史 第2巻 上
(0174)
一、
北九兵衛
(二、 一五〇石)・大湯村・風張村・宮野平村・腰廻村・根市村・倉沢村・古川村・浜田村
鹿角市史資料編 第32集
(0032)
付此度其方へ古人役被仰付、 地方ニ御直シ被遣候全可令知行者也元禄八年九月十日桜庭十郎右衛門漆戸甚左衛門
北九兵衛
石田仁五郎方右
鹿角市史 第5巻
(0091)
、 盛岡城廻り北上川より東郡山東根通大迫まで検地行う同 藩、 紫根その他諸運上同の書上をなす同
北九兵衛
宜継
鹿角市史 第5巻
(0135)
七·二一大湯沼久保のめつけ先般
北九兵衛
田屋の放火の件白状す。
鹿角市史 第2巻 下
(0285)
つ与力大守助十郎の年貢の取立てが厳しく、 日頃の百姓に対する手当も行き届かないとして、 藩家老
北九兵衛
栄継
鹿角市史 第2巻 下
(0422)
大湯へは赤尾氏知行の時期を経、 寛文五年(一六六五)八月小軽米より
北九兵衛
宣継が入るに及んで、 大圓寺
鹿角市史 第2巻 上
(0128)
この中にあって、
北九兵衛
は九戸郡小軽米村他の一、 一八二石三斗四合を鹿角郡大湯村、 風張村等一二
鹿角市史 第5巻
(0199)
入港薪水強要この年盛岡藩田名部大畑にて同 同火薬を製する盛岡藩二〇万石となる中野筑後、 藤枝宮内、
北九兵衛
藩家老
鹿角市史 第2巻 下
(0066)
兀文三年(一七三八)『諸士知行所出物諸品井境書上』の
北九兵衛
の書上分「大湯村」の内から摘記すると一、
鹿角市史 第2巻 下
(0384)
『雑書』享保二〇年(一七三五)一〇月一二日の條に一、
北九兵衛
知行所鹿角毛馬内御代官所之内大湯村ニ而下
鹿角市史 第1巻
(0554)
寛文五年(一六六五)
北九兵衛
宣継が小軽米より大湯村へ知行替ののちは汲川氏は代々大湯にあって北氏家老職用人職
鹿角市史 第2巻 上
(0246)
寛文五年(一六六五)赤尾氏は盛岡藩を去り、 小軽米より
北九兵衛
宣継が移っている。
鹿角市史 第2巻 下
(0065)
然し赤尾氏の大湯支配の期間は短く、 寛文五年(一六六五)
北九兵衛
宣継が九戸郡小軽米から知行替によって
鹿角市史資料編 第23集
(0044)
止宿翌十四日毛馬内町罷通廣増寺江遷輿仕候、 尤祭礼ハ隔年ニ仕候此段吟味之上書上仕候以上出羽ノ清原光頼弟武則(欠)
北九兵衛
小軽米
鹿角市史資料編 第23集
(0045)
申義書上可仕旨御沙汰ニ御座候間右書上候一館大湯村右館之義者赤穂又兵衛拝領仕候後御蔵ニ罷成寛文五年小軽米為替地
北九兵衛
江被下置候以来館
鹿角市史資料編 第33集
(0024)
なか二打たゝき候ヘハ、 其〓馬よりはねおり私へ大手をひろけ飛縣甲候を見候へハ見知申者ニ御座候、
北九兵衛
殿御領内関上村孫助
鹿角市史資料編 第3集
(0010)
御序之節御竿御通御改被下度奉願候、 当年五ケ一も貸上候ニ付旁々御訴申上候、 此段宜被仰上可被下頼入存候以上元文三年十月廿六日
北九兵衛
印御目付中寛保三年亥北留一
鹿角市史資料編 第23集
(0005)
広増寺社領、 月山社祭礼次第の次に、
北九兵衛
、 桜庭兵助、 赤尾又兵衛の入部の年月を記し、
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