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鹿角市史 第1巻
(0225)
ノ平〓の1〃
十和田
岡田字大道〓〃
十和田
岡田字升林〓の1〃
十和田
大湯字松木3〃
十和田
大湯字吹越〓の3〃
十和田
大湯,〃
十和田
大湯字一本木平〓〃
十和田
大湯字狐崎〓〃
十和田
大湯字狐崎
十和田
大湯字下夕屋布〓の5〃
十和田
大湯字古館,〓〃
十和田
大湯字提尻〃
十和田
大湯字提尻〃
十和田
大湯字和町〓の1
十和田
大湯字和町〓
十和田
大湯字和町〓の1,〃
十和田
大湯字沢尻〓
十和田
大湯字沢尻〓の1〃
十和田
大湯字長根外レ〓
十和田
大湯字長根外レ〓〃
十和田
大湯字長根外,レ〓〃
十和田
大湯字長根外レ
十和田
大湯字大谷地開拓〃
十和田
大湯字大谷地開拓
十和田
大湯字川原
十和田
大湯字下
鹿角市史 第1巻
(0226)
g鹿角市
十和田
瀬田石字門ノ沢〃
十和田
瀬田石字門ノ沢1〃
十和田
瀬田石字狐平〃
十和田
瀬田石字外ノ沢〃
十和田
瀬田石字中野平,〃
十和田
瀬田石字中野平〃
十和田
瀬田石字上野平〃
十和田
瀬田石字白坂〃
十和田
毛馬内字古下〓のイ
十和田
錦木字物見坂,〓・〓・〓
十和田
錦木字泉森3・4の1〃
十和田
字物見坂5〃
十和田
錦木字大畑4
十和田
錦木字野中平〓~〓・〓,~〓
十和田
錦木字申ケ野〓の1・〓の2
十和田
錦木字申ケ野
十和田
錦木字申ケ野2〃花輪字笹花〓
十和田
草木字丸館,5
十和田
草木字丸館表
十和田
草木字小坂9の1
十和田
草木字丸館表〓の2・〓の3
十和田
草木字丸館〓の3・〓の
鹿角市史 第1巻
(0233)
〓〃
十和田
山根字長者久保〓・〓・〓・〓〃
十和田
山根字田中6の1・〓の1〃
十和田
山根字柳平〓〃
十和田
山根字柳平,〓・〓〃
十和田
山根字下砂沢1の1の2〃
十和田
山根字中ノ平〓〃
十和田
山根字土手ノ上〓〃
十和田
山根字土手ノ,〓の1の2〃
十和田
大湯字関上〓の〓
十和田
毛馬内
十和田
毛馬内字寺ノ上〓
十和田
毛馬内字寺ノ上〓〃
十和田
毛馬内字高田,〃
十和田
毛馬内字下悪土〓〃
十和田
瀬田石字大坊館〃
十和田
瀬田石字中野平〃
十和田
瀬田石字上野平〃
十和田
大湯字長根外,レ
十和田
大湯字下モ大屋布〓の2
十和田
大湯字長根外レ〓
十和田
末広字上ノ野〓
十和田
末広字上ノ野〓
十和田
末広上
鹿角市史 第1巻
(0231)
第二章原始の鹿角山田上ノ岱保田〓丸館表〓枯草坂〓上ノ野〓
十和田
大湯字下夕屋布〓の5
十和田
山根字土手ノ上,〓・〓・〓
十和田
毛馬内字冷水〓・〓
十和田
山根字坂ノ上3〃
十和田
毛馬内
十和田
大湯字関上〓の〓
十和田
毛馬内字寺,の上6
十和田
毛馬内字山田上ノ岱〓
十和田
草木字保田〓
十和田
草木字丸館表〓・〓
十和田
草木字丸館表〓・〓
十和田
錦木字枯草坂,〓・〓の1・〓の2
十和田
末広字上ノ野2の7
十和田
末広字上ノ野〓の1
十和田
末広字上ノ野〓花輪字高屋花輪字高屋花輪字高屋
十和田
末広字上
鹿角市史 第1巻
(0227)
〓の1・2〃
十和田
草木字崩原〓の2〃
十和田
草木字竹柄3〃
十和田
草木字竹柄5〃花輪字高間館〓〃花輪字蛇沢,3・〓・〓の6〃花輪字雁府蛇沢〓〃花輪字本苗代〓・〓〃
十和田
末広〃
十和田
末広字上ノ野〓の1
十和田
末広字上,ノ野〓の1〃
十和田
末広字上ノ野〓の1
十和田
末広字上ノ野〓〃
十和田
末広字上ノ野〓
十和田
末広字上ノ野〓
十和田
末広字上,ノ野〓
十和田
末広字上ノ野〓
十和田
末広字上ノ野〓
十和田
末広字上ノ野〓
十和田
末広字上ノ野〓
十和田
末広字上ノ,野〓
十和田
末広字上ノ野〓の1
十和田
末広字戸羽ノ沢〓
十和田
末広字戸羽ノ沢〓
十和田
末広上ノ野〓の2花輪字高屋花輪字高屋花輪字高屋花輪字高屋花輪字高屋
十和田
末広字板橋
鹿角市史 第1巻
(0234)
9〃
十和田
草木字丸館表〓〃
十和田
草木字丸館表〓の7s
十和田
草木字丸館表9の〓
十和田
草木字水木〓の1・〓,の2・〓・〓
十和田
草木字大畑平9の2・9の3〃
十和田
草木字丸館〓の3・〓の4
十和田
草木花輪字小坂野3の,〓・〓・〓花輪字土木〓・〓・〓・〓・7の2・4・7の1
十和田
草木字丸館〓の1・2・〓
十和田
草木字丸館〓,
十和田
草木字丸館下〓の1
十和田
草木字丸館下7
十和田
錦木字野中平〓
十和田
錦木字野中平〓の1・〓・〓〓の1,〓・〓
十和田
錦木字下屋布〓・〓・〓
十和田
錦木字下屋布〓・〓・〓・〓・〓・〓・〓・〓
十和田
錦木字稲荷平〓
鹿角市史 第1巻
(0235)
高高高平平小小四上源源源平山谷鳥一枯枯鹿泉泉鹿物物物物物物物上鳥野平元館〓源田平〓源田平〓源田平〓上寺野四ツ谷向向下下ツ寺鹿角市
十和田
錦木字上野平,〓〃
十和田
錦木字物見坂〓・〓・〓
十和田
錦木字物見坂〓・〓・〓4
十和田
錦木字泉森3・4のト〃
十和田
錦木字物見坂,5〃
十和田
錦木字物見坂〓〃
十和田
錦木字物見坂〓・〓の2・〓の5
十和田
錦木字物見坂1
十和田
錦木字物見坂1,
十和田
錦木字物見坂〓の3
十和田
錦木字枯草坂〓・〓
十和田
錦木字枯草坂〓・〓花輪字鹿角沢〓・〓
十和田
錦木字泉森,6・7の2・7の3・〓・〓〃
十和田
錦木字泉森9・〓・〓〃花輪字坂下〓・〓・〓・〓
十和田
錦木字枯草坂5
十和田
錦木字枯草坂
鹿角市史 第1巻
(0232)
3、 土師時代(奈良・平安)の遺跡第三表土師時代遺跡地名表第一節鹿角の遺跡
十和田
上向字四ツ谷〓の1
十和田
上向字下四,ツ谷〓のっ
十和田
上向字下四ツ谷〓の1・〓の4
十和田
上向字神平4の1〃
十和田
山根字神平1の1・字四ツ谷〓,の1
十和田
山根字長者久保1奈良・平安奈良・平安
鹿角市史 第1巻
(0101)
カルデラの誕生これまで述べてきたように、 鹿角の地形発達には
十和田
火山による噴出物が大きく",
十和田
湖の生みの親は
十和田
火山と考えられ、
十和田
湖はこの火山活動のさなかに陥没してできた典型的なカルデラ,
十和田
火山の基盤をつくっている地層は、 西岸に広く分布する
十和田
銀山層・生出層などの新第三紀の地層である,このことから、
十和田
火山がはじまる前にすでに古い湖があったのだろうと考えられている。,
十和田
周辺はこうして噴出した溶岩のため、 凹凸のいちじるしい地形となっていた。
鹿角市史 第3巻 下
(0659)
第18表バスの運行状況(『鹿角市の統計』昭和48・57・61年度版より)方、 国鉄バスも二七年から
十和田
南線,三〇年には
十和田
東線の上田子青森県三戸郡田子子)中滝間の営業を開始した。,二九年一二月に大館市議会で「
十和田
南駅より大館駅迄を結ぶ国鉄バスの乗り入れ」が決議され、 促進運動が,大館駅・
十和田
休屋間をそれぞれ三往復、
十和田
南駅・
十和田
休屋間を国鉄三往復・秋北一往復とした。,翌年からは八幡平頂上~
十和田
湖休屋線も運行されるようになった。
鹿角市史 第3巻 下
(0381)
第五節観光、 温泉地の開発一、
十和田
湖の観光開発和井内貞行の宣伝
十和田
湖の観光を広く全国的・国際的,和井内貞行は、 鉱山を退社し養魚を志した翌明治三〇年、
十和田
湖畔における初めての旅館を銀山に開き,「鉄道案内」に、
十和田
湖景勝記事の掲載に成功している。,自ら鉄道院東部管理局に出頭して許可を得たもので、 その後同院発行の案内書には改版の都度
十和田
湖の記事,その頃
十和田
湖開発の急務は湖岸に達する道路の開
鹿角市史 第5巻
(0471)
豊臣時代史2上8酉年諸入費…割合帳(米田文夫家文書)3上41杜陵方言考2下222
十和田
(俳誌) 増田手古奈主宰,674~676 · 680 · 682 · 683 · 696
十和田
,(俳誌) 花輪俳談会3下413 · 414 · 681
十和田
北線開業60周年記念誌,4392
十和田
公民館だより3下656
十和田
村史(青森県)3上215
十和田
タイムス3下405
十和田
湖の四季,(写真集)高橋正志 3下704
十和田
湖 · 八甲田山 品川弥千江 3上215
十和田
湖放魚種及員数
十和田
町
鹿角市史 第3巻 下
(0383)
この記者団一行を
十和田
湖に招待することになった経緯と、 大湯での歓迎ぶりについて、 諏訪富多『大湯,
十和田
湖はその絶景に於て観光の何人をも感動せしめるものでありますが、 交通関係に困難をきわめ、 開発,
十和田
湖に送りました。,この記者団の来遊によって
十和田
の名声が一段と高まったことは言うまでもない。,
十和田
湖に対する全国的な声価は、 ますます上昇していた。
鹿角市史 第3巻 下
(0179)
十和田
湖岸道(新路線)七滝村休平県界より瀧ノ澤を経黒石方面の県界迄編入され、 改修区域は休平県界より,和井内養魚場迄、 及び瀧ノ澤の前後県界迄(中略)尚ほ
十和田
街道は壹萬千七百圓、
十和田
湖岸道は七千弐百圓,大正三年、 秋田県知事より内務省に申請した新県道の中にこの
十和田
両線ホと報じている(秋田魁新報、,この年の六月、 内務省の土木局技師が県道の視察のため、
十和田
湖岸道と
十和田
街道を小坂から発荷・発荷,同八年、 秋田県の道路改修計画により、 大館三戸線(来満街道)と
十和田
湖線(
十和田
街道)の改修が、
鹿角市史 第3巻 下
(0392)
待望久しかった
十和田
湖は、 昭和一一年二月一日ようやく第三次に富士箱根・吉野・大山とともに晴れて指定,鹿角時報は二月一一日付で「神秘幽すゐの
十和田
湖/国立公園に指定さる」の見出しで次のような歓喜の記事を飾,付望幾年、 我等の
十和田
湖は茲に芽出度国立公園の栄冠を荷ひ、 我国に於ける最高至上の名誉を獲得するに,二、 大湯温泉
十和田
とともに明治四〇年代に入ると
十和田
湖遊覧者が目立ちはじめ、 その探勝基地として,近来
十和田
湖の名が天下に周知されてきたのと、 小坂鉱山水力発電所四カ所と不老倉鉱山の開発に加え、
鹿角市史 第1巻
(0121)
『
十和田
科学博物館』2号一九七六内藤博夫「秋田県花輪盆地および大館盆地の地形発達史」『地理学評論』〓-,〓一九七〇-「秋田県米代川流域の第四紀火山砕屑物と段丘地形」『地理学評論』〓-7一九六六大池昭二「
十和田
火山,は生きている」『国土と教育』〓号一九七四「
十和田
火山東麓における完新世テフラの編年」『第四紀研究』〓-,」『東北大地質古生物研究』〓号一九七一佐藤博之「秋田県小坂附近における
十和田
カルデラの軽石流堆積物」&,』一九七・藤原健蔵「米代川流域の河岸段丘と
十和田
火山噴出物との関係」『東北地理』〓-2一九六〇藤岡一男
鹿角市史 第3巻 下
(0178)
鹿角関係では、 来満街道は、 大湯上ノ湯から青森県境間、
十和田
街道は、 大湯から銚子の滝間、,
十和田
湖岸線は、 休屋から黒石寄りの県境間と休屋から和井内間であった。,この内、
十和田
街道・
十和田
湖岸道は、 田沢湖街道・増田街道と共に初年度中に完了するものとされた。,観光道路としての性格の強い
十和田
湖の道路について秋田魁新報にも、
十和田
田澤の名勝地に對するものは左,の如し
十和田
街道(新路線)大湯より七滝村發荷迄編入され改修区域は大湯より銚子の瀧迄
鹿角市史 第5巻
(0384)
広報おさりざわ五 ·
十和田
振興農協と
十和田
町農協の合併決まる。,同 同鹿角時報組合病院五十年史七·二五
十和田
農協、 総会において解散を承認す。,九·二〇国鉄バス
十和田
南線が大館駅を基点に運行、 秋北バスと相互輸送開通式を大館駅頭で行う,鹿角タイムス同大館市史秋田魁新報同·一二両陛下、
十和田
町役場ご休憩ののち
十和田
湖へ。,同同·一三両陛下、
十和田
ホテルご出発、
十和田
南駅より一〇·御召列車にてお帰
鹿角市史 第3巻 下
(0585)
これに対し三一年二月、 大湯町は、 今後の観光開発計画に
十和田
湖の存在を不可欠と考え、 改めて郡北三,カ町(
十和田
、 大湯、 小坂)合併の申し入れを行った。,これに基づいて県は翌三一年一月
十和田
町に編入することを適当とする分町勧告をなし、
十和田
町では二月に,山根地区の
十和田
町所属は、 三月二〇日政府告示の官報登載をもって発効した三一年八月、
十和田
町議会,九月二七日県議会本会議において「鹿角郡
十和田
町及び大湯町を廃しその区域をもって
十和田
町を置く」議案を可決
鹿角市史 第3巻 上
(0277)
第1図和井内貞行の養魚場この頃までに貞行が
十和田
湖に放流した魚は、 次の通りである()。,和井内貞行・明治三九年四月「
十和田
湖放魚種及員数」
十和田
図書館所蔵鯉児八二、 六〇〇尾明治〓~〓年迄,〇〇、 〇〇○尾明治〓~2一石明治〓年〓月中八郎潟より移殖蝦一石明治〓年〓月中貞行はその後も養魚や
十和田
湖
鹿角市史 第3巻 下
(0384)
六付秋田顕勝会や新聞はしきりと県民の奮起を促している結果として投票順位では一位富士五湖、 二位菅沼、 三位
十和田
湖,であったが、 審査会では湖沼の部の第一位に
十和田
湖が推薦された。,この「
十和田
湖日本新八景当選記念碑」は、 昭和六年諏訪富多、 高木新助、 和井内貞時が発起人となって,
十和田
道秋田県側から
十和田
湖へ入る観光路には、 古くから二つのルートがあった。,大湯道の改修は大正元年に毛馬内大湯間の新道路(中野・関上経由)の完成につづき、 同三年には
十和田
顕勝道路
鹿角市史 第5巻
(0403)
広島原爆慰霊碑参拝県知事小畑勇二郎当選県議会議員選挙沖縄返還協定粉砕ゼネ同スト集会国土開発幹線道計画に
十和田
,二 · 二二
十和田
町外一町土地改良組合(中通) 解散式。,北鹿新聞同
十和田
町報四 ·一花輪町金融団による花輪手形交換所開設さる。,五·一九
十和田
町黒森山で県植樹祭行われる。,
十和田
町報387
鹿角市史 第1巻
(0109)
十和田
(三本木第20図
十和田
完新世火山灰の分布(その1)(大池昭二・1972による)注8〈南部軽石・中掴軽石,〉大池昭二の
十和田
火山東麓における「完新世テフラの編年」(一九七二)によると、 中央火口丘成立以降の,二の倉火山灰層南部軽石層中趣軽石層
十和田
b降下火山灰
十和田
a降下火山灰このうち南部軽石は橙色~黄〓色の,
十和田
湖周辺から上北地方中部一帯に広く分布する。
鹿角市史 第3巻 下
(0036)
第五節観光、 温泉地の開発…三二九一
十和田
湖の観光開発…三二九和井内貞行の宣伝、 宣伝広まる、,
十和田
道、
十和田
観光客、 施設の整備、 国立公園指定二大湯温泉…三四(
十和田
とともに、 大湯
鹿角市史 第3巻 下
(0194)
同六年、
十和田
顕勝道路の新規改良工事が、 工費五万円で行われることになった。,同七年、 小坂町と
十和田
湖岸大川岱を結ぶ
十和田
湖岸道路(細越・濁川・西ノ又を経由)が、 十カ年継続事業,同八年、 大館から
十和田
湖への道路を完成させるために、 大館町では三〇〇円の運動費を支出している。,これで、 秋田県側からもバスで
十和田
湖観光が、 出来るようになった。,さらに翌一一年、 秋田県では前年八月の水害による道路の破損を改修するため、 中瀧・
十和田
湖間を舗装
鹿角市史 第3巻 上
(0242)
ける利便を南北各地均一にするため、 寺坂道・
十和田
道改修の必要性を強調している。,そして同時に、
十和田
顕勝道路の開鑿をも進捗させることとなったのである。,
十和田
顕勝道路明治前半における
十和田
湖は、 ごく少数の探勝の旅人のほかはほとんど小坂村から鉛山峠(青龍大,を経て
十和田
銀山へ往来する人々と、 大湯から白沢シオフキ峠を越え
十和田
神社(権現へ参詣するための人たちに,四三年通常県会において「
十和田
湖畔に通ずる
十和田
街道改修費補助」に閉して県を鞭達する意見が出された。
鹿角市史 第3巻 下
(0706)
また、 花輪公民館の他に、 八幡平・尾去沢・
十和田
各公民館においてもかるた大会やかるた教室が開かれるようになった,
十和田
公民館だより(
十和田
公民館)
十和田
公民館では、 毎月一回欠かさず『
十和田
公民館だより』を発行し,、
十和田
地域の全戸配布を続けている。
鹿角市史 第3巻 下
(0390)
囘四年内務省は一六ヵ所の内から第一次選定地域として箱根・富士・日光・上高地・温泉岳・
十和田
湖の六カ所を,翌五年第一回国立公園調査会が開かれた時点では、 指定は三カ所乃至五カ所と観測され新聞は
十和田
湖は決定的,しかしその後運動は変化をみせ、 男鹿部一〇カ町村から県に対し
十和田
湖に男鹿半島を包含した国立公園設置,の陳情が出たため、 鹿角郡町村会はこれに八幡平をも包含した運動にすることを決議、
十和田
・八幡平・,この間の事情について鹿角時報は、 当初鹿角郡町村会は
十和田
湖に八幡平を加えた陳情書を提出すべく豊口会長
鹿角市史 第3巻 上
(0274)
これらの人達は、 三浦泉八のように
十和田
鉱山へ薪炭・食糧等を宇樽部からキッチ(丸木舟)で提供することを,業とした者、
十和田
鉱山長の飯岡政徳など、
十和田
湖に直接かかわりを持った者が多い。,和井内貞行もまた
十和田
湖の居住者であった。,これらの人々には、 増加した
十和田
湖居住者の生活を支えるという必要感が、 その根底にあったであろう,いずれにせよ鹿角郡長の放町史』流は、 行政者としての立場から一歩踏みこんで、
十和田
湖養魚に一臂の
鹿角市史 第3巻 下
(0662)
この間に安代・
十和田
ルートに八幡平の長谷川・曙地区を通すよう請願もあったが、 実現には至らなかった。,さらに四七年一一月二七日に八幡平・
十和田
間、
十和田
・碇ケ関間の路線発表があり、 五一年二月一二日,に字代・八幡平間並びに八幡平・
十和田
間を改めて路線発表した。,日本道路公団仙台管理局
十和田
省理事務所提供の資料による安代-鹿角八幡平-
十和田
-小坂-碇ケ関中心杭設置五一年六月
鹿角市史 第3巻 下
(0193)
2観光道路の整備
十和田
顕勝道路の改修ながい間発荷峠までしか自動車の通行が出来なかった
十和田
顕勝道路は、,これにより
十和田
湖観光の便がさらによくなり、 観光客の増加につながった。,また、 この年に小坂・毛馬内の有志が県に対し、 砂子沢温泉から鉛山峠を越えて
十和田
湖へ達する新道の,同四年には
十和田
路線に道路警戒標を建てて、 安全通行をうながしている。,同五年に大湯
十和田
間の道路改良工事が、 工費二万三、 〇〇〇円で行われた。
鹿角市史 第3巻 下
(0385)
同年新装なった毛馬内駅は
十和田
湖の玄関駅として新たなスタートをきることになった。,なお冬の
十和田
湖へ国鉄バスが運行を始めたのは、 のちの昭和四三年一二月一日のことであった。,
十和田
観光客東都記者団一行のにぎやかな遊覧の翌明治四三年、 和井内貞行は『鹿友会誌』第拾参冊)に「
十和田
湖,一、 昨年中の遊覧団体例年
十和田
湖観覧者は、 四月中旬より諸学校生徒の修学旅行あり、 五月は遊客至,大館中学校秋田中学校秋田師範校秋田工業学校盛岡中学校盛岡高等農林学校一ノ関中学校福岡中学校東北帝国大学(中略)諸学校生徒千余名
十和田
神社参詣信者千五百名普通遊覧者弐千名内団体五百余名外国人弐十名二
鹿角市史 第3巻 下
(0185)
また、 客の求めに応じて、
十和田
・不老倉・湯瀬・盛岡まで往復するものであった。,曲田慶吉著『鹿角郷土史』によれば大正九年六月此の山本氏、
十和田
湖をして天下の
十和田
にするには、,(中略)そら
十和田
に向かったのである。,翌一〇年の状況は、 毛馬内の内藤順吉の
十和田
遊覧自動車会社(
十和田
自動車会社)では、 毛馬内駅に二台,鹿角乗合自動車営業組合は、 六人乗り四台で毛馬内駅を起点として大湯温泉・花輪・小坂などまで、 また
十和田
行
鹿角市史 第3巻 下
(0389)
し田村博士にも親敷面語の上
十和田
湖の同計画に好適地たる事を縷々詳述したれば近き将来に於て其の実現を疑はざるも,(以下政同年六月、 本多静六林学博士が脇本、 草野両理学博士と視察のため来湖、
十和田
湖を理想的国立公園,にするためまず
十和田
湖沿道樹木の伐採禁止、 開墾の見合せ、 遊覧船の設備、 別荘の建築等の必要なことを,同年八月には国立公園主任の田村博士は「
十和田
湖は東北代表」との見解を述べている秋田魁、 大一四・八・,、 阿寒湖(北海道)九、 霧島山(宮崎)一〇、 小豆島(香川)一一、 大山(鳥取)一二、
十和田
湖
鹿角市史 第3巻 下
(0393)
昭和に入ると
十和田
湖来訪の客は飛躍的に増加し、 大湯に宿泊する人数も増えていった。,皇族や政府高官の宿泊も多くなり、 その大がかりな応接ぶりは例えば昭和六年に国際観光局委員一行が
十和田
湖視察,著名人の
十和田
湖の感想や、 国立公園への展望、 調査経過等の多くは大湯の会見場で語られ全国に報道された,大湯の都市計画昭和三年一一月大湯村は
十和田
湖秋田口関門の発展をめざして、 町制を施行した。,大湯新町長谷地政民は、 その式辞のなかで「本町は
十和田
湖往環道路の関門を扼し
十和田
風景の普美又よく我国
鹿角市史 第3巻 下
(0400)
曙村長、
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会の立山弟四郎、 大湯諏訪富多、
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和井内貞時に、 仙北の田沢、 桧木内,、 西明寺などの町村長を加えて八幡平編入運動の発起人会が湯瀬温泉で開かれ、
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湖国立公園地域拡張期成同盟会,ついで内務省藤原保健課長も来訪し、 資格については充分としながら「これが
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湖ともう一〇里近かったら,その後の情勢は、
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湖の国立公園指定がもはや時間の問題となったこともあり、 八幡平について国の,一一年の
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湖国立公園指定後も、 八幡平の編入運動はいよいよその高まりをみせていく。
鹿角市史 第3巻 上
(0273)
三、 和井内ますと勧業指導
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湖の養魚
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湖の養魚事業の先達としてヒメマス放流の和井内貞行が著名,青森県古くは安政二年(一八五五)に、
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村(上北郡・角久平等が銚子大滝の下流でイワナを獲り、,子の口へ放流したという記録がある(品川弥千江『
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湖八甲田山』東奥日報社』。,一二年頃
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鉱山山長飯岡政治が鯉一万尾フナ若干を放流、 一五年七月に青森県五戸町の三浦泉八が鯉・イクナ,一八年には
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鉱山所長・飯岡政徳と大湯村・千葉旅
鹿角市史 第1巻
(0110)
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b. -a降下火山灰の等層厚線図(cm)a.
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a降下火山灰, b-A.,
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b降下火山灰下部(粗粒浮石密集部)注9〈大湯軽石>注9〈大湯軽石〉大湯軽石層(大湯浮石層),キロメートルの大湯川にのぞむ風張台地(関上面)上にある大湯環状列石を調査した藤岡一男・佐藤久(一九五三)は
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軽石火山灰,また大池(一九七二)は青森一帯に分布する
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a降下火山灰が大湯軽石と連のものであり、 約一〇〇〇年前
鹿角市史 第3巻 下
(0634)
・・一・一七付四年郡内五カ町村が健康を守る特別地区として、 厚生省から結核対策推進地区に指定された
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町報,また同年
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町では健康で明るい町づくりを目指して、 保健協力員八七名を委嘱している
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町報、,三九・八・一付これらの活動の成果により、
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町では四一年結核検診、 患者管理など結核対策推進優良町,として、 財団法人結核予防会から表彰された
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町報、 四一・五・一付)が、 四〇年度の検診率は
鹿角市史 第3巻 下
(0597)
四二年第一五回全国りんご研究大会が鹿角郡に開かれ、 その園地視察が
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町内野地区、 同関上地区、,に増加しているのは、
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高原の開拓農家がいっせいに酪農経営に転換をみたからである。,その山腹畜産の四一年のモデル地区に、
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町高清水団地が指定された。,四二年四月に設立された
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畜産組合は、 字二倉に大規模なブロイラー養鶏場をつくった。,三七年の東北六県畜産共進会における種馬の部で
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町大森栄太郎「福姫」がみごと金賞に輝やいたことは、
鹿角市史 第4巻
(0877)
大2鹿角へ来遊し、
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湖伝説を調査する。,(高橋強『
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湖開拓の恩人・和井内貞行翁伝』)大5・5・〓
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湖訪問。,これは『マタギの部落』『
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権現の出生』という文章となる。 大〓『雪国の春』発表。,(湯瀬から県境の才田の村)昭〓・6
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など各地の鳥の声を聞く昭〓・4・〓佐々木彦一郎死去。,
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湖を通って五所川原に出る。 昭〓・9・〓木曜会で「秋田県鹿角郡の話」をする。
鹿角市史 第1巻
(0105)
この時の火山灰は、
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湖の東側・岩手県北部~青森県中部一帯に降った。,シラス洪水と
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湖伝説大湯軽石の噴出直後、 毛馬内火砕流が流下したことが最近の研究(平山・市川一九八六,一方、
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湖には昔から有名な八郎太郎の伝説がある。,大蛇に変身し、
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湖の主になった八郎太郎が、 修業巡歴の末、
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湖を永住の地と定めた南祖坊,との激しい闘いに敗れ、
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湖を追われて、 米代川を下って八郎潟へ逃げていくという物語である。
鹿角市史 第3巻 上
(0243)
翌四四年通常県会では、 四五年度予算に前年より継続の
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道路改修補助を計上している。,また四四年一一月の新聞は「本月六日開会の鹿角郡会は(中略)郡債借替(
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街道開修費補助金)の件は二名,秋田魁新報・明治四四)年一一月一七日付同年の『鹿友会誌』(第三冊)には「
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湖の近況」と題して、,大湯温泉より
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湖に致る道路開修丁事も又同じく着手する事となり、 何れも明治四十五年迄継続落成の筈,内毛馬内
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間は、 馬車人力車の通行に差支なきが如し。
鹿角市史 第1巻
(0221)
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火山群を源とする降下火山灰は、 主に青森県や岩手県北部に多く堆積している(第一章第三節)。,縄文時代早期前葉)、 南部軽石(縄文時代前期中葉)、 中〓浮石(縄文時代中期後葉~後期前葉)、
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,b降下火山灰(縄文時代晩期後葉~弥生時代前期)、
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a降下火山灰(平安時代中期~末期)があげられる,このうち鹿角地方と関連あるものは、
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a降下火山灰である。,大池昭二氏は「青森県の
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a層が大湯浮石層と一連のものであり、 約一〇〇〇年前の噴火によって噴き上
鹿角市史 第3巻 下
(0645)
これにあわせ、
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町では交通指導車二台を配置し、 交通安全指導四四・五・一付に一層の成果をあげていた,広報
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、 四五・一一・一付隊員)。,
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町では四二年、
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高校前、 松ノ木交差点に一時停止、 注意進行を示す赤黄点滅式信号機を,取付けた「町報
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、 四二・一〇・一付)。
鹿角市史 第3巻 下
(0648)
巾発足にともない、 市消防本部、 市消防署、
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分署が設置され、 消防本部四名、 本署一八名,担当区域は第一方面花輪地区)、 第三方面八幡平地区)、 第四方面尾去沢地区)を本署が、 第二方面
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地区,)を
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分署が受持つこととなった元花輪町発足当初、 消防本部・本署は花輪下中島)に、 分署は毛馬内上陣場元
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町消防署
鹿角市史 第1巻
(0030)
第四節鹿角市の気候六九第三節地形発達史…四一段丘の形成四一二
十和田
湖の形成史-激しかった
十和田
火山の噴火,-四八カルデラの誕生、 シラス洪水と
十和田
湖伝説三氷期と段丘六〇河岸段丘、 段丘の構成物四まとめ…
鹿角市史 第5巻
(0518)
ともしだけ)トラック鳥居平遺跡取替木綿取子取立て鳥野遺跡泥火山トロコ温泉·トロコ硫黄山トロロ飯
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鉛山
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街道
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郷土文化振興会
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銀山
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顕勝道路
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高等学校
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小学校
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商工会花輪文庫
鹿角市史 第3巻 下
(0535)
)藤ノ岱地区(
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大湯、 地区面積九五〓・耕地面積二五〓)二二年地元二・三男主体に二〇戸が、 一戸平均四,○大谷地地区(
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大湯、 地区面積五四〓・耕地面積一七〓)二二年近傍農家二・三男一五戸、 平均三,○
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地区(
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大湯、 地区面積一、 三二三〓・耕地面積三六五〓)二二年より二六年にかけ新潟・,○熊取平地区(
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大湯、 地区面積三一五〓・耕地面積八八〓)二六年山形県出身主体に三〇戸、 平均六,○砂派地区(
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草木、 地区面積八六〓・耕地面積四三〓)二二年地元二・三男一八戸、 平均三・一〓
鹿角市史 第3巻 下
(0584)
昭和三〇年県議会一月定例会の最終日三月二〇日に、 毛馬内町・錦木村を廃し
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町を置く議案が可決された,大湯町は北部に広大な
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高原をもつなど林産・鉱産資源にも恵まれ、 ての町域二四一平方キロメートル余,町内にはかねてより、 地域発展のためには
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湖、
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高原、 大湯温泉等の観光・保養地を中心,にすべしと主張する有識者も多く、 その観点からすれば、 当時七滝村域の
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湖を含めた四カ町村の地理的,大湯町が役場位置に固執したことには、 このような論拠があった二〇年一二月、
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町議会は満場一致
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