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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第2巻 下 (0576)

開戦前夜脳岡藩の秋田進攻における鹿角口の総大将となった楢山佐渡と向井蔵人は、 七月二七日兵を率い〓盛岡,花輪南部家『諸御用留帳』に八月朔日「楢山佐渡様、 向井蔵人様、 御官所江御着ニ相成り、 同処江旦那様一南部吉兵衛,とあり、 また同家中工藤賜の日記「鹿角市史資料編第一集』所収味)に八月朔日「御家老楢山佐渡様、 向井蔵人様上下二百人程
鹿角市史資料編 第30集 (0113)

九月廿日盛岡藩向井蔵人楢山佐渡秋田御藩御出張御隊長中様一筆致啓上候然ハ本翰得御意候儀二付陣頭ニ於テ御面会,テ可及御應接候、 右御〓可得貴意如斯御坐候以上九月廿一日秋田藩須田政三郎佐竹大和盛岡御藩楢山佐渡様向井蔵人様右,時御應接御役方ケサカケ御境迄御出役可被下、 委詳ハ其刻可及御談判候右可得御意如斯御坐候以ト九月廿一日盛岡藩向井蔵人秋田御藩佐竹大和様須田政三郎様猶以楢山佐渡儀當節土深井出張罷在候間不取敢拙者
鹿角市史 第2巻 下 (0587)

八月九日茂木竿八月九日楢山佐渡様向井蔵人様二白本文の御模様遅延に相成候ては、 各藩御申合せ期限も之れ,以ト八月茂木筑〓茂木筑後楢山佐渡様向井蔵人様戦書は南部方の開戦の意義主張であり、 筑後の返書は秋田側
鹿角市史資料編 第1集 (0079)

これ有り候様にては打入に甚だ差支候儀に御産候間油断無く厳重に御守成さるべく右御意を得候以上八月十七日向井蔵人楢山佐渡南部吉兵衛殿右,に付御出張遊ばさる可き候処御病気に付工藤友蔵を以て向井蔵人様御本陣松山村へ遣わされ御病気に付御手勢ばかり,内押被仰付尤も間道口々に至る迄油断無き様御締方の義差図致さるべく候此旨其意を得らる可く候以上八月十九日向井蔵人南部吉兵衛殿楢山佐渡右御奉書奈良織太下新田
鹿角市史資料編 第30集 (0121)

八月十七日夏山勝衛一八月廿一日夜九ツ半時より、 向井蔵人手一ノ渡リ進撃、 大館へ向相進ミ候処、,吟味取調ノ上、 追テ差越可申候得共一先申入候、 此旨被申上掛リ御役人共へモ可被申渡候以上八月廿二日向井蔵人南部弥六郎殿南部監物殿向井蔵人毛馬内九左衛門殿南部主水殿尚以味方見前徳治討死一人
鹿角市史資料編 第1集 (0035)

茂御進撃御見合可被下委詳ハ追而可及御応接候条此段不取敢得御意置候様従盛岡表申付越候以ト九月廿日盛岡藩向井蔵人楢山佐渡秋田御藩御出張御隊長中様右書翰長,におゐて可及御応接候右御報可得御意如斯御座候以上九月廿一日秋田藩須田政三郎佐竹大和盛岡御藩楢山佐渡様向井蔵人様此日又敵,時御応接御役方袈裟掛御境迄御出役可被下候委詳者其刻訂及御談判候右御報可得御意如此御座候恐惶謹言九月廿一日盛岡藩秋田御藩向井蔵人花押佐竹大和様須田政三郎様一筆致啓上候然者本翰得御意候儀
鹿角市史資料編 第12集 (0023)

楢山佐渡様、 向井蔵人様、 此元江御出ニ付、 御使者被仰付。 番ニ而詰る。,、 □楢山佐渡様、 向井蔵人様、 御官所江御着ニ相成リ、 同処江旦那様被為入候ニ付、 御供工藤源五郎
鹿角市史 第2巻 下 (0609)

敵散乱烈敷追討候處、 敵大炮三門弾薬許多捨置き散々逃去候に付、 楢山佐渡手引揚大館町外神明堂へ宿陣、 向井蔵人手,げている據守の目的これ無きに付、 当城引払之儀相決し、 新沢口より楢山佐渡毛馬内松山へ引陣、 向井蔵人瀬田石引陣
鹿角市史 第2巻 下 (0614)

以上盛岡藩向井蔵人九月廿日盛岡藩向井蔵人秋田御藩御出張御隊長中様円楢山佐渡右の停戦申入書は、 十二所口
鹿角市史資料編 第30集 (0134)

可為大不忠公私二付何事も相忍、 一向謹慎恭順ノ道無他事相守候儀、 一同へ時々諭解無懈怠可致事十二月一向井蔵人殿一讃岐殿主水殿御役儀御免一逆殿御役儀休足一御用人御家老御用承,り野々村真澄殿右石亀益人へ御預ケ向井蔵人殿朽内与兵衛殿右親類両人ツ、 附添深く謹慎御勘定奉行田頭蔵之丞沢出善平前同断深
鹿角市史資料編 第1集 (0106)

辰七月御臺所諸御役所一、 慶應四年辰八月五日花輪通江御出陳御入数南部吉兵衛殿楢山佐渡殿向井蔵人殿桜庭祐橘新渡部稲葉奥瀬内記下田物集女,無程御出勢之由相待候処夜明方石亀左司馬人数附属いたし罷通下モ新田口へ相廻同九日朝より土深井下モ新田より御討人葛原口より向井蔵人殿土深井口,ニ落城いたしといふ比節御本陳江御銅山より御使者として岡本常助被遣候処乗取候城中江御本陳を居く正面ニは向井蔵人殿左之方江桜庭祐橘右之方
鹿角市史資料編 第30集 (0104)

桂菅七郎一大小三腰具足一領鎗一本鉄砲二挺一脇差一本胴卵二ツ右発機隊中村泰五郎預り隊ニテ分捕一赤旗五本骨扇子の紋向井蔵人内印部喜平治旗持一人生捕菅友弥一脇差一本胴卵二,〓一首一級桂菅七郎一赤旗五本骨扇子の紋向井蔵人内印部喜平治一城乗左ノ通足沢左十郎七戸権兵衛一壹人討捨井上範之曲
鹿角市史資料編 第1集 (0064)

此暮少々打合有之、 三戸〓藤隼太鉄炮破裂ニ而左の腕骨砕同十一日大霜晴天昨日向井蔵人殿手小坂村江廻る。,而炮発、 役士の面々小坂村より来る九月十二日大霜晴天水沢口大敗引上日暮し峠野陣、 氷降大風雨、 向井蔵人殿袈裟懸汀出張月山後
鹿角市史資料編 第29集 (0134)

依之木場主役九市一先御返し被成候一、 昨日袈裟掛御陳所向井蔵人殿江被遣候御使者常助今晩罷帰り、 合戦,、 御台処持喜蔵病気ニ付中通又吉市遣二罷越九月十九日一、 御勘定奉行格四戸清九郎小坂御出陳、 向井蔵人殿江御見舞
鹿角市史資料編 第30集 (0005)

秋田(久保田)藩の奥羽列藩同盟違約を譴責すべく、 葛原口より進撃の釆配をとった、 盛岡藩家老向井蔵人,一方の十二所口から進軍した楢山佐渡本隊の戦闘行動はわりと多く伝えられているが、 向井蔵人の部隊については
鹿角市史資料編 第1集 (0020)

申御筋無之乍不及御同盟之向江幾重ニも周〓之致方も可有之と奉存候此段御隣好ニ付右得御意候以上八月八日盛岡中将様御内向井蔵人楢山佐渡秋田中将様御内茂木筑後様二白本文之御挨拶遅延,に相成候而は各藩申合候期限も有之ニ付御境内江致進軍候御挨拶致承知度候此日執政楢山佐渡殿向井蔵人殿此両人我主公盛岡
鹿角市史資料編 第1集 (0005)

遺烈余巻ノ一向井藏人櫻庭祐橘ノチハ爲ロヨリ〓澤内記〓發シ羽之九日ノ拂〓出羽図秋田郡内ノ地ソ〓何レモ於輪通
鹿角市史 第5巻 (0264)

楢山佐渡高屋村に引揚げ向井蔵人仁叟寺に入る九·二五盛岡兵、 全戦線からの撤収を完了す。
鹿角市史資料編 第1集 (0021)

〓持夫御家老御物書頭御物書頭御徒目付御徒目付池田覚之進玉山勇左エ門向井蔵人手勢新渡戸因幡御用之間御物書御用之間御物書御徒目付御徒目付松岡東七郎藤森万次郎御徒目付手附御同心郷導頭取奴頭取勝又官兵衛児玉善弥郷導之者拾人奴拾八人御籏壱本三人郷導頭取羽頭町羽頭取柳澤弥助木村富之助差配役工藤禎次郎惣司令役御徒目付惣司令役二番小隊小隊司令士
鹿角市史 第2巻 下 (0574)

鹿角関係について掲げると七月二四日一、 楢山佐渡向井蔵人両鹿角御境筋御警衛人数為惣司出張被仰付。
鹿角市史 第2巻 下 (0584)

しめて五品、 御手当金として金一両ずつが渡された(花輪南部家『軍中御用留帳」一方毛馬内においては、 向井蔵人
鹿角市史 第2巻 下 (0588)

花輪給人の一番手、 楢山佐渡手勢の兵計五一五人(『秋田藩江討入之日記』には五五〇人○葛原口白根を越えた向井蔵人手勢
鹿角市史 第2巻 下 (0590)

○葛原口(向井蔵人隊)〓導の者に農兵六人ホート炮に村夫一六人農兵四二人農兵三一人村夫三〇人計一二三人
鹿角市史資料編 第1集 (0073)

栗山文一郎)慶応四年八月の戊辰役(ぼしんのえき-戊辰戦争)には、 南部藩の総大将楢山佐渡、 総参謀向井蔵人以下
鹿角市史資料編 第25集 (0068)

可致事辰十月右之通此度被仰出候条此旨相心得触所限不洩様相触可申候以ト十月六日御役屋柴内村小平村上台村草木村肝入向井蔵人儀御役儀被成御免候申来候条
鹿角市史 第5巻 (0263)

八 八八 ·一楢山佐渡·向井蔵人花輪に立寄り、 毛馬内へ着三桜庭祐橘率いる四番組
鹿角市史 第2巻 下 (0575)

一、 楢山佐渡一、 向井蔵人来ル廿七日出立被仰付。 一、 桜庭祐〓明廿六日出立被仰付。
鹿角市史 第2巻 下 (0582)

人余新番組石亀左司馬・渡部萬治地儀隊計二〇三人○葛原口嚮導ほか毛馬内給人以下一〇〇余人昭武隊発機隊鳥蛇隊大炮隊向井蔵人手勢三七三人御番組頭桜庭祐橘天象隊
鹿角市史 第2巻 下 (0599)

以上八月十七日向井蔵・向井蔵人南部吉兵衛殿円楢山佐渡(『軍中御用留帳』』)
鹿角市史 第2巻 下 (0615)

○二五日楢山佐渡、 高屋村に引揚げ(『諸御用留帳』)、 向井蔵人は毛馬内仁叟寺に入った。
鹿角市史 第2巻 下 (0585)

は十二所へ討入ったものと馬を急がせ、 葛原の東四五丁の柳平に布陣した宣戦布告この前後楢山佐渡、 向井蔵人
鹿角市史資料編 第29集 (0095)

御山元より毛馬内迄通し馬ニて附越候趣申事二候得共、 花王ニて継立候事と相成候哉難分候一、 今昼御加判向井蔵人殿御舎弟清之助殿
鹿角市史資料編 第22集 (0087)

南部銑次郎様兄来又兵衛様御献立楢山益人様三方御長熨斗若間越後様三方三ツ御盃向井蔵人様こんゝ三方御取肴小田
鹿角市史 第2巻 下 (0600)

桜庭祐橘隊には、 向井蔵人より明日早朝に葛原口より討入るよう指示があった。
鹿角市史 第2巻 下 (0602)

これに対し向井蔵人からは「最早喰い付ニ相成り、 敵より頻りに炮発中、 一歩も退き難く據無く候間、
鹿角市史 第2巻 下 (0607)

向井蔵人これを聞き大館市中まで出兵せしに、 敵兵勝に乗じて進み来る。
鹿角市史資料編 第12集 (0059)

十一日御用なし御触向井蔵人御役儀御免被成候。
鹿角市史資料編 第1集 (0070)

迄押来御勢御手薄ニ付同所迄相詰候様御達一付濁川村出立夜五つ半時同所迄相詰御本陣仁兵衛内右エ門罷出候処向井蔵人様御逢此夜烈風大雨野陣
鹿角市史資料編 第29集 (0114)

援弐百人程遣候得共合戦二及候処一戦もセす逃行と申事、 大館城不残焼拂諸士町家共ニ同様、 此節味方の大将向井蔵人殿桜庭祐橘焼跡
鹿角市史 第5巻 (0493)

13812下497· 501~503あきたハイヤータクシーの三十年 3下610秋田藩江討入之日記 向井蔵人
鹿角市史資料編 第29集 (0106)

田郡安行頭岩太郎、 土深井之様子為見届御役屋より被仰付六ツ半時被遣候処四ツ時罷帰り申候、 様子ハ佐渡殿御初向井蔵人殿外軍兵共土深井村江御宿陳
鹿角市史資料編 第30集 (0105)

尓来連日苦戦遂二同重臣佐竹大和居館迄乗取得勝利候段其功無比類候、 尚兵隊働ノ甲乙吟味ノ上ニ及褒賞候条此旨一同へ可申達候慶應四年八月利剛(花押)楢山佐渡殿向井蔵人殿右御感状御役人并役司
鹿角市史資料編 第1集 (0071)

同廿二日松森御警衛同廿三日前同断向井蔵人様小坂村江御引陣被成候旨御目付戸来謙也殿達。
鹿角市史資料編 第1集 (0078)

迄罷帰る様子柄申上一、 工藤源之亟御用これ有り御引揚為代川目善右エ門被遣同十七日一、 楢山佐渡様向井蔵人様
鹿角市史資料編 第10集 (0144)

一、 向井蔵人儀加判御役被仰付旨被仰出。 七月右ニ付一統江廻紙を以相達。
鹿角市史資料編 第30集 (0127)

可申筋無之乍不及御同盟ノ向へ幾重ニも周旋ノ致方も可有之ト奉存候、 此段御隣好ニ付右得御意候以上八月八日盛岡中将様御内向井蔵人楢山佐渡秋田中将様御内茂木筑後様二白
鹿角市史資料編 第1集 (0044)

寄秋田津軽両藩急報可致候事但箱館鎮台府江茂早速申出御沙汰伺可申事十月廿二日右奥州鎮撫総督府より被仰出候ニ付時変ニ寄御謹慎中と乍申御差図茂可有之候条銘々覚悟可罷有旨被仰出十月廿二日向井蔵人殿御役御免澤田等当四月仙台江銃隊惣司令役
鹿角市史資料編 第30集 (0131)

楢山佐渡殿向井蔵人殿一別紙御書写臣利剛恐悚憂惶謹テ奉歎願候、 當春会津容保御征伐ノ砌、 奉應援ノ命凍二出兵罷有候内
鹿角市史資料編 第1集 (0032)

花押楢山佐渡殿向井蔵人殿此夜中将の公より士卒一同へ鰹節味噌を賜ふ同廿九日大工共おごせよと先の日鹿角へ言遣
鹿角市史資料編 第29集 (0137)

甚八を以申出候、 此方ハ前書相印候通打合のみニて双方共相進不申由ニ御座候九月廿日、 四戸清九郎昨日向井蔵人殿御陳処迄御越被成候所昨夜之打合之音毛馬内江
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