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鹿角市史 第2巻 上
(0605)
〓同九・五・一七五六二・八〇〇三七惣右衛門・与助・仁助〓(※は十分一役銅を代金納し全吹出銅を他領出)
四角
獄山師,ほかに川口家文書『金掘由来之事』に「
四角
嶽銅山岩田五兵衛、 享保元年野とや左兵衛」の山師名がみえる。,狼倉、
四角
嶽ともに嶮岨な山道を遡ること大湯からさらに三乃至四里以上、 その銅荷の搬出には甚だ難渋,
四角
獄銅も松山番所から他領払となっているので、 同様草木を経由していた公算が大きい。,小平は盆地東側山地のとくに旧坑の多い佐比内沢一帯の沢口に当たり、 草木は
四角
嶽西麓の谷口に位置する。
鹿角市史 第2巻 上
(0604)
延宝六年五月二日条に「一、 鹿角ノ内大湯
四角
嶽銅山、 同トワタ村台倉鉛山、 右両所奉行鈴木武左衛門,この奉行は同八年八月一三日条には「十和田
四角
嶽狼倉山奉行波々伯部小右衛門仰付けらる。,
四角
嶽銅山にかかわる他領出銅通し証文は、 『雑書』における初見が次の延宝六年一〇月二日付のもので、,、 銅千弐百拾三貫七百目、 固数百壱固大小数弐百九拾三枚、
四角
嶽銅山師仁助、 与助吹出、
鹿角市史 第3巻 上
(0503)
四角
鉱山一一年三月、 長谷川芳之助代理大江松太郎は、 細地鉱山に隣接する柴内村字中獄、
四角
嶽において,右の試掘願との関係は明らかでないが、 二六年一二月尾去沢村熊谷平治が柴内小字
四角
岳に七、 三八六坪,、 岩手県田山村切通沢小字
四角
岳に三万八、 三九二坪、 同村小字中岱に七、 二七二坪、 合計五万三
鹿角市史 第3巻 上
(0047)
地元民の借区、 一七年頃の不老倉、 坑区券をめぐる紛争、 後期の概要、 産額の変遷五細地鉱山・
四角
鉱山及,び諸鉱山…四四一めまぐるしき所管替、 一五・六年頃の細地、 変遷つづく、
四角
鉱山、 熊沢硫黄山
鹿角市史 第4巻
(0727)
〓大里の行事①オシキ刈り大里にはザイドとの関係で昔から連綿と続けられて来た、 折敷山のオシキ刈り(
四角
刈,旧七月七日、 今は八月七日の朝早く一斉に山に入って
四角
という場所で、 お駒様へ手向けるための草を刈,お盆過ぎ、 この刈り倒された跡が遠くからも真
四角
に望まれる。
鹿角市史 第5巻
(0094)
四· 一一
四角
嶽銅一三四箇松山番所改め他領へ出す。,五·七
四角
嶽銅山師越後屋惣右衛門、 鹿角にて下げ米同 同 同雑書一、 五〇〇駄買調い秋田領,八· 二
四角
嶽銅一三二箇松山番所改め他領へ出す。
鹿角市史 第4巻
(0619)
えという言い伝えがある約四〇旧暦七月七日、 八幡平大里では裏の折敷山中腹にある面積約四反歩(〓)の
四角
形,の草地アールの
四角
と呼ばれる場所の草を刈る。,これをオシキ刈りと称し、 別には
四角
の草刈とも呼び、 戸から一人ずつが出て威勢よく草刈をした。
鹿角市史資料編 第3集
(0034)
其一豊田尚太郎談不老倉鉱山の上
四角
嶽の中嶽頂上に石碑か建てられた。,早竟細路か稼かれるので
四角
嶽の山鬼(当所でハ
四角
八面鬼と云)か風を吹かすのだ、 誰か細路の坑夫小屋を,当所ニても不老倉稼行者の逗留所上の湯ニありし時、 時人
四角
嶽への冒〓者とし懲罰を加ふべしと、 鐇やかぎ
鹿角市史 第2巻 上
(0601)
九兵衛(北)松山番所狼倉・
四角
嶽・〓銅山狼倉銅山とは、 後の不老倉銅山である。,大湯川の支流安久谷川を遡る
四角
岳の北西鹿一帯に位置を占めている。
鹿角市史 第5巻
(0090)
#183;一鹿角郡の内おたるべ沢狼倉砂子沢山にこり川山小坂山同東山の内杉の沢前之沢せいの小沢大川め上り
四角
,五· 二大湯
四角
嶽銅山· 同十和田台倉鉛山、 両所奉行同 同 同 同 同74
鹿角市史 第5巻
(0093)
八· 一九
四角
嶽銅一四八箇松山番所改め他領へ出す。,同
四角
嶽銅一四九箇松山番所改め他領へ出す。
鹿角市史 第5巻
(0317)
一 ·
四角
鉱山を藤田組で買収、 小坂·不老倉間の索道を
四角
鉱山まで延長。
鹿角市史 第3巻 下
(0371)
細地・
四角
鉱山新不老倉鉱山として板子沢に新鉱脈を発見、 中切、 大切坑を開き、 一八年以降精鉱を,小坂鉱山
四角
鉱山は、 明治末年から鉱石を不老倉鉱山へ販売していた。
鹿角市史 第2巻 上
(0589)
『雑書』貞享二年正月一一日条一、 白根、 〓、
四角
嶽、 狼倉右四ケ所其外、 新見立普請山等,日根、 〓、
四角
獄、 狼倉四カ山を支配監督する役所が白根に設置され、 三人の銅山奉行のうち一人宛交替
鹿角市史 第1巻
(0652)
大里の駒形神を麓に祀るオシキ山では、 毎年七月七日(現在は八月七日)にお駒様への手向けの草刈(
四角
く,刈るので
四角
刈とも呼ぶ。
鹿角市史 第2巻 上
(0029)
白根銅の他領出、 阿部随波大福帳、 白根の消長、 立石・駒木銅山二北部の銅山…五六七狼倉・
四角
嶽
鹿角市史 第3巻 下
(0035)
互助活動三小真木鉱山…三一大正期の鉱況、 昭和前期の鉱況四不老倉鉱山……三一工鉱況の衰退、 閉山・再興、 細地・
四角
鉱山五花輪鉱山
鹿角市史 第2巻 上
(0602)
御山境東ハ
四角
嶽銅山限、 西ハ蒲沢限、 南ハ小平限、 北ハ夏坂嶺限」とその範囲を述べている。
鹿角市史 第2巻 上
(0584)
金六百七両ト銭三百文右同断扇田圍之分但貫目壱万弐千百四拾壱〆三百目、 金壱両ニ弐拾貫目カへ右ハ〇銅
四角
鹿角市史 第4巻
(0789)
図左多六とシロの碑(下草木)ろしい荒神になったとみなされ、 左多六さまを呼び捨てにすると罰があたるとか
四角
嶽
鹿角市史 第5巻
(0281)
三 ·六 ·八 ·細地鉱山、 隣接の中嶽·
四角
嶽試掘願を提出
鹿角市史 第4巻
(0353)
*大根のナンバン漬と紫蘇巻大根大根は長
四角
に切り、 塩・醤油漬にしたものである。
鹿角市史 第2巻 上
(0609)
御銅山附真金山銅山、 真金御山ノ内比良沢大作りノ沢両銅山、 毛馬内通御銅山附白根銅山、 同踊
四角
獄銅山
鹿角市史 第2巻 上
(0610)
一、 同
四角
嶽鉛山宝暦十二年四月古鋪見立願人花輪町理右衛門。
鹿角市史 第3巻 下
(0368)
この間のおもな出来事として、 四年三月初め、 字番取沢の上方
四角
嶽の角より大雪崩が崩落し、 その
鹿角市史 第3巻 上
(0499)
斉藤實則『鉱山と鉱山集落』一六九ページ注〓、 『秋田県史県治部四』第七冊一八二ページ五細地鉱山・
四角
鉱山及
鹿角市史 第5巻
(0531)
222上512· 710~715· 718 3上366~370 4139シ塩塩の道
四角
嶽
四角
岳鉱山直山
鹿角市史 第2巻 上
(0671)
外ニ白根山、 駒木山、 立石山、 狼倉山、
四角
嶽山、 〓銅山、 槇山、 右七ケ山御座候処
鹿角市史 第4巻
(0299)
鹿角では一般にケットは角巻と同じとされているが、 花輪では長方形のものをケット、 真
四角
を角巻と呼
鹿角市史 第2巻 上
(0606)
『雑書』に初めて書留められたのは、 前に述べた延宝六年四月一三日「鹿魚内白根、 蛇沢、
四角
獄、
鹿角市史 第3巻 上
(0662)
同庵世話人は、 当時不老倉は勿論、 柴内村細地鉱山
四角
鉱山)から三戸郡夏坂村金掘沢まで置かれていた
鹿角市史 第4巻
(0717)
その後堂内に入り、
四角
い舞台の上で権現舞、 駒舞、 烏遍舞、 鳥舞、 五大尊舞などを奉納するのである
鹿角市史資料編 第31集
(0032)
久二郎一九鹿角郡ノ内おたるべ沢狼倉砂子沢山にこり川山、 小坂山同東山ノ内杉ノ沢前ノ沢せいの小沢、 大川め上り
四角
鹿角市史 第4巻
(0092)
一、 一一五メートルの五ノ宮嶽、 一、 〇四四メートルの中岳、 一、 〇〇三メートルの
四角
岳
鹿角市史 第1巻
(0076)
とも伝えられ、 かつ、 国内最古の名門銅山であった尾去沢をはじめ、 小真木(白根金山)・花輪・
四角
獄
鹿角市史 第5巻
(0150)
四角
嶽銅山、 花輪町利右衛門、 太郎七が稼行す。 洪水により扇袋境柱四番めを流失す。
鹿角市史 第5巻
(0152)
同和歴(西暦)一 般 的 事 項なる花火辻相撲禁止される鹿 角 関係事項出 典石山狼倉山
四角
嶽山揚山旗山
鹿角市史 第2巻 下
(0545)
月〓、 「上、 専龍、 香卯、 艸山、 有幸、 如鳳、 三高、 源卯、 工巣、
四角
鹿角市史 第4巻
(0131)
その時丸や
四角
の穴が出来るので、 その穴に何本立つか、 立てた分だけ相手からとって遊ぶのである。
鹿角市史 第4巻
(0167)
シトリユキを
四角
に切って積み重ね、 何日もかかって城壁のように作り、 竿を渡して簾などで屋根をかけ
鹿角市史 第4巻
(0234)
整然と並ぶ長
四角
の長屋をハーモニカ長屋と呼ぶ人もいた。
鹿角市史 第2巻 上
(0603)
その後鉱況不振であったのか、 しばらく『雑書』に狼倉銅山の記事はみえない狼倉の東にあった
四角
獄銅山について
鹿角市史 第4巻
(0672)
四角
刈りともいい、 こ)日は夜の明けない前に折敷山へ登り草刈をして、 そのあと山麓の馬頭さん(駒形神社
鹿角市史資料編 第34集
(0025)
早速可訴出候其節吟味之上付事一普請中金銀錫銅へ相当候ハゝ早速□万一於隠密仕ハ越度可申付事御山境ノ儀ハ東ハ
四角
獄銅山境限
鹿角市史 第5巻
(0091)
一〇·二
四角
嶽銅一〇一箇松山番所改め他領へ出す一〇·二揚山銅三〇〇箇野辺地馬門番所改
鹿角市史 第5巻
(0095)
八·二八
四角
嶽銅一五六箇松山番所改め他領へだす。
鹿角市史 第5巻
(0109)
青山家白根史蹟八 ·
四角
嶽銅山見立、 願人鏡田村仁助ともいう。
鹿角市史 第5巻
(0328)
一 ·不老倉·
四角
鉱山間の索道廃止す二·一五鹿角畜産株式会社設立、 屠殺場経営
鹿角市史 第2巻 下
(0543)
〔八戸〕近藤平直〔盛岡〕沢田義昌〔花輪〕千友、 吐璋、 月琴、 三粛、 馬城、 如鳳、
四角
鹿角市史 第2巻 上
(0591)
また同六年四月一三日、 白根、 蛇沢、
四角
嶽、 掲村四カ所にて銅吹用の炭を、 盛岡紺屋町市兵衛
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