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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第2巻 上 (0672)

第四節藩営時代の御銅山坂牛新五左衛門の登山一、 尾去沢銅山、 藩直営となる〓産銅高の消長尾去沢銅山,の改革断行は、 明和二年(一七六五)一〇月二二日坂牛新五左衛門に対して「御銅山御用向新五左衛門え御任,寺社御奉行兼帯御勘定頭坂牛新五左衛門は、 既に宝暦一二年(一七六二)同じく御勘定頭堀江定右衛門と共に
鹿角市史資料編 第26集 (0061)

御銅山御定目并御役人登山之砌被仰渡扣留帳御支配人處明和弐酉年御手山就被仰付候砌坂牛新五左衛門登山申渡之覚此度尾去沢銅山御手山就被仰付候以来御銅山,と相唱可申事一御銅山一件取扱方坂牛新五左衛門江御任被成候被仰付候間、 山内之者共下知ニ随ひ出精相勤可申事一御手山御取扱就被仰付候右之趣相心得可申候一御銅山一件坂牛新五左衛門江御任被成候就被仰付
鹿角市史 第2巻 上 (0673)

直接経営となるに及び従来の銅山奉行は廃され、 勘定頭の内から「御銅山御用懸」が任命されることになり坂牛新五左衛門,「雑書』銅山の御手山御用を仰付けられた坂牛新五左衛門は同年一一月三日銅山に登山し、 翌四日山内一同へ,御銅山一件の取扱方を坂牛新五左衛門へお任せになったので、 山内の者共はよくその下知に随い出精相勤めること
鹿角市史資料編 第26集 (0005)

盈岡藩は、 明和二年尾去沢銅山を御手山とし、 一〇月一三日坂牛新五左衛門を銅山御用懸元締に任じた。,りの者どもに対して、 冒頭にある通りの「この度御手山を仰せ付けられたこと」、 「御銅山一件取扱方坂牛新五左衛門,坂牛新五左衛門登山申渡之覚」では、 まず御用銅御定数七千箇の完遂をめざし遅滞のないよう、 定目の釦
鹿角市史 第2巻 上 (0030)

坂牛新五左衛門の登山、 滞銅処理に苦慮、 銅山御用懸続々登山、 不老倉銅山の成立、 巡見使御答筋抜書
鹿角市史 第5巻 (0153)

勘定頭坂牛新五左衛門が御銅山御用懸元締となり、 その取扱方を一任される。
鹿角市史 第5巻 (0155)

一二·二二坂牛新五左衛門、 平生甚だ無調法な勤め方あり雑書として家名身帯取上八戸弥六郎お預
鹿角市史 第2巻 上 (0666)

尾去沢銅山山先奈良平次郎と支配人森田屋六右衛門の重手代久兵衛、 山方手代仁左衛門の三人が、 藩御勘定頭坂牛新五左衛門
鹿角市史 第2巻 上 (0677)

なお坂牛新五左衛門は、 御側御用人御勝手御用人兼帯に進み「銅山用筋」とともに「公辺用向」「勝手向」に
鹿角市史 第5巻 (0655)

#183; 6013上9· 64· 461坂牛愛之助2下517坂牛伊左衛門2下11坂牛新五左衛門
鹿角市史資料編 第26集 (0062)

候間末々と乍申此御時節を相考粉骨を尽相働可申事但右程ニ被仰渡候而も不心得之者有之候ハハ前條被仰渡候趣坂牛新五左衛門御任被仰付置候事故
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