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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第5巻 (0050)

九戸方大湯四郎左衛門の鹿倉城を大光寺左衛門攻略す。,九戸方首謀者として大湯四郎左衛門、 大里修理、 円子右馬允ら八人栗原郡三迫へ送られ処刑される。
鹿角市史 第1巻 (0573)

久慈備前兄弟・大里修理・大湯四郎左衛門は始め何れへも与しなかったが是も九戸に語られて九戸の城に楯籠ることとなった,城中の兵器は整い兵粮も充分なので大湯四郎左衛門は諸方を堅めて寄せつけず、 いつ勝敗がつくともみえなかった
鹿角市史 第1巻 (0574)

急遽兵を城内に引いている○かくて城内に籠った主立ちの者六十余名のなかに鹿角縁故のものは、 大里修理・大湯四郎左衛門,『奥南落穂集』九戸左近将監政実叛逆ノ事の項に、 九戸方として大湯四郎左衛門昌次五兵衛昌忠弟頭人三迫被誅円子右馬允光種九戸住頭人三迫被誅大湯次郎左衛門昌吉四郎左衛門子津軽
鹿角市史 第1巻 (0566)

『奥南旧指録』はその年を天正十六年としながらも「大光寺は(五丁目の同心を)幸と悦び大湯四郎左衛門を頼み,此旨三戸へ訴御勘気御赦免を頼ける(中略)其後御出馬を通じければまづ浄法寺修理・大湯四郎左衛門等を先手として
鹿角市史 第5巻 (0047)

比内浅利則頼、 独鈷城に没す永禄元(一五五八)安東愛季、 浅利氏を降し鹿角攻略をめざすこの夏、 大湯四郎左衛門
鹿角市史 第1巻 (0565)

に、 「九戸党諸所乱暴ノ所業アリ、 七戸彦三郎家国・久慈備前直治・一戸彦次郎実富・櫛引河内清長・大湯四郎左衛門昌次
鹿角市史 第1巻 (0583)

テ仕信直公二千石大湯五兵衛昌忠昌光子彦六大湯門之助昌邦昌忠子正保中早世断絶大湯彦三郎昌村昌吉子仕津軽大湯四郎左衛門昌次昌光二男九戸一味死大湯次郎右衛門昌吉昌次子仕利直公出奔津軽行大湯彦右衛門昌致昌次二男仕津軽
鹿角市史 第1巻 (0600)

がでていないのは、 ほとんど郡外の戦闘に終始したことによる天正十九年九戸の争乱に際し、 九戸方の大湯四郎左衛門
鹿角市史 第1巻 (0587)

津軽旧家子孫由緒概略書上』(引前市立図書館蔵)から摘記すると、 ○大目付大湯五左衛門大目付大湯五左衛門右先祖大湯四郎左衛門
鹿角市史 第1巻 (0578)

大里氏・大湯氏・円子氏九戸鎮定の後、 その頭人として三迫に誅された大里修理・大湯四郎左衛門・円子石馬允
鹿角市史 第2巻 下 (0184)

最後までふみとどまった大里修理・大湯四郎左衛門・長内弥左衛門等は、 南部信直に抗して九戸城に籠り仕置軍
鹿角市史 第1巻 (0557)

七戸彦三郎、 四戸中務その外家の子郎党には桜庭安房守、 小笠原、 一条、 浄法寺修理亮、 大湯四郎左衛門
鹿角市史 第1巻 (0556)

南部氏はこれを受け、 浄法寺修理・大湯四郎左衛門を嚮導とし兵五百をもって大館城に入った。
鹿角市史 第1巻 (0572)

誤伝と思われる嗣子権之助政次の室は七戸直時の女、 弟三左衛門直次の室は大湯五兵衛の女、 その長女は大湯四郎左衛門
鹿角市史資料編 第20集 (0084)

往古大湯四郎左衛門と申人之館之由、 本姓奈良、 天正年中九戸政実ニ一味致没落致候由。
鹿角市史資料編 第34集 (0052)

浅利殿才足一て此方五人ノ侍成程見参可仕ト申合候、 被申ハ御合点ノ上ハ石一境目ニて可然とて鹿角侍ハ大湯四郎左衛門柴内弥次郎小平彦次郎花輪中務大里豊前此五人土深井
鹿角市史 第5巻 (0674)

大湯左衛門(左衛門督 · 佐左衛門督)1527 · 532 · 552大湯四郎左衛門
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