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鹿角市史 第1巻
(0098)
米代川・
大湯川
などの大きい河川の影響をまぬがれた盆地の縁辺部に多く分布する(〓〓図)。,注3〈関上面〉
大湯川
筋では鳥越面は水によって生じた二次堆積物を上にのせていることが多い。,主として北部の
大湯川
小坂川沿いに分布しているが、 東部や南部にも若干分布する。,
大湯川
沿いでは、 二次堆積物の上に厚さ三・五メートル以内の無層理の火山灰層がのる。
鹿角市史資料編 第14集
(0056)
壱本目通弐尺廻り一、 五本小木外ニ小柴立右御山西より東迄三拾六間程、 北より南迄弐拾間程、
大湯川
江五丁程,権兵衛林限東は与治兵衛林限北は屋敷限南は与治兵衛林限小柴立右御山西より東迄拾五間程、 北より南迄拾間程、
大湯川
江五丁程川出通用并木性共宜敷土地黒野土,限雑木拾本目通壱尺五寸廻りより壱尺廻り迄外ニ小柴立右御山西より東迄四拾間程、 北より南迄七間程、
大湯川
江五丁程川出通用并木性共宜敷土地黒野土,迄雑木三拾本目通四尺廻りより壱尺廻り迄外ニ小柴立右御山西より東迄拾五間程、 北より南迄弐拾間程、
大湯川
江五丁程川出通用并木性共宜敷土地黒野土,迄雑木五拾本目通弐尺廻りより壱尺廻り迄外ニ小柴立右御山西より東迄四拾間程、 北より南迄弐拾間程、
大湯川
江五丁程川出通用并木性共宜敷土地黒野土
鹿角市史資料編 第14集
(0084)
右御山西より東迄三拾間程、 北より南迄三拾五間程、
大湯川
江三里程、 川出通用并木性共ニ宜敷土地白土交,、 百本目通三尺廻りより壱尺廻り迄外ニ小柴立右御山西より東迄五拾間程、 北より南迄三拾間程、
大湯川
江壱里程川出通用并木性共,百本目通弐尺廻りより壱尺廻り迄一、 百拾本小木外ニ小柴立右御山西より東迄三拾間程、 北より南迄五拾間程、
大湯川
江半里程川出通用并木性共,藤野平限北は萱野限南は黒瀧川限杉壱本目通三尺廻り右御山西より東迄弐拾五間程、 北より南迄三拾間程、
大湯川
江壱里程,弐百九拾七本目通壱尺五寸廻りより壱尺廻り迄外ニ小杉立右御山西より東迄三拾五間程、 北より南迄七拾間程、
大湯川
江七里程
鹿角市史資料編 第14集
(0080)
右御山西より東迄八間程、 北より南迄四間程、
大湯川
江四拾丁程、 川出通用并木性共ニ不宜土地小石地,壱本目通壱尺五寸廻一、 六拾九本小木雑木弐本目通弐尺廻右御林西より東迄拾間程、 北より南迄八間程、
大湯川
江壱里程,拾本目通壱尺廻一、 百四拾弐本小木栗拾本小木雑木拾本小木右御林西より東迄七拾間程、 北より南迄弐拾五間程、
大湯川
江壱甲程,大湯林限東は猿ケ野村坂限北は山根限南は畑限杉五拾本小木右御林西より東迄八拾間程、 北より南迄弐拾間程、
大湯川
江弐拾丁程,山根限南は畑限さいかつノ木弐本目通弐尺五寸廻り右御林西より東迄七拾間程、 北より南迄弐拾間程、
大湯川
江弐拾丁程
鹿角市史資料編 第14集
(0147)
右御場所西より東迄四拾弐間程、 北より南迄拾弐間程、
大湯川
江三拾八丁程、 川出通用并木性共不宜土地赤野土,右御場所西より東迄三拾四間程、 北より南迄九間程、
大湯川
江四拾五丁程、 川出通用并木性共ニ不宜土地小石交,右御場所西より東迄百拾間程、 北より南迄三拾間程、
大湯川
江四拾五丁程、 川出通用并木性共ニ不宜土地赤野土,右御場所西より東迄七間程、 北より南迄七間程、
大湯川
江四拾五丁程、 川出通用并木性共ニ不宜土地小石交,右御場所西より東迄八拾間程、 北より南迄拾五間程、
大湯川
江四拾六丁程、 川出通用并木性共不宜土地小石交
鹿角市史資料編 第14集
(0083)
三拾八本目通弐尺五寸廻りより壱尺廻り迄外ニ小杉立石御山西より東迄三拾五間程、 北より南迄三拾間程、
大湯川
江三甲程,迄雑木三拾五本目通六尺五寸廻りより壱尺廻り迄外ニ小杉立右御山西より東迄五拾間程、 北より南迄五拾間程、
大湯川
江三里程川出通用并木性共,澤限杉弐拾五本目通六尺廻りより壱尺廻り迄外ニ小杉立右御山西より東迄三拾間程、 北より南迄五拾七間程、
大湯川
江弐里程,湯又嶺限杉四拾五本目通弐尺廻りより壱尺廻り迄外ニ小柴立右御山西より東迄三拾五間程、 北より南迄四拾間程、
大湯川
江半里程
鹿角市史資料編 第14集
(0145)
右御場所西より東迄三百五拾間程、 北より南迄弐百弐拾間程、
大湯川
江壱里壱丁程、 川出通用不宜木性宜敷土地小石地,右御場所西より東迄弐百間程、 北より南迄五百三拾間程、
大湯川
汀壱里壱丁程、 川出通用不宜木性宜敷土地小石交,石御場所西より東迄弐百間程、 北より南迄百間程、
大湯川
江壱里五丁程、 川出通用并木性土地共ニ悪敷御座候,右御場所西より東迄七間程、 北より南迄拾八間程、
大湯川
江弐拾七
鹿角市史資料編 第14集
(0150)
右御場所西より東迄三拾五間程、 北より南迄拾間程、
大湯川
江三拾八丁程、 川出通用不宜木性宜敷土地砂利土,右御場所西より東迄百間程、 北より南迄八拾間程、
大湯川
江壱里壱丁程、 川出通用不宜木性宜敷土地小石土,右御場所西より東迄百間程、 北より南迄五拾間程、
大湯川
江壱里半程、 川出通用不宜木性土地宜敷御座候,右御場所西より東迄三百間程、 北より南迄弐百間程、
大湯川
江弐里程、 川出通用不宜木性土地宜敷御座候
鹿角市史資料編 第14集
(0156)
右御場所西より東迄百五拾間程、 北より南迄八拾弐間程、
大湯川
汀半里程、 川出通用并木性共宜敷土地赤野土,右御場所西より東迄百間程、 北より南迄四拾弐間程、
大湯川
江五丁程、 川出通用并木性共宜敷土地黒野土,右御場所丸山ニ而廻リ八百五拾間程、 高サ百七拾間程、
大湯川
江四丁程、 川出通用宜敷木性不宜土地岩山,右御場所西より東迄百五拾間程、 北より南迄八拾間程、
大湯川
江壱
鹿角市史 第1巻
(0099)
この地点では
大湯川
両岸の関上面の間隔が狭く、
大湯川
を流れ下ってきた軽石流が関上の屈曲部に突きあたって
鹿角市史資料編 第14集
(0144)
右御場所西より東迄三拾弐間程、 北より南迄拾間程、
大湯川
江弐拾九丁程、 川出通用并木性共ニ不宜土地赤野土,申所同村願人新平印西は屋敷限東は馬坂限北は道限南ははぶ限右御場所西より東迄三拾間程、 北より南迄拾五間程、
大湯川
江弐拾七丁程,右御場所西より東まで七拾間程、 北より南迄六拾五間程、
大湯川
汀四拾弐丁程、 川出通用不宜木性宜敷土地白野土,石御場所西より東迄三百弐拾間程、 北より南迄三百五拾間程、
大湯川
江壱里壱丁程、 川出通用不宜木性宜敷土地大石交
鹿角市史資料編 第14集
(0146)
右御場所西より東迄弐拾五間程、 北より南迄拾五間程、
大湯川
江弐拾七丁程、 川出通用并木性共不宜土地赤野土,右御場所西より東迄弐拾間程、 北より南迄九間程、
大湯川
江弐拾七丁程、 川出通用并木性土地共ニ悪敷御座候,右御場所西より東迄八間程、 北より南迄七間程、
大湯川
江弐拾八丁程、 川出通用并木性土地共ニ悪敷御座候,右御場所西より東迄六間程、 北より南迄拾六間程、
大湯川
江弐拾七丁程、 川出通用并木性共不宜土地赤野土
鹿角市史資料編 第14集
(0148)
右御場所西より東迄百間程、 北より南迄八拾間程、
大湯川
江壱里壱丁程、 川出通用并木性共不宜土地小石交,石御場所西より東迄八拾間程、 北より南迄弐拾間程、
大湯川
江四拾五丁程、 川出通用并木性共不宜土地赤野土,石御場所西より東迄四拾間程、 北より南迄拾弐間程、
大湯川
江四拾六丁程、 川出通用并木性共ニ不宜土地小石交,石御場所西より東迄弐拾九間程、 北より南迄八間程、
大湯川
江弐拾九丁程、 川出通用不宜木性宜敷土地赤野土
鹿角市史資料編 第14集
(0149)
右御場所西より東迄四拾間程、 北より南迄拾五間程、
大湯川
江三拾九丁程、 川出通用不宜木性宜敷土地赤野土,右御場所西より東迄七拾間程、 北より南迄拾五間程、
大湯川
江四拾丁程、 川出通用并木性共不宜土地悪敷御座候,尤有木栗弐拾本之外前同断、 右御場所西より東迄弐拾間程、 北より南迄七間程、
大湯川
江四拾丁程、,右御場所西より東迄拾間程、 北より南迄七間程、
大湯川
江三拾七丁程、 川出通用并木性共不宜土地赤野土
鹿角市史 第1巻
(0217)
市内北部を南流する小坂川と十和田高原に源を発する
大湯川
の両岸は、 ほとんど起伏のない十和田火山源の火砕流段丘,
大湯川
左岸には、 風張、 柴平を経て花輪に至る一連の平坦面が形成されている。,台地は標高約一八〇メートルで、
大湯川
との比高は約四〇メートルである。,
大湯川
の両岸には五段の段丘面を認めることができる。
鹿角市史資料編 第14集
(0081)
濱田村左五兵衛林限北は山根限南は畑限杉五拾本小木右御林西より東迄七拾間程、 北より南迄弐拾間程、
大湯川
江弐拾丁程,は山根限杉五拾本小木槻弐本目通三尺五寸廻り右御林西より東迄百弐拾間程、 北より南迄弐拾五間程、
大湯川
江弐拾丁程,は畑限南は山根限杉三拾本小木槻三本目通五尺廻り右御林西より東迄百間程、 北より南迄弐拾五間程、
大湯川
江弐拾丁程
鹿角市史資料編 第14集
(0143)
申所願人児玉泰治西は道限東は道限北は根市川限南は道限右御場所西より東迄三百五拾間程、 北より南迄三百間程、
大湯川
江弐拾八丁程,は道限東は林子長根御林境限北は道限南は畑堤限右御場所西より東迄百間程、 北より南迄九拾六間程、
大湯川
江四拾同人同人弐丁程,申所同〓西は御田地限東は道限北は坊主沢限南は畑限右御場所西より東迄九拾間程、 北より南迄五拾間程、
大湯川
江四拾弐丁程
鹿角市史資料編 第14集
(0157)
右御場所西より東迄七拾間程、 北より南迄五拾間程、
大湯川
江半里程、 川出通用并木性共宜敷土地赤野土,右御場所西より東迄百弐拾間程、 北より南迄拾五間程、
大湯川
江五丁程、 川出通用并木性共宜敷土地赤野土,右御場所西より東迄弐拾間程、 北より南迄拾五間程、
大湯川
江五丁程、 川出通用并木性土地共ニ前同断
鹿角市史資料編 第14集
(0102)
右御場所西より東迄四拾間程、 北より南迄拾間程、
大湯川
江五丁程川出通用并木性共宜敷土地黒野土ニ御座候,右御場所西より東迄拾間程、 北より南迄拾間程、
大湯川
江五丁程川出通用并木性共宜敷土地黒野土ニ御座候,右御場所西より東三拾三間程、 北より南迄拾間程、
大湯川
江五丁程、 川出通用並木性共宜敷土地黒野土
鹿角市史 第3巻 上
(0507)
このような状況のなかで、 二九年九月
大湯川
上流に銚子第一発電所の着工をみ、 三〇年六月運転開始、,これらの鉱山電化は、 すべて
大湯川
水系の水力発電に頼ることとなった。,期せずして
大湯川
は、 当時県下第の電源地帯を形成するに至った。
鹿角市史 第3巻 下
(0014)
洪水とダム決壊〓日
大湯川
の大洪水(昭和10年)(「思い出のアルバム」から)大湯の大洪水(浅井小魚のスケッチ
鹿角市史資料編 第14集
(0155)
右御場所西より東迄百間程、 北より南迄三拾間程、
大湯川
江弐丁程、 川出通用并木性共宜敷土地黒野土,右御場所西より東迄弐百間程、 北より南迄百間程、
大湯川
江半里程、 川出通用不宜木性宜敷土地赤野土
鹿角市史資料編 第14集
(0079)
道限東は野形限北南は同断杉五拾本小木栗弐拾本小木右御山西より東迄百三間程、 北より南迄四拾間程、
大湯川
江弐里程,小橋子御山御山守万四郎〓西は堤限東は畑限北南は同断栗三拾三本小木石御山西より東迄拾五間程、 北より南迄九間程、
大湯川
江四拾五丁程
鹿角市史 第2巻 下
(0340)
腰廻の下り口を、 『北奥路程記』絵図は同村稲荷神社の上ミ手から
大湯川
岸へ下るよう描いている。,温泉壷三ツ有、 其効能多きよし」と述べている(三四二・三ページ参照街道は湯の岱、 八幡堂の山際をたどり
大湯川
支流阿久谷川
鹿角市史資料編 第14集
(0104)
、 三分七分御取分植立済御證文頂戴罷有候一右御場所西より東迄六拾間程、 北より南迄四拾間程、
大湯川
江五丁程,右御場所西より東迄三拾間程、 北より南迄三百間程、
大湯川
江七丁程、 川出通用并木性共宜敷土地赤野土
鹿角市史 第3巻 下
(0334)
加えてkイル集老倉新道や十和田道路の改修工事、 大正九年完成の尾去沢鉱山大湯発電所「工事と、
大湯川
,昭和一〇年八月、 当地方に襲来した豪雨によって
大湯川
原ノ湯に設けられた尾去沢大湯発電所取入口堰堤とそ
鹿角市史 第1巻
(0138)
で、 その大部分は十和田火山の噴火による浮石質火山灰層で厚くおおわれており、 米代川の支流である
大湯川
,の源流が、 これらの台地をえぐり、 沢をつくって
大湯川
に合流している。
鹿角市史 第2巻 下
(0265)
このニシコオリ灰もまた、 もっぱら
大湯川
上地区の山村で作り出されていた。,また
大湯川
の奥深い来満山から十和田山へかけては、 山菜や薬草の宝庫であった。
鹿角市史資料編 第14集
(0101)
右御場所西より東迄四拾間程、 北より南迄弐拾六間程、
大湯川
江五丁程、 川出通用并木性共宜敷土地黒野土,右御場所西より東迄五拾間程、 北より南迄拾四間程、
大湯川
江五丁程、 川出通用宜敷并木性共宜敷土地黒野土
鹿角市史 第3巻 下
(0241)
ことに
大湯川
ぞいの中野新田(土ケ久保)はこれまでみることのなかったごぼう、 にんじん、 ねぎ、,ほかに大川原は
大湯川
にそい沖積砂土からねぎ、 ながいも、 にんじん、 ごぼう等、 関上、 風張方面
鹿角市史 第4巻
(0472)
)川流し米代川・熊沢川・夜明島川・江戸川などの米代川水系や
大湯川
などは、 木材の流送や春木流しに利用,また明治の初めころには小坂鉱山用の春木は、
大湯川
を使って流送していた。
鹿角市史 第2巻 上
(0299)
冠田村右所用水
大湯川
相用申候。,此川はい、 やまへ、 かちか有之候沢尻村右所用水
大湯川
より揚堰仕、 相用申候。
鹿角市史 第1巻
(0107)
太郎はここかしこ切り裂かれ、 流れ出る血で湖や川を真赤に染めながら
大湯川
の谷に沿って敗走する。,こ伝説はまさしく十和田湖の噴火のようす、
大湯川
に降り注いだ軽石流、 やがてシラス洪水となって流れ
鹿角市史資料編 第21集
(0099)
三十弐文晴山富吉一、 三十弐文谷地源太一、 同諏訪善兵、 千葉力之助千葉十郎高浜廣と申仁、
大湯川
,書上候下書来乍恐御尋ニ付御答奉申上候事阿部定四郎乍恐御尋ニ付御答奉申上候事中村左五右衛門御支配所毛馬内通ニ而、
大湯川
上水新堰堀割中村丹蔵上野平并猿
鹿角市史 第2巻 上
(0320)
六軒吹倒七・二八大湯北領内、 大橋八カ所落ちる七・二四大湯小清水より出水、 居宅流失古川村三軒、
大湯川
橋々流失
鹿角市史 第3巻 上
(0288)
云ふ、 水利に乏しくして古昔より全丘数百町の畑となーりしが、 三十餘年前當町人似内某なる者此地に
大湯川
,この
大湯川
を引いての上野平畑返開田は、 その後どのような経緯をたどったものか、 結果として実現には
鹿角市史資料編 第28集
(0126)
入〆三貫五百文九貫四百三十壱文内入弐百文雪沢村六助より香代嘉永六年丑三月八戸八日町湊屋徳右エ門ト申人
大湯川
原
鹿角市史 第4巻
(0281)
養殖・湯汲みなど温泉を養殖に利用することも行われ、
大湯川
原ノ湯にある十和田スッポン養殖場では温泉をそのまま
鹿角市史 第3巻 上
(0217)
五・旧六・二〇大湯大円寺、 洪水のため流失一一・旧六・一大湯村で大雷雨、 大洪水で
大湯川
氾濫、
鹿角市史 第4巻
(0257)
大正から昭和前期にかけては道路の整備が進み、 また近くの不老倉鉱山の隆盛や明治期から続く
大湯川
の水力発電事業
鹿角市史 第1巻
(0146)
大湯川
の上流地域には、 雪消えとともにところどころミズバンョウの自生する湿地がみられるが、 中でも
鹿角市史 第1巻
(0100)
注5〈毛馬内面〉
大湯川
沿いと米代川との合流点より下流にのみ分布する。
鹿角市史 第4巻
(0094)
米代川は低地の西寄りを南から北へ下りながら、 盆地中央部の毛馬内赤森附近で
大湯川
と小坂川とを合流し、
鹿角市史 第1巻
(0110)
大湯温泉の南西約三キロメートルの
大湯川
にのぞむ風張台地(関上面)上にある大湯環状列石を調査した藤岡一男
鹿角市史 第4巻
(0116)
沢から流れだす川は盆地中央で
大湯川
、 小坂川、 間瀬川、 不動川、 福士川、 熊沢川、 夜明島川
鹿角市史 第2巻 上
(0601)
大湯川
の支流安久谷川を遡る四角岳の北西鹿一帯に位置を占めている。
鹿角市史 第2巻 下
(0385)
大湯川
上流銚子瀧の付近にも温泉が湧き、 露天風呂として利用されていた。
鹿角市史 第5巻
(0405)
同一二·一二·六町村合併促進協議会解散し同合併協議会設立すユースホステル黒森荘が
大湯川
河畔
鹿角市史 第4巻
(0407)
一、 稲作米代川・
大湯川
・小坂川などの水系に恵まれた盆地低部では、 古い時代から水田耕作が行われてきた
鹿角市史 第4巻
(0270)
〓、 湯治期間中は、 藩主自ら
大湯川
に出て投網をしたり、 鯉を取ったり、 そのほか武芸の上覧試合
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