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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第5巻 (0047)

青森県史天文一九(一五五〇)比内浅利則頼、 独鈷城に没す永禄元(一五五八)安東愛季、 浅利氏を降し,小平彦四郎、 柴内弥次郎、 花輪中務、 大里豊前が浅利氏の仲介で比内領猿田川を越え、 中の平にて安東愛季名代,鹿角由来集永禄八(一五六五)南部信直、 晴政の長女の婿となる七月頃、 安東愛季の廻文に安保三人衆と
鹿角市史 第1巻 (0549)

『岩手県史』にしたがえば、 この覚書は安東愛季老後の口述書と推定される。,いずれにしても天正中、 花輪・毛馬内諸氏が斯波氏とともに秋田湊の安東愛季の許に款を通じたことがあった
鹿角市史 第5巻 (0049)

天正一一(一五八三)この頃、 安東愛季のもとへ花輪伯耆守·毛馬内氏が、 斯波氏とともに面会
鹿角市史 第2巻 上 (0233)

浅利氏は永禄・天正において安東愛季との確執を経て没落し、 比内は安東氏の領するところとなった。
鹿角市史 第1巻 (0599)

の谷内が成田氏の本拠であったと考えられる永祿・天正の合戦にあらわれた館永祿八年から同十一年に至る秋田安東愛季
鹿角市史 第1巻 (0539)

からん程の手ごわさをもっていたのである四、 永禄の合戦秋田愛季鹿角を侵す水禄に入って、 桧山城主安東愛季
鹿角市史 第1巻 (0543)

安東愛季鹿角来攻の年を前述のように『奥南落穂集』等は八年としており、 『岩手県史』年表も永禄八年七月
鹿角市史 第2巻 下 (0049)

に、 花輪氏は反南部氏の旗幟を鮮明にする有力国人として活躍し、 工(七〇伯書守、 『湊止期には安東愛季
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