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鹿角市史 第3巻 下
(0606)
宮川
硫黄山ほか稼行したが、 三七年一一月休山した。,萩原玉川戦後硫黄採掘の再開は、 二五年の
宮川
鉱山)、 翌二六年の玉川鉱山)、 同年の硫黄鉱業両国鉱山,と題して、
宮川
鉱山には従業員三〇〇余名、 焼山を採鉱場としてトロコ付近に製煉所を設け、 この間鉄索,
宮川
鉱山は、 二八年曽利滝付近の褐鉄鉱採掘など大きな期待をもたれ、 二八年ごろ
宮川
村にはいった鉱産税,早くも三〇年から縮小を重ねていた
宮川
鉱山は、 三二年四月残鉱の全処理を終わって休山した。
鹿角市史 第3巻 下
(0580)
からは郡内を一つにして鹿角市とする動きがで、 そのほか郡を二分して、 南部の花輪、 尾去沢、
宮川
,これによって花輪、 柴平、
宮川
、 曙の各町村は四カ町村合併の方針で協議を続けた。,
宮川
村は地域の独自性と湯瀬温泉・八幡平の観光資源をもつことから、 四カ町村合併を時期尚早とする論が台頭,・曙両村には、 県計画とは別の進め方で、 先ず不離不即の関係にある
宮川
村と曙村が合併し、 そのあと,これまでの紛争の火種となってた
宮川
村は、 三一年三月にいたって曙村との合併を村議会で可決し、 その
鹿角市史 第3巻 下
(0581)
一県審議会の基本線である五カ町村(「花輪町、 尾去沢町、 柴平村、
宮川
村、 曙村」以下同じ),二その前提として、 二カ村(「
宮川
村、 曙村」以下同じ)合併を認めること。,五この協定書は、 知事、 県審議会会長、 伊藤委員、 山崎委員、 渡部委員、
宮川
村長、,
宮川
村議会議員、 曙村長、 曙村議会議員が署名し、 誠実に実行することを確約すること。,すなわち五カ町村合併の前提としての合併という条件付きで、 三一年県議会五月臨時会において「鹿角郡曙村及び
宮川
村
鹿角市史 第3巻 上
(0369)
この模範林の一つとして、
宮川
村深の原野一九一町余が三七年三月県有地として購入され、 杉六一・六%,分収歩合は、 県五分
宮川
村五分と定められた。,なお郡内における模範林は、 この
宮川
村深の一カ所だけであった。,五〇また郡では、 県の奨励もあって三八年日露戦役記念として
宮川
村小豆沢部落有原野五町歩余に地上権(○,次いで四一年東宮殿下)本郡行啓を記天皇六〇念し翌年
宮川
村尻無沢阿部藤助所有山林一九町歩余に地上権)を設定
鹿角市史 第4巻
(0865)
菅江真澄北方書院○菅江真澄旅と日記未来社○鹿角郡昔話猿と蟹など五話『旅と伝説』昭和六年四月号○秋田県鹿角郡
宮川
一村地方,鹿角郡昔話猫又など五話『同前』昭和九年十二月号○鹿角の童謡と地名考資料『方言と土俗』昭和六年○秋田県鹿角郡
宮川
村地方,(年中行事)『民俗学』昭和五年○秋田県鹿角郡
宮川
村地方(俗信集)『同前』昭和六年○秋田県鹿角郡花輪町地方,
宮川
村を中心にした事例が多いことは、 出生地であることや親類の人々から聞いたことによると思われる。
鹿角市史 第3巻 下
(0202)
明治四四年四月二六日
宮川
村宮麓字堂ノ上六一に
宮川
郵便局が開局した。,それ以前明治二六年五月から三六年七月まで
宮川
村長を勤めていた地元の有力者であった。,郵便区は開局と共に花輪局から組替になった
宮川
村一円・曙村一円で、 その後移動はない『八幡平郵便局沿革誌,
宮川
村谷内字沼田八九で郵便、 貯金、 為替、 保険とほぼ現在と同じ業務で開業している。
鹿角市史 第3巻 下
(0181)
花輪
宮川
線は、 六日町を分岐点として、 西道口を経て曙村に至り長嶺に出て碇発電所の所で県道鹿角街道,県会に郡道から県道に編入すべきものとして、 道路諮問案に提案された道路三八線の中で鹿角分は、 花輪
宮川
線,翌年三月、 内務省において県道の認可が行われ、 花輪
宮川
線・毛馬内停車場線が、 新たに県道に編入
鹿角市史 第3巻 下
(0304)
一方、 大正一一年九月
宮川
村、 曙村の協同経営というべき南鹿電気株式会社が設立をみた。,かねて農村更生の
宮川
理想を掲げていた阿部藤助一曙村)、 阿部貞一、 渡部繁雄村長)らが協議し、,需要家数昭和七年現在一は
宮川
村五〇八、 曙村三八七、 その取付個数は事業者用を含め一、 一八四であった,昭和四年一一月、
宮川
・曙両村を除く鹿角の大部分をカバーしていた米代川水電は、 ついに大手の北海道電燈北株式会社
鹿角市史 第3巻 上
(0350)
飛雪牡黒白斑三歳四・四五鹿角毛馬内町下村平七二等賞(二名)(木杯一個賞金七拾五円紅白綬)満洲牡白褐四歳四・七〇鹿角
宮川
村田村定四郎,また第三回県産牛共進会は四三年八月に大曲町に開催され、 当郡からの出陳牛は七頭であった、 出陳者は
宮川
村田村定四郎,小坂村馬渕匡次郎、 同佐々木松太郎、 毛馬内町関熊太郎、 同内藤練八郎、 小坂村工藤作兵衛、
宮川
村田村造酒三,四四年九月大館町における第四回共進会では、 二等賞に毛馬内町松田一郎(エアーシャー種牡メーヨ号)、 三等賞に
宮川
村田村定四郎
鹿角市史 第3巻 下
(0064)
この年一二月の新聞は、 鹿角の凶作地として
宮川
村の窮状をとりあげている。,もっとも惨憺たるは
宮川
、 大湯、 小坂等で、
宮川
では握飯を結ぶことができないため、 弁当を持,
宮川
の阿部藤助氏の如きは平年八百俵の収納米があるものの、 早くも断念して八十俵に承諾したというが、
鹿角市史 第3巻 下
(0156)
銅木村では錦木小学校を会場として一〇・一一両日、 その後
宮川
村宮麓小学校、 谷内公会堂で各一日、,後一〇年にも行われ、 八月八日秋田衛戍病院長、 書記一名、 看護婦一名、 薬草研究家一名により
宮川
村,このうち鹿角では、
宮川
村、 大湯町、 七瀧村で行われた。,このときの医師は、
宮川
村では山口幸吉が谷内公会堂、 熊沢分教場で各一日、 大里周蔵が宮麓小学校
鹿角市史 第3巻 下
(0227)
また、 大正一三年八月の県耕地整理会総会に、 組合委員のメンバーとして
宮川
村川部組合があげられている,すなわち、 本年組合を組織して着々工事進捗中のものに
宮川
村深地区がある。,
宮川
村赤平地区の整理組合も明年早々起工の予定で、 問題の錦木村松山地区は木年順調に経過して平年作を得,なお赤平耕地整理組合は三年一一月の認可、 四年一一月には、
宮川
村小豆沢耕地整理組合が設立認可を得
鹿角市史 第3巻 下
(0214)
以下
宮川
村、 大湯村、 花輪町、 柴平村の順となる。,比較的経営の安定している一町以上三町以下の、 自作を主とする階層は柴平村、 錦木村、 曙村、
宮川
村
鹿角市史 第3巻 下
(0171)
宮川
村は、 昭和二年八月大里、 小豆沢で第二部を組織、 従来の
宮川
村消防組(谷内)は第一部と改めた,第四部を設け、 円年第一部にガソリンポンプ二〇馬力、 第三部・第四部に腕用ポンプを装備していた『
宮川
郷土読本
鹿角市史 第3巻 下
(0173)
昭昭和三年曙村夏井では頻繁に火災があり、 翌四年ポンプを備えて私設消防組を組織した()ほか、 九・四・一付
宮川
村熊沢,また、
宮川
村には主に青年からなる谷内の義勇団、 小豆沢の警衛部があった『
宮川
郷土読本九年二月政府
鹿角市史 第3巻 上
(0344)
幾青毛明治四四年四月斃死曙渡部文蔵玉国鹿毛明治四四年四月斃死小坂工藤作兵衛玉里栗毛明治四二年一二月斃死
宮川
高田佐次郎鬼草黒鹿毛花輪小田島治右衛門四,ツ芽鹿毛明治四四年六月斃死
宮川
関吉之助川岸鹿毛川岸鹿毛花輪石井留之助五ツ陸青毛明治三九年四月斃死
宮川
渋谷正治花国鹿毛明治四三年一
鹿角市史 第5巻
(0373)
年街頭テレビ人気集める同山田敬蔵ボストンマラソンで優勝九 ·九·一〇·
宮川
村長谷川土地改良区設立,鉱山と鉱山集落
宮川
鉱山は褐鉄鉱採掘、 玉川鉱山·両国鉱山は硫同黄山として活気を呈した。,·県町村合併促進審議会が合併計画案を答申、 鹿角郡は「花輪·尾去沢·
宮川
鹿角市史 第5巻
(0309)
この秋
宮川
村巡査駐在所、 字谷内に新築される。,
宮川
村郷土読本この年毛馬内町消防組でポンプ一台を購入す。,
宮川
村と花輪町に稚蚕共同飼育所設けらる。
鹿角市史 第3巻 下
(0297)
ての生産額は第五一表の通りで、 麻布の移出されるものとしては
宮川
村生産大正の一、 七〇〇反一)のみであった,大正一四年東京上野に開催された日本産業協会主催全国副業展覧会において
宮川
村信用購買販売組合出品の麻布が,この
宮川
村産業組合の麻布は、 翌一五年東京三越呉服庄における東北銘産品陳列会にも出品され好評を得た。
鹿角市史 第3巻 上
(0022)
宮〓村一ノ渡
宮川
村一の渡天狗橋の図〓世笹渡橋の風景
鹿角市史 第3巻 上
(0178)
大湯村長尾去沢村長
宮川
村長曙村長「『秋田県町村合併誌』より
鹿角市史 第5巻
(0343)
六 ·二三凶作地医療保護施設を
宮川
村·大湯町に開設。,長内扇田線·長內花輪線 · 大湯花輪線 · 花輪角館線、 林同同道開設は
宮川
村地内,九·二二達子勝蔵『
宮川
郷土読本』発行さる。
鹿角市史 第3巻 上
(0261)
タ町・川原町・仲小路・下堰向・中嶋・横丁・桜山・袋町・沢小路・女森・産神てして四四年四月二六日、
宮川
,・郵便局の新設により
宮川
村・曙村が
宮川
郵便局へ組替えになった。
鹿角市史 第4巻
(0451)
経て大湯に至る花輪大湯線、 そして花輪六日町を分岐点として尾去沢村西道口を経て、 曙村からさらに
宮川
村長嶺,に出、 碇発電所のところで県道に連絡する花輪
宮川
線の工事が行われた。,方、 花輪
宮川
線の竣工によってその路線の花輪舟場道は直線となり、 道は平坦になって非常に歩きやすくな
鹿角市史 第3巻 下
(0397)
八幡平王阿部藤助阿部藤助は大正三年二八才の若さで
宮川
村村長に就任、 その一生昭和三年没四三歳)を郷土,りの旅装を整えたのち、 山へ向かっ例えば大正六年八月、 秋田鉱山専門学校一行は毛馬内駅から馬車で
宮川
村,下さった」秋田魁、 大六・八・一三付一とし、 同一〇年九月鹿南焼山巡り隊一九名には「本隊の先登は
宮川
村長阿部藤助
鹿角市史 第3巻 下
(0192)
初年唐の鹿角の道路は、 県道が大湯柴平・
宮川
・小坂・同大川岱地内、 町村道は花輪町・毛馬内町・大湯町,・曙村の冬道路で、 林道の開設は
宮川
村を対象としていた。,また、 花輪町新田町から
宮川
村玉内の下までの路面改良と、 柴平村の根津川の鉄筋コンクリート橋、
鹿角市史 第3巻 下
(0217)
郡内の模範といわれた
宮川
村信用購買販売組合は、 村長阿部藤助が
宮川
村積年の弊風といわれる部落間の不和祈争
鹿角市史 第3巻 下
(0155)
鹿角で、 この巡回医療班の診療をうけたのは
宮川
村であった(『県勢要覧』昭四年)。,巡回医療無医村の巡回医療を行うこととなり、 鹿角では錦木、
宮川
の二村で実施された。,、 書記一名、 看護婦二名で県北の三郡の無医村の巡回医療を行うこととなり、 鹿角では錦木、
宮川
鹿角市史 第3巻 上
(0214)
毛馬内町についで公設消防組が設立されたのは
宮川
村であり、 三二、 三年頃組員三七名で創設された私設谷内消防組,を改組して、 三四年
宮川
村消防組が発足、 組頭は阿部重吉であった。,その組織は組頭一名、 副組頭一名、 小頭一名、 消防手三五名、 消防器材として、 『
宮川
郷)
鹿角市史 第3巻 下
(0515)
松岡権四郎(縦)、 )、 石輪錦曙大川半助大(〓)、 坂本久一郎(唱)、 渡部全次雄(唱)、
宮川
福蔵,戦時馬産計画遂行のため、 郡畜産組合は曙村松館に種付所を増置し、 国有派遣種付所は大湯、 花輪、
宮川
,、 県派遣種付所は毛馬内とし、 人工交配も小坂、 毛馬内、 花輪、
宮川
の四カ所で行う充実したものになったまた
鹿角市史 第3巻 下
(0399)
その年、
宮川
村長阿部貞吉を会長とする八幡平顕勝会が組織され、 国立公園関係者の八幡平招聘を計画したその,同年一一月一○日花輪町村山貞治が世話役となり、 関直右衛門、 関善次郎、 浅利佐助花輪町長、 阿部貞吉
宮川
村長,渡部繁雄○日花輪町村山貞治が世話役となり、 関直右衛門、 関善次郎、 浅利佐助花輪町長、 阿部貞吉
宮川
村長
鹿角市史 第3巻 下
(0140)
本郡におけるこの懇談会は、 九年九月
宮川
村で開催され、 各町村長はじめ小学校長、 方面委員等六〇,は県内一六二名、 県外二三一名、 計三九三名にのぼり、 小坂町、 毛馬内町、 花輪町、
宮川
村等
鹿角市史 第3巻 上
(0218)
二二大湯村中町、 丁内大火で五二戸焼失、 大湯村役場類焼四〇・月日不詳米代川流域(花輪町・曙村・
宮川
村,・錦木村・毛馬内町)及び熊沢川流域(曙村・
宮川
村)で水害、 堤防決壊五〇間、 道路決壊一一間、
鹿角市史 第5巻
(0315)
七 ·九 ·九·
宮川
村信用購買販売組合設立、 阿部藤助の尽力。,毛馬内、 花輪、
宮川
に各稚蚕共同飼育所を開設。 鹿角時報秋田魁新報299
鹿角市史 第5巻
(0338)
宮川
村深地区、 毛馬内瀬田石地区、 錦木村松山地区など耕地整理組合の事業が盛んとなる。,
宮川
村深耕地整理約五町歩の開田に成功す。
鹿角市史 第3巻 下
(0267)
同四年県北牛乳同業組合副組合長に
宮川
村田村又蔵が選任され、 花輪町に八年ごろ杉江牛乳店が、 昭和一,〇年小田島省吾が
宮川
村阿部定之助と共同で搾乳販売を開始している。
鹿角市史 第3巻 上
(0296)
小田野直道(郡書記)川又久八(柴平」小田野直道(郡書記)小田野直道(郡書記)佐藤武友(郡書記)阿部甚正(
宮川
,ほか名簿不備のため不〓同上兎沢徳蔵(柴平)(毛馬内(花輪)(
宮川
立山弟四郎(毛馬内.
鹿角市史 第3巻 下
(0193)
大館三戸線(錦木・毛馬内・大湯)、 発荷休屋線(七滝)、 大湯花輪線(大湯)、 花輪角館線(
宮川
,このうち、 花輪角館線の花輪からシカ湯(現在の玉川温泉)までの一八キロメートルに対して、
宮川
村の
鹿角市史 第5巻
(0369)
五·一二大湯町長よりリコール投票異議の申立行われる五·二〇日東化学鉱業
宮川
硫黄山の,萩原鉱業·
宮川
鉱山再開される。
鹿角市史 第5巻
(0370)
対日講和条約 · 日米安全保障条約調印一一月秋田大学に鉱山博物館が開設されたこの年鹿角郡
宮川
村林業,秋田県土地改良史一花輪大湯毛馬內三町自治体警察を廃止、 国家地方警察秋田県本部花輪地区警察署に統合された一〇 ·
宮川
村玉川鉱山
鹿角市史 第5巻
(0377)
四·
宮川
村議会にかねてのニカ村合併申請取下げの動議が提出され、 紛糾する。,官報六·一五
宮川
村·曙村が合併し八幡平村が発足す。
鹿角市史 第5巻
(0320)
宮川
郷土読本同尾去沢鉱山元山第二竪坑の完成とともに電気捲同同この頃谷内市日が三の日に開設された。,尾去沢鉱山山史鉱山と鉱山集落
宮川
郷土読本秋田魁新報大正七(一九一八)二月 笹島定治大館戊辰史を刊行同同三月県模範桑園奨励規程県養蚕組合奨励規程市町村義務教育費国庫負担法公布七
鹿角市史 第5巻
(0321)
鹿友会誌一一·一〇
宮川
村信用購買販売組合が舟場道に農業倉庫を建設した。,
宮川
村信用購買販売組合が、 県内の模範組合と秋田魁新報305
鹿角市史 第3巻 下
(0525)
花輪町大里周蔵柴平村金沢憲司七瀧村谷田部亮一尾去沢町高杉重右衛門毛馬内町伊藤良三小坂町木村定治曙村斎藤吉之助銅木村佐々木鉄蔵
宮川
村成田元吉大湯町諏訪富多小坂,社会党また初の町村会議員の定員は、 花輪町二六名、 毛馬内町・大湯町・尾去沢町・
宮川
村・柴平村ともに
鹿角市史 第3巻 上
(0330)
宮川
村は古くから果樹の生産に恵まれ、 とくに玉内の桃、 大里のまるめろ、 小豆沢の柿がよく知れわたっていた,〇〇〇個、 同じく三二年に〓桿一一石と記されているが、 四〇年における樹数では、 錦木、
宮川
鹿角市史 第3巻 上
(0032)
曙村の馬匹放牧場(
宮川
・大湯と共に斯業の中枢地)明治三十年石川理紀之助の柴平適産調に参加した人々の血判
鹿角市史 第5巻
(0296)
この年
宮川
村消防組が発足した。
宮川
郷土読本280
鹿角市史 第5巻
(0327)
月自転車取締規則設ける一一月国民精神作興に関する詔書発布される三 ·三 ·四 ·花輪
宮川
線,五 ·花輪大湯線、 花輪
宮川
線の新道開鑿など工事す。
鹿角市史 第5巻
(0334)
同同和歴(西暦)一 般 的 事 項秋田県連合会を結成県会、
宮川
村より八幡平を経生保内村に通ずる道路,同
宮川
村産業組合の麻布·鹿角あけび蔓細工が東京三越の東北銘産品陳列会で好評を得ている。
鹿角市史 第5巻
(0350)
宮川
村一五二頭、 柴平村一一七頭、 大湯町七九頭などであった。,日本化学工業
宮川
硫黄山、 焼山で採掘し赤川で製煉を行うため、 熊沢川鉱毒問題が発生す。
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