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鹿角市史 第3巻 上
(0208)
宮麓
村字小豆沢、 長井田村三ケ田、 柴内村、 尾去沢鉱山獅子沢、 末広村字松山、 大湯村、,小坂村上向村字鳥越、 小坂村これが現代の「巡査駐在所」の基礎となったが、 その所在地はしばしば移転し、
宮麓
村,を例にとれば、 二二年四月
宮麓
村字小豆沢に設置、 三六年四月
宮麓
村字大里に移転、 四一年一一月長谷川村字谷内関重蔵宅
鹿角市史 第5巻
(0018)
○大地平遺跡 (
宮麓
地区)早期後半の赤御堂式の土器片が出土し、 不定形石器が伴出した。,○上葛岡遺跡 (
宮麓
地区)赤御堂式に比定できる土器片のほかに、 この時期の特徴である尖底深鉢形土器一点,○清水向遺跡 (
宮麓
地区)2
鹿角市史 第3巻 上
(0296)
表明治年間における種苗交換会への出席会員白試担長谷川中津山延賢中津山延腎白試担毛馬内自試毛馬内金沢直衛(
宮麓
,阿部甚五平(長谷川)安倍嘉津馬(
宮麓
)阿部甚五平(長谷川安倍嘉津馬(
宮麓
)高杉良蔵(尾去沢)中津山延賢
鹿角市史 第3巻 上
(0558)
鹿角郡第一学区村立小学校及分校等設置伺一、 名称鹿角郡第一学区村立花輪小学校同郡同学区村立花輪小学校
宮麓
分校,花輪小学校小学全科を授る所とす花輪小学校
宮麓
分校小学初等・中等科を授る所とす花輪小学校
宮麓
分校小学初等
鹿角市史 第3巻 上
(0114)
即ち一六年までの独立村として花輪村・
宮麓
村・長谷川村・長井田村・柴内村・尾去村・松谷村・三矢沢村・尾去沢鉱山,達子勝蔵著この組合について、 例えば『宮川村郷土読本』一の年表には、 一七年
宮麓
長谷川の両戸長役場,を合昭和七年併して、
宮麓
村外一ケ村役場となし、 戸長安倍悦人就任した。
鹿角市史 第3巻 下
(0425)
宮麓
地区は農村不況の典型的な地区で、 大部分の土地は花輪・谷内の大地主の小作地であった。,昭和三年三日母校
宮麓
小学校長となった斎藤は「真の人間形成の教育をするには、 学校で時間割にはまった授業
鹿角市史 第3巻 上
(0235)
鹿角では、 鹿角道と呼ばれる大館町から
宮麓
村を経て岩手県境に達する道路と、 錦木村で分岐した毛馬内村,その結果、 大館から
宮麓
を経て岩手具松の境に至る道路は鹿角街道となり、 錦木村)で鹿角街道から分れ
鹿角市史 第3巻 下
(0156)
銅木村では錦木小学校を会場として一〇・一一両日、 その後宮川村
宮麓
小学校、 谷内公会堂で各一日、,このときの医師は、 宮川村では山口幸吉が谷内公会堂、 熊沢分教場で各一日、 大里周蔵が
宮麓
小学校
鹿角市史 第3巻 上
(0574)
宮麓
小学校では(明治三九年)「高等科二年を併置し
宮麓
尋常高等小学校となる」と、 政府の要請により高等科
鹿角市史 第1巻
(0290)
〈所在地〉鹿角市八幡平字
宮麓
清水向(遺跡の概況〉米代川の支流浦志内川の右岸段丘上の果樹園。
鹿角市史 第3巻 下
(0209)
なかどんぐり呂川村は、 大水害も重なって最も被害が大きく、 新聞は、
宮麓
その他奥沢等ではさかんに
鹿角市史 第3巻 下
(0688)
かつての八幡平村では、 四六年四月に
宮麓
・長谷川・曙・夏井・湯瀬・熊沢の六つの小学校が八幡平小学校として
鹿角市史 第5巻
(0027)
○尾去東在家遺跡 (尾去沢地区)○玉內遺跡(
宮麓
地区)○猿ヶ平遺跡(花輪地区)○柏木森遺跡(同)○明堂長根遺跡
鹿角市史 第5巻
(0026)
○居熊井遺跡 (
宮麓
地区)○飛鳥平遺跡(同)○案内遺跡(花輪地区)○猿ヶ平遺跡(同)○草木小坂遺跡 (
鹿角市史 第5巻
(0028)
そのおもなものは○湯瀬館遺跡 (
宮麓
地区)○大地平遺跡(同○上葛岡遺跡(同))○猿ヶ平遺跡 (花輪地区
鹿角市史 第5巻
(0021)
○歌內遺跡(
宮麓
地区)○北の林遺跡(同)○飛鳥平遺跡(同)○上葛岡遺跡(同)○猿ヶ平遺跡(花輪地区)右
鹿角市史 第3巻 下
(0088)
曙村は平穏、 宮川村はかって
宮麓
と長谷川の確執対抗があったものの、 組合事業の発展とともに感情の融和
鹿角市史 第5巻
(0019)
○上山田遺跡(
宮麓
地区)湯瀬渓谷左岸にあり、 円筒下層d式土器を出土した。
鹿角市史 第4巻
(0865)
『鹿角方言集』の中では、 谷内を中心とする旧長谷川村と、 小豆沢を中心とする旧
宮麓
村の語調やアクセント
鹿角市史 第3巻 上
(0550)
は次の一二学区となった(〓・明治篇」第一学区花輪村第六学区尾去沢鉱山・三矢沢村第十学区平元村第二学区
宮麓
村第七学区毛馬内村
鹿角市史 第3巻 上
(0576)
学校医の設置〓三四年郡内に赤痢が大流行し、 この時
宮麓
小学校では一〇~一五日、 他の学校も五日程の
鹿角市史 第4巻
(0092)
明治二十二年、 熊沢川をはさんで東側の
宮麓
村、 長谷川村を合わせて宮川村となり、 西側の松谷村、
鹿角市史 第3巻 下
(0611)
四二年には八幡平村土地改良区と改称の上、 さらに四四年
宮麓
土地改良区と長谷川土地改良区を統合し、
鹿角市史 第3巻 下
(0680)
熊取平放牧組合、 花輪家畜生産組合、 川上牧野共用林組合、 曙牛放牧組合、 谷内産牛組合、
宮麓
放牧組合
鹿角市史 第4巻
(0882)
その後、 鹿角郡内の
宮麓
、 錦木、 毛馬内、 大湯、 小坂、 平元などの各小学校に勤めた。
鹿角市史 第3巻 上
(0555)
宮麓
長谷郡内各学区を通観するに、 第二学区〓)、 第三学区)は村川村一切未納之れ無く、 其他の学区
鹿角市史 第3巻 上
(0573)
毛馬内・下川原・長谷川・
宮麓
の各小学校もそれぞれ数千本の学校林の造成につとめた。
鹿角市史 第3巻 上
(0105)
但
宮麓
村擔當申付候事。
鹿角市史 第3巻 上
(0110)
首部役場数二(花輪村・毛馬内村村総数二一村・山二(花輪村、
宮麓
村、 長谷川村、 長井田村、
鹿角市史 第5巻
(0372)
#183;毛馬内外二ヵ町村上野平土地改良区設立される秋田県土地改良史三 ·熊沢川灌溉曙地区、
宮麓
土地改良区設立
鹿角市史 第5巻
(0273)
一一 · 二八
宮麓
村、 長谷川村、 長井田村、 松谷村、 瀬田石村、 岡田村、
鹿角市史 第5巻
(0279)
五·一一
宮麓
地内の道路工事の竣工式が、 盛大に行わる。
鹿角市史 第5巻
(0318)
尾去沢鉱山山史九·二三御即位大典記念として花輪横町に郡公会堂落成一〇· 五
宮麓
小学校
鹿角市史 第5巻
(0320)
宮麓
小学校新校舎へ移転す。
鹿角市史 第5巻
(0399)
四· 四八幡平村
宮麓
·長谷川両土地改良区の統合成る。
鹿角市史 第3巻 上
(0620)
宮麓
小学校では、 大正元年全校で洋服を着ている人は男先生四人ぐらい、 その他の先生三人は和服、
鹿角市史 第1巻
(0266)
時期的に最も古い住居跡は、 清水向遺跡(八幡平字
宮麓
清水向)で検出された前期末葉の竪穴住居跡である。
鹿角市史 第4巻
(0296)
宮麓
地区では年齢によって色が決まっており、 子供は桃色、 十代前半までオレンジ、 二十代まで卵色
鹿角市史 第3巻 下
(0303)
すでに米代川上流
宮麓
地区の発電工事認可を申請し、
鹿角市史 第3巻 上
(0599)
また、 元山奨学会)、 長谷川同窓会、
宮麓
司窓会(明治三八年七年のように、 郡の指示以前から
鹿角市史 第3巻 下
(0422)
鹿角では宮川村の長谷川小・
宮麓
小の二校に読者が多かった。
鹿角市史 第3巻 上
(0237)
一二年七月の鹿角郡長の上申書に、 当郡から岩手県に達する道路は二路線あり、 一つは
宮麓
村の支郷湯瀬
鹿角市史 第3巻 上
(0238)
この
宮麓
村地内の工事の竣工式が、 一九年五月一一日に行われている。
鹿角市史 第3巻 下
(0535)
○葛岡地区(八幡平
宮麓
、 地区面積五〇〓・耕地面積一九〓)二二年地元二・三男を主に一一戸が、 平均二
鹿角市史 第3巻 上
(0103)
私見ではあるが、 岡田村は大湯川氾濫原のうち比較的高位に広がる水田地帯、
宮麓
村は五ノ宮岳の西麓、
鹿角市史 第3巻 上
(0297)
宮麓
村にお
鹿角市史 第3巻 上
(0298)
役場筆生の案内で
宮麓
村を巡視、 長谷川村へ着いた。
鹿角市史 第3巻 下
(0202)
明治四四年四月二六日宮川村
宮麓
字堂ノ上六一に宮川郵便局が開局した。
鹿角市史 第4巻
(0527)
用水路の整備を統一して行うという結合、 さらに現在は八幡平小学校一校に統合されているが、 かつての
宮麓
鹿角市史 第3巻 下
(0064)
宮麓
その他奥沢等は全くの凶作どんで、 農民はさかんに楢の実)を拾い集め、 多いものはすでに三石に達
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