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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第3巻 上 (0478)

大島は一八年に最新の洋式技術を道入し、 小真木の土鉱開発、 採銀設備、 銅鉱製煉等にその指導力を,しかし大島の小真木在任期間はすこぶる短く、 一九年には青森県尾太銅山に去ったとみられる。,丈金五郎の小真木鉱山開業に至る経過は、 直接辻の代理岩上秀の作成した一八年一二月および二〇年一月「小真木鉱山鉱業概略,また鉱場の状況として、 初めの借区は小真木・館石の両字において僅か二、 一〇〇坪であった。,かくて小真木鉱山の開業式は、 一八年五月一〇日から一四日にわたって盛大に行われた。
鹿角市史 第3巻 上 (0047)

付真金山金山……四一四官営真金山三小真木鉱山…四一六再生の小真木、 民行鉱山志料、 辻・稼行人となる,、 洋式装備の小真木、 初期の趨勢、 岩崎弥之助へ譲渡、 三菱以後の小真木四不老倉鉱山……四二
鹿角市史 第3巻 上 (0483)

また同年辻金五郎名義で、 小真木鉱山を正金銀行へ抵当に差入れ金一〇万円借用することの、 鉱山抵当公證願,二〇年秋、 辻らは新たに小真木鉱山会社を設立した。,二一年一月付で届出人は借区坑業人辻金五郎代理吉田扶および小真木鉱山会社総理杉本正徳である。,一一年六月、 小真木鉱山の譲渡契約が、 杉本正徳と三菱社々長岩崎弥之助との間に成立した。,小真木鉱山の三菱譲渡も、 これら一連の長谷川の活躍と無縁ではなかったものと思われる。
鹿角市史 第3巻 上 (0481)

第7表坑道気缶調査表また鉱山調成にかかる一八年一二月「小真木鉱山鉱業概略」、 二〇年一月「同上」、,二一年二月「小真木鉱=鉱業状況概略」のいずれにも、 山頂の露天掘による採掘の容易さを強調するのみで、,初期の趨勢小真木における出銀高をみるに、 一八年六月から一一月迄の出銀総高六三八貫七四五匁、 この,第8表小真木鉱山生産高(明治〓~〓年)
鹿角市史 第3巻 下 (0365)

○尾去沢鉱山では支山である毛馬内町小真木鉱山の残鉱から十万分の二三乃至五六までの金鉱を発見、 目下小真木,○(小真木に)最新の金鉱選鉱場を建築中のことは既に報じたが、 今夏電機探鉱に来郡した京都大学関係者の,しかしこの新浮選法は予定の実績をあげることができず、 その原因追求の結果、 小真木の金鉱は長年月露出状態,その後書化法による改善に努め、 一〇年一月の新聞報道には「小真木鉱山の採金法は現代科学の粋といわれ、,さらに同年六月の新聞は、 「煙害も鉱毒水も解消する青化製煉」のみだしを掲げ、 小真木鉱山の青化製煉
鹿角市史 第3巻 下 (0603)

小真木鉱山は、 二二年白根竪坑の排水と坑道修理を行い、 探鉱を再開した。,翌二四年一月、 本山尾去沢との間に鉱石運搬の小真木索道が完成し、 小真木支所は尾去沢鉱業所に編入されて,、 小真木採鉱課に改められた。
鹿角市史 第3巻 上 (0475)

字館石、 小真木同県同国同郡毛馬内村金銅鉱平民高橋熊太郎外壱名右場処ニ於テ一ケ年以内試掘差許候、,一二年〓は開業を決意し、 借区開坑願を提出して字館石一、 〇〇〇坪、 字小真木一、 二〇〇坪の,これまで関係の諸書には、 小真木における最初の鉱場稼行人は東京市神田居住の辻金五郎であるとだけ紹介され,まもなく一三年小真木山頂付近において、 深さ約一〇〇尺()、 直径約七〇尺()の、 ポケッートルートル
鹿角市史 第3巻 上 (0444)

一つは阿部潜の進める小真木鉱山経営者辻金五郎、 杉本正徳等との間の再建交渉であった。,このように、 一方を破棄することもなく進めた二重契約に、 小真木鉱山側が憤激したのも当然の成行きとしなければならない,暴徒乱入一〇年五月一四日、 鉱業会社阿部潜の代人と称する東京の代言人佐伯剛平兀自由党員)、 小真木鉱山支配人河野幾蔵,や青山金一郎らを先頭に、 小真木関係の人夫を主体とする多人数が尾去沢
鹿角市史 第3巻 上 (0485)

(持主名)この郡統計要覧は三九年から、 尾去沢鉱山と小真木鉱山を共通の一欄とし、 「合併」と記しながら,この時期から小真木は尾去沢の支山として、 統計上の独自性を失うに至ったものであろう。,なお四〇年「鹿角郡統計要覧」工場の部に掲げられた小真木鉱山の従業員数等は、 創業(持主名)()(製造記名
鹿角市史 第5巻 (0365)

一二·二四大湯町四の日の市日下の湯川原の湯町道に開くこの年 小真木鉱山、 漏電により選鉱場焼失,税制改革方針を明示同満年令制公布六月 独占禁止法改正公布九月税制改革勧告 (シャウ一· 二小真木索道,小真木鉱山の沿革秋田魁新報同 同 同同鹿角時報秋田魁新報鹿角時報小真木鉱山の沿革同349
鹿角市史 第3巻 上 (0474)

三、 小真木鉱山再生の小真木近世中期に、 尾去沢銅山とともに南部領内の主要銅山として栄えた白根銅山,高橋両人は、 ○年字館石・小真木にかかわる試掘願を出願し、 まもなく時の工部省よりつぎの「仮證」の
鹿角市史 第3巻 上 (0484)

三菱以後の小真木初め小真木は、 露天掘による土鉱の採掘を主としたが、 やがて根田沢旧坑の取明けによる,その後しばらくの間産額についての記録が絶えている弟〓表小真木鉱山生産高(明治〓~〓年)
鹿角市史 第3巻 上 (0479)

洋式装備の小真木の五月一四日記事に「白根再盛、 銀鉱岡山にて、 大盛にて去る十日より開業式有り、,辻の稼行による小真木鉱山の洋式技術への転換は、 全国的に出色のものであったとみえ、 八年一一月工部省鉱山課長,即ち、 貴県下小真木鉱山は近来産額が大いに増加の趣なので、 実際の景況を承知致したく、 詳細取調書差出,これに対し鉱山では、 同年一二月辻金五郎代理岩上秀の名をもって、 景況の上申書「小真木鉱山鉱業概略
鹿角市史 第3巻 下 (0604)

四三年七月小真木索道はトラック輸送に切替えられ、 八月小真木の社宅や会館等も廃止となった。,戦後二九年に再〓開し、 粗鉱九七三トン・銅品位一・九パー第21表鉱量・品位の変遷)寸木克已調査「小真木鉱山
鹿角市史 第3巻 下 (0363)

三、 小真木鉱山大正期の鉱況小真木鉱山が、 明治二一年岩崎家に譲渡され、 やがて三菱合資会社の経営,同三三年の報告書綴には差出人「小真木支山主務心得原田儀三郎」と支山名があるので、 既に早い時期から尾去沢鉱山
鹿角市史 第3巻 上 (0058)

第7表抗道気缶調査表四二三男8表小真木鉱山生産高(明治一八~二〇年)…四二三第9表小真木鉱山役員及使役人員,(明治一九・二〇年)…四二四弟〓表小真木鉱山生産高(明治二一~二三年)四二六第〓表小真木鉱山生産高(明治三五
鹿角市史 第3巻 上 (0482)

第9表小真木鉱山役員及使役人員(明治〓・〓年○使役人員
鹿角市史 第3巻 上 (0021)

蓑虫山人の描いた鹿角(明治28年10月)小真木銀山の風景〓木錦都面(秋田・DIフォト「蓑虫山人全国周遊絵日記
鹿角市史 第5巻 (0281)

鹿角南部康保が黒色ミノルカを移入鶏種改良に努む小真木隆盛にむかい松山に六の日の市が立つ。,小真木鉱山、 三菱社岩崎弥之助に譲渡さる。
鹿角市史 第5巻 (0353)

小真木鉱山白根竪坑の取明に着手す。,鹿角時報小真木鉱山のあゆみ昭和一三一月 新屋町に東北パルプ株(一九三八)式会社秋田工場創立二月大日本農民組合秋田県五月連合会
鹿角市史 第5巻 (0354)

八 ·小真木鉱山、 捲揚機据付完了し白根竪坑下三番九 ·坑まで捲揚可能となる。,同 同 同小真木鉱山のあゆみ鹿角時報一〇·一五県営十和田ホテル、 鉛山に落成する。
鹿角市史 第5巻 (0358)

九 ·小真木鉱山、 白根竪坑と浮選場間に架空鉄索を完成した。,小真木鉱山の歩み一一 ·鹿角組合病院が秋田信用販売購買利用組合に統342
鹿角市史 第5巻 (0369)

鹿角時報一一·一五小真木鉱山の小三郎斜坑が中切坑に貫通した。,小真木鉱山の沿革鹿角のあゆみ昭和二六(一九五一)一月 紅白歌合戦ラジオ放送開始三月 農業委員会法公布四月
鹿角市史 第5巻 (0278)

一二·小真木鉱山借区譲渡願を辻金五郎が提出する。,県への小真木鉱山現況報告に、 坑夫一〇四人、 高橋嘉六 · 復令書262
鹿角市史 第5巻 (0316)

和歴(西暦)一 般 的 事 項鹿角関係事 項出 典同 同花輪関善の花正宗が大正博覧会で褒賞授与さる小真木鉱山,秋田県酒造史小真木鉱山の歩み鹿角郷土誌宮川郷土読本尾去沢鉱山山史大正四(一九一五)一月 米価調節令の公布三月
鹿角市史 第5巻 (0357)

小真木鉱山、 下四番坑より白根竪坑掘下を開始。 花輪町下川原に巡査駐在所が設置された。,秋田魁新報小真木鉱山のあみ花輪町役場庶務事務簿341
鹿角市史 第5巻 (0360)

国保三〇年の歩み尾去沢鉱山、 軍需省の要請により七万トン選鉱場能力を一〇万トンに増強製錬設備も拡張した小真木鉱山,小真木鉱山の歩み昭和一九二月 決戦非常措置要綱決定(一九四四)四月 疎開転入者受入体制の急速整備方を通達
鹿角市史 第5巻 (0374)

レベル小真木鉱山の白根竪坑掘下げ工事8Lに達した小真木鉱山の沿革一一·花輪町本町通り第二期道路舗装終
鹿角市史 第4巻 (0102)

これが明治に入って小真木鉱山として再生していくことにつながっている。,ここには市内唯一の市神社が祀られていて小真木鉱山時代にもその信仰は続けられていた。
鹿角市史 第5巻 (0347)

小真木鉱山、 小三郎露天掘を開始。,小真木鉱山の沿革昭和一〇(一九三五)一月 知事、 冷害克服の決意を固め奮起の旨告諭す二月凶作激甚地婦女子
鹿角市史 第3巻 上 (0477)

即ち、 本年春小坂鉱山坑夫某が偶々小真木で土鉱を発見し、 これを大島()工部任大技長に示した。,字館石・小真木合わせて二、 一〇〇坪にかかわるもので、 その文面によると、 右の借区は毛馬内村字城
鹿角市史 第4巻 (0247)

されたり宴会などが行われたが、 一般従業員は入ることも利用することもできなかった尾去沢鉱山と支山の小真木鉱山,小真木鉱山の人は毛馬内方面に遊びに出かけ、 明治・大正の頃、 不老倉鉱山の人たちは遠路、 大湯温泉
鹿角市史 第5巻 (0282)

小真木鉱山竪坑設備として、 外国製四五馬力の汽罐二台の使用はじまる。,秋田県史資料小田嶋由義伝錦木村郷土史小真木鉱山鉱業状況概略尾去沢元山に方五間の堂を建立し臨時葬式用とした
鹿角市史 第5巻 (0361)

#183;二一·五 ·五 ·六 ·六 ·六 ·小真木鉱山,毛馬内カトリック教会に外国人抑留所を設置す小真木鉱山のあゆみ秋田魁新報庶務事務簿同秋田魁新報七·
鹿角市史 第5巻 (0398)

鹿角タイムス七 ·小真木鉱山の索道が廃止されトラック輸送となる。,翌月小真木社宅や会館等廃止される。
鹿角市史 第3巻 下 (0366)

なお同年、 沈澱池新設工事、 小真木診療所新築工事などが完成しているこれより先、 地元大欠部落との,小真木鉱山においては、 露天掘による鉱石の運搬等の必要から大欠の部落採草地を借受け、 一六年間の使用料三
鹿角市史 第3巻 下 (0042)

郡農協の誕生、 進む共同化、 鹿角りんご、 畜産・林業、 尾去沢鉱山の退潮、 古遠部・小真木鉱山
鹿角市史 第3巻 下 (0035)

従業員数、 輸送、 中沢ダムの決潰、 新市街地、 戦時体制、 友子の人々、 その互助活動三小真木鉱山
鹿角市史 第4巻 (0951)

小真木に一例がある。 〓格〓
鹿角市史 第3巻 下 (0378)

友子資料のうち「山中規則帳」(大正五年一月改注〓表紙に「尾去沢鉱山・鉱山長」とあり注〓村木克巳調査作成「小真木鉱山
鹿角市史 第3巻 下 (0612)

尾去沢鉱山株式会社注〓北鹿新聞昭和四六年一一月一五日付注〓『鉱山と鉱山集落』斎藤実則、 村木克巳調査「小真木鉱山
鹿角市史 第3巻 上 (0445)

この時には洋服着用の者四、 五〇名、 小真木鉱山と染抜いた法被を着た者六、 七〇名、 総勢百二,同時に佐伯は席から立ち上って決行せよと命令を下し、 傍らにいた小真木鉱山主代理人河野幾蔵は、 先般来
鹿角市史 第1巻 (0079)

また、 花輪・小真木・鉛山等の鉱山では、 鉱脈・黒鉱の二種の鉱床の共存がみられる。
鹿角市史 第4巻 (0243)

小坂鉱山の山神社祭典のように、 盆の八月十五日に行うところもあるが、 尾去沢鉱山や小真木鉱山の祭典
鹿角市史 第4巻 (0209)

また中央部にはかつて白根金山として栄えた小真木鉱山が位置し、 その南部には和銅元年(七〇八)の発見と
鹿角市史 第4巻 (0456)

小豆沢間、 中川原・前川原間のほか、 夜明島川、 江戸川にも架けられ、 十和田地区では大欠・小真木間
鹿角市史 第4巻 (0453)

この川を狭布の渡というと第2図大欠・小真木鉱山間の渡し舟(昭和14年頃まで利用)
鹿角市史 第4巻 (0200)

遊興施設即〓第13図広川屋鹿角には尾去沢・不老倉・小真木・小坂などの鉱山が控えていることもあり、 マチ
鹿角市史 第4巻 (0495)

青野物()一人につき三銭で、 店舗数二百二十、 一カ月の売上げ千円以上であったという菜小坂・不老倉・小真木
鹿角市史 第5巻 (0575)

沼田沼平〔大〕温川〔青森県〕ヌル湯〔青森県〕ネ根市 (村)根市 (津) 川根市戸根瀬 〔八〕根田沢〔小真木
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