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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第4巻 (0731)

①籾押し(小豆沢の青年多数)②幡上げ(四集落から八名)③神子舞(能人全員二九名)④神名手舞(能人全員二九名,)⑤大小行事(大里・小豆沢の社人二名)⑥祭式(修法)(宮司による)⑦権現舞(小豆沢の能人八名)⑧駒舞(,能人六名)⑩鳥舞(大里の能人(童子)三名)〓五大尊舞(谷内の能人六名)〓工匠舞(大里の能人四名)〓田楽舞(小豆沢
鹿角市史 第1巻 (0474)

また、 小豆沢大日堂境内に正安二年(一三〇〇)銘の板碑があり、 「藤原朝臣秀□・秀有」の施主名が刻,この施主名について、 これまで、 戦国末期の小豆沢館主小豆沢駿河が秋元氏系と伝えられてきたことから,して、 鎌倉期の鹿角郡地頭も当然関与したはずであり、 板碑施主には成田氏が最もふさわしい人物となる小豆沢
鹿角市史 第3巻 上 (0238)

尾去沢鉱業会社に拠出を求めた記録も残っている(」八年から翌年にかけて、 花輪から玉内、 大里、 小豆沢,従来の道筋は、 花輪を出て大里の大館下から台地の上を通り、 小豆沢の坂を下り、 大日堂へ出ていた,大里から小豆沢へは台地の下の田地を通り、 小豆沢の十八坂の下で旧道に接続する。,小豆沢から湯瀬までは一ノ渡橋を新たに架け、 旧道を進んでさらに米代川の左岸に新道を延長して笹ノ渡に至
鹿角市史 第4巻 (0718)

旧正月一日夜から二日にかけて行われていたが、 昭和三十五年からは新暦正月二日に、 近郷四集落の大里・小豆沢,物語は、 小豆沢に正直者の夫婦がおり、 ある時に夢で大日神のおトン告げを受け田山村の奥の平間田に移,后となった姫はのち父母を追慕して、 小豆沢の地に大日堂示現社を建てた。,僧正や諸役人はみな都から下り、 小屋場(今の小豆沢小山)に普請の仮小屋をおき、 郡中へ命じて人足や,行基は桂の木一本をもって三体の大日如来像を刻み、 小豆沢の大日堂、 長者の生地の長牛大日堂、 妻
鹿角市史資料編 第27集 (0045)

等不都合無之候様取計可申此段相達候也花輪廳郡長江尚々早々順達御先觸留村より郡長江相返し可申也大組頭百性惣代未四月三日未刻発至急申達御用有之候条此状参着次第小豆澤村遊宿大日別当江早々可罷出也辛末四月四日花輪関村新蔵川部村辛末四月四日辛末四月四日花輪関村新蔵柴内村金澤勇之助大里村小豆澤村川部村谷内村夏井村長内村松館村追,川部村江御通行砌故内見分仕候、 其節長嶺村之御出迎人数左之通菊治安之丞与助傅之助喜兵衛孫蔵六右エ門作之助佐平治与平治甚五平〆小豆澤村,より御出迎人数左之通一作蔵佐助与七郎与市久之丞在家徳右エ門庄屋市太郎金澤勇之助大里村小豆澤村川部村谷内村夏井村長内村松館村右村々庄屋中三
鹿角市史資料編 第27集 (0046)

花王町新蔵持与左工門地一此節御見分之御場所ハ大里村ハ赤渕よりおふじ子沼少々朽ノ木川原上田表、 小豆澤,トして前川原小徳起し返藤川原より牛渡り仁助川原横手迄四ケ所、 川部村ハ前川原小徳持地、 四月四日小豆澤別当泊,り昼ハ和田村小田嶋徳弥、 泊りハ谷内村藤助、 其時三ケ村論地所長嶺村之内郷江小豆澤村より入預り高拾九石三斗九升七合小豆澤村之内中田谷地横手内御金目拾壱匁定一高八石弐斗九升花王町新蔵持与左工門拙田拾八人打場所牛渡
鹿角市史資料編 第31集 (0136)

可然御取計被成候様致度候以上八月二日佐野右衛門嘉兵衛印義兵衛様右ノ通申来候間、 幸伝右衛門逗留故段々ノ趣懸合ノ上、 右始末書付小豆沢村付故同村肝入庄之丞,より書付為指出、 可然ニ相決シ申候指上申書付ノ事御巡見様御通行ノ節小豆沢村附一ノ渡前々より御渡舟二て,通被仰付候段奉畏候、 向後御双方肝入共へも申伝指置可申候、 為後證如此御座候以上天明八年申八月三日小豆沢肝入庄之丞印関理平次様石田儀兵衛様一昨二日付御状致拝見候,右申上候通取計候様各様を以被仰遣、 且御別啓ノ趣共ニ委細致承知候、 幸伝右衛門湯瀬村ニ被居候故懸谷仕、 小豆沢肝入持前,印形相用申候以上一八月四日田山より入合ノ御場所、 見分宜出来請負源左衛門より立会ノ上引請済、 同五日湯瀬小豆沢両村附請負人市兵衛
鹿角市史 第1巻 (0458)

小豆沢の大日堂2号)として、 さらに論を進め、 天台寺の新本尊丈六像は大日如来像で、 小豆沢大日信仰,そして天台寺が「糠部郡寺」の意味をもち、 平泉藤原氏はこの政策をいっそうおしすすめたから、 小豆沢大日堂
鹿角市史 第2巻 下 (0338)

○天明二年(一七八二)五月小豆沢村一ノ渡橋長さ二三間焼落ち、 橋守長助が慎みを申付けられた。,五月花輪通田山往来の道橋が所々で大破し、 人馬往来が危険なため、 繕普請を願い出た)文化二年(一八〇五)三月小豆沢村天狗橋,○同四年九月田山往来小豆沢村一ノ渡橋の新規懸替を願い出た。,○同年五月小豆沢村附大欠の内の米代川水中に死者を発見した○同年七月田山往来館市の大橋揚橋が数年来朽損が
鹿角市史資料編 第7集 (0158)

三百文同谷内一、 百文同廿日源八小右衛門一、 八百文同谷内一、 百文同同佐吉善助一、 五百文同小豆沢一,弐貫五百文代、 百文同廿七日夏井与六一、 弐百文同廿八日御番所一、 五十文同谷内一、 三百文同小豆沢助十郎武武助一,廿弐貫六百五十文一、 弐百文二月七日上苗代小右衛門一、 弐貫八百文同花巴ノ兵蔵殿、 四百文同九日小豆沢与七郎一
鹿角市史 第5巻 (0563)

(参考資料)あざ鹿角市字名一覧八幡平字あかひらあずきざわうちかわら赤平, 赤渕, 飛鳥平, 小豆沢,, 小豆沢碇, 小豆沢内川原, 小豆沢上川原, 小豆沢谷地, 穴戸口, 荒町家の前, 荒町前田
鹿角市史資料編 第27集 (0043)

厳重之御所置可申付事辛二月十七日江刺縣花輪廳辛二月十七日江刺縣花輪廳両通郡長久保田村庄屋兼帯惣五郎申合相勤町年寄折戸市郎右工門豫備捕亡関市之助根本善五郎吉田新作村山元治右之通今般御達相蒙候条銘觸限不洩様可被相觸もの也花輪庄屋所三月廿九日花輪庄屋所村々庄屋衆中三月十七日小豆澤村庄屋市太郎殿,より呼出ニ付私名代として与助遣申候所、 右用事ハ向境小豆澤村高之内東屋新蔵持地横手并中田谷地開立一条,被置候事江刺縣花輪庁両通郡長右之通為心得相達者也廿一日講書孟子二ノ巻同四ツ時より聽聞之者銘々扣本持参可罷出者也郷学校掛此度小豆澤村高向境之一条
鹿角市史資料編 第27集 (0055)

付村方江粟柄四王縄壱王宛家並相出し申候長嶺村よりハ粟柄百四拾把太縄三拾六把相当り申候未四月十八日一中田谷地一条ニ付五月二日小豆澤村三,村論所此度郷境は聢と相分り申候其時立合ニ御出被成候出人数面附左之通花輪町村長石木田要吉折戸市右エ門同郡長関村新蔵小豆澤村村長斉藤市太郎副村長作蔵三,田村金澤冨太郎明治四年辛未五月廿五日長嶺村【嶺村長嶺村村長阿部甚五瓦和田村小水澤村右之場所先年より長嶺村郷中之内江小豆澤村高
鹿角市史 第4巻 (0730)

小豆沢には舞台元のしきたりはなく、 別当家に神屋という所がありそこで練習したものという。,昭和五十二年度に小豆沢能衆会が組織され、 舞楽の保存と運営を担っている。,小豆沢の能衆の構成は次の通りである。
鹿角市史資料編 第31集 (0146)

千種庄左衛門止宿御境被仰渡、 立会御代官中留主下役吉田伝右衛門へ御添状渡、 直々小豆沢村へ罷越候ノ,処、 花輪相役渡辺官蔵止宿出会、 直々小豆沢庄右衛門ニ宿也一同晦日庄右衛門所病人旁ニて宿替、 同村与左衛門所,段官蔵花輪御代官所へ訴出候処、 何分〓仕様積方指出候様、 左候ハゝ毛馬内へ取合可申段御挨拶ノよし故、 尚又小豆沢徳十郎,段可申上如此御座候以上九月三日石田儀兵衛渡辺官蔵工藤友右衛門様日戸善兵衛様一同四日両御代官中へ左ノ通一筆啓上仕候、 然ハ小豆沢村附大縣道崩御普請相済申候処
鹿角市史資料編 第31集 (0147)

一筆致啓上候、 然ハ両御代官所へ御届申上候通、 大懸中岩弐ツ尚又切崩可申筈二罷成候間、 両三日モ小豆沢村,ニ止宿可仕、 下リ山ノ方相後可申込リ有之一小豆沢村徳十郎請負御場所不残相済申候事故、 御代物申請度,御届得御意候以上九月五日石田儀兵衛渡辺官蔵黒沢安左衛門様山本九一様右書状巳ノ刻相出ス、 此節宿元熊助方御用席壱通相出ス、 花輪検断へ弐通届候ノ段、 小豆沢状使,ノもの申遣一九月五日四ツ時到来昨日御状令拝見候、 然ハ小豆沢附大縣道欠崩御普請相済候処、 右道切広弐尺五寸崩候跡中岩上下夕弐
鹿角市史 第2巻 下 (0009)

(玉内~小豆沢)6通〓田(一ノ渡橋~湯瀬)〓瓦(石通~佐比内)
鹿角市史 第2巻 下 (0389)

例えば、 小豆沢大日別当(天台宗、 養老山喜徳寺の住職)、 花輪稲荷別当(神祇管領吉田家より認められた,鹿角においては、 小豆沢大日堂と毛馬内月山社はいわゆる僧職の別当の管理するところであった。
鹿角市史 第1巻 (0528)

)のことは『南部家系譜』政盛の譜に、 「奥州鹿角郡小豆沢郷大日堂就破壊別当養老山喜徳寺訴之、 文明十八内午年修復之,『内史略』南旧秘事記・前之巻一に「一、 二十一代修理大夫信義公鹿角小豆沢大日堂破壊に付別当養老山喜徳院,文明十八年丙午歳御修覆有り」と載せ、 『同書』奥南旧記抜萃には第二十代信時の時として「一、 信時(中略)小豆沢大日堂破壊
鹿角市史 第4巻 (0727)

3村回り正月二日午前六時、 能衆は舞台元を出立し、 村回りをしてから西のカクチで小豆沢と合流する。,〓小豆沢の行事小豆沢の能衆の中には昔から地付神役であり、 今も世襲で勤めている家がある。
鹿角市史 第3巻 下 (0197)

開業、 荒屋新町・田山間の一万一、 五〇〇メートルが四年一〇月二五日に開業、 田山・兄畑・湯瀬・小豆沢,この間、 最大の難工事であったのが、 この線の中で最高地点である龍ケ森信号所の前後の急勾配と湯瀬小豆沢間,の工事であった湯瀬・小豆沢間は、 特に湯瀬渓谷を縫うように五つの高大な橋梁と一つのトンネルが造られた
鹿角市史 第2巻 下 (0011)

〓)渡士橋鹿角街道湯瀬・小豆沢間(盛岡市中央公民館蔵「花輪通図」から)
鹿角市史 第4巻 (0020)

年中行事大日堂の笹餅売り(富樫正一氏撮影)大里のアワボ作り2円小豆沢のオジナオバナ
鹿角市史 第1巻 (0655)

小豆沢の大日堂、 吉祥院(現在の曹洞宗ではない)、 熊野権〓社、 一皇子、 山神、 薬師堂、,また、 小豆沢の板碑が第47図大日堂を中心とする社寺分布
鹿角市史 第3巻 下 (0217)

組合の隆替ははげしく、 大正年間を通じて解散のやむなきに至った組合には、 小豆沢信用購買組合、,不和祈争を解消するためには、 一村一円とする産業組合を設立すべきであることを決意し、 従来の川部、 小豆沢両信
鹿角市史 第3巻 下 (0011)

稲村橋(花輪)橋と鉄橋湯瀬溪谷を渡る鉄橋一ノ渡橋(小豆沢)神田橋(錦木-遠方に鉄橋がみえる-
鹿角市史 第5巻 (0270)

小豆沢一ノ渡(明治28年蓑虫山人画)洋傘を持つ男性大湯の小坂鉱山発電所(明治41年)254
鹿角市史資料編 第27集 (0018)

より六日迄大湯行一此度江刺縣御役人様(少参事様ト傍書)上下五人御村巡見御用一て此村は長嶺村湯瀬村大里村小豆澤村,ニて御法例被仰渡蒙申候小豆澤御昼谷内村泊り夏井御昼長内泊り尾去御昼花輪着此節之御出迎二市之丞市之助市助甚之丞小豆澤
鹿角市史 第4巻 (0527)

また湯瀬が川部に草刈場を貸す)というつながり譲渡や、 小豆沢と大里の草刈場の貸借関係もあって、 昔,小豆沢・大里・玉内は米代川の一ノ渡に頭首工を持つ水利を共有-ている関係で、 合同寄合を持って円滑な利用,大日堂舞楽に関係する大里・小豆沢・長嶺・谷内の四つの集落は信仰心による結合が強く、 大日堂舞楽の伝統
鹿角市史資料編 第27集 (0044)

同与助惣代武治右エ門老名惣治右エ門庄屋喜之助此人数も同所江参申候同喜兵衛左之通大組頭市平百性惣代市助庄屋甚五平小豆澤村老夕組頭徳右,相心得申候同在家辛末四月朔日書印右之通相拶仕候甚五平同久之丞同惣八一同月三日至急御用同作蔵先觸惣代与七郎庄屋市太郎記小山少参事上下二人一乘馬壱疋但餌暮用意之事小豆澤村方
鹿角市史 第1巻 (0657)

大日堂を中心とする舞楽を担当する大里・小豆沢・長嶺・谷内の四村では創建以来の祭祀組織がそのまま維持されていたが,二、 諸社と信仰〓小豆沢の大日堂大日堂は、 寿永二年(一一八三)に鎮守府将軍藤原秀衡の命により、
鹿角市史資料編 第2集 (0084)

候而罷帰申度旨申出ニ而滞留いたし候一、 九月廿五日八ツ時頃獅子渕より永八死骸見付出し引上ケ大欠本道江引上候而小豆沢村支配之内,可相成間三両為拝借願出其筋願上相渡外御用状壱通半駄賃傳馬壱疋頂戴いたし来候ニ付徳蔵健之助両人直様横死之場所迪被遣小豆沢肝入方,欠寺田宿中程出火ニ而〓取候由半左エ門より寺まで焼候よし尤家数中百五軒程類焼有之候趣一、 九月廿八日前夜徳蔵罷帰り小豆沢村,ニ而肝入方江預おき候栄八処持之品春蔵又八両人江相渡死骸さしおき候場所へ罷越小豆沢村肝入立合ニ而両人之者江相渡人足儀,は大里村より四人小豆沢より四人都合八人為相出湯瀬村迪為差送徳蔵罷帰り善助方へ立寄くくり之者へ手宛向之儀及相談候処此程遣候壱両
鹿角市史 第2巻 下 (0335)

大日堂の前を過ぎ、 小豆沢の村に入る。 「中村に馬継所有。,小豆沢の天王館北側に旅籠があり、 その南よりに一里塚と駅場・高札場があったと伝える。,なお『鹿角大湯日記』には、 小豆沢上十五日之内馬継、 大里下十五日之内馬継と記され、 この両村で
鹿角市史 第1巻 (0640)

第四章中世の鹿角鹿角市八幡平字小豆沢、 下鷲の巣〃〃字長牛、 林の外、 タタラ〃〃字石鳥父〃〃字天神舘
鹿角市史 第4巻 (0614)

第三節春の行事-左・ワラで作った火棚右・五ノ宮嶽中腹の十二の明かり第11図小豆沢のオジナオバナ{供たちは,小豆沢のオジナオバナは山の峰づたいに火を焚くもので他の地区とは違っており、 また現在も行われている特異
鹿角市史 第4巻 (0023)

いた松の木の駒形神社金勢様(松の木・駒形神社<だんぶり長者伝説>吉祥姫の墓とイチョウの木(小豆沢
鹿角市史 第3巻 上 (0021)

〓木錦都面(秋田・DIフォト「蓑虫山人全国周遊絵日記(秋田編)」から小豆〓大日達鹿角郡錦木の里鹿角郡小豆沢大日堂
鹿角市史 第4巻 (0729)

御幣綾笠第5図小豆沢の祭装束(『大日堂舞楽(増補)』から)
鹿角市史 第2巻 下 (0319)

七月朔日米倉萬様下斗米勘蔵様安宅平右衛門様船越八右衛門様今四ツ時盛岡へ御帰り、 壱駄御人足四人大里村小豆沢村,以ト九月八日辰刻橋本定右衛門判中野三左衛門判毛馬内より田頭迄所々検断肝入〓前書御伝馬之内五疋小豆沢村へわり
鹿角市史 第2巻 下 (0461)

もみなほとけあらしやながれ法の音声十六番谷内の延命寺とる太刀も折れて命の恙なく救ふちかひや観音の慈悲十七番小豆沢,の奇徳寺(大日堂)はる〴〵と歩みを運ぶ小豆沢大日堂の夕ぐれのかね十八番小豆沢の吉祥院慾もなく得を思はぬこゝろ
鹿角市史 第3巻 上 (0208)

宮麓村字小豆沢、 長井田村三ケ田、 柴内村、 尾去沢鉱山獅子沢、 末広村字松山、 大湯村、,巡査駐在所」の基礎となったが、 その所在地はしばしば移転し、 宮麓村を例にとれば、 二二年四月宮麓村字小豆沢
鹿角市史 第1巻 (0526)

安東氏と小豆沢大日堂八幡平小豆沢の重要無形民俗文化財大日堂舞楽を伝える大日霊貴神社(大日堂)に、 次
鹿角市史資料編 第27集 (0114)

所限明細取調書上可申御沙汰二付同三月六日金目高之分取調書上仕候一三月廿六日第四小區戸長所より同手傳江御用騎馬壱ツ御下ケ二相成申候小豆澤村阿部市之丞子阿部三助当酉二十七才妻,いし当酉二十九才右之者宗門送遣し御帳入被下置度奉願上候以上明治六年酉五月九日戸長手傳小豆澤村斉藤市太郎印戸長手傳長嶺村阿部甚五平殿一酉五月六日記右
鹿角市史 第4巻 (0637)

第一節神社と信仰一、 鎮守と産土神市内の神社鹿角の代表的な神社としては小豆沢の大日霊貴神社(大日堂),ムラの鎮守や産土を拝み、 祭りに参加して暮らしてきたのである大日堂たんぶり長者伝説に由来する八幡平小豆沢
鹿角市史 第4巻 (0865)

『鹿角方言集』の中では、 谷内を中心とする旧長谷川村と、 小豆沢を中心とする旧宮麓村の語調やアクセント,の特徴に触れたり、 谷内・小豆沢・花輪・
鹿角市史資料編 第31集 (0143)

双万及相談右ニ相決シ、 右〓請負人共より為叫両所肝入末書我等末書二て、 御代官両所へ末書指出ス小豆沢村附,人足三人一橋幅七尺敷木八尺柴敷砂利置ならし左右塚置古橋より弐尺余幅広ク仕人足十弐人〆弐拾五人右ノ通木品御人足〓積書指上申候以上小豆沢請負人与助寛政七年八月小豆沢請負人与助請人与四郎肝入徳右衛門花輪毛馬内御肝入衆中右
鹿角市史 第4巻 (0774)

野尻左京物語野尻豪士事時杉山の起源三ケ田地名の由来七かまど伝説湯瀬岩の由来、 落人伝説ばぐだ石伝説小豆沢石
鹿角市史 第3巻 下 (0171)

宮川村は、 昭和二年八月大里、 小豆沢で第二部を組織、 従来の宮川村消防組(谷内)は第一部と改めた,五年第二部を小豆沢のみで組織することとし、 大里で組織する第三部を新設する。
鹿角市史 第2巻 上 (0284)

大地村中野村万屋村赤坂村芦名沢村小坂村局屋村鏡田村尾去村谷内村白欠村長内村細越村余路米村砂子沢村濁川村(二六カ村)狐平村三ケ田村川邊村夏井村長牛村花輪通長嶺村松館村花輪新田村三ケ田新田村(田山湯瀬村小豆沢村大里村花輪村神田村甘蕗村村,田内田山平田通井『御領分中本枝村付』享和三年(一八〇三)改軒本村湯瀬村三一(二八)枝石通才田一一四一軒小豆沢村四五
鹿角市史 第1巻 (0531)

同八拾石野呂六兵衛一、 同弐百五拾石十二処ニ住居十二所信濃一、 同八拾石杉沢数馬右五人ハ御足軽同心拾人宛鹿角江召連小豆沢大里押,尾去沢川口家文書』)浅利則頼分限帳のうち鹿角関係分のみを掲げたが、 これにみる限り浅利氏の勢力は郡南小豆沢大里地区
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