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鹿角市史 第3巻 上
(0012)
尾去沢鉱山
尾去沢鉱山
精錬所(大正2年「鹿角郡案内」から明治40年前後の
尾去沢鉱山
(明治41年「東宮行啓記念写真帳,
尾去沢鉱山
廻焼爐(明治36年設置)(大正2年「鹿角郡案内」から
鹿角市史 第3巻 上
(0013)
絵巻物「
尾去沢鉱山
作業之図」(明治初期)・
尾去沢鉱山
尾去沢鉱山
株式会社蔵義之〓呼流門之〓内操〓之〓
鹿角市史 第3巻 上
(0054)
鹿角郡花輪町の図」(裏)「鹿角郡大湯温泉の図蓑虫山人全国周遊絵日記(秋田編)から【口絵写真】明治五年
尾去沢鉱山
,石明治六年毛馬内村絵図(部分)その一…2円〃その一…明治六年大湯村絵図(部分)その一…一〇その二…明治四十年前後の
尾去沢鉱山
,…一一
尾去沢鉱山
精錬所一一
尾去沢鉱山
廻焼爐(明治三六年設置)…一一絵巻物「
尾去沢鉱山
作業之図」(明治初期,)…一一
尾去沢鉱山
碇発電所(明治四四年五月運転開始)…一一
尾去沢鉱山
永田発電所設置と同型の発電機…不老倉鉱山
鹿角市史 第5巻
(0316)
この頃
尾去沢鉱山
·土深井間に馬車軌道が敷設された。,秋田県酒造史小真木鉱山の歩み鹿角郷土誌宮川郷土読本
尾去沢鉱山
山史大正四(一九一五)一月 米価調節令の公布三月,
尾去沢鉱山
焼鉱場の大改造行われ、 鉄筋コンクリート建、 移動式ポット六台、 一二トン釣起重機、,
尾去沢鉱山
山史二·三 ·立憲同志会秋田支部総会に馬渕匡次郎らが出席秋田魁新報二不老倉鉱山,
尾去沢鉱山
碇発電所第二期工事、 発電機增設。 秋田魁新報
尾去沢鉱山
山史300
鹿角市史 第4巻
(0012)
鉱山のくらし昭和初期の
尾去沢鉱山
尾去沢鉱山
倶楽部中沢の共和館製錬所の閉炉式
鹿角市史 第5巻
(0287)
尾去沢鉱山
山史明治二六三月 度量衡器取締規則定む(一八九三)同天然痘流行により種痘普及手続を達す六月,元光庵明細帳一二 ·
尾去沢鉱山
、 東京電灯株式会社の設計による直一二 ·流二五キロワット,の薪木燃料汽力発電所を設置
尾去沢鉱山
山史三菱合資会社創立し
尾去沢鉱山
も同社経営となる。,
尾去沢鉱山
で電話交換を開始、 東北最初という。
鹿角市史 第3巻 上
(0017)
尾去沢鉱山
碇発電所(明治44年5月運転開始、 500kW発電機を設置)
尾去沢鉱山
永田発電所設置と同型
鹿角市史 第5巻
(0339)
同この年
尾去沢鉱山
は主要坑道にガソリン機関車を増設したほか、 昭和竪坑の開鑿に入った。,この頃
尾去沢鉱山
山史鉱山と鉱山集落昭和五(一九三〇)一月 民有林造林補助規程を設け私有林造林を促進二月第一七回衆議院議員総同選挙執行船川港,へ税関支所設け一·一五
尾去沢鉱山
は前年度煙害賠償金を各町村集落毎に発表することとし個別の交渉,三·
尾去沢鉱山
小又川発電所を前田村に建設した。,四·三〇不老倉鉱山再び不況従業員八〇名解雇を発表す秋田魁新報鹿角時報
尾去沢鉱山
山史秋田魁新報
鹿角市史 第1巻
(0021)
日
尾去沢鉱山
坑道▲上へ上へと掘り上げていった坑道▲黒色泥岩の中を走る鉱脈火成岩
尾去沢鉱山
地質鉱床断面図
鹿角市史 第3巻 上
(0467)
〓いで、 二三年一二月、
尾去沢鉱山
字西道石切沢外八字にかかる長谷川芳之助との共同借区を、 岩崎弥之助名,二四年には岩崎弥之助名善で
尾去沢鉱山
小字深沢、 獅子堂長根に金銅鉛鉱借区願を出願し、 同年四月譲渡人,同じく二四年五月大江松太郎より小字赤沢の銅鉱場四、 三二〇坪の借区譲渡を受け、 ここに
尾去沢鉱山
鉱区,のち二六年一二月、 三菱合資会社創立とともに、
尾去沢鉱山
もまた同社に移管された。,その状況を『
尾去沢鉱山
々史』にもとずいて述べてみる。
鹿角市史 第5巻
(0340)
鹿角時報五·二〇
尾去沢鉱山
鉱毒水の被害甚大として十二所町別所農民組合が鉱山との交渉に入る。,大館·三戸線毛馬内地内より大湯町境まで道路改良工事も進捗す秋田魁新報鹿角時報六·
尾去沢鉱山
小又川送電,により転炉操業を開始す
尾去沢鉱山
山史九·一六東伏見宮大妃殿下、 錦木塚へお成り。,同この年花輪浦井医院方に扇田病院出張診療月六回行う
尾去沢鉱山
、 田ノ頭沈澱場を新設す。,秋田魁新報鹿角時報
尾去沢鉱山
山史324
鹿角市史 第3巻 上
(0266)
乙鉱山石木田支店一五番石木田新太郎二五番岩手屋(料理屋)〓番花輪税務所一六番栗山文次郎二六番柏田医院六番鹿角電燈会社一七番
尾去沢鉱山
,)二八番浅利佐助八番石井留之助(塩屋)乙広川屋(")二九番高瀬旅館(恒造九番管原庄助一九番
尾去沢鉱山
販売所一,〇番
尾去沢鉱山
二〇番花輪警察異その後、 五年四月一日毛馬内局、 一二年二月一日大湯局と広がっていき
鹿角市史 第5巻
(0320)
宮川郷土読本同
尾去沢鉱山
元山第二竪坑の完成とともに電気捲同同この頃谷内市日が三の日に開設された。,
尾去沢鉱山
山史鉱山と鉱山集落宮川郷土読本秋田魁新報大正七(一九一八)二月 笹島定治大館戊辰史を刊行同同三月県模範桑園奨励規程県養蚕組合奨励規程市町村義務教育費国庫負担法公布七,五 ·一三菱鉱業株式会社設立され、
尾去沢鉱山
はその秋田魁新報事業所として所属す。,
尾去沢鉱山
山史七· 五大湯農会長諏訪富多が中心となり、 大湯大清水沢約一五四町歩に煙害被害者五
鹿角市史 第5巻
(0293)
尾去沢鉱山
は、 旧来の日本吹法を全廃しストー鹿角郡産業調査書ル焼窯の新設と真吹法を採用した。,
尾去沢鉱山
山史明治三一(一八九八)一月 公立学校に学校医を置同く旨の勅令公布本県農事水産、 蚕糸伝習所及巡回教師,
尾去沢鉱山
、 宮川村に永田発電所を建設。,秋田銀行八十年史
尾去沢鉱山
山史適産調四·一五花輪六日町·谷地田町両町共同の夜廻組合
鹿角市史 第3巻 下
(0687)
かづの〓」平成二年鹿角市注4秋田魁年鑑昭和四八年版秋田魁新報社注5斎藤実則著『鉱山と鉱山集落』注6「
尾去沢鉱山
略史,」昭和六一年一〇月
尾去沢鉱山
株式会社注7注5に同じ注8記念誌「古遠部鉱山」菱和会古遠部注9秋田魁年鑑各年度版秋田魁新報社
鹿角市史 第4巻
(0225)
(「大正五年十二月十六日
尾去沢鉱山
の石切沢・中沢・田郡の自坑夫壱統の取立免状」「昭和四年六月二十一日
尾去沢鉱山
,大正五年一月一日改めの
尾去沢鉱山
赤沢自坑夫山中規則は、 全文二十七条にわたり友子交際のことを定めているが
鹿角市史 第5巻
(0328)
毛馬内カトリック教会幼稚園マリア園を設立す
尾去沢鉱山
幼稚園が開園す。,青年乃鹿角九·一〇·
尾去沢鉱山
浮遊選鉱機二台增設工事完成す。,
尾去沢鉱山
で婦人従業員のため独自の乳·幼児託児所を開設した。,
尾去沢鉱山
山史秋田魁新報一一 ·全国清酒醬油品評会にて浅利佐助商店の入大印一二·福寿
鹿角市史 第4巻
(0227)
昭和十二年
尾去沢鉱山
における救助の奉願帳の一例は次のようであった。,(氏名)兄分陸中産(氏名)子分陸中産(救助を受けるものの氏名)石(氏名)氏ハ大正元年拾月拾六日鹿角郡
尾去沢鉱山
,リシハ誠ニ有難ク感謝ス尚本帳回山ノ際ハ各位應分ノ御喜拾ニ相成度ク本人共ニ伏シテ嘆願フ昭和十二年鹿角郡
尾去沢鉱山
元山渡利友子一同中石同盟友子一同田郡渡利友子一同第
鹿角市史 第3巻 下
(0092)
尾去沢鉱山
争議五年一〇月にいたって、
尾去沢鉱山
にも大規模な労働争議が発生した。,
尾去沢鉱山
に労働組合結成の動きが活発になったことについて、 秋田魁新報はつぎのように報じている。,三芒の経営する
尾去沢鉱山
では坑内夫の平均稼ぎ高三四、 五円、 何十年働いても勤続手当皆無なので、
鹿角市史 第4巻
(0241)
「明治三十五年頃、
尾去沢鉱山
では女子の日給は九銭、 白米一升十一銭、 食油一升四十銭であった。,
尾去沢鉱山
では昭和十一年までは用度といい、 当時は主食の米だけは鉱山構所内の米倉庫で従業員に渡され、,小真木鉱山には
尾去沢鉱山
購買会の分店があった。,三十二年に花輪でテレビ放送が受像できたことに伴い、 三十五年には
尾去沢鉱山
住宅地内の家庭に、 ほかの
鹿角市史 第3巻 上
(0483)
丈は、 一九年になって
尾去沢鉱山
の買収を図り、 同鉱業会社代表の一人阿部潜との間〓父渉を進めていた,同年一一月辻側は鉱業会社の負債七万円を引受けることなどを条件に、
尾去沢鉱山
と組合を結んでその経営に,辻側は、 鉱業会社のこのような二重契約を怒って、 二〇年五月
尾去沢鉱山
事務所へ多数の暴徒を乱入させたことは,、
尾去沢鉱山
の項で述べた通りである。
鹿角市史 第4巻
(0223)
昭和四年六月二十一日
尾去沢鉱山
で行われた取立て式における出生免状には、 次のように記載されている。,昭和四年六月廿一日布木ハ薬師如来渡利坑夫渡利坑夫
尾去沢鉱山
同盟出生免状同盟出生免状自坑夫自坑夫三十六枚矢板,殿山例五十三ケ條書申渡ノ事左右面柱天照皇大神宮右春日大明神左二本目八幡大明神右山神山神宮形取ルモノ也
尾去沢鉱山
一
鹿角市史 第4巻
(0224)
友子の規約は全国同じようなものであったといわれるが、
尾去沢鉱山
における友子の組織は次のようであった,第6図
尾去沢鉱山
における友子組織山中大当番-山中箱元-親分-子八(友子一統の取締役掘大工掘子大工世話人掘子世話人自坑夫世話人,また十三年後に行われた「
尾去沢鉱山
渡利坑夫・自坑夫同盟出生免状」を見ると二十七人が出生しているが、
鹿角市史 第3巻 下
(0050)
表協定利率・勉強利率対照表…二五十第〓表盛岡銀行の年賦償還計画…二六第〓表全国普通銀行数の変遷…二六五第〓表
尾去沢鉱山
,大正八年以降)…二九一第〓表一カ月平均産出金属量(昭和二~九年)…二九五第〓表大正より昭和九年まで鉱産販売額(
尾去沢鉱山
,)…二九八第〓表昭和九年以前職員並びに労務者数(
尾去沢鉱山
)…二九九第〓表昭和一〇~一四年職員・労務者数,(
尾去沢鉱山
)…三〇〇弟〓表ダム決潰による被害の結果…三〇一一第〓表各友子同盟員負担額調…三一(第〓表不老倉鉱山
鹿角市史 第3巻 上
(0045)
鹿角銀行史の総括…三五六第三章鉱山の隆替…三五一第一節幕末・明治初期の鉱山の動向三五十一激動する政局と
尾去沢鉱山
,…三六三幕末・明治初期の鉱山の一般的状況、 ゴットフレーの報告、 刑罰規定、 藤太郎一件第二節
尾去沢鉱山
鹿角市史 第3巻 上
(0465)
二、
尾去沢鉱山
鉱業会社から三菱へ
尾去沢鉱山
が、 鉱業会社頭取岡田平太の経営から、 三菱会社員長谷川芳之助,この二〇年における状況は「陸中国鹿角郡
尾去沢鉱山
坑業昨二十年一月ヨリ十二月ニ至ル事業ノ景況取調書」として
鹿角市史 第5巻
(0314)
秋田りんごの一〇〇年この年
尾去沢鉱山
は主要坑道に電車軌道敷設、 空気圧搾機·シャープナーの,
尾去沢鉱山
山史鹿南地区郷土調査大正三(一九一四)二月 秋田市大工組合できる三月仙北郡強首村を中心として,同四·二一
尾去沢鉱山
鉱夫賃上げ要求の同盟罷工に入り約一、 〇〇〇名事務所を圍む。
鹿角市史 第4巻
(0232)
第四章鉱山とくらし第3表
尾去沢鉱山
従業員の職場転換先(昭和〓・〓年去沢鉱山もその後鉱況不振となり、,とし、 多くの人たちが働いて鉱山町として賑わい、 商人の出入りも多かった藩制期の頃から盛んであった
尾去沢鉱山
鹿角市史 第3巻 下
(0348)
発電所
尾去沢鉱山
の発電所は、 明治三一年二月宮川村に熊沢川からの引水による永田発電所を建設、 出力一五,産額・従業員数
尾去沢鉱山
の産出額を、 各年度の販売額としてまとめたのが次の第六七表である。,いずれも『
尾去沢鉱山
々史』)に拠って作成したものである。 三菱鉱業社史編纂室
鹿角市史 第3巻 上
(0444)
三、 紛擾事件起るその発端八年、
尾去沢鉱山
は一層の経営困難に陥り、 ついに賃金の精算も米の配給,その内容は辻は鉱業会社の負債七万円を引受けるとともに、 岡田等と組合を結んで
尾去沢鉱山
の経営に参加しかつ,この契約はやがて
尾去沢鉱山
の経営に、 三菱が参加することを予測させるものであった。
鹿角市史 第4巻
(0090)
〔尾去沢地区〕尾去沢は明治二十二年、 尾去村・
尾去沢鉱山
・三ッ矢沢村が合併し尾去沢村となり、 鉱山,
尾去沢鉱山
は、 慶長四年(一五九九)五十枚金山、 同七年西道金山などの発見に始まり、 寛文年間に,
尾去沢鉱山
の発展は、 東に米代川をはさんで隣接する花輪の商工業の降盛にも大きく影響していた。
鹿角市史 第5巻
(0318)
尾去沢鉱山
山史九·二三御即位大典記念として花輪横町に郡公会堂落成一〇· 五宮麓小学校,同同伏雲叢書一二·花輪愛友団がつくられ同人誌愛友を回覧しあう一二·
尾去沢鉱山
碇発電所第三期工事発電機増設,
尾去沢鉱山
山史同 同 こ同この年各町村の納税実績向上し一躍県内上位となった農産物の価格暴落しいわゆる豊作貧乏
鹿角市史 第5巻
(0345)
養蜂戸数一三七戸第二位仙北郡の八四戸を引離し全県一となった秋田魁新報時局匡救事業として林道開設工事が実施された同
尾去沢鉱山
昭和竪坑下四坑道,
尾去沢鉱山
山史八幡平顕勝会が組織された。,鹿角時報土深井鉱山、
尾去沢鉱山
に買収さる。
鹿角市史 第5巻
(0387)
八七三菱金属鉱業が
尾去沢鉱山
労組に対し九月末日鹿角時報同聞北鹿新聞鹿角時報迄に一千名の希望退職者を募ることを,九·二〇
尾去沢鉱山
労組が四十八時間全面ストに突入す一〇·一
尾去沢鉱山
労組が第二波の
鹿角市史 第5巻
(0354)
秋田魁新報同
尾去沢鉱山
山神社軽井沢に新築遷座式行う。,一一·一九国営移管の花輪職業紹介所が旧郡公会堂に開設同 同鹿角時報一二·
尾去沢鉱山
石切沢,
尾去沢鉱山
山史同同同この年曙村田ノ沢鉱山を旭鉱業会社が復興を図る。
鹿角市史 第3巻 下
(0377)
同同五年一月一九日付狂〓同同五年五月二〇日、 同一一月五日付注〓同同六年二月一四日付注〓同同七年一月一九日付注〓『
尾去沢鉱山
々史,』昭和一〇年度、 三菱鉱業社史編纂室注〓『鉱山用語集』金属鉱山研究会編注〓右に同じ注〓・〓『
尾去沢鉱山
々史
鹿角市史 第3巻 下
(0378)
注〓『
尾去沢鉱山
々史』昭和一一・一二年度、 三菱鉱業社史編纂空注〓『三菱鉱業社史』三菱鉱業セメント株式会社編注,「回章」(昭和一三年六月)注〓注〓に同じ注〓友子資料のうち「山中規則帳」(大正五年一月改注〓表紙に「
尾去沢鉱山
鹿角市史 第4巻
(0091)
久保田村
尾去沢鉱山
鹿角市史 第2巻 上
(0013)
尾去沢鉱山
屏風6曲一双の内鉱山屏風図部分〓
鹿角市史 第2巻 下
(0015)
尾去沢鉱山
跡地(元山の尾根)に立つ庚申塔
鹿角市史 第3巻 上
(0415)
第三章鉱山の隆替第一節幕末・明治初期の鉱山の動向一、 激動する政局と
尾去沢鉱山
貿易用産銅と技術の革新銅山,としての
尾去沢鉱山
は、 秋田の阿仁や伊予の別子銅山などとともに、 幕藩制期を通じて、 オランダ・
鹿角市史 第3巻 下
(0612)
秋田県農業協同組合中央会注〓「尾去沢鉱業所概要」(営業案内パンフレット)注〓『秋田県労働運動史』第二巻秋田県注〓「
尾去沢鉱山
略史,」
尾去沢鉱山
株式会社注〓北鹿新聞昭和四六年一一月一五日付注〓『鉱山と鉱山集落』斎藤実則、 村木克巳調査
鹿角市史 第3巻 上
(0469)
(三菱鉱業社史編纂室『
尾去沢鉱山
々史(一)』に拠る.
鹿角市史 第2巻 上
(0005)
尾去沢銅山の水抜・樋引図(「
尾去沢鉱山
屏風図」から)
鹿角市史 第5巻
(0098)
尾去沢鉱山
屏風部分今に残る藩政期の坑道白根銅山図82
鹿角市史 第2巻 上
(0012)
尾去沢鉱山
屏風6曲一双の内(秋田県指定文化財)鉱山屏風図部分〓
鹿角市史 第3巻 上
(0005)
明治5年
尾去沢鉱山
の風景(j・M・マラン「東北紀行」から)
鹿角市史 第3巻 下
(0333)
疝局
尾去沢鉱山
の煙害は、 その関係町村において花輪町・宮川村の一部と曙村・尾去沢村の全部、 鉱毒水関係,電源地帯といわれ、 昭和一三年までに鉱山事業専用の水力発電所九ヵ所をかぞえ、 うち小坂鉱山は六、
尾去沢鉱山
,地域におよぼす影響も大きく、
尾去沢鉱山
碇発電所の余剰電力によって南鹿電気株式会社が設立され、 大正一一年
鹿角市史 第4巻
(0247)
不老倉鉱山にも従業員・家族のための娯楽館があり、 芝居や活動写真が行われていた遊び・慰安旅行
尾去沢鉱山
,休養や娯楽に使用されたり宴会などが行われたが、 一般従業員は入ることも利用することもできなかった
尾去沢鉱山
,湯瀬温泉には
尾去沢鉱山
の一般従業員用と役職員用の保養所があり、 一般従業員の保養所には自炊設備があって
鹿角市史 第3巻 下
(0683)
ほか三、 地下資源尾去沢の閉山歴史と規模においてわが国最大の銅山といわれた
尾去沢鉱山
は、 鉱石の品位低下,昭和四七年四月に、 三菱金属鉱業株式会社より分離し、 資本金二億円をもって
尾去沢鉱山
株式会社として,〓三年五月、 閉山に直面した
尾去沢鉱山
の現地視察のため、 衆議院商工委員会一行九名と地元衆議院議員
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