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鹿角市史 第3巻 上
(0445)
一四日午前九時すぎ、
岡田
平太、 大江松太郎始め職員が執務に入って間もなく、 洋服着用の者六、,七名が突然事務所〓関に押入り、 大声で
岡田
君へ面談したいと叫んだ。,
岡田
は意外の強談に答える所を知らなかった。,
岡田
が、 元来鉱山は
岡田
家の所有であると言えば、 佐伯は
岡田
家の所有ではなく鉱業会社の所有であると,
岡田
の、 鉱業会社の頭取の権限で責務を扱うのであるというのに対し、 東京府庁も在東京の社員も既に
岡田
鹿角市史 第3巻 上
(0440)
尾去沢鉱山坑業のことは壬申)十月以来小野家と合併の約定を結んでき年たが、 今般協議の上合併を解き、
岡田
一手,七年一月
岡田
平蔵は大阪で没し、 義弟
岡田
平馬が継いで尾去沢の経営に当った。,九年二月平馬の子
岡田
平太が、 平馬に替った。,九年九月から
岡田
平太と阿部潜、 槻本幸八郎、 大蔵勝三郎四人の組合となり、 翌一〇年四月には鉱業会社設立,なおこの届書は、 鉱業会社頭取
岡田
平馬の名義でなされ、 券面には鉱業会社
岡田
平太、 阿部潜、
鹿角市史 第3巻 上
(0442)
からの召換騒ぎなどがあって、 この裁判は二〇年春まで継続している遺産取戻訴訟〓めに銅山払下をうけた
岡田
平蔵,は七年一月に没し、 その事業を
岡田
平馬が継承し、 さらに北馬の子平太が継いだ。,六年一月、 平太郎の後見人である実母
岡田
セイは、 平馬らが平蔵名義の財産を勝手に処分しているとして,、 代言人に星享を立て、
岡田
平馬、 阿部潜、
岡田
平太、 槻本幸八郎、 濃泉勝三郎を被告
鹿角市史 第5巻
(0673)
小笠原雄太郎(鉄山) 3上139 · 6303下4 · 5·6岡礎一岡忠格
岡田
吉次郎
岡田
,啓介
岡田
セイ
岡田
清左衛門
岡田
平蔵
岡田
平太
岡田
平太郎
岡田
平馬岡野養之助小河原福治岡本斧三郎岡本
鹿角市史 第3巻 上
(0437)
従って盛岡藩債の一件が大蔵省によって再調査されたのは、 井上がすでに尾去沢銅山を没収して
岡田
平蔵へ払下,そしてまもなく
岡田
平蔵の銅山経営について許可がおり、 五年一一月には
岡田
に対し三万六、 一〇八円を,一方井上馨は、 予算編成をめぐって司法卿江藤新平らと対立し、 大蔵大輔を辞職したが、 この年八月
岡田
平蔵,立てたとの噂を生み、 事実今後同鉱山の指導を井上に仰ぐという山内布告まで出されたが、 その布告は
岡田
平蔵
鹿角市史 第3巻 上
(0446)
再び暴徒は上局に乱入し、 卓上の事務所用の印章箱を奪い去りんとするを、
岡田
、 境がこれを庇う。,数名の暴徒は両人の前後左右からとりかかり、
岡田
の手足を押え境の首を扼して印章箱を強奪した。,即ち〓表の一人阿部潜と頭取
岡田
平太のそれぞれの思惑の食違いが、 この混乱を生んだ。,当時尾去沢鉱山の予想以上の窮迫ぶりと、
岡田
の画策による三菱会社との接近の度合は、 つぎの「尾去沢鉱山暴行事蹟,過般
岡田
平太より森村忠作に対し、 金坑譲渡願済の上は、 該山の事業は三菱会社の施行に移すとの計画なる
鹿角市史 第3巻 上
(0500)
〇三貫五八八一時秋田県仮官行となった細地銅山は、 八年一一月鉱山寮所属となり、 同九年六月東京府
岡田
平馬,その間の事情は一二年四月、 鉱業会社副頭取
岡田
平太、 社員惣代桑原清三連名で秋田県令石田英吉に宛てた,細地銅山の義は九年六月中同坑附属家屋井器械諸物品等の払下げをうけ、 その代価上納中工部省鉱山局との契約で
岡田
平馬,一一年六月、 銅山を
岡田
から鉱業会社へ譲渡することが許可となり、 爾来鉱業会社において稼行を続けたが
鹿角市史 第3巻 上
(0443)
右の始審裁判所の判決でみる限り、 平太郎の生母
岡田
セイの完全なる勝訴である。,しかしまもなく控訴となり、 二〇年には
岡田
セイより鉱業権ならびに物品所有権移転差止の申立が行われるなど,二〇年一〇月鉱業会社頭取
岡田
平太が三菱会社長谷川芳之助へ尾去沢鉱山を譲渡する約定を結んだが、 その後,の借区券名義書替などの手続が、 この
岡田
一族の訴訟の応酬で、 解決が数年遅れたといわれる。
鹿角市史 第5巻
(0273)
一一月地租改正調所設置二二·二一 ·四 ·六 ·八 ·九 ·
岡田
平馬,細地銅山、
岡田
平馬が借区許可をうけた。 花輪学校費用調達のため第一供校社発足する。,尾去沢銅山稼行、
岡田
平太· 阿部潜· 槻本幸八郎·大蔵勝三郎四人の組合,一一 · 二八宮麓村、 長谷川村、 長井田村、 松谷村、 瀬田石村、
岡田
村、
鹿角市史 第3巻 上
(0439)
これら取調の底流にあったことは、 井上が以前から尾去沢銅山経営権の返上と
岡田
平蔵払下げを目論み、,二、 苦難の鉱業会社鉱業会社となる明治五年四月二〇日、 尾去沢銅山の稼行は村井茂兵衛から
岡田
平蔵に,引継がれた、
岡田
は当時大阪から東京日本橋に居を移し、 政界に知己をもつ奇略に富む商人として知られていた
鹿角市史 第3巻 上
(0444)
その内容は辻は鉱業会社の負債七万円を引受けるとともに、
岡田
等と組合を結んで尾去沢鉱山の経営に参加しかつ,一方の線は、
岡田
等が当時三菱会社吉岡鉱山長長谷川芳之助の代理とみられる森村忠作との間に進めた交渉である,その内容は鉱山経営について森村が五万円提供の上
岡田
と組合を結び、 借区券の名義を両者共同とすることなどであった
鹿角市史 第3巻 上
(0438)
が銅山を没収したとしても、 その払下は公明正大であるべきなのに、 公売の手続もなく、 山口県人
岡田
,に払下げたのは、 この
岡田
は井上馨の親近者であるからで、 村井の申出た五カ年賦を排し、
岡田
には
鹿角市史 第3巻 上
(0466)
しかしその法的手続は、
岡田
家内部の相続権、 所有権をめぐる解決が捗どらず、 難航をやむなくされていた,二〇年一二月
岡田
平太から長谷川芳之助への金鉱借区九万九、 八〇〇坪字西道石切沢、 字元山五拾枚長根字赤沢牛道長根,またか」て鉱業会社
岡田
平太借区の銅鉱場一四万〇、 七一二坪半字元山沢、 田郡沢、 獅子沢、 赤沢
鹿角市史 第3巻 上
(0483)
しかしその一方で鉱業会社頭取
岡田
平太はほぼ同様の条件で三菱会社長谷川芳之助の代理森村忠作と交捗し、,去る二〇年の辻と鉱業会社
岡田
との紛争は長谷川芳之助の仲介で和昨をとげ、 さらにその一〇月
岡田
は鉱山の
鹿角市史 第3巻 上
(0499)
翌八年一月、 大蔵卿より、 「細地は
岡田
平馬追て借区相願候趣に候間、 夫故当分県庁扱に相成候事」,すなわち細地だけは
岡田
平馬の出願見込をうけ、 それまでの間を秋田県が継続して仮官行を行うこととなった
鹿角市史資料編 第1集
(0094)
青木少属桜田何某二人登山御役屋へ休息逗留、 同十九日東京より川村選様上下二人鍵屋より村井直太郎并支配人忠兵衛登山又東京より
岡田
平蔵外,五六人是又登山同廿日支配人斉藤忠太并手伝迄御役屋へ相詰候処川村様より御達には村井茂兵衛願の筋有之返上山之儀願の通被仰付依而朝廷より
岡田
平蔵,同廿五日川村選様御用相済御出立青木様桜田様も被帰候事一、 同廿六日村井直太郎並に忠兵衛花輪迄被帰候一、 五月朔日
岡田
様御帰
鹿角市史 第3巻 上
(0110)
、 長井田村、 柴内村、 松谷村、 尾去村、 尾去沢鉱山、 三矢沢村、 毛馬内村、
岡田
村,大地村、 上向村、 山根村、 荒谷村、 小坂鉱山)組合三合所属村八村・山一(「毛馬内村・
岡田
村
鹿角市史 第1巻
(0225)
ノ上〓〃十和田山根字土手ノ上〓・〓・〓〃十和田山根字土手ノ上〓のっ〃十和田山根字中ノ平〓の1〃十和田
岡田
字大道,〓〃十和田
岡田
字升林〓の1〃十和田大湯字松木3〃十和田大湯字吹越〓の3〃十和田大湯〃十和田大湯字一本木平
鹿角市史 第5巻
(0269)
花輪町史八 ·前大蔵大輔井上馨、
岡田
平蔵らを伴い尾去沢鉱一〇·一二·,前身) 発刊四月 県内私家塾、 寺子屋の一斉閉業を触示九月 県、 徴兵令を誤解し不一 ·
岡田
平馬
鹿角市史 第3巻 上
(0361)
六年四月二七日付杉県令から大蔵大輔井上馨宛「官林之儀鉱山寮より掛合及
岡田
平蔵より官林拂下願ニ付伺」によると,なおまた尾去沢鉱山を
岡田
平蔵へ請負わせたので、 同所溶鉱場築造用材木として一万五、 〇〇〇木程払下
鹿角市史資料編 第28集
(0094)
門嶋田張平金澤左司馬徒士四人足軽五人手廻仲間又者共弐拾五人田中秀蔵往徒士松原岩之助長谷川忠治才田甚助八木卯平治足軽以下手廻り亦者共弐拾七人惣人数四拾壱人程惣人数四拾五人
岡田
右近様
鹿角市史 第3巻 上
(0206)
銭毛馬内村献納分金二六二円八五銭小坂村他拾ケ村献納分金一円瀬田石村献納分金四四円一〇銭毛馬内、 瀬田石、
岡田
鹿角市史 第2巻 下
(0388)
○文化三年三月〈化三年三月熊沢温泉湯守の花輪町惣太の年数が去年で相済み、 盛
岡田
町弥七が願出るには「
鹿角市史 第4巻
(0699)
馬芦名沢観音堂○狐花輪幸稲荷神社、 万山稲荷神社○兎毛馬内月山社○鶏柴内不動社、 狐平観音社、
岡田
神明社
鹿角市史 第3巻 上
(0473)
て、 大葛・真金山両鉱山は
岡田
平馬に譲渡されることになった。
鹿角市史 第5巻
(0026)
平遺跡(同)○草木小坂遺跡 (草木地区)またおもな遺物包含地として大湯黒森山麓、 毛馬内湯坂、
岡田
竹林
鹿角市史資料編 第19集
(0086)
以上〓月廿日野辺地忠左衛門本宿就
岡田
金左衛門杉村岩司内田九一郎様村井宗二郎様伊藤弓人様
鹿角市史 第5巻
(0117)
白根村稲荷社、 山師
岡田
久左衛門建立す。 大湯村諏訪明神社、 北澄之助再建す。
鹿角市史 第3巻 上
(0441)
私共所有物ヲ以弁償可仕候、 依而借用證書如件尾去沢銅山稼行組合人東京府管下第壱大区五小区品川町拾壱番地主
岡田
平太同同同同同町九番地阿部潜
鹿角市史 第3巻 上
(0550)
〓・明治篇」第一学区花輪村第六学区尾去沢鉱山・三矢沢村第十学区平元村第二学区宮麓村第七学区毛馬内村・
岡田
村
鹿角市史 第1巻
(0429)
岩手県水沢市権現堂遺跡調査報告」・『考古学雑誌』〓-2昭三〓日本歴史学会編『日本考古学の現状と課題』昭四九〓
岡田
茂弘
鹿角市史 第3巻 上
(0447)
一〇月の二四日鉱業会社頭取
岡田
平太は、 さきに契約した自己に属する権利のすべてを、 長谷川芳之助に
鹿角市史 第3巻 上
(0465)
二、 尾去沢鉱山鉱業会社から三菱へ尾去沢鉱山が、 鉱業会社頭取
岡田
平太の経営から、 三菱会社員長谷川芳之助
鹿角市史 第3巻 上
(0422)
明和二酉年ヨリ南部家手行ヒ明治元年〓辰十一月ヨリ村井茂兵衛受負稼キ、 同五年〓申四月廿一日ヨリ
岡田
平蔵受負稼人
鹿角市史 第1巻
(0229)
大飛北中上上下下清岩後尾尾尾尾東六甘赤赤東産産産産中白御陣日天東案猿ノ葛葛葛葛口鳥林ノ水去去去在角坂坂山ノ山休戸山内平〓岡岡岡岡岡岡岡
岡田
神神神神屋鹿角市花輪字猿
鹿角市史 第5巻
(0268)
花輪町史四·二〇尾去沢銅山、 村井茂兵衛から
岡田
平蔵へ引継がれた。
鹿角市史 第2巻 上
(0349)
正月かねて江戸御町奉行大岡越前守より「領内鹿角より出候杉樽木直段高下」のお尋ねがあり、 盛岡藩留守居
岡田
清左衛門
鹿角市史 第3巻 上
(0472)
同年一二月南部家は資金繰りの事情からか、 鉱業会社
岡田
平馬に小坂・大葛の資金調達と製出金銀銅の販売方
鹿角市史 第3巻 上
(0536)
大一〇〇各三〇口寄附者の中には、 鉱山主
岡田
平蔵の代理人・槻本幸八郎○)、 職員・桜田忠蔵、 阿部恭助一
鹿角市史 第5巻
(0275)
#183;二八県会議員の投票行われ関久兵衛勝又平太郎当選六·大葛·真金山両鉱山、
岡田
平馬
鹿角市史資料編 第15集
(0060)
金三両一、 金壱両弐歩嘉永元年才覚金取立之内御官処預之分嘉永二年才覚金取立之内三両壱歩預之内壱歩
岡田
宗右衛門手代内借引残御官処預之分
鹿角市史 第4巻
(0857)
生れは備中国(岡山)で、
岡田
藩の武士であった。
鹿角市史資料編 第28集
(0096)
後江六間二二間之釜小屋相建右二て手配少しく宜御坐候此節御巡見御三人御名前左之通黒田五左エ門様中根傳七郎様
岡田
右近様往古
鹿角市史 第3巻 上
(0272)
明治十一年の村誌毛馬内の養蚕業音上に依れば、 第二大区第七小区毛馬内は、 戸数総計五百二十二戸(瀬田石村
岡田
村
鹿角市史 第3巻 下
(0093)
同日四時すぎ歎願書をもった鉱夫連合
岡田
、 農民組合青木、 土崎労組佐藤は鉱夫代表二七名とともに鉱山事務所
鹿角市史 第3巻 下
(0241)
蔬菜奨励組合の模擬市場品評会を開いて需給の円滑をはかるなどしたため、 町内は勿論、 瀬田石、
岡田
方面
鹿角市史 第5巻
(0196)
三·一三熊沢温泉湯守花輪町惣太の年数済み、 代りに盛
岡田
町弥七が湯元修理往来道橋手入必要として
鹿角市史資料編 第19集
(0145)
十月十七日當番御相手山崎忠吉様伊藤弓人様
岡田
金左衛門関尚意様村松弁之助様下村愛之助様相内求馬様北万治郎様鵜飼悦之助様石川大助様一条友八様口上之覚
鹿角市史 第5巻
(0274)
旧六 ·六 ·細地鉱山、
岡田
平馬から鉱業会社へ譲渡となる。
鹿角市史 第5巻
(0280)
近代秋田の歴史と民衆花輪小学校沿革史一二·鉱業会社頭取
岡田
平太から三菱会社長谷川芳之264
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