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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第2巻 上 (0619)

ノ内」とある如く、 初めに尾去沢という単独の銅山が存在したのではなく、 尾去沢三沢と後年よばれる田郡沢,山師長尾重左衛門が西道の西南田郡沢に銅山を見立て、 つづいて横合とよばれた元山沢にも銅鉱を発見したという,、 天王寺や治右衛門、 関新助、 和久屋平左衛門、 生子屋長左衛門、 尾山屋武兵衛、 同伝左衛門,、 伊久屋長治、 藤田権四郎、 南部屋八十治、 福嶋源兵衛、 嶋屋市郎兵衛、 泉屋専左衛門,この山師名は、 『諸山開立年限附』に列記されているものと殆ど同じであるが、 後者には長尾重左衛門の
鹿角市史 第2巻 上 (0618)

げた藩政後期の書留といわれる『諸山開立年限附』には、 この地域の銅山として一、 尾去沢御銅山ノ内田郡沢御山御城下,より弐拾三里七丁五拾四間、 寛文六年見立長尾重左衛門。,(略一、 同小赤沢御山一、 同夏山御山、 同長坂御山元禄八年見立山師新保仁左衛門。,一、 同崎山御山元禄九年見立山師花輪町井上長左衛門、 一書ニ井上吉右衛門と有。,一、 花輪通真金御山御銅山附、 元禄十三年八月銅山見立山師毛馬内能登屋清左衛門。
鹿角市史 第2巻 上 (0467)

大いに喜んだ十左衛門は、 ここから出る山芋の味は尋常ならず美味であるとの理由で山を買いとり、 山の,この伝説の主人公北十左衛門は、 白根金山初代の金山奉行として実在の人物である。,十左衛門が名付けたという姥がふところの実際の場所がどこであったかは明らかでない。,麓三郎著『尾去沢・白根鉱〓史』巻末年表には「元禄十二年、 姥ケ懐金山の稼行を岩田五兵衛請く、 水原徳左衛門,尾去沢御銅山絵図(幕末期)の田郡沢と崎山銅山の内にもそれぞれ姥鋪の名が見える祐清私記』のなかで、 老婆
鹿角市史 第5巻 (0150)

和歴(西暦)一 般 的 事 項金銀を質物とすることを禁ずこの年多賀靭負、 毛馬内三左衛門藩家老となる,七·二八尾去沢銅山支配泉屋専左衛門を免じ、 代りに盛岡石町森田屋六右衛門へ支配を申し付ける,一二· 二七銅山山先奈良平次郎、 森田屋重手代久兵衛、 山方手代仁左衛門三人が藩勘定頭に,同同この年この頃十和田鉛山、 田郡沢庄之丞普請を行う。
鹿角市史 第2巻 上 (0561)

山師喜八の見立てで御手山となったが、 のち出不足のため普請山にかわり享保三年(一七一八)日前五カ月で田郡沢,前掲の『金掘由来之事』には、 正徳未年(五年)嘉八の見立、 銅山支配人和久屋平左衛門が稼行したと記,さらに念を入れ吟味するようにと御吟味方小菅次〓兵衛、 御勘定頭長嶺茂左衛門とその外関弥五左衛門を遣わした,御歩行目付高橋吉左衛門、 御物書朽内与九郎をも遣わした、 とある。
鹿角市史 第2巻 上 (0669)

田郡沢に住居する半次郎と申す者は年二五になり鋪岡共に山方の諸事をよく存じ、 親与左衛門の時から数十年間御山,ついては御山先不足にて諸働方敷岡廻り吟味に差支えるので、 田郡沢に住居の川口与十郎と申す者年三二になり
鹿角市史 第5巻 (0079)

九月 幕府初めて鉄炮与力を設けるこの年盛岡藩全領地の検地に着手、 まず稗貫郡和賀郡を検地す同同漆戸勘左衛門正茂,、 桜庭兵助由綱家老となる同 京極高国預けられる四·二一青山庄左衛門白根水抜普請に蔵米五〇,南部藩志資料雑書この年田郡沢と元山沢に長尾重左衛門銅山見立てる。
鹿角市史 第5巻 (0656)

斉明天皇1383 · 387 · 404佐伯 剛平3上386 · 388左衛門,(田郡沢)2上635左衛門五郎(籠谷村)2上206酒井 篤礼酒井雅楽頭3上6072上621堺屋新左衛門,3下429 · 700作右衛門(大湯町検断)2下4 · 36 ·37作左衛門,(小平村)2上370作左衛門(十三人町)2上521作左衛門(大湯)2下187作助(棋山山守)2上312,)2下383直高(兵助)2上509直綱(安房)2上28桜庭文蔵桜庭兵右衛門2上274 2下23桜庭兵左衛門
鹿角市史 第5巻 (0608)

#183; 1461527 · 5501507 · 535湯瀬謙吾湯瀬新右衛門湯瀬新左衛門湯瀬,6081527 · 5503下2242下228 3下542 4321湯瀬安人3下474湯瀬勇左衛門,揚守敬3上616陽成天皇楊柳庵13812下427 · 488 · 498与右衛門(田郡沢,) 2上635余花与吉(谷内村)3下6792下155横川 良助2上302横田宇左衛門横田七九郎横田 富蔵,上248横田八郎右衛門2下119横田 正雄横浜金十郎3上5752上528· 594横浜佐五左衛門横浜七郎横浜武治横浜登
鹿角市史 第5巻 (0670)

葛西 信敏(刑部丞 · 刑部大輔)1472 · 473葛西平左衛門葛西伯耆守葛西,満政2上617 · 61814571472葛西 持信1473嘉左衛門(十二所)2上531笠置,#183; 6372上6222上6183上161 · 162 · 166柏田仁柏屋与左衛門可水,勝田 藤治勝田 守一3下225 · 2263下515勝田屋丹治2下601 →勝又周治勝之助(田郡沢,439· 4683下2172上68 2下457 · 458勝又庄助勝又次郎勝又善左衛門
鹿角市史 第5巻 (0660)

→楠正能169 · 70月揖(毛馬内)けふのや2下5083上6183上630毛馬内長次(九左衛門,33 ·34 · 40 · 212 2下11· 378毛馬內九左衛門,351 ·356 · 385 · 389毛馬内左京亮2上78毛馬内定次(三左衛門,)2上33· 213· 473毛馬内三左衛門 1522 2上33· 34&,盛岡肴町)2下57源助(花輪町横丁検断 · 物屋)2下33· 382上527源太郎(田郡沢
鹿角市史 第5巻 (0124)

二·一〇折壁番所番人又重兵左衛門願に依り御免、 代りに再び三戸御給人共替る替る勤務となる。,鶏長根金山、 山師田郡沢源太郎稼行す。 諸山開立年限附108
鹿角市史 第2巻 上 (0620)

尾去沢銅山の寛文六年発見説にも異論があり、 『鹿角郡諸鉱山記』等には、 その見立始まりを延宝三年長尾十左衛門,、 元山熊谷鋪宝永七年、 赤沢いなり敷寛保元年などとその開坑年代が述べられ、 寛文六年の発見は田郡沢
鹿角市史 第2巻 上 (0472)

、 花輪通西道御山慶長七寅年見立初、 其頃ノ山師長尾重左衛門信景と云ふ仁鍋倉村ニ住居有之人にて、,同十二年十二月十一日上り同晦日迄ニ出金弐貫五百四拾六匁三分壱厘出候よし、 三ケ月千両ノ御礼金、 山師井上仁左衛門也,金躰相見得直々御手山ニ相成り、 其後出不足ニ付普請被仰付、 享保三年五月日前五ケ月願上ケ山師田郡沢源太郎相働
鹿角市史 第2巻 上 (0702)

真金山について、 『雑書』天保九年三月七日条に、 真金御山の働方を田郡沢住居勝之助へ仰付けてきた処凶作,一〇月一九日、 本日御目付安村順左衛門よりの御沙汰として「白根御山御手山稼方仰付け置かれ候処、 寛政六年三月休山仰出
鹿角市史 第5巻 (0622)

#183;513 · 514· 529 2下9花輪 延親(帯刀) 1514花輪彦左衛門,影田勝之助 3上611パワエル小林与助3上608パワエル柴内秀正3上611半右衛門(不老倉)2上659半左衛門,(花輪)2上533半三郎(八正寺稲荷别当) 2下365半次郎(田郡沢)2上635半次郎(毛馬内通)2下
鹿角市史 第5巻 (0637)

太山七五郎2上524田山入道1432樽沢 正二3下628樽沢 正美3下628太郎右衛門(越後)2上463太郎左衛門,江戸)2上580 · 5832上581· 582重五郎(金工) 2下114忠治(田郡沢山方
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