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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第1巻 (0536)

明政公永塚九年鹿角郡合戦ノ時、 長牛城ヲ守テ揮功ア一本云此時公軍ニ従テ功アリ依テ初テ長牛村ヲ賜リテ氏トス信直公天正十一年志和郡大萱生陣
鹿角市史 第2巻 上 (0070)

四二才寛永元・一〇・一五志和郡山にて死四五才宝永五・閏正・五藩主利幹襲封に際ー将軍綱吉に謁具宝永五江戸代官丁御普請奉行
鹿角市史 第5巻 (0078)

一六六五)二月 中野吉兵衛元康夫人(利直女) 逝去同 八戸藩表高二万石三戸郡四一村、 九戸郡三八村、 志和郡四村計八三村
鹿角市史 第2巻 下 (0578)

じく一統へ御法令申渡し及び出張の際の御本丸集合場所を達する同六日一、 彦部(南部吉兵衛知行所、 志和郡彦部村
鹿角市史 第5巻 (0228)

同 同和歴(西暦)一 般 的 事 項課す志和郡を紫波郡と改称領内冷害凶作、 四分作鹿鹿角角関係事項出
鹿角市史 第2巻 上 (0182)

志和郡の米納は右二郡に次ぐものの、 検見定中心の貢租の割合が三五パーセント強を占め、 更に岩手・鹿角
鹿角市史 第2巻 上 (0261)

同年(四月、 正徳元年と改元仰付之類"六月九日、 中野吉兵衛広康が志和郡へ知行替となり、
鹿角市史 第2巻 上 (0174)

以上戸郡金目定大豆加ほか正月礼銭・小者銭一、 野田理左衛門(四一九石二斗八升一合)・大湯村、 赤林村以上志和郡銭定
鹿角市史 第5巻 (0089)

すこの年羽後国矢島に一揆起るこの年盛岡藩惣年貢米高書上一四万二、 一〇八石六斗四升二合但し蔵入分同 志和郡北上川西
鹿角市史 第5巻 (0083)

またキリスト教禁制の高札を立てる二月盛岡新山川原に初めて芝居興行を許す六月八戸領志和郡に銀山を発見す月九藩
鹿角市史 第5巻 (0191)

七·二五柴内村萬松寺先住東海長老末期に及び志和郡大巻村高金寺仙霊長老の後住願が聞届けられた。
鹿角市史 第1巻 (0553)

鹿角郡花輪館を預かる中野南部氏の祖であるかくして斯波氏攻略の策が進行し、 その一環として信直の臣四戸久助が志和郡乙部村
鹿角市史 第5巻 (0118)

諸山開立年限附六·九中野広康が花輪から志和郡へ知行替となり、 御境奉行川守田弥五兵衛へ御足軽
鹿角市史 第2巻 上 (0041)

郡・和賀郡・志和郡・岩手郡・閉伊郡・鹿角郡・糠部郡の七郡が確認できる。
鹿角市史 第2巻 上 (0128)

称された地域で、 中でも和賀郡(一〇一・〇パーセント兜)、 稗貫郡(七九・一パーセント増)、 志和郡
鹿角市史 第2巻 下 (0415)

龍江寺(夏井)曹洞宗大源派、 夏井山龍江寺は明暦元年(一六五五)八月一別書に實文九年)の創立、 志和郡郡山勝源院末
鹿角市史 第2巻 上 (0089)

次に徳田伝法寺通、 日詰長岡通は、 いずれも志和郡に置かれた代官所で、 総称して郡山四カ在といい
鹿角市史 第2巻 上 (0156)

では、 特に花輪村、 大里村、 小豆沢村、 尾去村、 甘蕗村、 鏡田村、 狐平村は、 志和郡
鹿角市史 第2巻 上 (0043)

すなわち南部領の領域七郡とは当初より「南部大膳大夫分国諸城破却共書上之事」にみられる「稗貫郡」「和賀郡」「志和郡
鹿角市史 第2巻 下 (0414)

その後中野氏は知行地を転ずる毎に菩提寺として志和郡郡山に久保山長岩寺、 同郡彦部村に近城山長徳寺を、
鹿角市史 第2巻 上 (0109)

正徳元年、 花輪城を預かる中野吉兵衛が知行所花輪村ほかを志和郡・稗貫郡のうちに替地される事件があった
鹿角市史 第2巻 下 (0043)

鹿角郡の花輪、 毛馬内、 大湯、 二戸郡の福岡、 一戸、 岩手郡の沼宮内、 渋民、 志和郡
鹿角市史資料編 第4集 (0004)

五代広康中野吉兵衛幼名惣吉正徳元年(一七一一)志和郡彦部村に所替となり花輪を去る。
鹿角市史 第5巻 (0585)

境沢白根境沢白山〔大〕尻喰坂尻平野(しっぺいの)3下55845672下3012下3794644汁毛川城ノ下城山志和郡
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