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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第2巻 下 (0375)

「折壁村え三戸より御番相勤候義ハ、 場所違ニテ小身者共迷惑ニ存じ奉り候、 大前ノ通右御番所湯瀬村え,兵左衛門の定番は暫く続いたが、 享保三年二月一〇日「折壁御番人又重兵左衛門願ニ付先頃御免成られ、,げた享保一二年(一七二七)二月一四日条に「三戸福岡御給人御与力共鹿角松山、 土深井、 濁川、 折壁右四,然し宝暦一二年(一七六二)八月「御席ニ指上之写」折壁番所の分には「花輪御給人相勤」とある。,安永八年(一七七九)一二月花輪給人渡部八郎助は、 「花輪御代官所ノ内折壁御番所、 当時奥通御給人相勤
鹿角市史 第2巻 下 (0374)

一六八六)閏三月一一日付で、 番人又重庄三郎に対し「右常番ニ仰付けられるニ付、 湯瀬御番所を引候テ折壁,『盛藩年表』仰付之類』には同日「鹿角湯瀬御番所折壁ニ引、 又重庄三郎居掛ニ相勤メ候様仰付けらる」と表現,貞享三年以降は、 湯瀬番所に代わり折壁番所が現われてくる。,折壁番所番人についてはその後も曲折があり、 『雑書』記事を追うと、 宝永六年(一七〇九)一〇月二〇,日「鹿角折壁御番所、 唯今迄花輪御給人又重庄三郎数年常番ニて相勤候処」老衰のため御免を願出たので、
鹿角市史 第2巻 下 (0360)

第9図番所印-御境御番所判鑑から(小坂町・杉原氏蔵)折壁村(現岩手県安代町)は花輪代官所の管轄する地域,一、 折壁御番所右ハ御城内ヨリ西ノ方折壁村ヨリ石名坂と申所迄壱丁余花輪御給人相勤一、 熊沢御番所右
鹿角市史 第2巻 下 (0358)

じくしているから、 一条助兵衛の在番していた「左靱」と「田山ノ内織□部」は同じ場所で、 さら〓織□部」は後の「折壁,鹿角往来は湯瀬越を本道にしていたとしても、 脇道として花輪から花輪越(古くは黒沢越と称した)を辿り折壁,出る線、 坂比平から寒ノ背峠を越え兄川ぞいに館市へ出て本道に合する線等の存在を考えると、 湯瀬・折壁
鹿角市史 第2巻 上 (0609)

一、 毛馬内通小平村小折壁大平銅山元文弐年八月願人柏木新田宗八、 御礼金六カ月壱両壱分。,内法の角ケトの沢両銅山元文三年十二月見立花輪町谷地田町佐治兵衛一、 毛馬内通番鳥沢銅山なお、 小折壁大平銅山
鹿角市史 第5巻 (0182)

和歴(西暦)一 般 的 事 項一一 ·閏鹿角角関関係事項出 典御高札場が朽損、 また折壁番所,七·二六折壁番所番人吉田政右衛門定番年数の明次第、 花輪給人与力交代に勤める様花輪代官が願出
鹿角市史 第2巻 下 (0030)

物留高札二、 各番所の変遷三二〇松山番所、 番所番人の推移、 土深井番所、 熊沢番所、 湯瀬・折壁番所
鹿角市史資料編 第5集 (0154)

而高橋佐市左衛門高教右書上正月晦日勝又官兵衛殿江頼遣候以上乍恐奉願上候事私義当七十二歳罷成候然処去十月上旬より疝積相煩候処去ル朔日より別而差重ク当所御町医黒澤元礼瀧玄維折壁道仙薬鍼相用色々養生仕候得共快気可仕躰無御座存命不定罷成候依之恐多申上様奉存候得共嫡子織之助当十八歳罷成御座候万一之儀,為持不遣被下頂載仕置候以上申二月十五日事乍恐奉願上候事私義当七十弐歳罷成候然所去年三月より持病之疝積相煩候処旧冬より猶又痰咳差加へ立方去ル朔日より別而差重当所御町医黒沢元禮瀧玄維折壁道仙薬鍼相用色々養生仕候得共快気可仕躰無御座存命不定
鹿角市史資料編 第19集 (0137)

折壁折壁夕顔瀬夕顔瀬御番所右返切手左之通御初穂四包大方紙御目付大矢勝衛殿より御差紙ニ付、 御城使千覚葉寿太郎罷出候処
鹿角市史 第2巻 上 (0313)

先年堀残之分弐百三拾間程井小折壁川え外川引通し候ニ
鹿角市史 第1巻 (0585)

この他に、 『奥南落穂集』は「鹿角衆ノ」として、 次の人々を挙げている成田彦右衛門仕信直公三十五石折壁主殿湯瀬宮内仕信直公百石唐牛兵蔵笹木宗右衛門原村三十郎風張藤七仕利直公五十石鹿角地士
鹿角市史 第2巻 上 (0368)

以ト嘉永七年四月佐羽内富右衛門〓菊池安兵衛代印菊池喜七印夕顔瀬折壁御番所安政二年六月(花輪南部家『諸御用留帳
鹿角市史 第5巻 (0117)

;尾去沢·獅子沢の銅は銅山奉行の手判だけで通してよいことを達する一〇· 二〇鹿角折壁番所
鹿角市史 第2巻 下 (0376)

雑書』享保一二年(一七二七)二月一四日条に「三戸福岡御給人御与力共鹿角松山、 土深井、 濁川、 折壁右四
鹿角市史 第5巻 (0124)

二·一〇折壁番所番人又重兵左衛門願に依り御免、 代りに再び三戸御給人共替る替る勤務となる。
鹿角市史資料編 第12集 (0097)

覚花輪折壁御番所御廃止被成候事。
鹿角市史資料編 第2集 (0084)

ハハ直様罷帰り花輪善助方へ立寄湯瀬村之者くぐり候若者共三人弥右〓門江手宛向向合罷帰り可申旨健之助儀は折壁御番処迪罷越山師,之者へ手宛向之儀及相談候処此程遣候壱両ニ而宜可有之候得共諸味之三升も呉候ハハ可然と申事ニ候健之助儀は折壁番処
鹿角市史資料編 第8集 (0050)

文久二年戌六月朔日三上磯七印折壁夕顔瀬御番所処々改所多賀市郎配府左ニ覚一、 駄賃馬五拾〓右ハ南部御名知行処花輪村収納米五拾駄
鹿角市史 第2巻 上 (0718)

〇元文二年毛馬内通小平村小折壁大平銅山の普請を柏木新田宗八が願出ている(『諸山開立年限附』)。
鹿角市史 第5巻 (0104)

岩手山爆発九月まで煙立つこの年盛岡永福寺再建立すこの年藩内凶作、 翌春にかけ閏三·一一湯瀬番所を折壁
鹿角市史 第5巻 (0129)

めて甘蔗を浜御殿に植えさせる同閉伊郡甲子村大橋山磁二·一四藩庁より、 鹿角松山土深井濁川折壁各番所
鹿角市史 第5巻 (0150)

諸山開立年限附八 ·九·折壁番所番人に花輪給人勤番すという。
鹿角市史 第5巻 (0162)

一花輪給人渡部八郎助、 折壁番所へ五カ年の定番手廻共々引移り勤務することを願出て許される同同この年藩
鹿角市史 第5巻 (0164)

六·一七柴内村の百姓が不行跡に付田名部へ追放された六 ·二〇田山折壁番所が焼失、
鹿角市史 第5巻 (0172)

凶作となる二·三·鹿鹿角関関係事項項毛馬内御町医として黒沢元礼、 滝玄維、 折壁道出典仙
鹿角市史 第5巻 (0206)

但し折壁は是迄通り。
鹿角市史 第2巻 下 (0373)

二五石川忠右衛門小田代民右衛門弘化三・四根森新左衛門古沢長作同八・四・二三四戸伝右衛門駒ケ嶺与四郎同四・四・三〇関金蔵附田助内湯瀬・折壁番所鹿角往来
鹿角市史 第2巻 下 (0488)

については『天明三年・御用向書扣帳』天山堂文書)の天明八年二月の項に「當御町医黒沢元礼、 瀧玄維、 折壁道仙
鹿角市史資料編 第26集 (0043)

以今日御山元附出野辺地湊江附越候条改御通可被成候以上年号月日尾去澤御銅山三戸夏坂御番所右之通相認メ東海廻新山御船所江附越候目尤通し牛附出も在之御番處ハ左之通折壁夕顔瀬御番所天明六丙午年尾去沢御銅山御銅直段御買入諸品大概并出銅
鹿角市史資料編 第6集 (0080)

御城下江遠使御同心両人申来申付る、 御銅山江之才領御同心両人申来同断一、 御城下江之遠使御同心添状渡廿七日一、 折壁御番処江才領御同心壱人申来申付
鹿角市史資料編 第8集 (0073)

廿九日一、 二番鰤三百疋仕送、 兼而御沙汰之鉛五両代五十五匁買ニ相調、 残仕送之始末合ニ、 折壁御番処
鹿角市史 第5巻 (0118)

岩鷲山別当大勝寺宛、 厨川の柳沢新山社中心の山野境界を定め永代に支配せし二·二五三戸給人より折壁番所勤番
鹿角市史 第5巻 (0135)

八 ·小平川小折壁大平銅山、 柏木新田宗八請ける。 同 同 同 同 同雑書119
鹿角市史 第5巻 (0170)

七·二一花輪通折壁番所五カ年定勤中の花輪与力三ヶ田左惣治、 更に七カ年の定勤を願出て許される
鹿角市史資料編 第6集 (0105)

ニ付始末覚一、 銭四駄右ハ南部吉兵衛知行銭仕送申候御改御通可被下候已上七月朔日御名内折戸市郎右衛門折壁御番所一
鹿角市史 第2巻 下 (0366)

以来半年代り交替勤番仰付けられ候条、 申合せ怠り無く励勤仕る可き旨仰出さる」、 但し夏坂、 折壁
鹿角市史資料編 第31集 (0131)

相勤居候一同廿一日田山村請負人源左衛門為見舞参候、 館市大橋も明日二〓付申候、 理平次様二も館市村迄御引移被成候、 田山入口并折壁橋
鹿角市史 第2巻 下 (0309)

より兄川え越候て、 夫より左比内村へ出、 折壁へ出、 本道え罷越候」とみえるその道筋も、 おそらく
鹿角市史 第2巻 上 (0311)

一、 南部右近毛馬内通御代官所小平村之内小折壁川え大川目足加、 土中四百間程堀貫水相通用水ニ仕、
鹿角市史 第2巻 上 (0312)

依之毛馬内通御代官所小平村之内菩提野ト申所土地相応ニ御座候得共用水無之ニ付、 鍵屋沢ト申所え穴堰堀通小折壁川
鹿角市史資料編 第5集 (0155)

右者去三月より持病之疝積相煩候所猶又痰咳差加養生不相叶昨六日酉ノ刻病死仕候療治医毛馬内御町医黒澤元礼瀧玄維折壁道仙嫡子高橋織之助十七歳右者先達而初御願申上候右之通御検使相勤見届相違無御座候二月七日御検使御代官鈴木惣左衛門御目付衆中但
鹿角市史 第5巻 (0220)

五·二六大湯南部右近、 小平村の内小折壁川掘貫き菩提野など約一、 四三六石を披立てたいと
鹿角市史 第4巻 (0855)

その後、 阿仁の端、 十鎖・左志内・折壁・番所・しとろ・田山と経て盛岡に向かった。
鹿角市史 第2巻 下 (0357)

また後述の如く、 湯瀬番所が廃され田山村に折壁番所が設けられている。
鹿角市史資料編 第6集 (0075)

六百文才領御同心茂三人立越右道中遣壱歩相渡候趣也一、 銭弐駄也覚右之通南部-知行銭差越申候御通可被下候以上七月七日工藤与右衛門印折壁御番所八日一
鹿角市史 第2巻 下 (0335)

この間の一里塚は、 折壁橋を渡って間もない蛇石平と、 左比内村の下手塩俵欠、 才田の名月上ノ橋と
鹿角市史資料編 第15集 (0082)

嘉永五年五月廿二日町井吉之助印岩泉和平印高橋七郎右衛門印石川貢印勝又周治印児玉善七印太田五郎左衛門上村分右衛門様乍恐奉願上事毛馬内通御代官処之内小平村菩提野、 土地相応ニ御座候得共用水無之故、 小折壁川
鹿角市史 第4巻 (0847)

二日斉田、 兄畑、 佐比内、 折壁の関所を過ぎ、 田山へ。
鹿角市史 第4巻 (0880)

今から精確に二年前、 鹿角郡の花輪で汽車と別れて、 やがて旅客から見棄てらるべき折壁の山道を、
鹿角市史資料編 第29集 (0160)

不申故才足ニ被遣候ニ付、 寺田より山元迄半駄賃夫壱人御切手被下置、 十吉江も半駄賃伝馬壱疋被下置、 折壁御番処通切手共
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