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鹿角市史資料編 第1集
(0061)
新沢口
従軍紀行脾題(奈良寿
新沢口
岩泉達三の出陣日記筆者の岩泉達三は、 毛馬内の御給人である。,毛馬内御給人隊は、
新沢口
二百余名と葛原口の百余名に分けられたが、 達三は馬渕乙次郎等と共に
新沢口
,
新沢口
隊の編制は、 毛馬内御給人隊二百余名を基幹とし、 発機隊、 鳥蛇隊各一小隊に、 隊長新御番組頭足沢内記
鹿角市史 第2巻 下
(0598)
新沢口
は毛馬内代官三浦五郎左衛門を隊長に、 毛馬内給人隊をはじめ、 三戸隊、 鳥蛇隊三番小隊、,発機隊九番小隊、 それに御番組頭足沢内記の麾下地儀隊一小隊の総計三三一名である
新沢口
の戦い((『鹿角口戦争実記,
新沢口
の一隊はこれを拠点として山麓に連なる茂内村を焼討した。,毛馬内の留守隊からは、
新沢口
を進んだ足沢・三浦隊が大敗し、 退路を断たれる恐れがあるので、 急
鹿角市史 第2巻 下
(0612)
一四日、
新沢口
隊長三浦五郎左衛門の指示で陣場長根に転陣し、 同所守備の村井定之助と共に、 再び,一五日、 袈裟掛本陣より惣人数引揚げの命を受けて退陣したが、 監物手勢は二手に分かれ半隊は
新沢口
、,この日は
新沢口
、 納豆沢共に激しい戦闘となった。,えとして濁川口出張を命ぜられた南部監物手勢は、 当初は平穏な藩境守備に当っていたが、 九月一二日以降は
新沢口
鹿角市史 第2巻 下
(0601)
新沢口
大炮方岩泉達三の『
新沢口
従軍紀行」「鹿角市史資料編第一集』所収)によると、 三浦・足沢両隊は「,『鹿角口戦争実記』には八月二十四日、
新沢口
進撃足沢内記、 三浦五郎左衛門今日大館へ着、 直に碇
鹿角市史資料編 第30集
(0100)
別所口石亀左司馬杉村岩治手惣勢二百三人、 葛原口向井蔵人手惣勢三百七十三人桜庭祐橘手惣勢二百三十四人合セテ六百十二人、
新沢口
足沢内記三浦五郎右衛門手惣勢三百三十一人津軽押并
新沢口
應援兼濁川口監物手勢六十人,、 十二所口別所口討入人数花輪より繰出し、 葛原
新沢口
討入人数寅ノ刻毛馬内御代官所一於て勢揃ニて繰出,其促追討十二所放火致し候処敵ニテ相図ノ為カ寺の鐘頻ニ打、 尚味方ニテ押寄候処大瀧村自焼いたし扇田ノ方へ逃去、 同刻
新沢口
鹿角市史 第2巻 下
(0582)
余人昭武隊発機隊鳥蛇隊大炮隊向井蔵人手勢三七三人御番組頭桜庭祐橘天象隊および桜庭手勢二三四人計六一二人○
新沢口
足沢内記,・三浦五郎左衛門手三三一人(足沢隊は地儀隊四〇人余で、 津軽押え兼
新沢口
応援隊として小坂村経由)には
鹿角市史 第2巻 下
(0609)
前掲書の九月六日条には玉薬も手薄となった事や、 十二所口や葛原口に敵軍が進攻し退路が
新沢口
一つになった,事を挙げている據守の目的これ無きに付、 当城引払之儀相決し、
新沢口
より楢山佐渡毛馬内松山へ引陣、
鹿角市史 第2巻 下
(0614)
『秋田藩江討入之日記』によると、
新沢口
ではかねて捕虜としていた大館の三町人に申入書を持たせ、 同心二名,以上盛岡藩向井蔵人九月廿日盛岡藩向井蔵人秋田御藩御出張御隊長中様円楢山佐渡右の停戦申入書は、 十二所口では
新沢口
鹿角市史資料編 第30集
(0109)
事御側詰三戸豊前御手許より軍事為見届被遣今日着之事九月九日今日水沢へ犯八人見廻トシテ遣候処発機隊ノ御方
新沢口
焼跡見分致,シ候様被仰付、
新沢口
入候処不意ニ敵砲発ニ付右八人ノ者共頓テ砲発二及居候内、 追々味方御人数繰出ニ,五人御給人鎗銃二小隊へ締として石川六郎相添与兵衛方より為應援差遣之、 尤爰許銃隊ノ内労兵ト取替候事二いたし置候、
新沢口
物見
鹿角市史資料編 第1集
(0070)
諏訪八十八阿部定四郎ケサカケ江相詰九月十五日ケサカケ御本陣より惣人数引揚罷出候様御沙汰ニ付罷出候処半隊ハ
新沢口
半隊,ハ毛馬内御内ナットと申所江相廻り可申旨御達、 半隊ハ同所江相分ル、 此日
新沢口
ナット両所共大合戦。
鹿角市史資料編 第1集
(0004)
(小田島由義)栗山文一郎慶応戊辰秋田役手控(小田島太郎)栗山文一郎出陣日記(内藤周一)…安村二郎2円
新沢口
従軍紀行
鹿角市史 第2巻 下
(0034)
十二所合戦、 南部吉兵衛隊の十二所進駐、 小荷駄や農兵に徴用された百姓、 第一次扇田合戦、
新沢口
鹿角市史 第2巻 下
(0646)
佐藤俊助谷地類之助賀川祐五郎〆士分四拾三人、 下卒拾壱人濁川宿本陣勇吉同中陣六之丞同下陣市平④
新沢口
,(『濁川出陣日記』)
新沢口
出張之次第十人羽物見鉄砲兼小坂村之者同頭取田口小太郎嚮導之者十人頭取黒沢覚右衛門鳥蛇隊三番小隊差図役鼠入与一郎此下一人同西川重次郎此下一人差図方山本啓助同工藤順一郎御相図方糠塚七蔵小銃打方三十九人此下二人発機隊九番小隊差図役井上範之助此下一人同生内賢郎此下一人差図方福田勇蔵同松岡岩之助御相図方野寅之助散兵鉄砲武者三十二人此下四人
鹿角市史資料編 第12集
(0045)
一、 川村新太郎川村俊治新田より七ツ時罷帰、 今朝毛馬内通
新沢口
一打合有之勝敗ハ相分不申、 別所口,九月十三日夜中より大雨一、 昨日
新沢口
之打合月山之影まで伐込れ候趣風聞有之、 長谷川官蔵御官所江様子聞
鹿角市史資料編 第1集
(0121)
この度とりあげたのは「遺烈余芳、 軍中手扣、 出陣日記、
新沢口
従軍紀行、 濁川出陣日記、
鹿角市史 第2巻 下
(0591)
○同(桜庭祐橘隊)双一八人○
新沢口
(三浦五郎左衛門隊)双一〇人農兵四一人同二三人(頭取山本喜代志)村夫三
鹿角市史 第2巻 下
(0610)
薬師森の峰続きの月山は、
新沢口
の主将三浦五郎左衛門が守備して一九日は桜庭隊が赤沢村の連合軍に夜襲をかける
鹿角市史 第5巻
(0264)
九· 五盛岡軍大館を撤退、
新沢口
を通り藩境まで兵を引く。
鹿角市史 第2巻 下
(0584)
八月盛岡軍事方(『
新沢口
従軍紀行』岩泉家文書)進攻の理由として白石同盟に違背したことと、 仙台の使者
鹿角市史 第2巻 下
(0611)
一三日未明、 監物手勢は袈裟掛に出動した所、 目付七戸権兵衛より、
新沢口
の三浦五郎左衛門、
鹿角市史資料編 第1集
(0025)
君の小荷駄にて事し玉へと向井氏言わるゝとあれは主公答て今鍋も釜もなけれハ後の日を待たれよと言はれき○
新沢口
,焼討迄したりしか如何してや敵に打敗られ栃内直蔵ハ討死して外人数ハ小坂迄引揚もあり毛馬内迄逃来もありて
新沢口
空虚
鹿角市史資料編 第25集
(0066)
円御用有之候条此条参着次第相詰可申候八月廿六日御役屋前村々肝入八月廿六日老名多左衛門相蒙候御用向覚大館在
新沢口
村方御百姓共願出
鹿角市史資料編 第1集
(0064)
同七日朝晴尚又
新沢口
へ進軍ニ付三つ比出立、 小坂村昼休、 世夜袈裟懸宿陣、 足沢内記水沢ニ宿陣。
鹿角市史資料編 第30集
(0077)
勤労有之者一戦地ニおゐて殊功等有之者右ノ通御給人初メ下々ニ至迄悉く吟味書記可申候、 御給人ハ葛原〓
新沢口
其外十二所
鹿角市史 第3巻 上
(0062)
討入があると専らの風聞で、 十二所大館が大騒動、 毛馬内に徳川脱藩人数三千人或いは二万人勢揃いし
新沢口
鹿角市史 第2巻 下
(0622)
より入り湯瀬村迄往しに、 又戻り来しよし、 大和菊御紋の籏を持せしなり、 翌十六日毛馬内を出て
新沢口
鹿角市史資料編 第1集
(0063)
八月廿四日快晴
新沢口
の軍勢ハ釈迦内江進軍可致御沙汰、 此夜白沢村に宿陣、 成田久エ門宅同廿五日晴天白沢
鹿角市史資料編 第29集
(0107)
渡部福二郎、 大葛口出張御代官衆行向迄罷越申度申出、 御門内相通候、 今朝秋田領江諸方より御打入ニて
新沢口
放火之様子相見得
鹿角市史資料編 第30集
(0105)
番兵差出置候事、 鼠入与一郎隊佐渡手へ為應援川口へ出張申達候事、 立遣候儀も直ニ取計候事八月廿四日
新沢口
人数足沢内記預
鹿角市史資料編 第1集
(0042)
茂木筑後と同く松山口より入湯瀬村迄往しに又戻り来しよし大和菊御紋之籏を持せしなり翌十六日毛馬内を出て
新沢口
鹿角市史 第5巻
(0477)
660 · 682 3上3962上117 2下150 · 1542下5923下668
新沢口
従軍紀行
鹿角市史資料編 第30集
(0098)
濁川口監物殿手勢四十二人此下凡十七人御同心一人合セテ六十人右ノ外ニ異変ノ節手寄村方より迅速人数相出し候儀厳敷申達候事前同断并
新沢口
應援兼小坂村
鹿角市史資料編 第30集
(0099)
新沢口
出張ノ次第十人奴物見鉄砲兼小坂村ノ者同頭取田口小太郎嚮導ノ者十人頭取黒沢覚右衛門鳥蛇隊三番小隊差図役鼠入與一郎此下人同西川重次郎此下一人差図方山本啓助同工藤順一郎御相図方糠塚七蔵小銃打方三十九人此下二人発機隊九番小隊差図役井上範之助此下一人同生内賢一郎此下一人差図方福田勇蔵同松岡岩之助御相図方中野定之助散兵鉄砲武者三十一人此下四人一
鹿角市史資料編 第30集
(0101)
、 蔵人手十二所川向へ野陣、 此節敵葛原口へ相廻り襲討ノ策有之由桜庭手より報告有之尚又毛馬内町へ
新沢口
敗走最早討入
鹿角市史資料編 第30集
(0112)
、 直々其元迄罷越申度申出候由ニ付為案内農兵差添立遣候沢出善平より申来、 昨十八日毛馬内へ着頓テ
新沢口
為見分罷越申度申出
鹿角市史 第2巻 下
(0645)
濁川口監物殿手勢四十二人此下凡十七人御同心一人合テ六十人右之外ニ異変之節手寄村方より迅速人数相出し候儀厳敷申達候事前同断井
新沢口
應援兼小坂村江地儀隊一小隊四十人此下五人新御番頭足沢内記上下六人乗馬一匹御目付坂牛孫左衛上下六人乗馬一匹御徒目付太田代乗馬一匹下一人手附御同心一人傅兵衛兵糧方一人御同心一人手附人夫二十人毛馬内御役医一人下一人
鹿角市史資料編 第1集
(0087)
川村新太郎川村俊治物見に参り一、 七日の合戦働きに付一統へ御酒下さる、 一昨日敵三十人ばかり
新沢口
鹿角市史資料編 第12集
(0047)
一、 長谷川官蔵奈良織太、 土深井口より新田迄物見致候処、
新沢口
両葛原打合有之候得共新田ニハ無之旨見届罷帰
鹿角市史資料編 第12集
(0048)
一、 北家薬師森押之為月山江出張候処、 敵
新沢口
江相廻躰有之ニ付白根山江転陣之よし、 家臣千葉宇右衛門
鹿角市史資料編 第1集
(0040)
我一隊の中にしても予の見し聞し事ハ十分の一にも足らさるへし予が耳目の及ハさる処は他の人々の記を〓侍る又
新沢口
鹿角市史資料編 第12集
(0005)
毛馬内給人以下百余参謀家老向井蔵人手昭武、 発機、 烏蛇、 大砲各一隊御番組桜庭祐橋天象隊及び手勢二百余計六百余一、
新沢口
嚮導
鹿角市史資料編 第1集
(0106)
いたし罷通下モ新田口へ相廻同九日朝より土深井下モ新田より御討人葛原口より向井蔵人殿土深井口より楢山佐渡殿
新沢口
鹿角市史資料編 第29集
(0133)
打取候事心安かるべし九月十六日一、 毛馬内通出役久慈円助御用有之来山今朝飯前ニ御役屋へ罷出る、
新沢口
鹿角市史資料編 第12集
(0046)
九月十六日朝雨寒しト朝五ツ半頃十二所口并
新沢口
之方角より大〓声夥敷相聞得候ニ付、 為物見長谷川官蔵奈良織太新田江被遣
鹿角市史資料編 第2集
(0112)
二月十七日之頃秋田領ニ而南部より討入なるよし風間ニ而十二処大館大騒動毛馬内ニ而徳川脱藩人数三千人或は弐万人斗勢揃ニ而
新沢口
鹿角市史資料編 第1集
(0031)
向井氏の持口にしその西の方ハ我手の持口に約したり○我小荷駄を此城に入れぬ同廿四日昨日太田新太郎を使として
新沢口
鹿角市史資料編 第30集
(0108)
敵兵日々大人数ニ相成味方兵士追々労れ外ニ應援ノ兵も無之、 十二所口ノ方も追々引揚ニ相成葛原口へも敵相廻り
新沢口
一方明
鹿角市史 第5巻
(0528)
植立女工場諸郷役諸上納金諸上納米処女会初七日白石転封シラカンバシラス·シラス洪水白根金山· 白根銅山甚句踊
新沢口
鹿角市史資料編 第1集
(0024)
此日左りたしきにしたり此日新御番頭足澤内記ハ銃隊を引卒し御代官三浦五郎左エ門ハ毛馬内御給人を引卒して
新沢口
鹿角市史資料編 第1集
(0026)
又曲田村迄引揚たり暫して物見に残し置し犯の者帰り来て敵は山館山の澤間に充満たり油断し玉ふなという毛馬内よりハ
新沢口
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