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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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検索結果 : 59件
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鹿角市史 第4巻 (0197)

これは新田町が無断で新田開墾を行なったため六日町の用水堰への水が不足となり、 六日町では新田町と絶交,しかし二カ月後、 新田町老名・新田町一同が六日町に詫びを入れ解決している。
鹿角市史 第2巻 下 (0088)

かつて六日町の南に新田町を隔てて、 土塁を廻らした桝形があり「城がしら」とよばれていたことからも、,「萱屋町御同心丁関堀替井柵之外江橋懸共ニ被仰付」とあるが、 柵の外へ橋をかけるという柵そのも第4図新田町
鹿角市史 第4巻 (0207)

これらの山車や屋台は二十日の早曉、 祭囃城子にあわせて新田町枡形)へと行進し、 頭電灯のないころの,新田町は不夜城のようであったという。
鹿角市史資料編 第8集 (0162)

鹿角市史資料編第八集昭和五十八年三月十日編集秋田県鹿角市花輪字中花輪一一四鹿角市史編さん事務局発行秋田県鹿角市花輪字新田町一一
鹿角市史資料編 第7集 (0161)

鹿角市史資料編第七集昭和五十七年十月十日編集秋田県鹿角市花輪字中花輪一一四鹿角市史編さん事務局〓行秋田県鹿角市花輪字新田町一一
鹿角市史 第1巻 (0675)

鹿角市史第一巻昭和五十七年十一月十日発行編集鹿角市発行発行〓〓-〓秋田県鹿角市花輪字新田町一一-(○一八六二
鹿角市史資料編 第12集 (0123)

鹿角市史資料編第十二集発行日昭和六十年二月二十八日賢集秋田県鹿角市花輪字中花輪一一四鹿角市史編さん事務局発行秋田県鹿角市花輪字新田町一一
鹿角市史資料編 第9集 (0203)

鹿角市史資料編第九集発行日昭和五十八年十月二十日榊集秋田県鹿角市花輪字中花輪一一四鹿角市史編さん事務局死行秋田県鹿角市花輪字新田町一一
鹿角市史資料編 第11集 (0195)

鹿角市史資料編第十一集発行日昭和五十九年十月三十日秋田県鹿角市花輪字中花輪一一四秋田県鹿角市花輪字中花輪一一四編集鹿角市史編さん事務局鹿角市史編さん事務局〓行秋田県鹿角市花輪字新田町一一
鹿角市史資料編 第10集 (0151)

鹿角市史資料編第十集編集発行日昭和五十九年二月二十九日秋田県鹿角市花輪字中花輪一一四秋田県鹿角市花輪字中花輪一一四鹿角市史編さん事務局鹿角市史編さん事務局発行秋田県鹿角市花輪字新田町一一
鹿角市史 第4巻 (0196)

明治三十一年の米価騰貴の際、 県の窮民救済に先だって六日町では自町内と隣接する新田町・舟場道の窮民調,明治三十八年のいわゆる六日町大火の事後処理にあたっても、 当面の食糧として六日町全戸に籾三駄、 新田町
鹿角市史 第4巻 (0762)

暗夜にひびく上り囃子(本囃子)の屋台が十台、 稲村橋に詰め、 次に舟場から六日町を通り新田町の桝形
鹿角市史 第4巻 (0437)

花輪では鍛冶同業者が上ミ(新田町・六日町)と下モ(組丁・下夕町)との二つに分かれ、 自分たちの方の刃物第
鹿角市史 第4巻 (0382)

第一章毎日のくらし第12図大正末期の商家の屋根と看板(花輪新田町)尺の杉板をナタで手割り、 厚さ六、
鹿角市史 第3巻 上 (0209)

三八年花輪六日町では「六日町新田町角両方用心」のため、 町内有力者五名が一〇円前後を拠出、 不足分
鹿角市史 第4巻 (0482)

馬検場のある花輪新田町には赤馬喰という馬喰宿があった。
鹿角市史 第4巻 (0480)

市内では鹿角街道に鶴田・下タ町・花輪(新田町)の三カ所、 来満街道には中ノ渡に設けられていた。
鹿角市史 第3巻 上 (0218)

三八・五・二七花輪町で大火、 新田町、 舟場通、 六日町、 谷地田町に類焼、 長年寺角で鎮火
鹿角市史 第2巻 下 (0459)

第4図花輪新田町の庚申塔(安永四年)は、 毛馬内仁叟寺の坂を登りつめた柏野の山本家屋敷内にある、
鹿角市史 第2巻 下 (0038)

病気平愈願文……三五一一第2図伊勢参宮日記(寛政二年)…四一五第3図鶴亀線刻碑拓本…四一〓第4図花輪新田町
鹿角市史 第2巻 下 (0053)

内新田町二〇一九六日町六三五五谷地田町九四六三沢口一七二四大町四〇二九中町-四六新町三七三六関向四一四三袋町六一五横町四一一一横丁四二二九今泉一六一四中小路九一三川原町三一二三小清水上三
鹿角市史資料編 第12集 (0017)

若旦那様康強君花輪へ御引越につき、 御道中筋田頭御廻りの御手都合成し置かれ候処、 此の間御城下茅丁、 新田町
鹿角市史資料編 第6集 (0045)

御本陣詰三人但し御用使水宰領不寝番夜廻り一、 御先拂弐人一、 遠見壱人一、 御官所詰弐人一、 辻堅メ新田町角壱人一
鹿角市史 第4巻 (0498)

明治のころの馬市は六日町小田島治右衛門家の道路上で、 コモセの柱に馬を繋いで行われていたが、 後に新田町
鹿角市史 第4巻 (0925)

角々に散在しているのが普通であるが、 一カ所に多数が集中している所もあり、 花輪では下夕町、 新田町
鹿角市史 第3巻 下 (0290)

昭和二年一月認可の「花輪町月並市場規則」によると、 市場は南は新田町から北は新町に至る県道五九八間の
鹿角市史 第5巻 (0399)

一二·花輪高井田線開設に最後まで残った新田町·玉内付近間の用地買収が決まる。
鹿角市史 第3巻 下 (0635)

〓の四三年新田か合野きでの五三八世番にアンケートい、 次ような実を得計画発表の翌四三年、 新田町から
鹿角市史 第3巻 上 (0216)

鹿角街道筋花輪町字新田町年舟場地内(〓)に建設することとし、 四一年九月一二日道路使用願提出、 翌四二年五月二七日許可着工
鹿角市史 第5巻 (0345)

秋田魁新報県の匡救土木事業として柴平村西町東町間の県道工事、 花輪新田町宮川村玉内下間の路面改良工事等
鹿角市史 第3巻 下 (0651)

花輪町のコンクリート舗装工事は、 二九年の第二期(坂の上~六日町間)、 三〇年の竿三期(六日町~新田町間
鹿角市史 第2巻 下 (0411)

渡御は「新田町より御組丁より袋丁御通り候」とあるが、 その間どのような道筋を通ったのかは明らかでない
鹿角市史 第5巻 (0372)

花輪新田町に日本基督教団花輪伝道所開かれたこの年 大湯関上で関印日之出りんご組合を結成する。
鹿角市史 第4巻 (0198)

○新田町・舟場道・六日町一帯の消毒○監視人二名によるオセド使用監視-午前五時から午後八時まで○午後八時
鹿角市史 第3巻 上 (0230)

それによると区域は町内新田町から運搬に着手し下タ町までの県道筋、 期間は毎年四月一日から一一月三〇日
鹿角市史 第5巻 (0301)

五 · 二七花輪町大火、 新田町、 舟場通、 六日町、 谷地田町が類焼、 長年寺角
鹿角市史 第5巻 (0244)

同同覚書三·二二花輪井上良助、 別段御用出精に付花輪町丁外新田町にて家代名喜七持屋敷を下し
鹿角市史 第3巻 下 (0574)

日本基督教団の花輪教会の前身である伝道所が、 二七年一二月に山田卯三郎牧師によって花輪町字新田町の関善次郎
鹿角市史資料編 第27集 (0017)

六百拾五文宛内三拾三貫九百拾五文此酒弐斗八升壱盃廿一人分二口〆五斗三升壱盃右江五斗五升右之通差上候折角御悦被下度奉存候以上午五月廿四日花輪新田町佐兵衛長嶺村中此酒廿五日
鹿角市史 第3巻 下 (0192)

また、 花輪町新田町から宮川村玉内の下までの路面改良と、 柴平村の根津川の鉄筋コンクリート橋、
鹿角市史 第3巻 下 (0260)

馬検場が新田町から下夕町小坂へ移転したのは、 昭和六年のことであった。
鹿角市史 第3巻 上 (0261)

〓一区(上花輪)大町・中町・谷地田町・六日町・新田町・舟場・堰向・栗ノ木坂・沢口・上野・小沢田・火附森
鹿角市史 第2巻 下 (0036)

図文化一一年毛馬内町の町並…第2図小真木鉱山跡(白根)の市神社…一第3図慶應二年毛馬内の水道図…四第4図新田町
鹿角市史 第5巻 (0341)

四 ·花輪町馬検場が新田町から下タ町小坂へ移る。
鹿角市史 第5巻 (0392)

五 · 二五花輪町新田町(舟場)四棟全焼、 一棟半焼す。
鹿角市史 第3巻 上 (0379)

長年寺この町並みも三八年五月二七日の大火で、 新田町・舟場の大部分、 六日町の全部と谷地田町の一部
鹿角市史 第2巻 下 (0632)

義宗悦心信士八月廿八日米内沢に於て討死、 二十四歳、 花輪農兵、 新田町庄八子青山屋已代助、
鹿角市史 第2巻 下 (0297)

金兵衛は花輪に護送され、 新田町桝形から裸馬に乗せられ市中引廻しの上、 葉の木谷地の刑場で打首獄門
鹿角市史資料編 第21集 (0061)

夜八時新田町ニ出火有之。 渕沢啓八昨日相詰候処、 今日罷下。
鹿角市史 第3巻 下 (0289)

になびいて賑かであることは勿論、 昔は上市といえば一部番屋の前から舟場角までであるのが、 沢口角から新田町
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