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鹿角市史 第1巻
(0500)
津軽平賀郡の岩楯村などの郷村領主であった
曽我貞光
が、 足利方に与して、 津軽戦場で合戦したときは津軽,但し、 貞和三年(一三四七)五月日
曽我貞光
申状案では、 安藤家季らと共に浅利清連にも「津軽合戦奉行也,一三三九)鹿角勢が津軽に攻めこんだ時、 浅利清連も安藤師季と一緒に津軽で軍勢を指揮し合戦したことからくる
曽我貞光
,の最終的な宛先が京都の足利政権下の「御奉行所」であり、 足利尊氏が直接披見することを期待して、
曽我貞光
,
曽我貞光
の軍忠は、 軍忠将-侍大将の證判-侍大将の奉行所宛て注進披露状-奥州総大将の注進披露状という
鹿角市史 第1巻
(0506)
古代氏族に物部一族大豆田氏がみえ、
曽我貞光
軍忠状で南朝方倉光孫三郎が拠る津軽小栗山楯を倉光館と称している,建武三年正月、 成田六郎左衛門尉は南部師行らと津軽藤崎・平内城に拠って安藤家季軍と合戦し、 この時
曽我貞光
,は左膝に矢疵を負うて退いている(遠野南部文書貞和三年五月日
曽我貞光
申状案)。,暦応二年=延元四年(一三三九)三月には、 成田頼時が越後五郎・遠野南部文書貞和三年五月日
曽我貞光
申状案
鹿角市史 第5巻
(0042)
一二月後醍醐天皇吉野遷座正月成田六郎左衛門尉、 南部師行·同政長らと共に、 津軽藤崎城·平内城を守り北朝方
曽我貞光
,)八月一日鹿角郡国代成田小二郎左衛門尉を対治のため、 北遠野南部家文書朝方の比内浅利清連と津軽平賀
曽我貞光
代官曽我光俊,南部師行らこれに従う七月一一日浅利清連は
曽我貞光
勢と共に鹿角郡に打入り、 二藤次楯·當(雷
鹿角市史 第1巻
(0491)
暦応二年
曽我貞光
軍忠状(遠野南部文書)る。,三月津軽大光寺合戦に成田頼時と共に参陣している成田六郎も同一人物であるとすれば(遠野南部文書暦応二年五月二十日
曽我貞光
軍忠状
鹿角市史 第1巻
(0598)
曽我貞光
申状にあらわれた「楯」第二節に述べた通り、 建武四年八月廿三日「
曽我貞光
申状」には、 ○建武三年八月一日
鹿角市史 第1巻
(0051)
板碑と御用留帳四二四元弘四年南部師行への陸奥国宣…四三八建武二年南部師行への陸奥国宣…四四〇暦応二年
曽我貞光
軍忠状,…四四建武元年曽我光高申状…四四五建武四年
曽我貞光
軍忠状…四五二興国二年北畠顕信袖判御教書…四五八岩手県安代町田山
鹿角市史 第1巻
(0042)
語るもの二史書にあらわれた館…五四七柵はなかったか、
曽我貞光
申状にあらわれた「楯」、 津軽郡中名字
鹿角市史 第1巻
(0502)
下に掲げた、
曽我貞光
の申し立てを読下し文で紹介してみる。
鹿角市史 第5巻
(0472)
遠野南部文書(足利尊氏御判御教書案)1460遠野南部文書(北畠顕信袖判御教書)1458遠野南部文書(
曽我貞光
軍忠状,#183; 439 · 441 · 446 · 451~453遠野南部文書(
曽我貞光
申状案
鹿角市史 第1巻
(0503)
)建武四年
曽我貞光
軍この軍忠状に「承り了んぬ源(花押)」と證判を与えたのが、 奉行浅利清連である。
鹿角市史 第1巻
(0465)
〓遠野南部文書建武元年(一三三四)三月二十一日陸奥国宣、 〓同文書暦応二年(一三三七)五月二十日
曽我貞光
車忠状
鹿角市史 第1巻
(0509)
例えば、 顕信は
曽我貞光
の本領津軽岩楯村を南党倉光三郎に与え、 さらに所望の地があれば、 検断奉行
鹿角市史 第1巻
(0504)
曽我貞光
軍忠状に与えた浅利氏の署判の大きさや雄勁な筆致に、 清連の立場と誇りまで表明されているようである
鹿角市史 第5巻
(0043)
(一三三九)軍に任命する南部政長、 津軽岩楯城を攻撃を落して三ヵ月滞陣、
曽我貞光
と激戦繰返す。
鹿角市史 第1巻
(0508)
すの間、 同年夏比より翌年秋比・冬に至るまで、 数十ヶ度の合戦」という状況となった(貞和三年五月日
曽我貞光
申状案
鹿角市史 第1巻
(0497)
月二十日
曽我貞光
軍忠状)。
鹿角市史 第1巻
(0501)
大里館攻防戦〓角合戦の一端を伝えるのが、 建武四年八月二十三日
曽我貞光
軍忠状である(遠野南部文書)。
鹿角市史 第1巻
(0507)
数百騎を率いて津軽に攻入り、 安藤師季や浅利清連らと合戦し大光寺外楯を打落した(暦応二年五月二十日
曽我貞光
軍忠状
鹿角市史 第1巻
(0511)
貞和三年
曽我貞光
申状案が強調するように、 瀧瀬彦次郎入道は曽我師助の糠部攻めを鹿角で押しとどめたことで
鹿角市史 第1巻
(0489)
南部師行は元弘四年早々から確認できるのに対して、 成田頼時が姿を現わすのは建武四年(一三三七)八月
曽我貞光
軍忠状
鹿角市史 第5巻
(0644)
#183; 461 · 548曽我経光1445曽我 光高1445 · 446 →
曽我貞光
曽我
鹿角市史 第5巻
(0660)
源五郎(糀)2上366言斎2下507源左衛門(毛馬内下小路) 2下87源左衛門(平泉)2下218源七(
曽我貞光
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