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鹿角市史 第2巻 下
(0396)
月山
神社
月山
神社は大同二年(八〇七)に坂上田村麻呂によって勧請されたと伝えられる。,大日堂と共に以下
月山
鹿角の総鎮守として崇敬され、 荒沢
月山
大権現)とも呼ばれてきた。,「真経坊」とは、 現在
月山
神社の境内にある石碑の銘文の中に「
月山
別当真経坊鑑昌」とある人物のことであろう,不動院と
月山
社との関わりについて、 『不動院袖扣』に記されているところでは「此宮は、 先祖大坊より,常楽院は、
月山
社境内の石碑に記されている年代からして、 寛永ゑ六二四年間()の人と推定される。
鹿角市史 第5巻
(0070)
二五日御快方来月七日御本復の御託宣の由雑書四·一九御祈禱の御守巻数牛王并び扇子、 毛馬内
月山
別当広増寺,五·二八
月山
別当広増寺御札巻数を上げる。,六· 六毛馬内
月山
へ殿様御祈禱のため青黒毛一疋神馬同手鏡記録書雑書同にたてまつる。,六·二二殿様御祈禱の御守牛王巻数を毛馬内
月山
別当広増寺、 牛王巻数を同
月山
別当喜楽院上げる,お米五駄は
月山
別当広増寺殿様御祈禱の護摩千同座修行并去る一三日
月山
御祭入用に遣わさる。
鹿角市史 第1巻
(0438)
坂上田村麻呂と
月山
神社毛馬内の元県社
月山
神社の由来は古く、 別当和田家の記録『袖扣』に〓
月山
神社呂立始御勧請人王五十一代平城天皇大同二年亥春田村将軍東夷追討,の砌御立願奥州七ヶ所え
月山
社御勧請成され候由申伝えに御座候御建立以来縁起重宝御宝殿に安置の処往古三度の,延喜式神名帳に「出羽国飽海郡
月山
神社」とある
月山
神社は、 いわゆる出羽三山の一つで、 社記によると
鹿角市史 第2巻 下
(0390)
鹿角を代表する神社は、 小豆沢の大日堂(明治に入って大日霊貴神社)、 毛馬内の
月山
神社、 花輪幸稲荷神社,の三社で、 大日堂と
月山
神社はともに鹿角の総鎮守と呼ばれていた。,郡中御祈祷井御銅山御繁昌ノ御祈祷、 前々修行仕り来り候」盛岡藩『雑書』『寺社』安永九年五月一九日条)とされ、
月山
神社,
月山
社の場合は、 初め荒沢
月山
大権現、
月山
大権現などとも称した。,廣蔵寺の他〓に、 羽黒修験の毛馬内頭巾(襟)頭の一人である不動院が関与しており、
月山
別当とも称していた
鹿角市史 第2巻 下
(0397)
藩『雑書』承應二年(一六五三)六月二二日条に「同
月山
別当喜楽院」とあり、 瀬田石村喜楽修験の院が一時別当,、
月山
社の概略を記した『不動院袖扣』に次のように記されている。,、 毛馬内通惣鎮守荒沢
月山
大権現、 本地虚空蔵菩薩、 拝殿不動地蔵三尊、 奥院阿弥陀如来、,
月山
社は近世以前において三度火災にあったと伝えられる。,
月山
社に対する盛岡藩の寄進の例は、 この承應年中に特に多かった。
鹿角市史 第1巻
(0669)
山形県の出羽三山神社の
月山
神社(旧官幣大社)から諸国に
月山
神社が勧請されていったのであり、 毛馬内の,
月山
神社も羽黒系の修験者によって祀られた。,については、 勧請年とされる大同二年(八〇七)と最初の焼失の承和年中(八三四~八四八)に出羽三山の
月山
神社,にはたして
月山
神社の名称があったかどうか。
鹿角市史資料編 第15集
(0118)
一、
月山
細毛焼之節、 弁当并薄縁重六組釜鍋茶道具酒道具背負共ニ都合六人差出来候。,附札
月山
細毛焼之節、 以来丸飯并薄縁持人足壱人ニ取据置可申事。,附札
月山
祭事之節、 神前飾物并御桃灯等取賦人足是迄之通三度ニ三人差出可申事。,附札
月山
神輿渡有之年斗廣増寺掃除人足是迄之通四人ニ取据置可申事。,、
月山
神輿渡之年、 右ニ付添道具借もの取集方并戻方入用として八、
月山
神輿有之候年斗廣増寺掃除人足四人差出来
鹿角市史 第1巻
(0668)
〓
月山
神社毛馬内の旧県社
月山
神社も、 やはり修験と結びついた神社である。,
月山
神社の旧社家である和田家の文書中に『不動院袖扣』と仮題のある古記録(弘化四年以降のものか)があり、,毛馬内のものは七
月山
社の一つとして建立されたという。,御宮立始御勧請、 人王五十一代平城天皇大同二年亥春、 田村将軍東夷追討の砌御立願奥州七ヶ所之
月山
社御勧請成
鹿角市史資料編 第32集
(0039)
石田源右衛門殿書付を以申上候事一毛馬内前川仮橋釣木倉道具等
月山
松森両御立林より松木七本剪出シ相用イ候ニ,毛馬内町より相懸候間検断方へ相尋候得ハ、 廣増寺より申請懸候由故、 別当廣増寺へ始末承候所、
月山
松森両御林共,各者格別御山役人へも為知二及不申段申来候、 依之拙者共へ古来より被仰付相守来候筋ニ相違仕候、
月山
一通,御境付ノ外御林先役共より申立指上申候、 御境付ハ神木成共神隠レノ外不残古来ノ通拙者共へ支配被仰付、
月山
,ニ不限吟味仕来候段先役共申傳置候一享保九辰年別当廣増寺
月山
御殿為修復ノ、
月山
御立林より杉他領拂願上候節
鹿角市史 第4巻
(0639)
建こられた神社であり、 北秋田郡比内町東館独鈷の大日堂とともに、 遠くからも参詣者が集まっている
月山
社毛馬内,の
月山
神社は
月山
社と呼ばれ、 伝承では大同二年(八〇七)に坂上田村麻呂が東夷征討の時に、 奥羽の国,に七つ建立した
月山
社の一つとされている。,月読命を主神として多くの神々が合祀されており、 荒沢
月山
大権現として、 真言宗の広増寺が管理していた
鹿角市史資料編 第16集
(0034)
一、 毛馬内通惣鎮守荒澤
月山
先達不動院陀羅尼経一右は往古坂上田村将軍
月山
勧請之節、 御自筆之陀羅尼経奉納之処,、 延文年中右
月山
社焼失之砌焼残代々譲ニ相成候趣申傅之旨申出ニ御座候。
鹿角市史 第2巻 下
(0430)
月山
廣増寺の名称は、 別当寺を指すと共に
月山
神社の別称でもあった。,藩主南部利敬は神祇道の信仰厚く、 修験を廃したこともあり、 文化年中(へ一八花輪の神職三日市飛騨が
月山
社,五ノ宮嶽、 皮投嶽、 三倉山、
月山
、 黒森山など、 これらの山々を中心とした山岳信仰の盛んな
鹿角市史資料編 第11集
(0172)
相出候郷割合之分〆一、 百八拾六貫五百六拾三文村限御据郷割合并下夕郷割之〆分共ニメ分共ニ〆一、 同廿五人
月山
遷宮,同九疋御蔵米并ニ御囲籾御銅山江御附越花ワ迪之御傳馬一、 同弐拾八疋御囲籾御銅山江御附越同断同弐疋
月山
遷宮,同四拾壱人御官処御構并御蔵稲荷社掃除人足御急段御用御人足割合一、 同拾弐人御官処御蔵役処廻垣〆御人足円一、 同六人御境附御山処細毛通し御人足円一、 同三人
月山
雪落御人足円一,、 同三拾九人
月山
社道橋御普請助合御人足円、 同弐人御官処差費之節御人足円
鹿角市史 第3巻 下
(0491)
県社
月山
神社社司樋口定三(毛馬内)県社
月山
神社社掌津島良太郎(大湯)県社
月山
神社社掌和田鶴治(毛馬内尓社幸稲荷神社社司奈良富之助,柴内社格昇格運動明治四〇年県告示第六号により、 郡費をもって神饌幣帛料を供進する神社として鹿角では幸稲荷神社と
月山
神社
鹿角市史資料編 第17集
(0152)
午十二月御筆之写来未年番割正
月山
口庄次郎二月三月工藤十蔵四月五月晴山治平六
月山
口庄次郎七月八月小山田市内九月十月谷地藤次郎十一月十二月渕澤兵馬右之通申付候,十二月来未年御番割御末御用聞正月渕澤元右衛門二月三月小川口今治四月五月大川原定賀六月七月晴山磯七八月九月千葉喜右衛門十月十一月佐藤武十二月渕沢元右衛門若殿様御附役正月十四日同月中山口庄次郎一月三月工藤弓司四月五月晴山治平六
月山
口庄次郎
鹿角市史 第5巻
(0115)
六·一九
月山
別当広増寺去る一五日
月山
祭礼相済んだの同で御守札をたてまつる。,六·一八
月山
別当広増寺、 祭礼一三日済み御守札を上る。 同99
鹿角市史 第4巻
(0739)
第三節川原大神楽大神楽の由来川原大神楽は、 藩制時代は毛馬内通の総鎮守であった
月山
社の祭礼に奉納される,古くは
月山
社の先達役をつとめた毛馬内不動院が、 権現舞や湯立などの芸能を奉仕していた。,舞の構成
月山
神社の祭礼は七月十二・三日(旧六月十二・三日)に行われ、 十二日の宵宮祭には、 お休堂
鹿角市史資料編 第11集
(0081)
同弐百六十八人古川橋御普請御人足〓同七拾壱人同処橋釣木落流候ニ付引上ケ之度之御人足一、 同五人
月山
社雪落御人足一,、 同六人御籾賦り上包御人足、 同五拾三人
月山
往来道橋御普請御人足助合一、 同弐拾六人他領往来石野棚橋御普請御人足,〓同拾八人
月山
遷宮ニ付御人足一、 同五人同断ニ付永福寺送り御人足一、 同五人牛馬御目付罷通候ニ付大
鹿角市史資料編 第11集
(0130)
九拾六貫三拾九文村限御据郷割并下割合銭共〆〆一、 御人足三拾弐人御用銅三拾弐箇仕送大湯より山中造一、 同三人御境附
月山
細毛通,同五人同袈裟懸立合場細毛通し御人足、 同拾人御官処廻垣〆御人足一、 同六人御官処并ニ御蔵稲荷社掃除御人足、 同弐拾弐人
月山
往来道普請御人足,、 同七人
月山
遷宮ニ付廣増寺詰御人足一、 同七拾人古川橋懸渡并同処川除御普請御人足一、 同弐拾人同処橋釣木引上并仮橋懸渡御人足一
鹿角市史 第3巻 上
(0647)
郷社名郷社名管轄地域二大区五小区副区長兼二大区五小区副区長兼毛馬内村・毛馬内町
月山
社
月山
社
月山
社七小区祠官兼祠堂祠官兼祠堂解沢村
鹿角市史 第2巻 下
(0429)
②廣増寺(毛馬内)真言宗、
月山
廣増寺は寛永年中(六二四~四四盛岡永福寺門徒として創建、 開山は圓寿坊,廣増寺は
月山
神社の別当寺として建立されたもので、 毛馬内権之助より(
月山
鹿角市史 第5巻
(0179)
江戸期の文化
月山
神社の百人一首献額7円福寺の銅造阿弥陀如来立像花輪南館の時鐘163
鹿角市史 第5巻
(0039)
古代·中世の鹿角大日堂(昭和初期)大日堂の板碑(正安2年)
月山
神社(昭和初期)23
鹿角市史 第3巻 上
(0024)
月嶺門下の画人〓田中北嶺画「雪月花」(奈良氏蔵)熊谷月郷画「萬歳」(大欠千手観音堂掲額馬渕南渓画「双鳩」(
月山
神社掲額
鹿角市史資料編 第24集
(0107)
可有之候間引受御訴可申候、 神職江も御沙汰被成候間縣合可申旨演説ニ御座候長内良右衛門本堂右内前書御達二付
月山
引請之節之覚立合廣増寺名代三戸,此人数立合ニて花輪ノ三ケ日市飛弾より文政三辰年十一月十七日川原町御旅所ニて別當先達共ニ引受、 尤
月山
社領地面受取,旦中之肝入忠兵衛、 地主勇助是ハ豊口九十九家代成べし其外作子不残相廻し田数長サ数相改引受申候事廣増寺
月山
引受相済此節
月山
社領
鹿角市史 第3巻 上
(0648)
このように鹿角では毛馬内の
月山
神社と、 花輪の幸稲荷神社が郷社とされた。,そして
月山
神社の神職として第)、 二大区五小区副区長の矢籏光実が、 祠官と祠掌を兼ねて任命されている,つまりここでは郷社が村社も兼ねることになり、
月山
神社の場合祠官と祠掌を兼ねているのは、 毛馬内村
鹿角市史 第2巻 下
(0521)
市内神社に大絵馬として奉納され市民に親しまれているものとして、 例えば毛馬内
月山
神社の馬渕南渓「明智左馬之助湖水渡,また毛馬内
月山
神社「三美人図」に「駐春亭」の署名がある。,
月山
神社の「馬上より怪魚を突く図」(寛保三年)に「画工鈴木文四郎」とあるのは、 奉納者が桜庭安房統起
鹿角市史 第1巻
(0044)
〓
月山
神社六一八〓柴内の羽黒新山社の神田六一九記…………………………………六二
鹿角市史 第4巻
(0174)
のち御山見町に
月山
社里宮が置かれている。,この町並は御城と
月山
社とを繋ぎ、 そのどちらにも背を向けない敬神の心を表したものとされている。
鹿角市史 第4巻
(0111)
毛馬内の
月山
神社(昔は
月山
社といった)は鹿角唯一の旧県社で、 祭礼には祭囃子、 大神楽がついてにぎやかとなるさて
鹿角市史 第1巻
(0439)
毛馬内
月山
社の大同二年開創の伝に信頼性が少ないとしても、 いずれ信仰心の深い古代に勧請された古社と思,近世の記緑では「
月山
権現」「
月山
大権現」とし、 「鹿角郡中の鎮守神也」(『奥々風土記』巻九)とも伝えている
鹿角市史資料編 第16集
(0120)
一、 杉弐百五拾本氏神
月山
神社同郡同町曽洞宗仁叟寺但弐尺五寸廻より壱尺五寸廻迄同七歳一、 同小木弐百本右之通申上渡善治度々書上致候趣申出候間,同郡同町喜兵衛十六才曽洞宗福蔵寺向蔵屋敷家主農養父才兵衛亡稲荷稲荷同郡中野村成田申松次男養子曲田耕作曽洞宗福蔵寺當年二十五歳養父才兵衛亡妻養母きく同七十二歳養父藤治亡長男勝田与助二十七才大地村成田佐助娘はる二十一才氏神
月山
神社寺當縣鹿角郡毛馬内町曽洞宗仁叟寺今般至急取調之筋有之条
鹿角市史 第2巻 下
(0610)
薬師森の峰続きの
月山
は、 新沢口の主将三浦五郎左衛門が守備して一九日は桜庭隊が赤沢村の連合軍に夜襲をかける,
月山
守備の三浦隊は、 桜庭隊の夜討ぞ遅れるな、 と山を下って間道を薬師森へ進みこれを討った。
鹿角市史資料編 第23集
(0044)
御返可被下候一壱貫五百文右者前同断手先御同心壱人賄被下候分日数前同断一日百弐拾四文目銭入テ右之通請取書如斯ニ而半切ニ而御代官三人名當覚一荒澤
月山
大権現右者毛馬内町鎮守同処,より
月山
宮迄二十丁程御座候神輿ハ廣増寺被差置、 祭礼之節ハ六月十二日廣増寺より繰出し毛馬内町三丁罷通
月山
宮江登山一宿仕
鹿角市史資料編 第11集
(0179)
四百九拾弐貫七百三拾六文村限御据郷割并下タ郷割共ニ〆足一、 御人足百四拾八人御用銅百四拾八箇仕送大湯より山中迪一、 同七拾弐人
月山
往来道橋御普請御人一,同百六十五人同橋釣木引上ケ并ニ仮橋懸渡御人足共一、 同六拾五人他領往来石野棚橋御普請御人足一、 同廿四人
月山
遷宮
鹿角市史 第4巻
(0637)
信仰一、 鎮守と産土神市内の神社鹿角の代表的な神社としては小豆沢の大日霊貴神社(大日堂)、 毛馬内の
月山
神社,(
月山
社)、 花〓の幸稲荷神社(産土さん)の三社があげられる。
鹿角市史 第2巻 上
(0214)
一、 同三十一人
月山
往来道橋御普請助合御人足、 同拾人御官処御構御蔵稲荷社掃除御人足、 同二百五十一人古川橋御普請井同処川除御人足他領往来石野棚橋御人足共一,御人足五人御勘定奉行中村治助罷通候節大ゆより毛馬内迄一、 同七人御勘定奉行山口権左衛門罷通候節大ゆより関村迄、 同七人
月山
遷宮
鹿角市史 第5巻
(0148)
五 · 八毛馬内廣増寺兼務の盛岡加賀野大庄厳寺住職かけもちが、 懸持廣増寺預りの
月山
権現六月一三日祭礼,幕府金札 · 銀札 · 銭札五·二三盛岡大庄厳寺より、 毛馬内廣蔵寺預り
月山
権現祭礼
鹿角市史資料編 第11集
(0138)
一、 御人足五拾壱人御用銅五十壱箇仕送大湯より山中迪附〆三百壱人上ケ、 同弐拾三人
月山
往来道橋御普請助合御人足円百三拾六疋傳馬一,、 同拾人
月山
遷宮ニ付廣増寺詰御人足、 同百四十壱人古川橋懸渡並同処川除御普請御人足円一、 同四拾五人同処橋釣木引上
鹿角市史資料編 第11集
(0099)
ゆより山中迪、 同九人御官処廻垣〆御人足一、 同七人御官処御構御蔵稲荷社掃除御人足、 同弐拾人
月山
往来道橋御普請御人足一,、 同六人
月山
遷宮ニ付廣増寺詰御人足一、 同六拾八人古川橋懸渡御人足、 同処川除御不志ん御人足一
鹿角市史 第5巻
(0114)
六·一七
月山
祭礼相済み、 別当広増寺御守札を献上す。,五·二三毛馬内
月山
荒沢御堂の修復を願出て許された。
鹿角市史 第5巻
(0262)
和歴(西暦)一 般 的 事 項同兵庫開港を勅許す一〇
月山
内豊信幕府に大政奉同同還を建白す慶喜大政奉還を,洪水、 毛馬内川原丁并
月山
御旅所真木揚場まで欠込み被害でる。
鹿角市史 第4巻
(0202)
第五節祭りと町内の人々
月山
神社祭典の取組み毛馬内の
月山
神社の例大祭は旧暦では六月十三日に行われ、 十二日
鹿角市史 第4巻
(0766)
毛馬内では昔は囃子っこといい、
月山
神社の祭礼の際に町内を運行する祭屋台で演じられる屋台囃子である。,町内を屋台を引いて賑わすものを
月山
神社大祭附祭といい、 奥宮から里宮へお迎えする神事の部分とは別のものであった
鹿角市史 第5巻
(0245)
覚書同四·六
月山
別当広増寺より、
月山
境内松森山へ野火が入り松元木七三〇本程、 中の松二四
鹿角市史 第2巻 下
(0428)
廣増寺は、
月山
神社の別当寺として、
月山
神社の項で述べている。
鹿角市史 第2巻 下
(0257)
月山
神社の祭典一三日。 毛馬内
月山
社の祭典だが全郡的である。
鹿角市史資料編 第24集
(0106)
三日間鳴物御停止普請不苦旨由来、 此旨御代官赤沢儀左衛門、 中里判左衛門乍恐奉願上候事毛馬内御代官処鎮守荒沢
月山
堂,を以御代官処よりも願上可申候間、 願之通被仰付被下置度奉願上候、 尤右御普請入用木品之儀ハ、
月山
境内之内,以上六月十六日屋形様益々御機嫌能當月廿二日御発駕被遊候間、 明廿六日恐悦(以下欠)九月廿五日中野三左衛門是ハ文化八辛未之事同年之事赤沢儀左衛門
月山
本社拝殿當四月
鹿角市史 第4巻
(0060)
民間信仰…五五はじめに…五五一第一節神社と信仰五五四一鎮守と産土神…五五四市内の神社、 大日堂、
月山
社
鹿角市史 第2巻 下
(0030)
八幡平温泉郷第八章信仰と文化三四九第一節神社と寺院三四一一、 神社三四五1、 鹿角の鎮守・産土神三四九大日堂、
月山
神社
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