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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第4巻 (0484)

としては使用されない悪質なものであったので、 原料はおもに閉伊郡野田通の割沢鉱山などから釦鉄、 延鉄が来満峠,このほか野田では、 普代の塩が鹿角まで行った、 種市の塩も来満峠を越えたという話が伝えられている八戸塩
鹿角市史 第4巻 (0201)

彼女たちはよく「白銀ころがし」という八戸の端唄を唄ったがそのひとつに「無けりゃよいもの来満峠無けりゃ八戸近
鹿角市史 第4巻 (0270)

両鹿角扈従日記』盛岡市中央公民館蔵み)によると、 八月十日から同月二十三日まで大湯下ノ湯に止宿し、 来満峠
鹿角市史 第4巻 (0821)

元々は八戸近くの白銀近辺の芸妓が、 来満峠を越るて持ちこんだことに由来するといわれている。
鹿角市史 第5巻 (0276)

牛馬籍編制規則定める四月 駅遞局、 農商務省所属鹿角角関係事項出 典四 ·この春内務卿へ提出の来満峠自費新道開鑿伺許可
鹿角市史 第5巻 (0231)

巡見向井大和、 戸沢駿河、 藤枝宮内、 岩間丹下藩家老となる六·二江戸の落語家船遊亭扇橋、 来満峠
鹿角市史 第4巻 (0242)

また不老倉鉱山は青森県境に近いため、 来満峠を越えた青森県田子方面との経済交易があった。
鹿角市史 第4巻 (0857)

八月三日、 三戸から来満峠を越えて鹿角入りし、 まず南部馬の良さをほめあげている。
鹿角市史 第2巻 下 (0140)

佐庄は四月までに石橋文蔵と吉田万左衛門から二二○駄を買付け、 来満峠が牛馬不通になるまでに三〇〇駄、
鹿角市史 第1巻 (0600)

郡北の状況については、 同十一年晴政の世子田子信直が来満峠越えして大湯村に陣を布いたと伝えるのみで、
鹿角市史 第5巻 (0277)

·一九県布達により鹿角街道、 来満街道の街道名に改五 ·められ、 来満街道は来満峠
鹿角市史 第3巻 下 (0190)

としては右の二線うち1の線(大湯・中瀧・大清水・夏坂・田子・三戸)のほうが、 従来の県道(大湯・不老倉・来満峠
鹿角市史 第3巻 上 (0235)

宮麓を経て岩手具松の境に至る道路は鹿角街道となり、 錦木村)で鹿角街道から分れ毛馬内村を経て大湯村来満峠
鹿角市史 第4巻 (0485)

北海道産の魚が多かった二つめは八戸-来満峠-毛馬内-花輪ルートである。
鹿角市史 第4巻 (0564)

田子など三戸方面においても、 かつて領内であったとの感情や、 来満峠を越えての交易による結びつきが
鹿角市史 第3巻 下 (0199)

旭(三戸鉄道)毛馬内から大湯を通り、 来満峠を越えて三戸・八戸に通じる路線である。
鹿角市史 第3巻 上 (0239)

一三年二月に秋田県から「来満峠自費新道開鑿伺」が内務卿に提出され、 四月一三日付で許可を得た。
鹿角市史 第4巻 (0777)

あるとき八郎太郎は仲間の若者と三人で、 来満峠からずっと奥山を越え奥入瀬のあたりまで来て、 マダの
鹿角市史 第4巻 (0788)

それを追ううちに、 三戸との境の来満峠まで来ていた。
鹿角市史資料編 第9集 (0004)

また、 三戸へ越える来満峠には「此の処大難処六里ニ而、 雪中牛馬不通」等とある。
鹿角市史 第5巻 (0565)

#183; 7814423下2762上233· 238 · 250ラ来満街道来満鉱山来満峠来満山
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