• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧

鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 222件
辞書ファセット
/ 5ページ
鹿角市史 第3巻 上 (0296)

(宮川)大繩久享(郡書記)遠山弥三郎(郡書記)田子平太郎(錦木)〓膿)根本五郎(曙〔郡書記奈良忠男(柴平,)木村律衛律衛(柴平)(郡書記)黒沢義太郎(郡書記黒沢義太郎(〓(郡書記(柴平)川又久八川又久八(柴平,柴平〕倍賞善太郎(柴平)内田平三郎(尾去沢)根本五郎(曙)吉田五郎(花輪)兎沢徳蔵(柴平)〔毛馬内佐藤茂吉,ほか名簿不備のため不〓同上兎沢徳蔵(柴平)(毛馬内(花輪)(宮川立山弟四郎(毛馬内.,兎沢徳蔵(柴平)(『秋田県種苗交換会史明治編』により作成)
鹿角市史 第3巻 上 (0299)

その和綴報告書は『適産調』(柴平村土質全図)『柴平村適産調柴内部落ノ部』・『同絵図』・『柴平村適産調平元部落,ノ部』・『同絵図』・『柴平村適産調総寛村是之部』(乾・坤・雑の三分冊)・「適産調将来柴半村柴内』・『同柴平村平元,関善八、 倍賞逸、 米田善次郎、 木村嘉助、 児玉恒作、 木村健三、 田村辰之助(以上柴平村
鹿角市史 第3巻 下 (0242)

鹿角郡におけるその対象町村は、 大豆が柴平、 粟が柴平、 馬鈴薯が曙、 かんらんキャ(〓ツ)が,柴平、 りんごが花輪、 藁工品が曙と、 それぞれ委嘱をうけた。,馬鈴薯尾去沢、 大湯(五〇町)甘藍尾去沢、 柴平(二三町)白菜尾去沢、 錦木(一五町)
鹿角市史 第3巻 下 (0582)

三〇年三月曙村を含む合併案を否決されてから、 形勢観望していた花輪町・柴平村はにわかに態度決定を迫られた,三一年八月に、 県審議会長から花輪・柴平二カ町村合併の指示があり、 両町村合併協議会では直ちに規約作成,九月二三日新町建設計画の策定会を開催、 同二五日ようやく花輪町・柴平村合併申請書を、 翌二六口新町建設計画書,をそれぞれ提出、 県議会臨時会において九月二七日「鹿角郡花輪町及び柴平村を廃し、 その区域をもって,九月二九日、 花輪町役場において花輪町および柴平村の廃町村式が挙行され、 翌三〇日、 あらたに花輪町
鹿角市史 第4巻 (0101)

第一節地理的概観〔尾去沢地区〕〔柴平地区〕(鹿角市の統計・農業センサスから)(60年2月1日)(鹿角市,〔花輪地区:除柴平地区〕(鹿角市の統計から)(鹿角市の統計・農業センサスから)
鹿角市史 第4巻 (0872)

れ昭和四十七年死去)秋田師範本科・専攻科を卒業した昭和七年以降、 鹿角の小中学校教師、 平元小・柴平中,・八幡平中などの校長や、 柴平村の教育長などを勤めた。,○国史文学読本昭和五年著者刊○山の国・鹿角の里昭和七年千秋社○鹿角郷土地理昭和十七年著者刊柴平村史昭和三十二年著者刊
鹿角市史 第3巻 下 (0238)

次いで七月には、 県小麦多収競作に出品の大湯町草木と柴平村小枝指の二カ所が予選に入り、 県および県農会,同一〇年の作付反別六〇町歩をかぞえ、 柴平村寺坂兎沢俊男が郡内多収一等となった。,同一一年の県農会小麦多収穫競技会予選通過は六名(柴平兎沢俊男・小館祐次郎、 曙稲垣正一郎、 毛馬内成田吉五郎
鹿角市史 第3巻 下 (0214)

以下宮川村、 大湯村、 花輪町、 柴平村の順となる。,比較的経営の安定している一町以上三町以下の、 自作を主とする階層は柴平村、 錦木村、 曙村、
鹿角市史 第4巻 (0088)

明治十年に花輪村に久保田村など六カ村が合併し、 同二十二年に花輪町となったもので、 昭和三十一年には柴平村,柴平は明治二十二年に柴内村と平元村が合併して柴平村となっている。
鹿角市史 第1巻 (0580)

室大里修理ノ妹『奥南落穂集』鹿角郡ノ次第には、 柴内弥次郎武貞鹿角郡柴内村郷士安保氏在原姓南部ニ従ヒ柴平村,仕利直公移岩手郡川又村百石柴内弥三郎武興弥次郎子没収柴内兵庫親久弥次郎二男浪人柴内又八郎親方兵庫子仕政直君三十石没収柴平又七郎親洪又八郎子御徒柴内理左衛門景弥又七郎子出精二百石柴内平五郎昌武兵庫二男六駄二人
鹿角市史 第5巻 (0294)

この年 伝染病予防委員設置町村として花輪町、 柴平村、 毛馬内町が指定された。,四 · 一八柴平村出火、 二七戸焼失。,日六·二〇柴平村適産調の結果の取まとめ等すべて終わる六·二〇寺の沢大出水、 中の
鹿角市史 第4巻 (0361)

第三節住生活第1表柴平村『適産調』にみる住生活の変化
鹿角市史 第1巻 (0008)

五ノ宮嶽柴平発電所馬の水晶山から北東~北を展望(上・下)
鹿角市史 第3巻 上 (0177)

第一章明治の移り変わり第〓表明治期における町村長柴平村長毛馬内町長錦木村長
鹿角市史 第3巻 下 (0192)

初年唐の鹿角の道路は、 県道が大湯柴平・宮川・小坂・同大川岱地内、 町村道は花輪町・毛馬内町・大湯町,昭和八年一〇月、 県の匡救土木事業として柴平村の県道の内、 西町と東町との間の傾斜切取工事が、,また、 花輪町新田町から宮川村玉内の下までの路面改良と、 柴平村の根津川の鉄筋コンクリート橋、
鹿角市史 第3巻 下 (0203)

六年七月一六日それまで不便をかこっていた柴平地区住民の利便を図るため、 柴平村柴内字鶴田に無集配の柴平郵便局
鹿角市史 第5巻 (0386)

和歴(西暦)一 般 的 事 項問題となるこの年ツイスト流行鹿鹿角関係係事項七·三一柴平地区瀬,一一·二〇柴平瀬ノ沢旧墜道閉鎖、 人道への転用決まる。,二·二八花輪·柴平両農業共済組合合併を決議す。
鹿角市史 第3巻 下 (0269)

花輪土井仁四郎、 昭和二年)には「名古屋」大湯養鶏組合と「単冠ロードマ五回○回第五イランドレッド」柴平児玉養禽園,花輪浦井繁、 伊藤文太郎らがよく入賞し、 大湯谷地政共、 錦木田口善次郎、 尾去沢小河原福治、 柴平児玉栄吉,昭和四年児玉啓次柴平村農会長は県に嘱託され愛知県岡崎市家禽品評会ならびに同地方養鶏事業を視察した。
鹿角市史 第4巻 (0098)

大堰はさらに北へ流れ、 東側の柴平地区と西側の下花輪地区とを分けて通る道路(国道二八二号線)に沿って,やがて、 柴平地区の数筋の河川を合流させた大堰は、 やがて米代川に合流していく。,明治に入って、 鹿角にリンゴが導入されると柴平地区はリンゴ生産地として発展した。
鹿角市史 第5巻 (0478)

柴平村会日誌柴平村誌 佐藤与一3上565 · 5662上277· 280 2下376,360 · 446 ·2下182485 · 578 · 793柴平村勢一班柴平村適産調
鹿角市史 第5巻 (0288)

E荣平村道出版社出版快而造发調 第五版中山アケビ蔓細工の講習会柴平村の適産調和井内孵化場272
鹿角市史 第3巻 下 (0105)

県内でも、 鹿角は日本労農党最大の勢力地と目され、 その入党数は柴平一四、 芦名沢三〇、 毛馬内一七,やや遅れ柴平村小平四〇名、 大湯村草木一三名も組合に加入した。,二年一二月、 柴平村柴内の全日本農民組合員など四、 五〇名の小作人は、 毛馬内町の立山、 大里
鹿角市史 第3巻 上 (0298)

その鹿角の一村とは、 柴平村であった。,柴平村が適産調の対象に選ばれたのは、 既に石川の門下生として南秋田郡の適産調に参加していた同村の川又久八,柴平村の適産調は、 三一年三月二〇日から前調に入り、 七月三〇日から八月四日まで実施調査を行い、
鹿角市史 第3巻 上 (0509)

注〓、 同三一年「第五課地理係事務簿鉱山ノ部」壱番注〓、 『柴平村誌』柴平村役場、 二七年より三一年
鹿角市史 第3巻 下 (0154)

公立病院の設立無医村正六年『町輪町役場大正六年、 鹿角における開業医師数は二八名、 郡内一〇町村のうち柴平村,には医師の常設出張所はあったが、 曙村、 柴平村、 錦木村、 七瀧村には居住する医師はいなかった
鹿角市史 第3巻 上 (0347)

○『大湯村誌』から二七年八頭三二年一八頭○『柴平村誌』から二七年二八年二九年三〇年三一年〔『秋田県治一覧概表,当時の郡内における産牛地は小坂・柴平・宮川
鹿角市史 第4巻 (0475)

花輪小坂間定期乘合自動車時間表乘事金{中山缺〓店森内雜貨店花輪・柴平間〓二十瓦〓柴平・松ノ木間=十五〓
鹿角市史 第3巻 下 (0255)

柴平方面においてはりんご園の樹間に桃をはさんで間作する例が多く、 郡内にとどまらず他郡や北海道までも,煙害が少ないことから郡内各町村にわたって分布し、 とくに宮川、 曙、 花輪、 尾去沢、 柴平
鹿角市史 第3巻 下 (0644)

鹿角警察署警察官派出所小坂、 大湯、 十和田、 尾去沢警察官駐在所湯瀬、 錦木、 下川原、 柴平,鹿角警察署交通安全運動警察官派出所小坂警察官駐在所湯瀬、 錦木、 下川原、 柴平、 十和田湖、
鹿角市史 第3巻 下 (0230)

最近この原野三〇〇余町歩の開墾を再計画し、 大柴平を建設せんとしている、 との記事をのせている。,また大正九年一〇月県が福岡県から招聘した実際家による深耕実地伝習会が、 柴平村において一週間にわた
鹿角市史 第3巻 上 (0174)

阿部権兵衛、 山崎久之、 根本庄右衛門、 阿部春治、 佐藤甚右衛門の一二名を選出『鹿角のした(○また柴平村,二級議員に金万誠二郎、 木村富弥、 川又久八、 児玉正次郎、 金沢万治、 倍賞友之助が選ばれ〓『柴平
鹿角市史 第3巻 下 (0680)

地域的に短角の繁殖牛の多いのは大湯、 柴平、 八幡平で、 肥育牛のホルスタインは柴平が多くなっている
鹿角市史 第3巻 上 (0032)

曙村の馬匹放牧場(宮川・大湯と共に斯業の中枢地)明治三十年石川理紀之助の柴平適産調に参加した人々の血判
鹿角市史 第5巻 (0321)

この年 鹿角郡救農土木費約二〇万円にのぼり、 花輪町の福士川改修、 柴平村の県道小枝指寺坂間改修、,に列す同 同各郡市の反別調査実施悪性流行性感冒県内に猖獗、 死亡三、 二〇〇名二·一一柴平
鹿角市史 第5巻 (0425)

一〇·二九東北自動車道柴平·十和田·花輪工事区の合同起工式が柴平工事区現場
鹿角市史 第5巻 (0373)

三 ·三 ·柴平村瀬の沢土地改良区が設立された。,が合併計画案を答申、 鹿角郡は「花輪·尾去沢·宮川· 曙·柴平
鹿角市史 第3巻 下 (0525)

花輪町大里周蔵柴平村金沢憲司七瀧村谷田部亮一尾去沢町高杉重右衛門毛馬内町伊藤良三小坂町木村定治曙村斎藤吉之助銅木村佐々木鉄蔵宮川村成田元吉大湯町諏訪富多小坂,社会党また初の町村会議員の定員は、 花輪町二六名、 毛馬内町・大湯町・尾去沢町・宮川村・柴平村ともに
鹿角市史 第4巻 (0364)

花輪柴内、 八幡平大里などの大清水、 花輪の長清水、 小上清水などが右第一章毎日のくらし第2表柴平村
鹿角市史 第5巻 (0291)

蓑虫山人全国周遊絵日記秋田県史資料柴平村史秋田魁新報明治二九(一八九六)一月 蚕糸業組合規則定める同本県料理屋飲食店取締規則,この月現在患者四七名内全治二四一一 ·一二·遁走一死亡三現在一九、 内訳大里三二柴平四尾去沢二曙二大湯一花輪六
鹿角市史 第3巻 下 (0101)

昭和三(一九二八)年、 全農南鹿(曙、 宮川、 柴平、 花輪)連合会を結成し、 また全農柴平村乳牛支部
鹿角市史 第3巻 下 (0106)

団長に田中与助、 会計に花輪の阿部才一郎、 丸山仙太、 曙の大石市松、 阿部多次郎、 柴平の,このよつな態勢のもとに花輪町一二〇名、 柴平村一〇名、 宮川村六〇名、 曙村一〇〇名をかぞえる南鹿争議団
鹿角市史 第3巻 下 (0222)

この土木工事により花輪町の福士川改修、 柴平村の大湯県道の内小枝指寺坂間の改修、 毛馬内町では大湯川集守,六〇〇円、 毛馬内五、 八〇〇円、 大湯四、 六〇〇円、 尾去沢三、 五〇〇円、 柴平三
鹿角市史 第3巻 下 (0538)

柴平村営一地改良事業として、 総工費四、 三四一万四、 〇〇〇円で、 新隧道工事に着手したが、,この事業は柴平村と花輪町が合併したこともあって、 事業主体の引継ぎ問題や、 水利権とその負担金の問題等紆余曲折
鹿角市史 第3巻 下 (0423)

この講演会で、 柴平出身の佐藤与が「鹿角の年中行事と自然景観文化」という題で発表を行なっている。,佐藤はこのほか『鹿角郷土地理』『柴平村誌』を著わし、 また高橋克三編の『毛馬内郷土読本』等の郷土研究書
鹿角市史 第5巻 (0331)

日本農民組合柴平支部結成される。 花輪·錦木等に日本農民組合支部ができる。,同盟罷業に入った七〇〇余名が支部の赤旗を先頭に労働歌を高唱製錬所付近までデモ行進した一〇·一九柴平村耕地整理約四
鹿角市史 第5巻 (0357)

創業百年史七·一六柴平村鶴田に無集配の柴平郵便局が開局した。
鹿角市史 第5巻 (0376)

柴平村乳牛東町土地改良区設立される。,同三·一五花輪町·柴平村二町村の合併懇談会設置された。
鹿角市史 第3巻 下 (0122)

柴平村の低迷宋平村もまた、 政争の村としての定評を得ていた。,この時村税滞納二万数千円といわれ、 新聞は「柴平村の如きは政友系の村長となれば民政系のものが、 民政系
鹿角市史 第3巻 下 (0276)

毛馬内営林署大湯第一、 大湯第二、 止滝、 中滝化輪営林署花輪、 柴平、 長内、 小豆沢、,同年九月町村救農林道開設事業に対する低利資金融通として発表した鹿角分のなかに、 尾去沢四〇〇円、 曙六〇〇円、 柴平三
鹿角市史 第3巻 下 (0252)

この年八月下旬、 小坂鉱山の鉱煙が数回にわたり大湯、 柴平、 花輪方面へおしよせ、 折からの無風状態,二年二月、 柴平村にも果樹園芸会が組織された。
/ 5ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました