機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 114件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 3ページ
鹿角市史 第2巻 下
(0615)
との応接があり、 御境目より兵隊を引揚げ、 小坂村鏡得寺へ本陣を移すこととした(『同前』)この日
楢山佐渡
,式部はこの日夜松山村に到着した(二五日付南部吉兵衛宛
楢山佐渡
書状『軍中御用留帳』所収)。,
楢山佐渡
も松山に戻っている(『諸御用留帳』)。,○二五日
楢山佐渡
、 高屋村に引揚げ(『諸御用留帳』)、 向井蔵人は毛馬内仁叟寺に入った。
鹿角市史 第2巻 下
(0629)
一方東京において禁錮されていた
楢山佐渡
は、 五月一四日軍務官より刎首を命ぜられた。,
楢山佐渡
自分叛逆首謀に付、 今般朝命に依り刎列首仰付ける者也。,盛岡藩において主戦論の信念を貫いた
楢山佐渡
の処刑と、 官軍に身を投じてまでも開戦を阻止しようとした日時隆之進
鹿角市史 第2巻 下
(0648)
ノ通配置セラル十二所茂木筑後居館へ戦書持参ノ使者玉内市左衛門関富次郎
楢山佐渡
本隊附属鉄炮卒杉澤小左衛門関勇八小沼嘉右衛門兼蔵長男西館元治多左衛門長男関忠蔵大里間之助重左衛門長男日沼勇之助権内長男安保貞蔵市左衛門長男玉内茂之助長之助長男野中長次郎熊谷多次郎本陣
楢山佐渡
附用使熊谷忠太関半吾関多左衛門石井重蔵三上六之丞勇八長男関勇太郎原重内花輪代官所詰用使安保権内日沼重左衛門西館兼蔵野中長之助六之丞長男三上友治中嶋長作傅之助長男野中傅作熊谷重次郎忠太長男熊谷定助和太郎長男工藤文太郎小左衛門長男杉澤駒次郎土深井番所詰工藤弥助根市半治南部吉兵衛附随鉄炮卒工藤和太郎野中傅之助長作長男中嶋多助玉内勝之丞一上金助三上恒右衛門嘉平太長男小沼仙蔵野中善治理右衛門長男熊谷理八総
鹿角市史 第2巻 下
(0567)
七月一六日盛岡に到着した
楢山佐渡
は、 直ちに登城し藩主重臣との会議に臨んだ。,三月
楢山佐渡
と共に上洛した用人目時隆之進は、 佐渡の意見に反対して容れられず、 六月四日京都の藩邸,
楢山佐渡
と共に帰県史』曰の途についた目付中島源蔵も、 佐渡の意志を変えることができず、 六月九日大坂
鹿角市史 第2巻 下
(0576)
開戦前夜脳岡藩の秋田進攻における鹿角口の総大将となった
楢山佐渡
と向井蔵人は、 七月二七日兵を率い〓盛岡,花輪南部家『諸御用留帳』に八月朔日「
楢山佐渡
様、 向井蔵人様、 御官所江御着ニ相成り、 同処江旦那様一南部吉兵衛,)入らせられ候」とあり、 また同家中工藤賜の日記「鹿角市史資料編第一集』所収味)に八月朔日「御家老
楢山佐渡
様
鹿角市史 第2巻 下
(0618)
之に依り重臣
楢山佐渡
国事を誤り候者ニ付差出候間、 総督府之御沙汰仰ぎ奉り候。,東北遊撃軍参謀船越洋之助に斡旋を懇願し、 結局翌一〇日仙台討伐の先鋒云々を削除し、 藩主謹慎の事、 首謀の臣として
楢山佐渡
,なお目時隆之進は、 さきに京都において
楢山佐渡
と意見を異にし脱走して身を長州藩邸に投じた。
鹿角市史 第5巻
(0260)
楢山佐渡
の軍議「火起, 可人海免得, 人工作 !。
鹿角市史資料編 第30集
(0113)
九月廿日盛岡藩向井蔵人
楢山佐渡
秋田御藩御出張御隊長中様一筆致啓上候然ハ本翰得御意候儀二付陣頭ニ於テ御面会,上国境二於テ可及御應接候、 右御〓可得貴意如斯御坐候以上九月廿一日秋田藩須田政三郎佐竹大和盛岡御藩
楢山佐渡
様向井蔵人様右,ハ其刻可及御談判候右可得御意如斯御坐候以ト九月廿一日盛岡藩向井蔵人秋田御藩佐竹大和様須田政三郎様猶以
楢山佐渡
儀當節土深井出張罷在候間不取敢拙者
鹿角市史 第2巻 下
(0587)
八月九日茂木竿八月九日
楢山佐渡
様向井蔵人様二白本文の御模様遅延に相成候ては、 各藩御申合せ期限も之れ,以ト八月茂木筑〓茂木筑後
楢山佐渡
様向井蔵人様戦書は南部方の開戦の意義主張であり、 筑後の返書は秋田側
鹿角市史 第2巻 下
(0583)
に当たっての模様は、 八日夜、 花輪御官所へ銃隊人数、 農兵、 奴に至るまで残らず集合、
楢山佐渡
,読み渡し、 一同へ御酒を下されたのち、 合図によって一斉に繰出した(花輪南部家『軍中御用留帳』○
楢山佐渡
鹿角市史資料編 第1集
(0078)
つ時頃花輪へ御帰館佐渡様は土深井へ御退陣の由なり同十四日一、 御本丸に於て一統へ御酒下さる一、
楢山佐渡
様,別所口御境為御警衛御手前人数の内士分足軽取り交ぜ惣勢五十人早々差立てらる可く候此旨其意を得らる可く候以上南部吉兵衛殿八月十四日
楢山佐渡
右,わされ夕七つ迄罷帰る様子柄申上一、 工藤源之亟御用これ有り御引揚為代川目善右エ門被遣同十七日一、
楢山佐渡
様向井蔵人様
鹿角市史 第2巻 下
(0588)
十二所合戦秋田進攻十二所口の南部軍は『諸口配兵人数取調帳』栗山文一郎編『戊辰戦役絵図』所収)にもある通り○十二所街道追
楢山佐渡
,を将として発機隊三小隊、 鳥蛇隊一小隊、 昭武隊、 花輪給人の一番手、
楢山佐渡
手勢の兵計五一五人
鹿角市史 第2巻 下
(0619)
一〇月一五日、
楢山佐渡
を始め謹慎中の諸重役はその役職を免ぜられた。,花輪へ
楢山佐渡
、 三戸式部、 野田丹後が出張し代官所に宿陳するので、 仮官所は関村貞衛宅に移るなど
鹿角市史資料編 第12集
(0023)
楢山佐渡
様、 向井蔵人様、 此元江御出ニ付、 御使者被仰付。 番ニ而詰る。,、 □
楢山佐渡
様、 向井蔵人様、 御官所江御着ニ相成リ、 同処江旦那様被為入候ニ付、 御供工藤源五郎
鹿角市史 第2巻 下
(0609)
にいたし、 前より烈敷打立候處、 敵散乱烈敷追討候處、 敵大炮三門弾薬許多捨置き散々逃去候に付、
楢山佐渡
手引揚大館町外神明堂,退路が新沢口一つになった事を挙げている據守の目的これ無きに付、 当城引払之儀相決し、 新沢口より
楢山佐渡
毛馬内松山
鹿角市史 第5巻
(0263)
八 八八 ·一
楢山佐渡
·向井蔵人花輪に立寄り、 毛馬内へ着三桜庭祐橘率いる四番組,八 ·七
楢山佐渡
花輪に移動、 吉田新六宅を宿舎とす。
鹿角市史資料編 第20集
(0035)
廿三日
楢山佐渡
廿三日殿様、 万治郎様茨嶋江御遠馬ニ付、 御供御平常之通。,廿四日桜庭十郎右衛門様桜庭裕橘様御役人中様
楢山佐渡
様御役人中様三戸大五郎様御役人中様廿四日桜庭十郎右衛門様廿五日御役人中様以廻状致啓上候
鹿角市史 第2巻 下
(0599)
南部吉兵衛は
楢山佐渡
の要請によって、 一四日根市源右衛門外総勢六〇人、 五〇目筒一挺、 他に工藤経人小荷駄,以上八月十七日向井蔵・向井蔵人南部吉兵衛殿円
楢山佐渡
(『軍中御用留帳』』)
鹿角市史資料編 第30集
(0120)
鑓疵小田嶋千代司一手負手負発機隊金田一直害一玉二て〓の後口骨へ花輪御給人駒治家来打抜かれ幾太〓幾太郎鉄炮疵発機隊村山連治花輪町長助弟夘七
楢山佐渡
内小関金次郎忠太市助与助花輪御給人佐々木六助一
楢山佐渡
内小関金次郎右
鹿角市史 第2巻 下
(0626)
この上京には正義勤王の家来一五人ずつを召連れることが許され、
楢山佐渡
、 江賭五郎、 佐々木直作
鹿角市史 第2巻 下
(0304)
利済は安政元年(一八五四)江戸へ召換され謹慎を命じられ、
楢山佐渡
、 東中務などの手によって藩政改革
鹿角市史資料編 第1集
(0035)
茂御進撃御見合可被下委詳ハ追而可及御応接候条此段不取敢得御意置候様従盛岡表申付越候以ト九月廿日盛岡藩向井蔵人
楢山佐渡
秋田御藩御出張御隊長中様右書翰長,御引取之上国境におゐて可及御応接候右御報可得御意如斯御座候以上九月廿一日秋田藩須田政三郎佐竹大和盛岡御藩
楢山佐渡
様向井蔵人様此日又敵
鹿角市史資料編 第1集
(0079)
候様にては打入に甚だ差支候儀に御産候間油断無く厳重に御守成さるべく右御意を得候以上八月十七日向井蔵人
楢山佐渡
南部吉兵衛殿右,に至る迄油断無き様御締方の義差図致さるべく候此旨其意を得らる可く候以上八月十九日向井蔵人南部吉兵衛殿
楢山佐渡
右御奉書奈良織太下新田
鹿角市史資料編 第12集
(0050)
一、
楢山佐渡
様より御預之長持壱棹、 久慈市右衛門殿江御渡御役人汀差出置く。,一、
楢山佐渡
様御境口より御退陣、 爰元御宿り大町検断市郎右衛門宅御宿陣、 為御見舞旦那様御宿陣迄被為入
鹿角市史 第2巻 下
(0579)
第二節鹿角口の戦い一、 南部軍の侵攻遂に開戦となる八月七日、 土深井口より進撃する手筈の主将
楢山佐渡
鹿角市史資料編 第1集
(0011)
七月十五日より御城下勢(盛岡より来り花輪に)到差八月八日夜九ツ時爰元(ここもと)
楢山佐渡
殿陣押九日未明土深井
鹿角市史資料編 第12集
(0051)
、
楢山佐渡
様より夜五ツ過御状筥来、 花輪御宿陣候処急段松山迄▽又御出張之趣也。,一、
楢山佐渡
様高屋村江御引同所より御状来、 状使同村酉と申来御酒被下。
鹿角市史資料編 第1集
(0059)
候間所存無忌憚可申出事五月六月廿一日主公之御先詰として中津山富右衛門横田澄御新領之内百理江発足しケる
楢山佐渡
江実名隆吉反逆首謀,御邸に残り居しなり同廿六日智徳院様主公の御母也実ハ永姫様の御娘ニテ利剛公とハ御従弟也奧様主公の御妻にて
楢山佐渡
殿妹也力次郎君御嫡男
鹿角市史資料編 第1集
(0081)
御奉書左に一筆申入候御手前手勢を以て十二処口御警衛向一手に被仰付候問此旨可被得其意候以上八月廿四日
楢山佐渡
南部吉兵衛殿一筆啓上致,戦斗候間別処並に土深井口共見廻方も御達申候間油断無き様御警衛向仰せ達しられ候右の段御意を得候以上八月廿四日
楢山佐渡
南部吉兵衛殿石達書五日参候得共見
鹿角市史資料編 第1集
(0093)
御用人平山郡司御目付川上恭蔵御先手渡部万治都合上下百人程三ツ矢沢新田御境目御見聞帰り御銅山へ御立寄なり、 八月朔日御家老
楢山佐渡
様向井蔵人様上下二百人程,同五日小荷駄懸り仰せつけらる関薗右エ門工藤経人北郷理七郎工藤賜阿部庄之進右五人なり〓同八日夜九ツ頃御官所より
楢山佐渡
様大将
鹿角市史 第2巻 下
(0596)
楢山佐渡
の本陣は態勢をたて直す間がなかった。
鹿角市史 第2巻 上
(0313)
以上桜庭陽之輔安政四年八月桜庭陽之輔(
楢山佐渡
・毛馬内大隅・花輪徳之助に宛てている)この願書は翌五年八月再度認
鹿角市史 第5巻
(0015)
銅造阿弥陀如来像花輪南館の時鐘川口月嶺「鶏と牡丹」観心作の引法大師像(戊辰戦争):出陣式扇田神明社の戦い大館城の戦い
楢山佐渡
鹿角市史資料編 第12集
(0005)
その後状勢はますます逼迫し、 藩家老の
楢山佐渡
が急據京都より帰国、 京師における薩摩・長州の専横に,、 土深井↓十二所口先鋒花輪隊一番手二百余(所給人与力以下)総督家老
楢山佐渡
手昭武隊剣鎗小隊発機隊鉄
鹿角市史資料編 第30集
(0005)
一方の十二所口から進軍した
楢山佐渡
本隊の戦闘行動はわりと多く伝えられているが、 向井蔵人の部隊については,ここにも
楢山佐渡
等の「同盟こそが真の勤王である」として、 敢えて秋田藩進攻に踏みきった信条がつよく滲
鹿角市史資料編 第1集
(0020)
申御筋無之乍不及御同盟之向江幾重ニも周〓之致方も可有之と奉存候此段御隣好ニ付右得御意候以上八月八日盛岡中将様御内向井蔵人
楢山佐渡
秋田中将様御内茂木筑後様二白本文之御挨拶遅延,に相成候而は各藩申合候期限も有之ニ付御境内江致進軍候御挨拶致承知度候此日執政
楢山佐渡
殿向井蔵人殿此両人我主公盛岡
鹿角市史資料編 第1集
(0106)
辰七月御臺所諸御役所一、 慶應四年辰八月五日花輪通江御出陳御入数南部吉兵衛殿
楢山佐渡
殿向井蔵人殿桜庭祐橘新渡部稲葉奥瀬内記下田物集女,無程御出勢之由相待候処夜明方石亀左司馬人数附属いたし罷通下モ新田口へ相廻同九日朝より土深井下モ新田より御討人葛原口より向井蔵人殿土深井口より
楢山佐渡
殿新沢口
鹿角市史 第2巻 下
(0591)
双一〇人農兵四一人同二三人(頭取山本喜代志)村夫三〇人(同豊口唯志)計一〇四人○十二所口(花輪口)(
楢山佐渡
隊
鹿角市史 第2巻 下
(0553)
五人毛馬内通此度御上京ニ付、 村夫正人被仰付候人数割左之通との割付であったが一書前掲)、 藩主の上京はなく代わって
楢山佐渡
鹿角市史 第5巻
(0264)
楢山佐渡
高屋村に引揚げ向井蔵人仁叟寺に入る九·二五盛岡兵、 全戦線からの撤収を完了す。
鹿角市史資料編 第9集
(0017)
十二月九日(四三二頁)、 監物は軍制改革御用掛を申付けられたがこれは
楢山佐渡
・監物と東中務との対立が,この年
楢山佐渡
と北監物が南部藩兵財政権を完全に掌握し、 従って対立関係にあった東中務は監物の進言で異志
鹿角市史 第2巻 下
(0590)
以上同十日同十日楢山佐
楢山佐渡
南部吉兵衛殿十二所出兵の要請を受けた吉兵衛は、 家臣一同へ軍忠を尽すよう
鹿角市史 第2巻 下
(0574)
鹿角関係について掲げると七月二四日一、
楢山佐渡
向井蔵人両鹿角御境筋御警衛人数為惣司出張被仰付。
鹿角市史 第2巻 下
(0578)
一、
楢山佐渡
が本丸まで来られ、 のち南部吉兵衛も御官所と佐渡の宿舎吉田新六宅へでかけた。
鹿角市史資料編 第25集
(0050)
向々之人数召連早々上坂候様可被致候事右於江戸表稲葉美濃守達之事正月右之通此度被仰出候間、 此旨相心得銘々触所限不洩様相触可申候以上正月十七日御役屋柴内村小平村上台村草木村右村々肝入
楢山佐渡
殿儀加判御役被仰付
鹿角市史資料編 第20集
(0064)
一、 同五升一、 同壱斗
楢山佐渡
様御稽古日ニ付、 殿様、 万治郎様御出被遊、 御供御平日之通
鹿角市史資料編 第20集
(0104)
御鑓万次郎様八時
楢山佐渡
様江為御稽古御出被遊、 御供御平常之通。
鹿角市史資料編 第1集
(0115)
ニ付遂ニ進撃ニ至候朝廷之御趣意柄ニ相悖り候儀更ニ悔悟仕不堪恐懼之至重々恐入於城外深謹慎罷有候依之重臣
楢山佐渡
誤国事候者
鹿角市史資料編 第1集
(0073)
慶応四年辰七月花輪南部中野家軍中御用留帳使武者工藤友蔵川村左学人学蔵川守田民人解題升題(栗山文一郎)慶応四年八月の戊辰役(ぼしんのえき-戊辰戦争)には、 南部藩の総大将
楢山佐渡
鹿角市史 第2巻 下
(0604)
楢山佐渡
は予定通り七ツ時行動を開始したが、 米代川川原の伏兵に阻まれ、 山王台の陣所へ到着したのは
/ 3ページ