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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第1巻 (0461)

第一節鹿角郡地頭群像一、 鎌倉幕府と鹿角源頼朝の方針又治五年(一一八九)七月二十九日に白河の関を越えた,源頼朝は、 二十八万余の大軍をもってまたたく間に奥羽両国を制圧した。,源頼朝の方針は、 これまでの国衙機構を地頭制度の中に完全に包括してしまうことにあった。
鹿角市史 第1巻 (0039)

第四章中世の鹿角四一第一節鹿角郡地頭群像四一一一鎌倉幕府と鹿角四一一源頼朝の方針、 従来の説と典拠二鹿角郡地頭職四一五村地頭
鹿角市史 第5巻 (0036)

河田次郎、 泰衡を討ち、 その首級を陣ヶ岡の源頼朝本陣に届け、 かえって誅殺をうける。
鹿角市史 第5巻 (0037)

建久二(二一九一)南部光行主従甲州から八戸浦に上陸すという建久三(一一九二)源頼朝征夷大将軍となり、
鹿角市史 第4巻 (0405)

免許証文は、 源頼朝の富士の巻狩に俵藤太の末孫を称する定六が南部の高名なマタギとして参加し、 御用働
鹿角市史 第1巻 (0459)

文治二年(八六)五月、 源頼朝は藤原秀衡に一書を呈し「御館は奥六郡の主予は東海道の惣官なり。
鹿角市史 第1巻 (0475)

おそらく、 源頼朝の文治五年奥州合戦に従軍した成田助綱が、 鹿角郡地頭職に任じられた最初の人であったと
鹿角市史 第2巻 下 (0306)

『吾妻鏡』文治五年(一一八九)九月三日条には、 源頼朝の軍に追われた藤原泰衡が、 夷狄島をめざす途中
鹿角市史 第2巻 下 (0268)

免許証文の内容は、 源頼朝が冨士の裾野で巻狩を行った際、 南部の名あるマタギとして俵藤太の末孫である
鹿角市史 第1巻 (0462)

の認識は「この国はきわめてしむこくなり、 かまへて〳〵らうせきすな」(島津家文書文治五年八月十五日源頼朝書状
鹿角市史 第4巻 (0788)

左多六は日本中どこでも猟ができる巻物(免状)を持っており、 これは先祖の定六が源頼朝の富士の巻狩での
鹿角市史 第5巻 (0614)

491 · 492政盛(朝臣) 1478 →南部政盛源満實(隠岐守)2下386源義家源義経源頼朝
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