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鹿角市史 第2巻 上
(0629)
このうち三山の状況を伝えるものを摘記すると一、 崎山床、 宝永二酉年九月朔日より
獅子沢
へ引移り、,吹方仕り候事一、
獅子沢
銅と銘書仕り度き段、 願書九月朔日ニ指上け申候得ハ、 願ノ通り自今他領出御証文,ニも
獅子沢
銅と成下され候筈、 九月十日ニ御対頭(以下欠)一、 戌四月廿五日
獅子沢
床壱丁立増し申し候,て、
獅子沢
床四丁、 崎山より壱丁、 合せて床五丁吹方仕り候事。,
獅子沢
銅山一、 尾去沢、 田郡山、
獅子沢
、 赤沢右四ケ所銅〓東ハ赤沢よりすいセう森道切、
鹿角市史 第2巻 上
(0633)
宝永四丁亥年分〓一番改め(三月二七日)銅四八、 五一五貫○〇〇匁(十分一銅四、 八五一貫五○〇匁)
獅子沢
分銅一,貫八〇〇匁戌年囲銅〓二番改め(六月九日)銅一四、 五五一貫二〇〇匁(十分一銅一、 四五五貫二〇匁)
獅子沢
分銅四,十分一銅四八六貫五四〇匁)崎山分〓三番改め(七月二四日)銅八、 七五二貫七〇〇匁(十分一銅八七五貫二七〇匁)
獅子沢
分銅二,〇匁〓盛岡分(一〇月一五日吹出迄)銅二五、 四一〇貫〇〇〇匁(十分一銅二、 五一三貫五○〇匁)内
獅子沢
分一八,山元囲外ニ四、 八〇六貫六〇〇匁能代囲あり正味銅合九四、 〇一三貫〇二〇匁内七八、 四三二貫二二〇匁
獅子沢
九
鹿角市史 第2巻 上
(0632)
ノ正味五六、 四八二貫七四三匁六分〓盛岡出銅二一、 一九二貫○〇〇匁内一九、 七〇四貫〇〇〇匁
獅子沢
分一,匁秋田出二一、 一九二貫○〇〓盛岡出○匁盛岡出内一二、 八〇八貫四〇〇匁申年囲分六二、 九一九貫八〇〇匁
獅子沢
分二,宝永三丙戌年分〓一番改め(三月二一日)銅三七、 五八〇貫二〇〇匁(十分一銅三、 七五八貫〇二〇匁)
獅子沢
分銅七,五二三貫○五匁)〓三番改め(七月一〇日)銅一三、 八〇二貫八〇〇匁(十分一銅一、 三八〇貫一八〇匁)
獅子沢
分銅二
鹿角市史 第3巻 下
(0347)
沈澱銅採収は明治から行われ、 明治四四年には
獅子沢
に四つの収銅所があり、 一カ月平均二五・沈澱銅五,時期田ノ頭、 中沢の両沈澱場を総称して中沢沈澱場といった沈澱場による収銅量は同一〇年頃、 月平均
獅子沢
沈澱場三,なお沈澱銅の運搬は、 昭和九年からそれまでの人肩連搬をやめて、
獅子沢
堰堤に斜道捲揚機を設け、,中沢方面もいったん車馬にて
獅子沢
沈澱場に集めてのち、 捲揚機で製煉地並に捲揚げ、 ふたたび車馬で熔鉱炉
鹿角市史 第2巻 上
(0634)
宝永二年九月一日小平治の願出により、 彼の稼行する尾去沢、 田郡山、
獅子沢
、 赤沢の四山を
獅子沢
銅山,と称し、 崎山の吹床も移して吹出した銅に
獅子沢
銅と銘書することが許された。,この時期の産銅量は
獅子沢
で八-一〇万貫即ち六〇万斤雨後、 崎山一万貫程度、 長坂は宝永四年ほぼ五、
鹿角市史 第5巻
(0115)
一五日済み別当大蔵院申上る九 ·一阿部小平治の願出により尾去沢·田郡·
獅子沢
,·赤沢の四山を
獅子沢
銅山と称し、 崎山を加え
獅子沢
銅と銘書することが許された。
鹿角市史 第3巻 下
(0348)
大正五年一二月碇発電所第三期工事五〇〇Kw発電機を増設、
獅子沢
変電所を二、 七〇〇KWに拡張した,
獅子沢
変電所を四、 二〇〇kWに拡張した。,また将来の使用電力の増加にそなえ、
獅子沢
変電所を六、 〇〇〇kWに拡張した。
鹿角市史 第2巻 上
(0667)
鋪口豆腐屋舗、 千荷舗、 本舗、 下沢大剪舗、 、 本山山神堂有り、 古役屋跡有り、 八年以前
獅子沢
,一、
獅子沢
七曲り坂花輪迄三拾丁程、 和泉屋傳左衛門召抱ノ者小屋数四拾軒程、 笹小屋共ニ人数五百九拾壱人程,一、
獅子沢
役屋有り、 奉行三田六郎右衛門、 小栗嘉左衛門、 盛岡より交代相勤め申し候。
鹿角市史資料編 第2集
(0110)
持参無之故爰元よりも御遣不被成候一、 正月十四日御年縄納飾花作り無之ニ付御祝式一切無之候一、 御大赦ニ付三沢
獅子沢
笹小屋住居之者共之内花輪町御出入之者御構被成置候者共取調可差出旨申達処外方,より
獅子沢
金平同長之肋囘亀元笹小屋住居惣兵衛花輪豊吉花輪亀同伊四郎同久吉右之者共全山内御構御免之御沙汰正月十五日,脱走歎願之者御領分中より追々馳登り候よしニ而御山内よ与八郎りも夫々脱走有之今日方中通直治御手代内田周治
獅子沢
,五拾両内田周治一、 廿五両田郡林平、 廿五両元山伊助一、 廿五両赤沢岩尾東馬沢出善一郎一、 廿五両
獅子沢
重治拝借
鹿角市史資料編 第29集
(0088)
御使役一、 小組頭役屋主役与八郎御使役惣三郎勇助辰蔵田郡又吉重吉卯太郎元山政二郎友吉弥吉赤沢新吉〆拾人
獅子沢
合三組御旗本勢力,事ニ臨候ハゝ身命を抛ち報恩之働可有之事、 下新田詰役より下沢本番江注進有之候ハゝ直ニ大本番田郡
獅子沢
赤沢迄通達可有之事但下沢本番二
鹿角市史資料編 第29集
(0104)
付八合御扶持被下置候一、 八月十五日、 下モ新田詰吉兵衛殿御家来之由石倉三之助上下弐人表御門江参り、
獅子沢
関薗右衛門方,候内御出被成候、 御役屋へ御立寄直ニ御帰り、 能谷ノ角より表御門番迄中間頭市之助御案内いたし候、
獅子沢
,尚又御用之趣ニて御人被遣罷出候処御尋ニ付、 前条之趣申上外別義無之候申出ニて口上書差出申候一、 赤沢庵主は
獅子沢
江参
鹿角市史 第3巻 下
(0496)
それから同七年に
獅子沢
の薬師庵が、
獅子沢
ダム築造のため、 大慈庵焼跡に遷座して二庵合同の仏堂として
鹿角市史 第2巻 下
(0463)
田郡、 赤沢にそれぞれ山神社があり、 所在の不明なものもあるが、 煙稲荷社、 薬師堂、
獅子沢
神明社,独楽庵は、 赤沢に元文四年(一七三九)、 また薬師庵は
獅子沢
に享保七年(一七二二)にそれぞれ建立されたと
鹿角市史資料編 第29集
(0089)
基異指之小印付候事但木綿切幅三寸弐三分長七八寸位弐枚付候事一、 田郡山神堂中沢ノ庵は元山下沢江之相図兼候事一、 赤沢山神堂一、
獅子沢
神明堂右之,押行中新田ニて勢揃之事内、 六組壱本繰栗ノ木口江出張可致間上新田ニて勢揃之事元山は勢沢川原二て勢揃之事
獅子沢
笹小屋
鹿角市史資料編 第1集
(0104)
基候一様之小印付候事但木綿切幅壱寸弐三分長七八寸位弐枚付候事一、 田郡山神堂中沢ノ庵は元山下沢江之相圖兼候事一、 赤沢山神堂一
獅子沢
神明堂右之,より押行中新田ニ而勢揃之事内六組壱本栗ノ木口江出張可致間上新田ニ而勢揃之事元山ハ勢沢川原ニ而勢揃之事
獅子沢
笹小屋
鹿角市史資料編 第29集
(0101)
既に下沢江打入候と申者有之趣ニて、 新十郎聞付あわたたしく申出、 其内外方より中間頭市助、
獅子沢
之庵主御山手,、 折節原様ニも右之様子被聞召、 川村弥左衛門直様御出立花輪へ御下り依之兼て相図之大鼓為打、
獅子沢
之老若婦女子之類大騒
鹿角市史 第2巻 上
(0630)
候処、 しし沢へ鉗持参吹申し候ニ、 壱丁ニて弐拾両御役指上け申す可き段、 願ノ上宝永二酉九月より
獅子沢
鹿角市史資料編 第29集
(0125)
原多門方今朝御出立ニ付、 御城下迄御供印書辰蔵中通友吉御召連、 御見送り御支配人治助下夕角迄、 日拂主役惣主役
獅子沢
廊下迄平服,ニて罷出一、 明後九日重陽御祝儀伺上候処、 不残御止被成候御達、
獅子沢
ノ岩太郎御吟味之筋有之、
鹿角市史資料編 第29集
(0103)
赤沢之庵主あわたたしくはせ来り、 多人数押分ケ只今秋田より下モ新田へ打入、 下沢迄放火いたし居候由ニて
獅子沢
,ニても大騒いたし居候、 私は
獅子沢
より馳参り候は注進ニ付、 集居候人数も私先キにと逃走り、 銘々家財雑具
鹿角市史資料編 第2集
(0039)
而頼合候処十九日より追追相詰御手合ニ相至候一、 三月十五日花輪町円徳寺参内ニ付兼而頼合之励金七両弐歩三沢
獅子沢
笹小屋家別割合,いたし今日相渡被遣候一、 弐両田郡沢中一、 弐両元山沢中一、 弐両赤沢沢中一、 三歩
獅子沢
中〆
鹿角市史 第5巻
(0587)
· 319 48· 706 · 768鹿沢(山)鹿湯(玉川温泉)茂内村
獅子沢
,#183;696·700· 702~704·710·713→
獅子沢
鹿角市史 第5巻
(0298)
一一·一二尾去沢
獅子沢
出火、 九戸焼失。
鹿角市史 第3巻 下
(0128)
以前の市街地、 中沢、
獅子沢
、 笹小屋などの低地からは一戸残らず移転することとなり、 町役場
鹿角市史 第5巻
(0281)
巡査駐在所が、 小豆沢、 三ヶ田、 柴内、 尾去沢、
獅子沢
、 松山、 大湯に置かれた。
鹿角市史 第3巻 上
(0208)
宮麓村字小豆沢、 長井田村三ケ田、 柴内村、 尾去沢鉱山
獅子沢
、 末広村字松山、 大湯村、
鹿角市史 第5巻
(0117)
一四藩、 土深井番所に対しこれ迄通り銅以外の商売物は通さぬこと、 長坂·尾去沢·
獅子沢
鹿角市史 第2巻 下
(0459)
なお鹿角市内最古の庚申塔は、 現在のところ宝永二年(一七〇五)の、 尾去沢の
獅子沢
から元山沢へ越える
鹿角市史資料編 第2集
(0037)
大こん小皿つけ物小豆めし但御上御支配人処ニて濁酒御肴三種差上る午房いり納豆なます田作阿い一、 今日
獅子沢
笹小屋稲荷大明神江,湯つつし丸調遣呉候様申来壱歩被遣候ニ付サフラン湯弐服つつじ丸三服差遣し申候但書状相添、 二月十九日
獅子沢
老名文蔵七日頃
鹿角市史資料編 第2集
(0100)
七月十五日元山之若者共子踊芝居御覧に入申度願出ニ而御用処おゐて興行見物夥敷燈火を用るけむり依之途中彼是と申儀無之様
獅子沢
,一条様壱人ニ而録太郎様御重ノ内御持参御相判ニ為御呼ニ而斎藤忠太我等罷人り頂載仕候然る処五ツ時過ニも立候哉
獅子沢
笹小屋之牛士共赤沢
鹿角市史資料編 第29集
(0038)
者五人内男三人女弐人小屋数九拾六軒拾九組外ニ去候者三人内男弐人女壱人死候者拾人内男六人女四人一、 三百四拾九人内男百七拾六人
獅子沢
女百七拾三人内生候者五人内男四人女壱人小屋数七拾八軒拾六組外
鹿角市史 第5巻
(0127)
一〇 ·尾去沢
獅子沢
に円徳寺末庵薬師庵創立す。 この年 白欠村新山堂再建す。
鹿角市史 第3巻 上
(0661)
従来尾去沢鉱山には、 笹小屋に大慈庵、
獅子沢
に薬師庵、 田郡に観音庵、 赤沢に独楽庵があった
鹿角市史 第5巻
(0251)
八 ·九尾去沢銅山
獅子沢
から七曲りを田郡へ、 元山を経十文字道を松山村へ出、 錦木塚、
鹿角市史 第5巻
(0257)
うちこわ一銅山
獅子沢
の手代や山方の家四軒打毀し。
鹿角市史 第5巻
(0318)
花輪愛友団がつくられ同人誌愛友を回覧しあう一二·尾去沢鉱山碇発電所第三期工事発電機増設、
獅子沢
変電所
鹿角市史 第5巻
(0321)
同同同尾去沢
獅子沢
薬師庵、 ダム築造のため大慈庵焼跡に遷座、 二庵合同の仏堂として再建。
鹿角市史 第2巻 下
(0425)
に寛文九年(一六六九)四月創立の観音庵、 同じく赤沢に元文四年(一七三九)創立の獨楽庵、 同じく
獅子沢
鹿角市史資料編 第29集
(0087)
御台処中間力之助吉蔵市助定七藤太郎重兵衛寅太郎平助長三郎福助兼吉〆拾壱人右之内より日那様方御鎗持差出可申、 尤兵粮取運ニは定番を以可致事一、
獅子沢
出張人数覚一
鹿角市史資料編 第29集
(0062)
九拾壱枚田郡一、 百拾壱枚元一、 八拾九枚赤沢一、 三枚西道沢、 弐枚石切沢一、 八拾四枚
獅子沢
鹿角市史 第5巻
(0126)
尾去沢
獅子沢
獅子権現社、 銅山中にて普請。 尾去沢銅山稲荷社、 銅山中にて普請。
鹿角市史 第2巻 上
(0747)
金工側幹部をはじの金場働き女の主立ち三人迄も夫々「慎ミ」の処分を受けたことに激〓した若者達は、 夜に入って
獅子沢
鹿角市史 第2巻 上
(0648)
赤沢嶺西道流川限り、 南は長坂金山掘末銅山の分槇山境上新田水の落合大物長根道通り、 北は崎山境西道
獅子沢
落合限
鹿角市史 第5巻
(0254)
袖扣あつめ草諸御用留帳同六·一六尾去沢
獅子沢
神明宮再建遷宮御神楽御湯立あり六·二二尾去沢両社大明神祭礼
鹿角市史資料編 第29集
(0049)
七拾弐盃雇定番働三拾人人六人一、 弐拾弐盃日雇定番拾壱一、 弐盃夫役壱人人、 拾六盃牛士八人一、 百弐盃
獅子沢
家持五拾壱人一
鹿角市史資料編 第29集
(0066)
御台処中間力之助吉蔵市助定七藤太郎重兵衛寅太郎長二郎福助兼吉〆拾壱人但右之者共兵粮取運ひ諸使共申付候事右之通御警衛人数覚
獅子沢
出張人数覚一
鹿角市史資料編 第2集
(0031)
草をかき集めけり清風亭東月、 正月元旦例年之通於御役屋年頭之御礼申上御支配人御山先惣御手代中通小使
獅子沢
笹小屋組頭造役座順
鹿角市史 第2巻 上
(0635)
候以上」とあり、 土深井番所を他の商売物が通るのは堅く禁制となっているが、 長坂、 尾去沢、
獅子沢
鹿角市史 第2巻 下
(0457)
『あつめ草』阿部家文書・『鹿角市史資料編第二集』所収)の中にも、 恵美寿講、 桜田氏の講、
獅子沢
講
鹿角市史 第3巻 上
(0466)
またか」て鉱業会社岡田平太借区の銅鉱場一四万〇、 七一二坪半字元山沢、 田郡沢、
獅子沢
、 赤沢
鹿角市史 第3巻 上
(0468)
四四年には
獅子沢
内四カ処から一カ月平均二五・五トンの銅を得ている。
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