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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第2巻 上 (0621)

年月日他領出銅固数山師名通し番所延宝六・一一・五三、 五一一・五〇〇二八四清兵衛黒沢尻番所松山番所(,四五一同円同八・九・二一六、 六三九・一〇〇四九一同円貞享元・一〇・二七五、 一五九・二〇〇三五〇留兵衛,延宝八年六月二四日付の通し証文に「西道尾去沢三沢山師左平次清兵衛」とあり、 西道尾去沢は三沢を中心に,貞享元年の留兵衛、 治兵衛は河内屋留兵衛、 熊谷治兵衛で、 この年初めて「とふかい改所」より他領出
鹿角市史 第2巻 下 (0100)

留兵衛掘子共飯米料花輪毛馬内両所御蔵米来年正月より壱ケ月弐百駄宛、 三ケ月分ニ六百駄借遣わされ候筈、,右訴状ニ願之通申付け候間、 留兵衛金本什る間、 何儀ニ依らず一言之訴訟堅く申間敷者也天和三年亥九月十六日権右衛門,(下田)七左衛門(楢山)治太夫(奥瀬)九兵衛(北)八幡町次兵衛(同書・天和三年九月一六日条)後者は山師留兵衛
鹿角市史 第2巻 上 (0625)

ノ内尾去沢、 田郡二ケ所ノ銅山、 先達て河内屋留兵衛其方両人ニて山仕来り候処、 去年留兵衛江戸ニ,即ちさきに河内屋留兵衛と共同で稼行していた時には二カ所の銅山であったが、 去年留丘衛が山を返したので,同年一二月〓日、 山師山崎与左衛門が銅一、 四五二貫五〇〇目を吹出し、 十分一役銅一四五貫一〓〇
鹿角市史 第2巻 上 (0619)

山師長尾重左衛門が西道の西南田郡沢に銅山を見立て、 つづいて横合とよばれた元山沢にも銅鉱を発見したという,この記事には「右山師共左ニ」として「長尾重右衛門、 三上多兵衛、 川内屋留兵衛、 熊谷治兵衛、,この山師名は、 『諸山開立年限附』に列記されているものと殆ど同じであるが、 後者には長尾重左衛門の
鹿角市史 第5巻 (0633)

下704戸村 義得3上522 · 523 · 638留之助(毛馬内通)2下598留兵衛,(山師)友治(尾去沢)2下603上369朝彦鳥屋九右衛門3下6792上522· 523鳥谷重
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