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鹿角市史 第3巻 下
(0650)
そのおもな変遷をたどってみると、 まず昭和二四年一一月に十二所・花輪線が、 県道として旧大館毛馬内
発荷
認定,同二八年五月一八日の政令により一〇三号十和田・大館線)、 一〇四号八戸・大・
発荷
休屋線区域旧大館一),が、 二級国道に指定され、 これにともない大館・三戸、
発荷
・休屋の各県道路線は廃止された。
鹿角市史 第3巻 下
(0185)
入正九年、 自動車が中瀧までしか運転されていない時に、 大館の山徳自動車の山本弓太郎が始めて
発荷
峠,
発荷
峠に至るあの坂の上下の運転、 一歩誤ればあの谷底に転落することは当然、 小石大をかたつけながら,
発荷
まで自動車が行くそうであると言はれても、 当は誰も真実と聞くものがなかった程のことであった。,毛馬内の内藤順吉の十和田遊覧自動車会社(十和田自動車会社)では、 毛馬内駅に二台の日動車をおいて、
発荷
峠
鹿角市史 第3巻 下
(0193)
昭和九年の県の救農工事で鹿角分の県道は、 大館盛岡線(花輪)、 大館三戸線(錦木・毛馬内・大湯)、
発荷
休屋線,2観光道路の整備十和田顕勝道路の改修ながい間
発荷
峠までしか自動車の通行が出来なかった十和田顕勝道路は、,七万一、 〇〇〇余円り巨費を投じて、 昭和二年(一九二七)に
発荷
峠から湖畔まで通れるようになった
鹿角市史 第3巻 下
(0387)
午前七時大湯出発新道を辿りて十和田湖畔なる
発荷
に達す、 時正に十一時半。,施設の整備湖畔の旅館は、 和井内貞行が明治三〇年銀山に観湖楼を建てたのが最初で、 四一年には
発荷
に,同一三年七月一三日付の秋田魁新報によと、 秋田県側の旅館は
発荷
一、 鉛山一、 生出一、 銀山一,、 瀧の沢一の合計五軒をかぞえ、 収容能力は二百名ほると、 秋田県側の旅館は
発荷
一、 鉛山一、
鹿角市史 第3巻 下
(0022)
鹿角の美術柴田春光画「十和田路」(津島氏蔵)桜田良興画「みかん園とばら色の海(阿部氏蔵岩館知義画「
発荷
峠
鹿角市史 第3巻 下
(0179)
この年の六月、 内務省の土木局技師が県道の視察のため、 十和田湖岸道と十和田街道を小坂から
発荷
・
発荷
鹿角市史 第3巻 下
(0384)
あらんか」、 もう一路は「毛馬内町ヨリ六里半」の大湯道で「小坂鉱山停車場より毛馬内町、 大湯を経て
発荷
,改修は大正元年に毛馬内大湯間の新道路(中野・関上経由)の完成につづき、 同三年には十和田顕勝道路が
発荷
峠
鹿角市史 第3巻 下
(0180)
この頃の十和田街道の状況は、 毛馬内・大湯から
発荷
までは自動車・馬車の通行が可能であったが、 その,大正一一年七月、 十和田街道のうち、 中滝から
発荷
の間は、 砂利を敷いてその上に白土を盛り、
鹿角市史 第3巻 下
(0178)
について秋田魁新報にも、 十和田田澤の名勝地に對するものは左の如し十和田街道(新路線)大湯より七滝村
發荷
迄編入
鹿角市史 第1巻
(0206)
そのほかに小田代川出合・田代森下・大渉付近・熊取入口・広森川出合・冷川林道・
発荷
峠・大湯・湯瀬などでもそれぞれ
鹿角市史 第3巻 下
(0381)
また増加する観光客のため、 四一年
発荷
に旅館を新築して末弟次郎を置き、 翌年十灣閣と命名した。
鹿角市史 第3巻 下
(0385)
二年花輪まで開通、 そして昭和二年
発荷
峠から湖岸和井内までの県道が開設された。
鹿角市史 第5巻
(0307)
和井内貞行、
発荷
に旅館十湾閣を新築す。 煙害関係雑束花輪町役書場事務報告鹿角のあゆみ291
鹿角市史 第1巻
(0145)
秋田県では北部に多いサクラで、 十和田湖周辺や
発荷
峠付近に多くみられる。
鹿角市史 第4巻
(0854)
このことは『鹿角日誌』』としてまとめられている八月十九日
発荷
・白沢・銚子の滝・大湯を通り、 毛馬内泊
鹿角市史 第3巻 下
(0651)
スこれら新路線の指定により従来の県道認定を廃止されたのが、 毛馬内・小坂線、 大館・盛岡線、
発荷
鹿角市史 第4巻
(0849)
猿カ岬・抱回の崎・鹿角破欠(
発荷
)・中の平・桂平・休屋に至り、 青龍権現の祠を参拝する。
鹿角市史 第4巻
(0877)
碇ケ関より峠を越えて
発荷
にくだる。
鹿角市史 第5巻
(0330)
本県行啓阿仁部農民同盟の結成一一月前田村庄司家小作争議同一日市町に小作人組合生まれる一二月県会、 十和田湖観光道路
発荷
峠改修
鹿角市史 第5巻
(0335)
発荷
峠より湖畔まで同319
鹿角市史 第3巻 下
(0192)
これにより、 この年鹿角では毛馬内
発荷
線外二路線(改良延長七、 〇〇〇m)に事業費一七万〇、 四七二円
鹿角市史 第5巻
(0316)
同同十和田顕勝道路が
発荷
峠まで竣工、 馬車を通ず。
鹿角市史 第5巻
(0323)
#183;二六県医師会創立総会に浦井財治·米山彦郎が出席同六·山本弓太郎初めて自動車を
発荷
峠
鹿角市史 第1巻
(0139)
国立公園の指定地域内の
発荷
峠をはじめ、 外輪山には高木としてはブナをはじめ、 シウリザクラ・ミズナラナナカマド・トチノキ
鹿角市史 第1巻
(0107)
この堆積物は十和田カルデラの縁南部の
発荷
峠・熊取平紫明亭などに分布するが、 ベースサージとは、 ビキニ
鹿角市史 第3巻 下
(0202)
鉱山・元山・滝ノ沢・大川台(岱)・追手(生出)が小坂局から組替になり、 大正一四年八月には
発荷
・休平
鹿角市史 第5巻
(0341)
医業類似行為取締規則を定める七月鹿角·北秋田両郡の失同業救済目的の県道改良工事 (毛馬内 ·
発荷
鹿角市史 第3巻 上
(0242)
七滝このような状況から、 来満街道と大湯村で分岐し大湯川にそって
発荷
()に達する道路の改修は、 鹿角郡村政
鹿角市史 第3巻 下
(0388)
また同六年
発荷
に十和田湖郵便局ができたのも貞行の尽力によるところが大きかった。
鹿角市史 第5巻
(0574)
八幡平八幡平温泉郷八幡平高原八幡平頂上八幡平橋八幡平村八幡堂〔草木〕八森〔山本郡〕八森〔湯瀬〕八郎潟
発荷
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