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鹿角市史 第4巻
(0455)
尾去沢と花輪とをつなぐ
稲村橋
は、 尾去沢銅山への人馬往来が多いのに渡し舟では不便なために、 天保元年,昭和七年の増水によって災害を蒙った
稲村橋
は鉄筋コンクリートのものに架け替られ、 同九年五月竣工した。,現在、 花輪ねぷたの夜ともなれば、 各町内の屋台が大太鼓の音とともに火の流れとなってこの
稲村橋
へ繰
鹿角市史 第3巻 上
(0248)
〓里道の改修十文字越と
稲村橋
地方税支弁道以外の道路は里道と呼ばれ、 これらの開鑿や修繕は町村費によってなされた,花輪と尾去沢を結ぶ
稲村橋
は、 米代川に架橋されていたが洪水などでしばしば流失し、 その間は渡舟を利用,この
稲村橋
を渡り、 尾去沢から十文字長根を越えて土深井へ下るいわゆる十文字道は、 花輪など郡南の人々
鹿角市史 第3巻 下
(0011)
稲村橋
(花輪)橋と鉄橋湯瀬溪谷を渡る鉄橋一ノ渡橋(小豆沢)神田橋(錦木-遠方に鉄橋がみえる-
鹿角市史 第3巻 下
(0012)
湯瀬溪谷をゆく天狗橋(鉄橋)湯瀬溪谷獅子渕にかかる橋女神の渕をゆく秋田鉄道(錦木)永久橋となった
稲村橋
鹿角市史 第5巻
(0257)
稲村橋
流失。 田畑川岸残らず流る。 七 ·五稲村船渡し、 船は木場より借用す。,六田山往来橋々が流失し、 銅山仕送金飛脚は谷内かみ村上滝ノ畑より兄川越えし左比内で本道へ出る七·一九
稲村橋
仮橋
鹿角市史 第3巻 下
(0192)
また、 花輪町新田町から宮川村玉内の下までの路面改良と、 柴平村の根津川の鉄筋コンクリート橋、
稲村橋
,前年の洪水により一部流失した
稲村橋
は、 架替工事費として県費二万六、 〇〇〇円が支出され、 同年一二月一八日
鹿角市史 第3巻 上
(0041)
〓里道の改修…一八九十文字越と
稲村橋
、 花輪道二交通機関の進歩…一九〇通運会社の設立、 荷車・荷馬車三鉄道敷設
鹿角市史資料編 第26集
(0090)
真木長木被押流花輪焚料役処留倉之内江流込候節ハ日払役所江申出木主江も右之訳申達其時限吟味之上直段相定御買上取計可申事一、 春木流失
稲村橋
,より川上ニて留置候者有之節ハ木高ニ向日雇代被下春木ハ御取上ケ被成候尤
稲村橋
より川下ニて留置候者江ハ直々被下候事但春木御差支之節
鹿角市史 第2巻 下
(0350)
銅山道の口に当たる
稲村橋
は、 天保元年(一八三〇)花輪給人吉田新六が自費を以て米代川に架橋したといわれ,嘉永二年(一八四九)七月
稲村橋
を渡った松浦武四郎は「米代川、 板橋を懸たり。
鹿角市史 第4巻
(0760)
最終日の八日夜、
稲村橋
から米代川へ流す(ひ火をつけて焼く様子をねぷた流しといっている。
鹿角市史 第4巻
(0762)
暗夜にひびく上り囃子(本囃子)の屋台が十台、
稲村橋
に詰め、 次に舟場から六日町を通り新田町の桝形
鹿角市史 第4巻
(0129)
第2図
稲村橋
付近の水浴び場
鹿角市史 第4巻
(0621)
夜明け方に
稲村橋
のところで王手に火をつけて米代川へ流し、 炎が夜空に燃えあがり川面に映える美しさは、
鹿角市史資料編 第2集
(0065)
付盛替七枚釜上屋へ留置夜分富蔵万治源八釦留釜大工壱人中間弐人東西馳廻し右ニ付木場主役九市罷出色々評定仕候得共
稲村橋
掛替,附上釦下ケ人足杯手配いたし候、 七月二日昨日より弥増出水ニ而今朝留倉廿組余流失御支配人斎藤忠吉見廻ニ罷越
稲村橋
二
鹿角市史資料編 第2集
(0075)
四月廿六日晝頃甚兵衛殿罷帰り候然連共今日大炭附之事故忠蔵殿も釜方へ参り兼罷有候一、 花輪町検断藤右エ門市郎兵衛両人今日参り
稲村橋
御普請料御銅山四分花輪六分之処御銅山六分花輪四分,五月二日一同江弐季御手宛被下置尤四月分被下置候御役人様御手主役名代役屋主役与八郎同処造御荷物才領小夫市太郎
稲村橋
手前
鹿角市史 第4巻
(0128)
両地区をつなぐ
稲村橋
の上流が泳ぎ場になっていた。
鹿角市史 第5巻
(0259)
同部に分ける大迫通外川目に銭座を設ける九· 五
稲村橋
竣工に付代官等見分す。
鹿角市史資料編 第26集
(0096)
日拂主役一、 同三貫文洗濯女弐人一ケ年分被下之三沢廻御山方白米三斗味噌弐貫目三沢御山方一、 金壱歩
稲村橋
守一
鹿角市史 第2巻 上
(0734)
なおこの『鹿角日誌』には、
稲村橋
の上ミ一丁半程の所に「木山方」があるとして、 その様子を「一丁井
鹿角市史 第3巻 下
(0354)
終わってまた徒歩で
稲村橋
まで戻られ、 花輪町公会堂の救護本部と組合病院をお見舞ののち、 湯瀬から帰京
鹿角市史 第5巻
(0161)
八大洪水にて
稲村橋
流失す。 田山村切通金山を長牛村与十郎が見立てた。
鹿角市史 第5巻
(0217)
諸山開立年限附同一二·一〇花輪町吉田新六、 自費にて
稲村橋
を架ける。
鹿角市史 第5巻
(0275)
同秋田遐邇新聞八 ·洪水により
稲村橋
が流失した。
鹿角市史資料編 第27集
(0103)
相成候条毎戸不洩様令布告者也秋田縣元花輪詰壬申十一月廿七日壬申十一月廿七日第三小區四小區戸長壬申十二月二日第四小區戸長阿部藤助印第四小區村々手傳中発酉正月四日ニ拝見川部村江順達仕候辰刻記一金弐百八拾弐円七拾六銭六厘
稲村橋
営繕入費高内金八円四拾四銭四厘古材木并残木御拂代引残金弐百七拾四両三拾弐銭八厘内金百九両七拾弐銭九厘銅山出金四歩割引差引金百六拾四両五拾九銭三厘花輪通高割六歩此掛高七千九百七拾弐石六斗七合高百石
鹿角市史資料編 第27集
(0080)
申候其時谷内藤助川部治五右エ門甚五平右之人数同道ニて参り候記一銭九百三拾三貫九百六拾六〓右は大堰根大樋
稲村橋
并久保田村水門下夕町橋杣作料木挽作料大工作料并釘代共花輪通惣御高割被仰付候元割左之通高百石
鹿角市史 第4巻
(0076)
表明治以降花輪地区の町名の変遷…二第一編第一章盆地のくらし【写真・図】第1図関上の生垣風景…三四第2図
稲村橋
付近
鹿角市史 第3巻 上
(0246)
舟運の衰退県が二五年に行なった調査(なお同書中にはこれを字
稲村橋
とも記している。
鹿角市史 第3巻 下
(0237)
本庫は花輪
稲村橋
の袂で一棟一二坪〓)とし、 ほかに支庫を大里、 谷内に置いて逐次増置することとした
鹿角市史 第4巻
(0451)
銅山道化輪から
稲村橋
を渡り、 尾去沢から十文字長根を越えて土深井へ下る道筋が銅山道で、 花輪側では
鹿角市史 第5巻
(0398)
米代川
稲村橋
に歩道橋幅一·五米の取付終わる同同北鹿新聞七十和田町中通·草木地区にニンニク
鹿角市史 第3巻 下
(0353)
侍従は
稲村橋
からはゴム長靴の徒歩で惨事の現場を約一時間近くかけ役場へ着き、 児玉県知事に対しこの度の
鹿角市史資料編 第4集
(0097)
以申達候処御請申出一、 橋本瀬左衛門十一十二月勤番被仰付申達候処難有仕合旨御請申出〓九月十六日一、
稲村橋
鹿角市史資料編 第29集
(0160)
内百弐拾間
稲村橋
下モ牛川原土場着右江大炭竈木八枚附候て十一日より出炭相成申候差引五拾間川流減右之通相改書上仕候以上十一月惣太郎上一
鹿角市史資料編 第6集
(0070)
、 南部壹岐様今日大湯より御帰りニ付御先拂御同心看板着両人出し御出迎鉄砲村郷境造御銅山へ御出候節ハ
稲村橋
鹿角市史資料編 第4集
(0055)
付長谷川重左衛門明七日出立候旨申出添状渡一、 圓子巳千弥内用有之宿元へ罷越申度旨申出添状渡乍恐奉願上候事旦那様御領御新田御場所之内花輪通
稲村橋
之下
鹿角市史 第5巻
(0600)
板屋平鉛鉱山市川畷〔比内町〕ーノ渡(橋)一本木〔小豆沢〕一本木(村)一本栗ノ木峠一本杉〔花〕井戸沢〔青森県〕
稲村橋
今泉
鹿角市史資料編 第29集
(0102)
爰御元之儀は此処ニて御吟味被下度と申事ニて、 沢笹小屋家別吟味方中間頭市助中間弐三人相添被遣、
稲村橋
番処江床屋中通兼蔵江中間弐三人相添番処
鹿角市史資料編 第2集
(0064)
こん立平〓〆御吸ものねぎどぢゃう清酒御肴小豆飯数ノ子阿わびきうりなますきくの花、 今日御用銅下ケ方
稲村橋
牛馬通用御差留
鹿角市史資料編 第2集
(0074)
し造日拂主役名代御銅蔵主役重助松館村造赤沢御敷手代庄六長内村迪外中間頭平七松館村造荷物才領小夫宇太郎
稲村橋
詰迪沢出善右
鹿角市史資料編 第2集
(0076)
御土産差上候処御戻しと相成本丁江茜壱反忠太郎殿ニ遣し外登美江壱両弐歩遣候一、 明十一日御役人様御出立ニ付
稲村橋
手前造御山先衆花輪造日拂主役名代床屋主役福治歌内造赤沢御山方庄六湯瀬村造中間頭平七荷才領夘太郎被下遣候御見送人数左
鹿角市史資料編 第2集
(0016)
御見送湯瀬村造中間頭与八郎歌内迪赤沢御敷手代庄六花輪造御台処寸甫御用勤内田慎吾御荷物才領御台処中通忠次郎
稲村橋
西詰迪御山先三人木場主役
鹿角市史資料編 第2集
(0044)
而御晝被下置候今日は大事之精進なれとも無據御肴載申候一、 五月十四日弥御出立ニ付花輪造御附添として日拂主役傳五郎
稲村橋
手前造御山元下
鹿角市史資料編 第2集
(0049)
付昨日湯瀬御止宿し中間頭善兵衛被遣大里村歌内之坂造赤沢御山方庄六花輪造日拂主役傳五郎同処迪御荷物才領床屋中通忠次郎
稲村橋
西詰迪御山先何連
鹿角市史資料編 第8集
(0146)
不通、 クリ田江川真直ニ通り田畑大損砂森大堰土手破れ、 扇ノ間江セキ真直ニ通ル大川所々大破損之由
稲村橋
流失
鹿角市史資料編 第29集
(0092)
廿九日迄之御附出銅弐百箇共々大湯立拂之上帰山可申候間被仰付、 久保田村治助比瀬土場より釜木百七拾間只今川下ケいたし候て、
稲村橋
向詰
鹿角市史資料編 第29集
(0103)
相違無之南部内規矩地善兵衛同道之者夫壱人石倉三之助右之通申出候、 庵主の注進諸人之騒立ニ紛れ善兵衛逃去、 花輪之方へ下り候由ニて追手を遣候処、
稲村橋
番処
鹿角市史資料編 第2集
(0063)
一圓無之故手合不足仕漸々壱斗三升九合下ケ釦ニ相成候其筋委細申上候処さめ次第何分誠精相補ひ可申御達一、 六月十四日
稲村橋
東詰大渡
鹿角市史資料編 第2集
(0015)
五月朔日御役人様江けいらん差上候処晩来存御呼ニ而御酒被下置此節御山奉行川口富治様も御上り被成候、 五月二日
稲村橋
御普請御見分
鹿角市史資料編 第2集
(0022)
而早々附賦可申旨差図致候二付木場ニ而も大勢に不勢之為如何とも詮方なく書取を以右之段訴出候処己前寄之御規定
稲村橋
之上
鹿角市史資料編 第2集
(0082)
由扨亦箱館通行夫傳馬継立難渋一付寺田支配江も手傳被仰付右出張ニ而一ケ月五拾貫文位ニも可有之哉之旨申事ニ候一、 九月六日花輪御代官処より
稲村橋
御出来栄
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