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鹿角市史 第2巻 下
(0542)
化政期南部領内とくに
盛岡
周辺では文化年代に入っても、
素郷
門と平角門が勢力を二分しつつ活躍して・た。,鹿角野外言の葉に置露深しにしき塚花輪月琴其おもかけのおりからの月同雪外なお同書は文化年中の俳書のうち
素郷
句集,錦木や顕れ出て舞ふ胡蝶(錦木塚と題し)
素郷
飛ほたる下駄の歯丈に汐のさす鹿角東崎
鹿角市史 第2巻 下
(0539)
この帳によって、 前述の吉川五明のほか、 天明以後の
盛岡
俳壇に活躍した
素郷
(小野氏、 通称永松濤舎,・望春亭)、
素郷
と同じ落柿舎、 京都嵯峨住蝶夢門の菅原重厚(、 寛政九年
盛岡
に入った加賀の松井,(十方庵二世)、
素郷
門の千載亭萬戸天明二・八年に来盛田鎖同左〓)等の錦木塚来訪があったことや、
鹿角市史 第2巻 下
(0543)
馬遊は、
素郷
の後継者となった
盛岡
の人である。,同吟味役を勤めるなかで大坂へ登ることが多く、 大坂在勤中八千房屋鳥について俳諧を学び、 幕末には
盛岡
,羽州久保田〕涼雫〔羽州桧山〕祐左衛門〔八戸〕近藤平直〔
盛岡
〕沢田義昌〔花輪〕千友、 吐璋、 月琴、
鹿角市史 第2巻 下
(0540)
重厚は天明八年(一七八八)に
盛岡
を再訪し、 領内各地を行脚しつつ滞留すること四年に及んだというから、,例えば句では重厚・五明・一草・成美・石明・甫尺・
素郷
・萬戸・松井・峰寿院・甫立・月草などである。,里七戸円後の月きのふなりしか狭の里東都巣兆かよひ路の跡や露なき草の色五戸以錦木やひと夜は月の秋をなく
盛岡
平色錦木
鹿角市史 第2巻 下
(0541)
去来庵宗讃は京都人、 松月庵瓜坊は播州人、 いずれも前出の甫尺(玄化堂・樗良の門)と同じく寛政六年に
盛岡
,江戸の巣兆(秋香庵・建部氏・白雄門)も寛政一〇年七月
盛岡
に着き、 九月一〇日鹿角に向っているという『,
盛岡
俳壇の指導者で
素郷
と並んで全国に広く名を知られた平角(平野氏蓼太系)や、 蘆帆芦岸舎白扇の子。
鹿角市史 第5巻
(0644)
専正顕如2下386千次郎(浜田村)2上359専助(大湯町老名)2下37善助(花輪物屋)2下38善助(
盛岡
肴町,; 446 →曽我貞光曽我 光俊(弥三郎)1452 · 548曽我 光頼1445曽我 師助
素郷
,(
盛岡
)祖月易全そ泉曽根俊虎1449 · 450 · 458 · 4612
鹿角市史 第2巻 下
(0537)
盛岡
の
素郷
、 白石の乙二、 酒田の長翠とともに奥羽四天王と称され、 享和三諧史』年(一八〇三)に
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