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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第3巻 上 (0499)

ページ注〓、 斉藤實則『鉱山と鉱山集落』一六九ページ注〓、 『秋田県史県治部四』第七冊一八二ページ五細地鉱山,・四角鉱山及び諸鉱山めまぐるしき所管替細地銅山は、 明治六年五月に東京府下の小野組が官許を得て稼行を,子の借区は、 東は細地岳から北は番鳥岳、 西は太郎助を経て南の中岳に至る範区のなかにあって、 旧坑,翌八年一月、 大蔵卿より、 「細地は岡田平馬追て借区相願候趣に候間、 夫故当分県庁扱に相成候事」,の附紙とともに、 細地銅山を除く五ケ山は廃業として取扱うよう指令があった。
鹿角市史 第3巻 上 (0500)

八年一月における細地銅山の内容は、 小野組所有地所建物の払下入札にともない、 左の資料によって知ることができる,○細地銅山陸中国鹿角郡柴内村現在荒銅四四八貫五一七円八八八但一貫目ニ付金一円一五六諸建家並器械一八カ所二,の事情は一二年四月、 鉱業会社副頭取岡田平太、 社員惣代桑原清三連名で秋田県令石田英吉に宛てた「細地銅山坑区券御下付,すなわち、 細地銅山の義は九年六月中同坑附属家屋井器械諸物品等の払下げをうけ、 その代価上納中工部省鉱山局,その假坑区券には「字細地、 銅礦場壹万八千三百坪、 但坑区税五百坪ニ付金壹円」と記されている。
鹿角市史 第2巻 上 (0717)

〓(川口家文書)〓外山板屋平鉛山、 細地銅山○寛政二年四月乳牛村長助が柴内外山板谷沢に鉛銑を見立て取明普請,○天保五年一一月高市村佐次郎が柴内村外川目細地沢銅山古鋪の試普請を願出た(『前掲書」)。,なお細地銅山の始まりは、 享保二一年花輪村長兵衛の目立と伝えられる(『川口家文書』)。,○嘉永六年九月盛岡川原丁宗十郎、 毛馬内町萬屋万兵衛に細地御山鉛山御試差配方を申付けた。,また奥御勘定奉行定加一条友弥へ「細地御山ニ銅山井鉛山奥御手行ノ御趣旨を以御内試成され候ニ付御用懸ノ心得
鹿角市史 第3巻 上 (0501)

一五、 六年頃の細地鉱業会社稼行時の山況については、 『尾去沢鉱山関係文書』に一七年代と思われる調査書,その大要は、 細地鉱山は当時細地岳一坑の稼行にとどまり、 七〇人堀採従事の者五四人(、 製煉従事三,第二次熔煉では、 荒銅二三〇貫を一炉とし第〓表細地鉱山従業員・産銅量(明治〓~〓年)役員は支配人、
鹿角市史 第3巻 上 (0503)

また四〇年郡統計書に細地鉱山として、 銅三五年七万五、 五一四斤、 三六年一三万七、 三七〇斤,四角鉱山一一年三月、 長谷川芳之助代理大江松太郎は、 細地鉱山に隣接する柴内村字中獄、 四角嶽において,その添付の坑業見込書には、 木積置場、 洗所、 作事場、 洗鉱場、 鎔鉱場等を細地鉱山と兼用,にし、 運搬や使役人員等は細地鉱山付属の作業として別段傭入はしない、 資金の予算とも同鉱山附属稼ぎの
鹿角市史 第3巻 上 (0047)

…四二〓地元民の借区、 一七年頃の不老倉、 坑区券をめぐる紛争、 後期の概要、 産額の変遷五細地鉱山,・四角鉱山及び諸鉱山…四四一めまぐるしき所管替、 一五・六年頃の細地、 変遷つづく、 四角鉱山、
鹿角市史 第2巻 上 (0756)

ヨリ現今ニ至ル迄稼行セル鉱山ノ地名鉱質及発見ノ原由借区坪数人名等』『尾去沢鉱山関係文書』その2所収は細地鉱山,『見聞帳』(安政四巳年一、 御徒目付気田庄之丞宮沢官兵衛、 細地銅山小屋嘉永七年御百姓共焼払候一条,あるいは小平村で聞いた細地銅山焼打事件と関連をもつものかも知れない。
鹿角市史 第3巻 上 (0502)

ての後細地鉱山は、 一八年ごろ鉱業会社より東京府雲光菊二へ譲渡され、 さらに一九年三月雲変遷つづく,坪としているなお『柴平村誌』から、 つぎの資料(第一七表)を得ることができる第〓表明治二七~三一年細地鉱山
鹿角市史 第5巻 (0272)

細地銅山、 小野組より一時秋田県官坑事務所へ引継がれる。,一一·細地銅山、 工部省鉱山寮に属す。
鹿角市史 第5巻 (0281)

一 ·細地鉱山、 借区坪数を六万七千余坪にふやす。,三 ·六 ·八 ·細地鉱山、 隣接の中嶽·四角嶽試掘願を提出
鹿角市史 第5巻 (0279)

;米が遅配となり、 多数の鉱十和田村史同夫が鉱山事務所に押寄せ一時騒擾の気配を示す尾去沢白根鉱山史細地鉱山,同産婆取締規則を定める六月大小林区署官制の制定八月 コレラの流行により盆踊作踊の催しを禁止三·細地鉱山
鹿角市史 第5巻 (0245)

九·二〇盛岡川原丁宗十郎と毛馬内町萬屋万兵衛が柴内村細地御山鉛山御試差配方を申付けられた。,九·二四奥御勘定奉行定加一条友弥が、 細地御山にて銅山并鉛山奥御手行の趣意を以て御内試なされるに
鹿角市史 第3巻 下 (0371)

細地・四角鉱山新不老倉鉱山として板子沢に新鉱脈を発見、 中切、 大切坑を開き、 一八年以降精鉱を,細地の鉱石は、 不老倉で選鉱されていた。
鹿角市史 第5巻 (0282)

を公布六月荒谷桂吉ら政党秋田大同会を結党す七月 土崎港町秋田市間馬車一 ·二 ·細地鉱山隣接,細地鉱山、 三菱岩崎弥之助へ譲渡となる。
鹿角市史 第3巻 下 (0035)

互助活動三小真木鉱山…三一大正期の鉱況、 昭和前期の鉱況四不老倉鉱山……三一工鉱況の衰退、 閉山・再興、 細地
鹿角市史資料編 第23集 (0095)

海防硝石御用所覚一万兵衛毛馬内町萬屋万兵衛毛馬内通柴内村細地御山鉛山御試差配方申付之九月廿日川原町一宗十郎之毛馬内通柴内村細地御山鉛山御試差配方申付右之通被仰付候旨頭取寺本惣内達之旨九月廿一日付
鹿角市史 第3巻 上 (0058)

四三九第〓表不老倉鉱山作業区分(明治四五年)四三九第〓表不老倉鉱山賃金区分(明治四五年)四三九男〓表細地鉱山従業員,・産銅量(明治一二~一六年)……四四三第〓表明治二七~三一年細地鉱山…四四四第四章教育と文化の展開【写真
鹿角市史 第2巻 上 (0034)

五九六第7図日の丸の船印六二八第8図尾去沢銅山三沢銑通の図………六三四第9図真金山金山略絵図……六八第〓図細地銅山図
鹿角市史 第3巻 上 (0494)

〇三七年細地鉱山を譲受けたのち、 三九年春約一〇万円を投じて新撰鉱場の建設に着手、 四階段建坪四八
鹿角市史 第3巻 下 (0367)

不老倉鉱山鉱況の衰退明治期における不老倉鉱山は、 二〇年以降古河市兵衛の経営するところとなり、 三七年細地鉱山
鹿角市史 第3巻 上 (0662)

同庵世話人は、 当時不老倉は勿論、 柴内村細地鉱山四角鉱山)から三戸郡夏坂村金掘沢まで置かれていた
鹿角市史 第3巻 上 (0508)

注2、 『秋田県史』資料明治編上、 四七〇「小野組請負稼諸鉱山之内細地鉱山外五ケ山廃山相成度儀伺」
鹿角市史 第3巻 上 (0447)

権利のすべてを、 長谷川芳之助に譲渡することを承諾し、 尾去沢のみならず、 会社の経営に属する細地
鹿角市史 第5巻 (0269)

六·五細地銅山、 小野組が稼行を始める。
鹿角市史 第5巻 (0273)

細地銅山、 岡田平馬が借区許可をうけた。 花輪学校費用調達のため第一供校社発足する。
鹿角市史 第5巻 (0293)

同同同一〇·この年細地鉱山小字外山·冷水に鉱区を拡張した。
鹿角市史 第5巻 (0300)

同秋田魁新報この年不老倉鉱山、 細地鉱山を合併す。
鹿角市史 第5巻 (0248)

諸御用留帳七·一四細地銅山小屋が去る嘉永七年百姓共に焼払われた事件の吟味が済み、 下町伊助弥八
鹿角市史 第2巻 上 (0712)

前述の白根、 不老倉のほかに熊沢硫黄山、 槇山金銅山などが目立ち、 のち細地銅山もあらわれてくる
鹿角市史 第5巻 (0258)

一九勘定奉行加両鹿角御用中銅山御用掛大島惣左衛門 (高任)、 金銀銅鉛山見分のため小坂·細地
鹿角市史 第5巻 (0274)

旧六 ·六 ·細地鉱山、 岡田平馬から鉱業会社へ譲渡となる。
鹿角市史 第5巻 (0280)

秋田県庁文書九 ·細地鉱山、 松尾清兵衛より長谷川芳之助へ譲渡となり、 譲受坑区券名義書換願
鹿角市史 第3巻 上 (0496)

三七年の細地鉱山合併、 四〇年における四〇年銑などの冨鉱脈の発見に由るものであろう。
鹿角市史資料編 第15集 (0106)

九月覚一、 毛馬内通御代官所之内、 柴内村細地御山ニ而御試被成候事。
鹿角市史 第4巻 (0440)

産地は草木全域と級ノ木るどの集落で、 不老倉鉱山近くの細地から根曲竹を切り出して加工した。
鹿角市史 第3巻 上 (0455)

八年二月鹿角郡細地・小繋の二銅山が小野組より秋田県官坑事務所へ引継がれるに伴い同山へ移ったが、 同年四月官業休止
鹿角市史資料編 第15集 (0104)

覚一、 柴内村細地御山ニ而鉛山御試被成候事。
鹿角市史 第2巻 上 (0710)

同日御勘定奉行加両鹿角御用中御銅山御用掛大嶋惣左衛門、 金銀銅鉛山見分御用の為先達て毛馬内通小坂銀山え御出ノ処、 細地
鹿角市史 第5巻 (0571)

蛇沢蛇沢湿原〔花〕戸来村弁天崎〔毛〕ホ法奥沢村〔青森県〕籌畑(村)坊沢坊沢村〔鷹巣町〕朴木峠細越(村)細地
鹿角市史資料編 第23集 (0094)

先頃御達相成候得共今以差出不申候間早々書上可申事九月頭取寺本惣内達之趣九月八日付を以非番同役より廻状を以申来る覚一、 毛馬内通御代官所之内柴内村細地御山
鹿角市史 第3巻 下 (0369)

この山かげに細地という小さな鉱山が、 一本の坑道でつながっていた。
鹿角市史 第5巻 (0507)

豊年祭宝引き(ほうびき)方面委員法量神社 [高清水]木析会(ぼくたくかい)北投石北鹿連合衛生会戊辰の役細地鉱山
鹿角市史資料編 第23集 (0092)

申来花王毛馬内江廻状二而申来覚毛馬内御給人定八御番代一勝又周治勝又周治毛馬内通御代官処御物書被仰付右者八月十六日付を以非番猪川多継より頭取寺本惣内達之趣ニ而御用状を以申来ル覚一、 柴内村細地御山
鹿角市史資料編 第25集 (0029)

、 翌朝御官処江参り御徒目付様小林末蔵様、 御下役葛屋治兵衛様くわい役柳沢孫助様三人御立合、 細地御山一件御尋
鹿角市史資料編 第23集 (0084)

是迄之孫御蔵御引拂被成候事七月七日頭取米倉七蔵達之趣七月八日付廻状を以非番より申来る毛馬内通御代官所之内柴内村細地御山
鹿角市史資料編 第2集 (0073)

同日御勘定奉行加両鹿角御用中御銅山御用掛大嶋惣左エ門金銀銅鉛山見分為御用先達而毛馬内通小坂銀山江御出之処細地
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