機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 66件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 2ページ
鹿角市史 第4巻
(0865)
○鹿角方言集昭和十一年刀江書院○日本星座方言資料昭和二十四年日本常民文化研究所○
菅江真澄
遊覧記1~5(,宮本常一との共編・訳)昭和四十年平凡社○
菅江真澄
随筆集昭和四十四年平凡社○
菅江真澄
未刊文献集1、 2,三元社○
菅江真澄
全集(全十四巻)宮本常一と共編未来社○松前と
菅江真澄
北方書院○
菅江真澄
旅と日記未来社○
鹿角市史 第5巻
(0476)
ス水晶山(句集)佐藤麻光
菅江真澄
全集 · 1~14
菅江真澄
民俗図絵 · 上中下すすきの,出湯
菅江真澄
寸陰館規則見込書寸陰館日記·1~3号3下6824665 · 782
鹿角市史 第4巻
(0864)
昭和二十年に妹のハチと共に秋田市に移り住み、 同年柳田・渋沢を顧問として
菅江真澄
研究会を設立し、,『未刊文献集』『遊覧記』『旅日記』などを〓々に刊行し、 昭和四十六年以降、 未来社から『
菅江真澄
全集,
菅江真澄
研究のほかにも多くの論文があり、 主な著作や記録は次の通りである。
鹿角市史 第4巻
(0961)
菅江真澄
の写生「錦木塚
鹿角市史 第4巻
(0002)
寄贈
菅江真澄
の写生「錦木塚
鹿角市史 第4巻
(0005)
これらについては、 すでに江戸時代から先人たちが様々な記録を残しており、
菅江真澄
の貴重な紀行文なども,鹿角出身で柳田国男に師事した人々に、 人文地理学者の佐々木彦一郎、
菅江真澄
全集を完成した内田武志
鹿角市史 第4巻
(0846)
、
菅江真澄
の鹿角遊覧(
菅江真澄
は江戸時代の紀行家として著名であり、 また民俗学の先駆者とも呼ぶべき
鹿角市史 第2巻 下
(0267)
天明五年(一七八五)九月、
菅江真澄
が湯瀬の湯宿で身の上話を聞いた老マタギのような、 漂泊者的な一人,マタギの存在もあった(
菅江真澄
『けふ)のせはのの』)。,
菅江真澄
は文化四年(一八〇七)九月に十和田湖畔へ入った時、 休屋の山小屋で異様な言葉を聞いた。
鹿角市史 第4巻
(0872)
教職のかたわら、 郷土教育が重視された時代の傾向を察知して、 郷土の古文献の解読や
菅江真澄
研究に打,また鹿角における
菅江真澄
の足跡を調査し考証につとめている。
鹿角市史 第4巻
(0023)
下草木の獅子舞(現在廃絶)
菅江真澄
が描いた松の木の駒形神社金勢様(松の木・駒形神社<だんぶり長者伝説
鹿角市史 第2巻 下
(0465)
註6この大坊と不動院の関係について、
菅江真澄
は文政七年の『さくらがり・下』の中の「由伎の宮桜」で次,(中略)不動院の上祖なり」(『
菅江真澄
未刊文献集・一』)註7これらの文書の原本は伝わっていないが、
鹿角市史 第4巻
(0875)
菅江真澄
の紀行文のうち、 鹿角関係〓分を内田武志等にさきがけて現代語に訳し、 昭和三十八年に『現代語訳,・
菅江真澄
翁の鹿角遊覧記』として発行した(謄写刷)。
鹿角市史 第2巻 上
(0360)
帚畑村惣百姓の名を以て嘆願を繰返している(『御次留帳』
菅江真澄
の『十曲湖』(文化四年)に、 次の文がある,(未来社版『
菅江真澄
全集』による)と山村の生活を叙しているが、 この内西郡は紫根染の媒染灰として欠くことのできないものであった
鹿角市史 第2巻 下
(0533)
この集で興味深いのは、
菅江真澄
の歌二首が納められていることである大化の僧のかいのこしたりけるふみにそのいにしへを,この時の真澄の紀行『にしきぎ』(仮題(『
菅江真澄
全集』第四巻所収)には自詠のものがなく、 この錦木集
鹿角市史 第5巻
(0466)
郷土鹿角毛馬内 3上95 · 212ひとしづく (句集)3上623 · 624ひなの一ふし
菅江真澄
,小田島由義日記)臥牛 (歌集)花輪短歌会武江年表不作覚書 武治右衛門藤里町史藤原保則伝筆能のしがらみ
菅江真澄
不動院古記録
鹿角市史 第4巻
(0748)
く女たちの姿を写生している『
菅江真澄
全集第四巻』)。,
菅江真澄
は文化六年(一八〇九)に諸国民謡集『ひなの一ふし』をまとめているが、 その三百曲ほどの歌の中
鹿角市史 第4巻
(0877)
(鹿角の童謡三つ昭3・9・〓秋田市
菅江真澄
百年祭に参列、 記念講演をした。,・湯瀬を越えた)17(夏)内田武志が成城に柳田を訪問して『けふのせはのの』を紹介され、 これが後年
菅江真澄
研究
鹿角市史 第2巻 下
(0309)
また文化四年(一八〇七)五月、
菅江真澄
は出羽の雪沢(現大館市)から小玉峠の日暮しという峰越し路を踏分,け、
菅江真澄
『錦木」烏帽子(母耶)山の麓を瀬田石に出、 毛馬内に着いた()。
鹿角市史 第2巻 下
(0398)
菅江真澄
の紀行『上津野の花』(文政四年)の中に「此南部ノ鹿角ノ郡花輪ノ郷ノ鎮守ノ御神を幸稲荷とまをして,其御神やうつし奉りしにや」(『
菅江真澄
全集』第十一巻と記されている。
鹿角市史 第2巻 下
(0263)
るからというのである山村の特産物入湯川上流に点在する山村の生活を描写したものに、 文化四年(一八〇七)この地を訪れた
菅江真澄
,(内田武志編『
菅江真澄
全集』第四巻、 未来社刊)
鹿角市史 第4巻
(0880)
えていたであろう湿地性植物の蒲に由来するというわけであるまた柳田の鹿角来訪は十和田湖伝説の調査、
菅江真澄
,秋田では後に
菅江眞澄
の名を以て知られ、 東北旅行家の第一位に推さるべき人であるが、 此時はまだ三十二歳
鹿角市史 第4巻
(0070)
…七六一第一章民俗の記録……………七六はじめに……七六三第一節江戸時代の記録……………………七六四一
菅江真澄
鹿角市史 第4巻
(0866)
武志没後には『
菅江真澄
民俗図絵』(昭和六十二年・岩崎書店)三巻を編集している。,これは
菅江真澄
自筆の原本から民俗関係のスケッチをカラー図版で収めたもので、 鹿角では「弁良佐伎宇須」
鹿角市史 第4巻
(0845)
この頃なると、
菅江真澄
をはじめ他の地域からの来訪者によって、 鹿角の民俗はある程度の客観性をもって
鹿角市史 第4巻
(0782)
奥浄瑠璃本『檀毘盧長者之本地』などが今に伝えられており、 鹿角を訪れた
菅江真澄
や高山彦九郎などもこの
鹿角市史 第2巻 上
(0447)
紀行文にあらわれた紫・茜〓天明五年(一七八五)三河の人
菅江真澄
が初めて鹿角を訪れた際の紀行文「けふのせばのの
鹿角市史 第4巻
(0260)
菅江真澄
『けふのせはのの』天明五年(一七八五)○古川古松軒『東遊雑記』天明八年(一七八八)高山彦九郎『
鹿角市史 第2巻 下
(0385)
大明五年(一七八五)の秋、 此処に宿った
菅江真澄
は湯瀬といひて湯桁の三ならひたるところありけるに、
鹿角市史 第1巻
(0663)
錦木山観音寺縁起は『奥州狭郡錦木山観音寺縁起』と、
菅江真澄
の記した『けふのせばのの』所収の『錦不山観音寺由来記
鹿角市史 第4巻
(0074)
写真・図表目次【見返し】〔表)
菅江真澄
の写生「錦木塚」(裏)同右【口絵】大日堂舞楽(五大尊舞)……(水
鹿角市史 第4巻
(0453)
菅江真澄
も八月二十六日神田という村についた。
鹿角市史 第4巻
(0075)
一男神の仏像…2円三宝荒神様(小平)…一下草木の獅子舞(現在廃絶)……一金勢様(松の木・駒形神社)…円
菅江真澄
鹿角市史 第5巻
(0209)
返還松前奉行廃止この年幕府南部·津軽藩兵の蝦夷地守備を廃止する相馬大作津軽藩主要撃同三· 五
菅江真澄
再
鹿角市史 第1巻
(0452)
天明五年(一七八五)旧八月、 初めて鹿角に杖を曳いた
菅江真澄
は、 「毛布の渡」を渡し舟で越え、
鹿角市史 第4巻
(0685)
菅江真澄
、 橘南谿、 松浦武四郎、 漆戸茂樹など江戸時代の紀行家の文章にも珍しいものとして書き留
鹿角市史 第4巻
(0747)
江戸時代の紀行家
菅江真澄
は文化四年(一八〇七)に鹿角を訪れた時、 大の坂節を唄いながらむらさき臼を搗
鹿角市史 第4巻
(0812)
菅江真澄
『ひなの一曲』には「十五七節四五十種もあり」として、 そのいくつかが記されている。
鹿角市史 第4巻
(0454)
か」(
菅江真澄
遊覧記1けふのせば布」)と記している。
鹿角市史 第5巻
(0216)
幕府南鐐一朱銀新鋳す七月 幕府二分判金を増改鋳一二月シーボルト帰国すこの年八戸町大火四〇四軒土蔵五一棟焼失す同
菅江真澄
鹿角市史 第4巻
(0310)
天明五年(一七八五)に
菅江真澄
は湯瀬で、 日が暮れるとたくさんの女たちが苧笥を持って糸宿に集まり、
鹿角市史 第5巻
(0169)
八·二六
菅江真澄
、 土深井より鹿角郡に入る。
鹿角市史 第5巻
(0453)
四·二四「
菅江真澄
の道」標柱が鹿角市連合青年会らに鹿角タイムスより錦木塚など六カ所に建立された
鹿角市史 第4巻
(0261)
菅江真澄
の天明五年『けふのせはのの』の九月二日、 湯瀬村の部分には次のような文章がある。
鹿角市史 第4巻
(0749)
菅江真澄
が大の坂などについて書き記しているほか、 毛馬内の町井佐助の記録(奈良氏所蔵)によると文化十一年
鹿角市史 第4巻
(0873)
して佐々木彦一郎・内田武志・瀬川清子などと交流があり、 「呪語桑原」では内田の教示によるとして、
菅江真澄
鹿角市史 第5巻
(0198)
菅江真澄
、 雪沢から日暮しを越え毛馬内に着く。 花輪神明社の屋根拝殿修復し遷宮行わる。
鹿角市史 第4巻
(0336)
田酒は江戸後期から有名であったらしく、
菅江真澄
が『上津野の花』筆のしがらみ』所収)で「此里にあまちこといふものを
鹿角市史 第2巻 下
(0045)
を市にだして売っていた、 という物語が古くから云い伝えられ、 天明五年(一七八五)に鹿角を訪れた
菅江真澄
鹿角市史 第1巻
(0183)
しかし、 鹿角地方にもむかしは十和田湖周辺の山地などに群れをなして生息していたらしく、 それは
菅江真澄
鹿角市史 第2巻 下
(0266)
また前掲の
菅江真澄
の紀行文にみえる、 コナフサという木で履物を作り、 市に出して売ったという表現によって
/ 2ページ